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一益退去

2019年10月20日 15:53

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/20(日) 14:12:47.91 ID:WlBR2NHp
天正十年六月十九日、滝川一益は本能寺の変を受けての、北条氏との神流川の戦いに敗北する。

この日、晩景になると敵もそれほど追い打ちをかける姿勢は見せず、一益は敗卒を駆けあつめると、
国衆たちに、もう一度力を合わせ、生死の有無を決する戦いをすべきかどうかという伝令を出した。
しかし皆は「人馬ともに疲れ果て、日も既に暮れている」事で、「明日を待って一戦交えるべし」との
返答であった。一益もこの上は力及ばず、またこのような疲れ武者で目に余る大軍に向かっても
戦果を得ることは出来ないと判断し、国衆たちに触れを出し、速やかに陣払いをすると神流川を渡り、
ひとまず倉賀野淡路守秀景の城へ入ってしばらく休息し、それから厩橋城へと戻った。まさに負け戦であった。

翌日、一益は武蔵野で討死した味方の士卒の供養を城下の寺に頼み、金子百両を渡して回向した。
その後、上州衆を集めると、「この度の戦いで粉骨して働いた無二の志は、生きている限り忘れない。」と
感謝を伝え、それまで預かっていた人質を悉く返すことこそ真の弓矢の道であると、彼等に返した。
そして
「これよりすぐに上洛して、小田原の北条とは和睦をなし、この上の迷惑を、皆にはかけぬつもりである。」
と今後についても話し、繰り返して感謝を伝えた。

それから、今日が今生の別れとなるだろうからと酒宴を催した。二十夜の更待月(ふけまち)がくまなく
城内の庭を照らし、涼しい風もようやく立って、生き返ったような夜であった。
一益は鼓を取って「つわものの交わり頼ある中の…」り今様を謡うと、倉賀野淡路守が
「名残いまはと啼く鳥の…」と和した。
互いに抔を交わして別れを惜しんだが、夏の夜は短く、既に明け始めると、滝川一益父子は
「さらば」と厩橋を発った。
小幡、倉賀野をはじめ上州衆は、返された人質までもが道々に警護に立って彼等を見送った。

明けて二十一日、松井田城に着くと、津田小平次、稲田久藏の兵一千余騎に守られ碓氷峠を越え
信州小諸に付いた、そこで一日逗留し、諏訪街道より木曽路を経て、七月一日、伊勢国の領分、
唐櫃島に到着した。

およそ今度の滝川一益の命運ほど、変転の激しいものはなかった。人が予測できるような事では
無かったのに、一益がよくその中を切り抜け生き残ったのは、彼の処世の上手さも在ったのであろうが、
彼自身の誠意が神に通じたのであろうと、人々は噂した。

(関八州古戦録)

滝川一益の、関東よりの撤退について。一益についてはかなり好意的に描写されていますね。



278 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/20(日) 15:42:28.18 ID:weGQo7Ul
鬼武蔵の撤退についてもあるのだろうか
既出とかぶるかな

279 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/20(日) 16:33:40.12 ID:OKDUeII+
有能なのに、なぜかドラマ等では地味な一益さん
伊勢攻め自体が描写されないこと多いし
北勢48家とかなかなかおもしろいと思うんだが

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/20(日) 18:39:46.47 ID:iGxZu7xH
終わり方がね…

281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/20(日) 22:10:29.82 ID:d2rGB6b5
映画の清洲会議ではそこそこ目立ってた

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/20(日) 22:47:39.33 ID:4NQZ+C9a
>>279
真田丸ではそこそこ出番が

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/10/21(月) 08:46:49.19 ID:5hhUmyRm
一応、一益の最高役職が関東管領だから!
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神流川の戦い、戦後

2018年10月13日 17:06

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/13(土) 16:15:45.83 ID:asM7S4h2
(神流川の戦い敗戦後)

厩橋城に引き返した滝川一益は、今日討死した人々の姓名を書き記して金銀を添え城下の寺院へと送り、
追善供養を頼んだ。その後、一益は上野衆を招き集めて終夜酒宴を開き、自身で鼓を打って謡を歌った。
その後、一益は扇を取り直し「兵の交り頼み有る中の酒宴哉(謡曲『羅生門』の一節)」と歌い舞えば、

倉賀野淡路守(金井秀景)も拍子を取り「名残今はと啼く鳥の(謡曲『源氏供養』の一節)」と歌って
互いに興に乗じた。さて一益は太刀・薙刀ならびに金銀や、その他日頃秘蔵した書画・珍器を尽く取り
出し、上野衆に授けて今日の一戦の功労を賞した。一益は鳥鳴く空も明けると暇乞いし、

「厩橋城を打ち立つ」と言って、人々の人質をすべて各領地へと帰した。上野諸将は皆一益の大勇義信
に感動して涙を流し、倉賀野まで付き添い送った。沼田城では真田安房守(昌幸)が郊外に赴いて迎え、
厚く馳走し諏訪まで送って来た。一益は始めは木曽路を気遣っていたのだが、

木曽左馬頭(義昌)も一益の義勇に感動したのか軍勢を数多差し添え伊勢長島の一益の所領まで送った。
一益が難無く帰国したところ早くも光秀は誅に伏し、三法師丸(織田秀信)は織田殿の家督として安土
に在城していたので一益は安土へ参り拝謁し、つつがなく居城の長島へ帰った。

世人は一益を称して“鬼滝川”と字せしという。

――『改正三河後風土記(柏崎物語・武徳編年集成)』

神流川の戦い一日目
神流川の戦い二日目



349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/13(土) 18:08:58.32 ID:7+dcbMCb
鬼滝川
神流川

字面的にあってるような

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/13(土) 20:57:54.90 ID:06zbrJY1
コロッケの弟子の神無月がなんだって??

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/13(土) 21:50:37.32 ID:JrNRmdHT
立ち振る舞いが爽やか過ぎるのが一益の美点であり欠点だったんだろうか
酷い立ち回りだが武略知略を感じさせる鬼武蔵と逆だったらどうしてたか気になる