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北条の沼田城と金子美濃守

2011年01月17日 00:00

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 00:01:50 ID:ZHd62Dwq

天正十三年、徳川家康が真田家の上田城を攻撃するのと歩調を合わせて、上野国で
は北条氏直が沼田城への攻撃を開始した。

厩橋城から出陣した総勢五万八千の大軍は、二手に分かれて進軍する。
片方は北条氏直・氏邦の率いる三万八千。
もう一方は北条氏照の二万である。

大雑把に言ってしまうと、氏直・氏邦は厩橋から利根川の東岸を北上、沼田に直行
するコース、氏照は西岸を北上して名胡桃城を攻撃、沼田城の背後を窺うというコ
ースを取っていた。
対する沼田城は二千に満たない小勢。共に篭城する周辺住民を合わせても七千前後
という人数にしかならなかった。


「猪俣様、沼田城外に多数の旗が見えます」
北条軍の先鋒は例によって猪俣能登守。彼の元に物見の兵が報告に来る。
「……矢沢頼綱が打って出たのか?」
「いえ、旗はこちらではなく、名胡桃城に向けて移動中です。旗の数から見て、総
勢は恐らく一千前後かと」
「千を率いる武将など、沼田には矢沢以外おるまい……陸奥守様(氏照)の動きを
察して、沼田を捨てて名胡桃を防衛拠点にするつもりか?」
「如何なさいますか?このまま見逃し、沼田攻略に専念いたしますか?矢沢のいな
い沼田など、容易く落せますぞ」
「いや、千とは言え、矢沢が名胡桃に合流したらやっかいだ。ここで討つぞ!」
猪俣は手勢三千を率い、名胡桃に向かう真田勢の後を追い始めた。


が、勿論、これが計略でない筈がない(笑)
あと少しで真田勢に追いつこうか、という所で俄かに猪俣勢の後方部隊が騒がしく
なる。
「背後から敵襲!待ち伏せをされました!」
そう、森の中でジッと息を潜め、猪俣勢をやり過ごした渡辺左近丞が、五百の手勢
で後方から奇襲を仕掛けたのである。
「な、伏兵だと!? 罠っ!?……では、あの先行する部隊は……」

金子美濃守、推参!!」
名胡桃に向かう一千の勢は矢沢頼綱ではなかった。
金子美濃守の手勢に民間人を加え、彼等に旗を持たせて正規兵らしく装った囮であ
る。
勿論、渡辺左近丞の攻撃開始と共に、金子美濃守も反転、総攻撃に移っている。
加えて民間人とは言え、この時代は武装して戦い慣れた者も多い。彼等の奮闘もあ
った。

奇襲で浮き足立った所に前後からの攻撃を受け、猪俣勢は反撃を加える事も出来ず、
二百を討たれた挙句、散り散りになって逃げ帰ったという。


まとめの方で金子さんを擁護する発言が続いたので、ちょっと格好良い所を(笑)
……つか、本当に擁護しようのない無能は猪俣さんだという気がしてきた。(^^;
真田側の記録が出典なんだから仕方ない事ではあるんですが。





257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 02:49:32 ID:vXrVwzrg
良質な記録文書の宝庫である北条家なのに猪俣さんの活躍は記録されてないのか・・・

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 02:50:59 ID:JElKcTQC
金子美濃守に敗れる猪俣さん・・・

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 02:56:50 ID:Iot/vh62
まぁ猪俣はストライク入らないからなw

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 08:23:53 ID:y6qA0kon
泣くな!イノマティ

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 08:59:49 ID:1xYiSDpW
いのちゃんは同じ手によくひっかるよね


262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 12:21:20 ID:BM4GzxWe
天庵様クラスの清々しい負け方だな。

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 13:53:06 ID:ABEztcyG
寿司なら上手に握れるんだけどなぁ…

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/16(日) 15:02:54 ID:ZA6YqLsM
>>261
猪だけに狩られる方なんだよ。
猪肉は真田家で美味しくいただきました。
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天正十年真田vs北条の最終章

2011年01月09日 00:00

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 03:53:27 ID:vmGhrQlv

天正十年六月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4987.html

天正十年九月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5016.html

天正十年十月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5019.html

まで書いたんだから、最後まで書かなきゃ落ち着かない。
と言う事で天正十年真田vs北条の最終章。


阿曽、鎌田の両城を落とし、後は片品川を渡ればそこは沼田城、という所まで漕ぎ
着けた北条軍。
真田軍に立て直す暇も与えずに五千の兵が進軍を始めたのは十月二十八日。

沼田からも千三百の兵を出したというから、まさしく総力戦であろう戦いが沼田城
外、田北原にて行われる。
が、この戦いは互いに兵力をすり減らすだけの消耗戦となってしまう。
敵兵二百を討ち取ったとは言え、味方も百五十が討たれたという報告を聞くと、
矢沢頼綱はあっさりと引き上げの下知を下す。

全軍が沼田城に籠もり、堅く守って敵を寄せ付けない。
三日三晩、攻めに攻め続けても尚、崩れる気配さえ見えない沼田城に、北条軍は一
旦阿曾城まで退いて建て直しと兵の休息を図る。

しかし、阿曾城は元々、沼田城から片品川を挟んだ対岸の河岸段丘上に築かれた城。
沼田を攻める為に渡河を試みる敵軍を背後から牽制する為の城なのだ。
当然、大軍を収容する為の設備などあろう筈もない。
五千の北条軍の殆どは阿曾城と片品川に挟まれた丘陵地帯に野営せざるを得なかった。


「さて、頃は良し……と言った所か」
北条軍が包囲を解いたその晩、真田家随一の猛将が動き始める。
「皆、三日三晩も城に引き篭もって、さぞや退屈しただろう。今夜は思う存分暴れ
るがいい!」
頼綱自らが大将として、塚本肥前守金子美濃守渡辺左近丞と言った沼田の主力
メンバー計七百騎が、揃いの装束に身を包んで秘かに出撃する。


阿曽城外……この三日、夜通しで戦い続け、体力気力共に使い果たした兵士達が、
ぐっすりと眠りこけている。
当然見張りも立ててはいるが、兵力差による慢心と、野営続きによる疲労が彼等の
集中力を削いでいた。

「うむ、この分なら勝利は動かんな。……総勢、かかれぇいっ!!」
ドンッ!ドンッ!ドン……ッ!
真夜中の片品川に響く太鼓の音。
それを契機に一気に北条軍へと雪崩れかかる真田軍。
山国の晩秋の寒さの中、野営と戦闘による疲労に蝕まれた北条軍兵士達の反応は鈍
い。
彼方此方であるいは真田兵に討たれ、あるいは同士討ちを始め、あるいは片品川に
落ちて流されるという混乱状態に陥る。


155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 03:55:22 ID:vmGhrQlv

が、数に劣る真田軍は深追いはしなかった。
「落ち着け! 敵は少数だ! 備えを立て直して包み込めば簡単に殲滅出来る!!」
将官クラスの名のある者共は流石に反応も早い。
完全武装の姿を兵士に見せ、当たり前ではあるが簡潔で的確な指示を飛ばすと、徐
々に兵士達の動揺も収まってくる。
しかしその時には既に、真田の夜襲部隊は戦場を離脱し、闇の中に消えていた。

「ぬぅ、逃げられたか。……いや、待て!あそこだ!沼須方面に夜襲の軍が逃げて
行くのが見えるぞ!」
引き上げの時にはもう、姿を隠す必要はないという事だろうか、松明を掲げて退却
する兵士の一団を発見したのは猪俣能登守。
「追え!今からならまだ追いつける!奴等を殲滅して沼田城の連中に見せつけてや
るのだ!」


「釣れたのは猪か」
「懲りるって事を知らないんでしょうかねぇ」
「金子、猪俣も貴様に言われたくはないだろうよ」
闇の中に消えた真田軍の陣中、矢沢頼綱金子美濃守がほくそ笑む。
そう、皆さんご想像の通り、松明を掲げた一団、これは矢沢頼綱の計略であった。
金子美濃守の手勢から五十人を裂いて、わざと明かりを灯して北条軍の目の前に姿
を見せたのである。

「皆、判っているな。合言葉は『天』『気』だ。揃いの服を着て、合言葉を口にす
る者は斬るな。合言葉を知らん奴は服が揃いだろうと斬り捨てて良し! ……かか
れぇっ!!」

逃げて行く真田軍と思しき一団を追跡して突出した猪俣勢。
その腹背に喰らい付いたのは沼田城の中でも精鋭中の精鋭、矢沢頼綱率いる五百の
兵であった。
先の夜襲には素早く対応し、すぐさま立て直した猪俣も、二度目の奇襲には狼狽え
るばかり。あっと言う間に散り散りになって逃げて行ったという。

しかし……
「こっちにも居るぞ!」
「私もちょっとは働かないとね!」
逃げ惑う猪俣勢の逃げ道には、更に渡辺左近丞金子美濃守の手勢が立ち塞がる。
こうなれば最早殲滅戦である。
矢沢勢によって二百、渡辺&金子勢によって百人を討たれた猪俣は、身一つで命か
らがら逃げ延びて行ったという。


この夜の真田軍の死者は僅かに十人。負傷者が五十人という大勝利であった。
北条軍は猪俣勢の死者のみでも三百。ましてや猪俣は数日前にも三百を討たれる大
敗北を喫している。
二千居た猪俣勢の内、六百がこの沼田で命を落したのである。
北条氏邦にとっても、自分の目の前で副将格の猪俣の惨憺たる有様を見せつけられ
たのは大きかったのかも知れない。
十月二十九日には信州で徳川家と和睦を結び、天正壬午の乱も終結している。
ここが引き際と、氏邦は遂に沼田を諦めて北条全軍を厩橋城に撤退させたのである。
これ以降、北条氏は武力ではなく、徳川家を相手取っての政治交渉で沼田を落そう
と方針を転換させる事になる。


二千の内六百を討ち取られるって、それ壊滅ですよね?(^^;
そりゃ猪俣さん、沼田に拘るだろうし、真田を恨むよね。
つか、金子さんが働いてる!?




156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 07:42:53 ID:Jkxdo6Gr
えーと、金子美濃守って実は二人いた・・・んでしたっけ?w

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 14:42:18 ID:Vesf48T6
金子美濃守~と言った沼田の主力メンバー云々…

ダウト!

真田vs北条の第三幕

2011年01月07日 00:00

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/06(木) 15:22:27 ID:0f7pTQ+Q

天正十年六月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4987.html

天正十年九月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5016.html

という経過を辿った天正壬午の乱の裏番組。
局地戦では一勝一負という結果ではあるが、全体的に見てみれば、城持ちの有力国
人数人を討たれ、動揺した国人衆の離反が続くなど、真田家にとってはジリ貧の状
態であった。

北条家としてみれば、イケイケで押し切りたい所である。ましてや対徳川家の状況
があまり芳しくない事を考えれば、上州~北信濃をしっかり押さえるのは死活問題
でもあったのだ。


十月上旬、今度は沼田方面に北条軍が侵入を始める。
長井城の恩田越前守が一旦は北条軍を押し返す健闘を見せるが、北条氏邦自らの出
陣によってあえなく落城。恩田は命からがら沼田へと落ち延びた。

続いて囲まれたのが阿曾城と鎌田城。
この両城を奪われたら沼田城までは一直線、という重要拠点である。
北条は阿曾を上泉主水等三千、鎌田を猪俣能登守等の二千で囲み、その背後に氏邦
が一千の兵で控えるという布陣であった。


沼田城の矢沢頼綱はこれを見て出陣。鎌田城から川を挟んだ地点に陣を取る。
とはいえ、兵力はたったの五百。
「頼綱め、余程鎌田城を取られたくないと見える。だが、奴の首さえとってしまえ
ば、この戦は終わりだ! 鎌田城よりも頼綱の首を優先するぞ!」
猪俣は鎌田城の押さえとして五百を置き、千五百の兵に渡河を命じた。

両軍は片品川の川原で正面から激突。
そう、矢沢頼綱、何の策も弄さず、真正面から三倍の敵に突っ込んだのである。
しかも加勢を買って出た根津幸直に予備兵力として後ろに控えておくように命じる、
という余裕まで見せている。

……半刻程の戦いの後、戦場に並んでいたのは猪俣勢の首、三百。
しかも猪俣の側近が十七名まで討たれるという惨憺たる結果であった。


十月二十二日になって鎌田城の攻め手が猪俣から須賀加賀守に交代すると、須賀は
猪俣の轍は踏むまいと城攻めに集中する。
沼田城内には「もう一度援軍を」と言う声もあったのだが、頼綱も二匹目の泥鰌は
いないとわかっていたのか、この時は鎌田城を見殺しにしている。
無事、鎌田城を落した北条軍では、「このまま一気に沼田城まで進軍するべし」と
の評定があったという。


297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/06(木) 15:23:41 ID:0f7pTQ+Q


そして二十三日の夜。
こちらも包囲されたままの阿曾城。隣りの鎌田城が落城し、次は自分達かと戦々恐
々としていた……わけではないようだ。

「戦乱の世だからといって、我々は神仏をないがしろにし、戦の計略のみを考えて
日々を過ごしてばかりだ。丁度今夜は二十三夜だし、神仏を祭って平和を祈ろうで
はないか!」
現在では廃れてしまったが、かつては月齢二十三夜の日には二十三夜講と言って皆
が集まり、神仏を祭る集会があったのである。
ともあれ城主の提案によって、篭城する五百の城兵達は祭りを始めてしまう。
城主の名前を、金子美濃守……数ヶ月前にやらかしたばかりの「あの人」である。

三千の敵兵に包囲されたこの状況で、厳粛な祭祀ならともかく、酒を振舞っての飲
めや騒げやの宴を始めてしまった。
その度胸は褒めてあげてもいいかもしれない。


そんな宴会の真っ最中、
「敵襲だ!北条軍の夜襲が来たぞ!」
見張りに立っていた兵が宴会場へと駆け込んでくる。

三千の北条軍。しかも先頭に立っているのは鎌田城攻略から外された猪俣能登守。
雪辱に燃える大軍を前に、五百人の酔っ払いでは相手にならない。
一つの鎧を数人で取り合い、太刀や長刀も奪い合い。奪い合いの結果、相手を殺し
て鎧や刀を身につけるという連中が続出した。
挙句の果てには厩に繋いだままの馬にまたがり、走らせようと躍起になる者までい
たというのだから、もうベロベロの泥酔状態だったのだろうか。

金子美濃守は防御の指揮を取る事もなく、さっさと逃げ出す。
酔っ払った足で、なんとか岩伝いに城を脱出すると、沼須郷の海應山金剛院に逃げ
込んだ。
北条方でも金子の追跡をしており、夜が明けると金剛院を取り囲み、寺内の捜索を
始める。
しかし、どこへ消えたのか遂に金子の身柄を捕捉する事は出来ず、美濃守は無事、
沼田城へと落ち延びて行ったのだという。

金子美濃守は若い頃から信仰が厚く、田北原という地に愛宕社を建立したのだが、
沼田氏が没落して以来、兵乱によって社は荒れ放題になってしまった。
美濃守はこれを憂い、愛宕の御神体を金剛院に保管してもらっていたのである。
この時、美濃守が助かったのは、愛宕の御加護によるものだと、もっぱらの噂であ
った。


真田vs北条の第三幕。
前半の矢沢さんの無双っぷりと後半の金子さんの無能っぷりの対比を楽しんでいた
だければ……(笑)
しかし金子さんってば、湯殿山参詣に拘ったり、愛宕神社を大事にしたり、戦中に
二十三夜講を開いてみたり……まじで出家した方が良くないか?

前半と後半に落差がありすぎて、いい話と悪い話のどっちに投稿するか迷っちゃう
な。w




金子さん平常運転中、の巻

2010年12月25日 00:00

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:06:40 ID:b84mgSVC

上野国沼田を制圧した真田家は、続いて北条家配下の白井長尾氏攻略に動き始める。

天正十年夏、白井城の支城である猫城&樽城に、沼田衆&川田衆といった上州国人
衆を主力とした真田軍一千が押し寄せた。総大将は矢沢頼綱


が、この侵攻は真田軍の散々な敗北に終わる。
矢沢頼綱が戦場に到着する暇もなく、白井長尾軍の伏兵による攻撃を受けた沼田衆、
続いて川田衆も総崩れになってしまったのである。

「……………」
報告を受けた頼綱、憮然とした表情を隠そうともしない。
勝敗は兵家の常。百戦錬磨の頼綱にそれが判らぬ筈もない。
しかし、それでも尚、憮然とせざるを得ない報告があったのである。


第二陣の恩田越前守&下沼田豊前守、猫城兵の伏兵により敗走。これはまだ良い。

同じく二陣に配されていた塚本肥前守、敗走する味方の兵を収容しつつ、樽城兵の
追撃をかわし、撤退。これはむしろ手柄と言っても良いだろう。

先鋒の中山右衛門尉、後続の沼田衆が崩れた為、敵中に孤立。奮戦するも最後は茂
みに足を取られ、二人掛りで討ち取られる。これも褒めてやりたい所だ。

では、問題なのは誰か。
二陣に配された金子美濃守、白井城からの後詰の兵七人と交戦。備えを崩して逃げ
惑う、とあるから敗走、と言うより壊走と表現した方が近いだろう。


「……七人?」
金子美濃守が何人の手勢を率いていたのかは判らない。
しかし、沼田衆の中心人物であった美濃守である。少なくとも百や二百の手勢はあ
ったのではないか。
「七十人ならともかく、七人に追いまくられて、逃げ惑っていた。と言うのか、奴
は?」
「そ、その様に報告を受けております」
「……いい加減、殺しといた方が良くないか、あいつ?」

苦虫を噛み潰したような表情の矢沢頼綱。負けるのは良しとしても、負け方と言う
物がある。あまりに無様な負け方をすると、一気に国は崩壊してしまう事があるの
だ。
頼綱には予想出来ていたのだろう。
この敗戦を見た国人衆、特に白井長尾氏と領地を接する川田衆が、次々に北条方に
寝返りを始めたのである。
北条氏邦に提出された連判状に記された名は、実に五十四名。

その後、頼綱は真田昌幸に信州からの援軍を請い、重要拠点から上州国人衆を外す
などの対応に追われる事になった。


……金子さん平常運転中、の巻。w
これ以降、真田氏の側から北条への侵攻はなくなってしまうので、真田氏による上
州制覇の野望を挫いた敗戦と言っても良いかもしれません。
つか、地元の国人衆を左遷した状態で、よく北条の大軍を何度も退けたな、頼綱さ
ん。マジバケモノだ。www





142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:28:27 ID:XhJg9qTJ
矢沢頼綱「小松明がなければすぐに死んでいたかもしれんな」

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/24(金) 11:38:39 ID:oJtZlbFG
「七十人ならともかく、七人に追いまくられて、逃げ惑っていた。と言うのか、奴
は?」
「そ、その様に報告を受けております」
        /´〉,、     | ̄|rヘ
  l、 ̄ ̄了〈_ノ<_/(^ーヵ L__」L/   ∧      /~7 /)
   二コ ,|     r三'_」    r--、 (/   /二~|/_/∠/
  /__」           _,,,ニコ〈  〈〉 / ̄ 」    /^ヽ、 /〉
  '´               (__,,,-ー''    ~~ ̄  ャー-、フ /´く//>
                                `ー-、__,|     ''


金子美濃守、戦続きで乱れた世の中を憂い、

2010年12月21日 00:00

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 03:01:00 ID:kiDc5BxX

上州沼田の豪族に金子美濃守という人物がいる。
少し前の雑談、「ヘタレ武将」の中でも名前が挙がっていた人物ではあるが、実は
それなりの能力は持っていたらしい。
元々は沼田氏の配下だったのだが、娘(妹・姪という説も有)を当主の妾として、
沼田氏が北条派・上杉派で内紛を起こした際には北条派を粛清、娘の産んだ子を世
継に据える事に成功。
しかし真田氏が進出してくると、孫を捨てて真田に寝返る。あまつさえ由良氏の援
助を受けた孫が逆襲に転じると、内応したように見せかけて謀殺してのけるという、
戦には弱いが謀略・調略に才能を発揮した武将だったようで、真田家中でも沼田衆
のまとめ役を務めたようだ。


そんな金子美濃守、戦続きで乱れた世の中を憂い、平和を祈願する為に、上州の修
験道場として有名な湯殿山に参詣しようと志した。

湯殿山で修行する僧に道案内を頼み、知り合いでもあった海蔵寺の住職にも同行し
て貰い、湯殿山に登り始める。
しかし、不思議な事に御山に一歩足を踏み入れた途端、美濃守の手足は竦み、頭は
クラクラとして前後もわからないようになってしまった。

案内人達が美濃守に問う。
「これは御山が貴方の入山を拒んでいるのではないでしょうか。貴方は何か、懺悔
するべき大罪を犯されておりませぬか?」
「し、仕方がなかろう!わしとて重代の主君を殺したくなどなかった!しかもわし
に取っては孫に当たる若君だったのだぞ!それでも、殺さねばならなかったのだ!
金子の家を残す為だったのだ!!」


101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 03:02:20 ID:kiDc5BxX

美濃守が、山伏達にそう言葉を返した途端、茂みの中から彼等の前に一匹の蛇が姿
を現した。
百尋もあろうかという巨大な大蛇であり、この大蛇は美濃守をジッと見据えたまま、
自らの腹を美濃守の目の前に晒した。

「…………平八郎様っ!!」
美濃守は騙し討ちにした孫の名を叫ぶと、その場に昏倒してしまう。
山伏達と海蔵寺の住職が大蛇を見ると、蛇の左の脇腹には痣のように見える模様が
あった。
生前の平八郎にも痣があったか、騙し討ちにした時に左脇を斬り付けたのか、美濃
守と平八郎にしか判らない何かがあったのだろう。
だが、この大蛇が平八郎の怨霊である事は確かだと、後に息を吹き返した美濃守自
身が語ったという。


山伏達&住職に担がれるように山を降りた金子美濃守。
海蔵寺の住職には
「平八郎様の霊を慰め、菩提を弔う為に出家されては如何だろうか?」
と提案されるがそれを拒否。
あくまで在家のままで平八郎の菩提を弔いたいと言って、湯殿山の参詣者達の為に
登山道の整備に私財を寄進したり、七度まで執拗に湯殿山参詣にチャレンジしたり
もしている。
だが、遂に美濃守が山頂にまでたどり着く事はなかったという。

この事があった後、美濃守の館では、日が暮れるたびに平八郎殿の霊が現れたと言
う。
沼田衆のまとめ役であった美濃守だが、配下の沼田衆の心も離れて行く。
この様子を見て真田昌幸・信幸父子も美濃守を見限ったのか、小田原征伐の後、関
東が静謐になると、美濃守の所領を替え、少しずつ減らして行った。
最後は自らの館もなく、縁者の元で病死して果てたと言う。


真田配下でのヘタレ敗戦の事ばかりが有名な金子さんですが、意外に謀略家だった
んですね。
出家を勧められて拒否する辺りは「戦国の武士として間違った事はしてない」とい
う矜持でも持っていたのでしょうか。
見方に寄ってはちょっと同情出来なくもない、金子美濃守と沼田平八郎の怨霊のお
話でした。




102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 03:07:22 ID:4DsGlYKI
なるほど、平八郎のせいで結果的に信之お兄ちゃんの命が縮んだと
いうことですね
K○MATSU「私の父が何か」

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 10:31:32 ID:U8AHGvqt
良心の呵責ってのがあったんだろうか。

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 11:09:14 ID:MNMRktQ3
そもそも湯殿山に行かなければ良かったんじゃね?

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 11:26:21 ID:oL63smAx
真田某「あーしてこーして」
山伏達&住職「OKボス」

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 11:30:41 ID:vnp5y9Pn
>>105
そんなまわりくどいことをあの方がw



107 名前:100-101[sage] 投稿日:2010/12/20(月) 13:25:21 ID:kiDc5BxX

先の逸話では省略してしまいましたが、出典元では海蔵寺の住職が出家を勧めた時、
「うちの寺は元々、上杉顕定が討死した時、主君を守れず、仇も討てなかった後悔
から、沼田景秀が建立した寺」と、寺の縁起を語り始めます。
自分は「主君の菩提を弔う為の」「沼田氏所縁の寺」の住職である、とまるで説得
というより難詰するかのような雰囲気です。

平八郎の霊が出るようになって、人も離れたと書かれていますし、昌幸の陰謀云々
よりも、真田家中の雰囲気が「……出家すればいいのに」という空気だったんじゃ
ないですかね。

本人からしてみたら仕方なくやった暗殺ではあったのだけれど、周りの人達は皆、
ドン引きしていた。ってな感じでしょうかw