松永貞徳が見た幽斎、物の上手と名人

2016年12月25日 17:14

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/25(日) 10:58:33.36 ID:8tbksLrh
松永貞徳が見た幽斎、物の上手と名人


関白秀次の時代聚楽第で能があったとき《朝長》の懺法太鼓を
其の頃の"上手"である金春又右衛門という者が勤めた。

[金春又右衛門は織豊期の太鼓の名手で、細川幽斎とは兄弟弟子であった。]

日が暮れてから(又右衛門は)幽法公(細川幽斎)のところへ参り
「今日は(幽法公の)ご見物ゆえ胸が躍り手は震え、前後を忘れてしまう程でした。
どうだったでしょうか」
とおそれかしこまって申した。
幽法公は休まれていたが、対面すると今日の所作を褒められて一献下された。

宴もたけなわの頃に(幽法公は)
「くたびれているだろうが、一番太鼓を打ってくれないか」
と仰せられて、自分で小鼓をお打ちになられた。
大鼓は平野忠五郎、笛は小笛亦三郎、諷は勘七など
みな普段からの(幽法公の)御近習で《杜若》を囃した。
(又右衛門の)太鼓は能を聞きなれぬ者の耳にも変幻自在で
(聚楽第より)こちらで打った太鼓の方がひときわすぐれて聞こえた。

又右衛門は忠五郎に向かい両の手をついて
「もう一番。今生の思い出に(幽法公の)太鼓をお聞きしたい」
と申したので、(幽法公は)久しく打っておらず忘れてしまっているとしながらも
「夜更けに聞き手もいないだろうし、興に乗ってきたところなので」
と言ったので、《遊行柳》をクセから謡わせたが、太鼓に差し向かう様子や
御掛け声、御撥音なども並の者のしわざとは到底思われなかった。

屋敷中が神妙になり、皆息も継げない様子で(聞いていたので)
我らが易々と感嘆してしまったので不思議に思われたのだろうかと
又右衛門の顔をじっと見ていると、いつにない様子で
額を畳に擦り付けるようにして、声も漏らすことが出来ないようであった。
喉が塞がったような気持ちがして、(幽法公が)打ち終わりになられた。
(又右衛門は)ついていた手を膝に上げ、うつむいていた頭を振り仰いだので
その顔を見ると、両目から感涙が雨のようにこぼれていました。

物の上手と名人の変わり目はあるものだと、心に思い知ったものです。


――『戴恩記』



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