チヌの池由来

2014年05月22日 18:51

348 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/22(木) 17:54:20.18 ID:gST4JFnT
天正13年、豊臣秀吉による四国攻めにより、小早川隆景が伊予に攻め入ってきた。

小早川勢に対し金子備前守元宅は、金子城を弟の金子対馬守元春に任せ、自身は軍勢の指揮のため高尾城に入ることにした。
この金子城でのお話。
金子城に籠城した金子対馬守の守りは固く、流石の小早川勢も攻めあぐね、ついに小早川から使者がやってきた。
使者は
「これ以上の戦いは無益です。わが殿も対馬守殿の武勇に感じ入り、決して悪いようには致さぬと申しております。どうか開城していただけませんか?」
と降参を勧めるが、対馬守はとうとう聞き入れることは無かった。
しかし対馬守は、金子城の飲料水としていた大きな池から鯉を釣り、使者へふるまい礼を尽くしてくれた使者へのせめてもの返礼とした。

こうして金子城は最後まで頑強に抵抗したが、衆寡は敵せず落城し、金子対馬守も討死した。傷ついた金子城の兵は最期に水を求め、
多くの者が池のほとりで力尽き死んでいったという。
地元の者は、この池を血塗の池、血の池と呼ぶようになり、転じてチヌの池と呼ぶようになった。

後世に金子城の武勇を伝えていたチヌの池は、明治のころに鉄道の工事のために埋め立てられ、今は無い。




350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/22(木) 19:25:20.03 ID:b+DpLnDl
>>348
金子元宅は知る人ぞ知る四国の名将ですね
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