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西国の桶狭間、事の始まり

2018年05月06日 18:00

730 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/05/06(日) 13:42:31.42 ID:l9oNTbVm
西国の桶狭間、事の始まり

永正14年(1517年)10月、安芸の守護である武田元繁は安芸北部の山県の諸勢力を攻め、下した者らや元々の配下を糾合した後、有田の城をおよそ5千の兵で取り巻いて攻め立てた。
有田城主、小田信忠は老練の武将であり、城兵は300ばかりだったが敵の数に怯まず激しく防戦に当たった。
武田元繁はその勢いを持って有田を落とした後は近隣の毛利家や吉川家と言った自分に従わぬ大内傘下の者らを滅ぼそうと目論んでいた。
この城を武田元繁が真っ先に攻めるに至った理由は何からか?
それは永正元年(1504年)、石見の高橋久光が有田の城を攻め取った後、野田久之を城将として置き、これにより近郷一帯悉く高橋に従うこととなった。
ところが、元々この地の主であった吉川家家臣の森脇基方という者がこの城を奪い返そうと野田に取り入り、最初は警戒されたものの遂には家僕同然に振舞うほどとなり、表裏無く打ち解けるまでに至った。
そんなある年の8月15日、近隣の八幡神社の祭礼を見に野田の家来が皆出て行った時、森脇は好機到来と野田の宿舎を尋ねるとこう言った。

「野田殿、私も祭りを見に行きたいのですが、刀が見苦しいので遠慮しております。貴方の御太刀を貸して頂けませぬか?」
「良かろう、貸して進ぜよう」
野田から代々秘蔵の太刀を受け取った森脇は
「いやいや、これは見事な御太刀ですな、ベラベラベラベラ(以下略」
と、野田の太刀を弁舌巧みに褒めそやした。上機嫌になった野田は
「そうであろう。この太刀は見た目もさる事ながら斬れ味も優れ、ワシの先祖はこれで妖怪や大蛇を(以下略」
と、自慢気に刀の由来を語り上げた。野田の話がひと段落した時、森脇は
「では、その斬れ味を試させて頂きましょう!」
と一言、野田の頭を件の名刀で叩き斬った。
野田は「アッー!」と断末魔の声を上げて倒れ、森脇は彼の首を取ると傍輩や近郷の者らに告げ、5~60人の兵を集めると有田の城に立て篭もった。
その方を受け激怒した高橋久光は5000ほどの兵を集めて有田に攻め込み、森脇の主人である鬼吉川こと吉川経基も1000ばかりの兵を集めて有田城へ入城すると、双方の戦いは激しく数ヶ月に渡って決着は付かなかった。
この時、武田元繁の仲裁で両軍は和睦する事となったが、有田の城をどちらが取るかは双方譲らず一向に埒が開かなかった為、
武田元繁の鶴の一声で元々有田を本領とし、今は城を追われた小田氏を城主として有田の城を返させる事で何とか事は収まった。
その後も仔細有って武田と吉川は闘争に及んだが、この時小田は武田に恨みを含む所が有って吉川に与したので、元繁は小田を恩知らずと憎み有田の城を攻める事となった。
日が経つほど有田の小田方は苦境となり、小舅の熊谷元直を中に立て降伏を申し出たが、それすら許さぬ程に元繁は激怒しており、これを許さず有田の落城は目前に思われた。
有田城の落城は間近と見た為か、武田元繁は毛利幸松丸配下の元就が領する猿掛へ1000ばかりの兵を向かわせ、ここに西国の桶狭間こと有田中井手の戦いの戦端が開かれることとなるのである。
(陰徳太平記)


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