FC2ブログ

滑稽さにおいて幽斎はその姿を得た達人である

2019年08月17日 17:01

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/17(土) 10:41:04.88 ID:+dFIgXP4
私(根岸鎮衛)のもとに来る正逸という導引(あんま)の賤僧がおり、もとより文盲無骨で
その言うところも取るに足りないわけだが、その彼が有る時咄た事に

「太閤秀吉の前に細川幽斎、金森法印(長近)、そしていま一人侍していた折、太閤曰く
「吹けどもふけず、すれどもすれず、という題にて、前を付け歌を詠め」
と有った

ある人は
「ほら(法螺)われて 数珠打きつて力なく するもすられず吹も吹かれず。」

金森法印は
「笛竹の 割れてさゝらに成もせず 吹も吹かれずすれどすられず。」

そう詠んだ。秀吉が「幽斎いかに」り聞いた所、
「何れも面白し。私が考えたものは一向に埒なき趣で、これを申すのも間の抜けた事ですが、
このように詠みました。」

「摺小木と 火吹竹とを取りちがへ 吹もふかれずするもすられず」

そう詠じたという。滑稽さにおいて幽斎はその姿を得た達人であると見えるが。この事は軍談の書や
古記にも見当たらない。私の目の前にいる賤僧の物語であるので、その誤りもあるのだろうが、
聞いたままを記しておく。

(耳嚢)



スポンサーサイト



世上で金銀がたくさんとなったのは

2019年06月25日 15:44

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/25(火) 00:35:13.79 ID:Qzaauj/K
世上で金銀がたくさんとなったのは、今から50年以来のことである。

台徳院殿(徳川秀忠)の時、作馬不閑(不干斎。佐久間信栄)という者が所持する“雲山”と
いう茶入を金森法印(長近)が黄金百錠で求めた。これが台徳院殿の御聴に達し「その価を
与えよう」と宣った。

折しも金30錠はあったが70錠は不足していたという。今の世と甚だ相違している。

南都東大寺の奉加で頼朝(源頼朝)は「金50両を寄進する」と言われたけれども、その年
は干ばつで調わなかったいうことが『東鑑』に見える。

――『老人雑話』



45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/25(火) 08:35:45.23 ID:ZgS036DP
太田牛一「秀吉公が出世ののち日本国中に金銀山野に湧き出で」

金森長近の質素

2017年04月14日 16:33

813 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/14(金) 14:44:24.06 ID:cf+vthNL
金森長近の質素


金森法印(長近)は在所から東照宮(家康)に鮭を献じるときは
藁の苞に包んでいた。

ある時息子の出雲守(可重)があまりにも質素だとして
竹簀で包み替えて捧げられた。

東照宮がご覧になって
「これは父が元々このように包んできたのか
 それとも包み替えたのか」
とお尋ねになると、出雲守はかしこまって
「父が元々藁苞で差し上げようとしたのを
 あまりに見苦しかったので包み替えたのです」
と申したが、公(家康)の仰せに
「汝が父の遅れを取らされるものではないのだから
 一切親のすることは咎めないものだぞ」
とあったのに、上世の淳風を見ることが出来る。


――『野翁物語』



814 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/04/15(土) 13:41:59.22 ID:UBkMLfjt
(´・ω・`)「重要なのは包みが質素かどうかでなく鮭の良し悪しでしょ」

萩原町諏訪神社由緒

2015年05月18日 18:22

793 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/17(日) 20:56:43.21 ID:ZYinC6vy
萩原町諏訪神社由緒


飛州志によると、永正年間に萩原郷上村の住人である内規新七郎頼定が勧進したという。
頼定は信州諏訪の人であり、本国の氏神を祀ったものであろうか。
内規氏は尾州織田氏に滅ぼされ、今も上村に内規屋敷の跡地がある。

天正年間に金森法印(長近)が入国した際、神祠を上村に移して跡地に砦を築き諏訪城といった。
金森氏没落の後、神祠を元の場所に戻したのがすなわちこれである。

はじめ、金森家臣佐藤六右衛門が作事奉行となって、ここに城塁を築く為に神祠を移そうとしたところ、
一匹の蛇が居座っていて、色々手を尽くしたが去ろうとしなかった。
そこで佐藤が傍らの梅の枝を折って蛇の頭を打ち、片目を傷つけられた蛇はついにそこを去った。

しかし修築は成らなかった。
佐藤は大阪の役に赴いて真田の為に討たれたのである。
それを聞いた里民は大いに喜んですぐに工事をやめ、神祠を元の場所に戻した。

以来、この地には欝蒼と樹木が茂るが、奇妙なことに梅の木だけは育たないという。
また、今でも時として片目の蛇が目撃されることがあり、里人はこれを神の使いと伝えている。


出典:岐阜県益田郡誌


※佐藤六右衛門は佐藤六左衛門秀方の誤記のようです。
 もっとも本人は文禄3年に死去、大阪の陣で討ち死にしたのは次男の才次郎方政との事ですが。
 諏訪神社が元の場所に戻ったのも宝永年間、大阪の陣から90年以上後だそうです。




飛騨の蛻庵狐

2014年03月29日 18:39

829 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/28(金) 20:55:12.83 ID:QvbjpiGx
今は昔の物語
飛騨の松倉城に三木秀綱という殿さまがいた。
殿様はある日、城の中に一匹の白狐を見つけた。
「白狐は稲荷神の使いと言うぞ」
と、白狐を大事にし、蛻庵(ぜいあん)と名付けた。
白狐も人を恐れる様子もなく、よく懐いていた。
奥方も若様も蛻庵を可愛がり、蛻庵もまだ幼い若様の相手をしたりして遊んでいた。
蛻庵はとても、幸せだった。

しかし世は戦国乱世。松倉城も、金森長近という荒武者に攻められた。
殿様は討死し、優しかった奥方も、若様も行方知れずになってしまった。
蛻庵も、もはやこれまでと思い燃え落ちてくる火をかいくぐって城から逃げ出した。
しかし、行くあてなど無い。蛻庵は家族も家も失った。

山をいくつも越え、ふらふらとさまよううち、蛻庵はとうとう信濃まで来てしまった。
その頃はもう冬のまっ最中、冷たい風が吹き荒れて一面真っ白な雪野原。
蛻庵はこのままでは死んでしまう、と思い切って人間に化けて、諏訪公に仕える千野兵庫という者の家に住み込んだという。
千野家では思いがけず、気のきく小者を雇ったと大喜びで、何かにつけて
「蛻庵よ、蛻庵よ」
と、呼び重宝がった。
ところがすっかり安心した蛻庵は、つい尻尾を出してしまった。
「もし、殿さま。蛻庵が尻尾を出しておりますが。」
家の人が主人に言いつけると、
「おいおい、声が大きいぞ。蛻庵に知れたらなんとする。わしもとうに気づいておるわ。蛻庵は白狐じゃ。だが狐でありながら、熱心に奉公しておるではないか。何か事情があるのだろうよ、そのままにしておけ。」
と、家人をたしなめた。
ところが蛻庵はこの話を物陰から、じっと聞いていた。
「なんと優しき殿さまか・・・狐と知りながら、こんなにも大事にしてくださる。末長くこの家で働きたい。しかし、狐とばれてしまっては、殿さまにどのような噂がたつともわからない・・・」
蛻庵は書き置きを残し、そっと千野家を抜け出していった。
手紙には涙の跡が、残っていた。
そしてまた、蛻庵のあてのない旅が始まった。

つづく

830 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/03/28(金) 20:58:26.07 ID:QvbjpiGx
つづき

そして流れ流れて木曽の興禅寺に辿り着いた。
蛻庵は今度は僧侶に化け
「修行中の者です。蛻庵と申します。どうぞ私を使ってください。」
と、頼んだ。
住職の桂岳和尚は、大変に偉い人で蛻庵をすぐ狐と見破った。
しかし、蛻庵の正直な心根も見抜いていた。                  
そこでなにくわぬ顔で、
「ふむ、なかなか見どころがありそうじゃ、では当寺の手伝いをしてもらおう。」
と、寺に住み込めることになった。
もとより利口な蛻庵のこと、よく気がつくし、陰日向なく一生懸命に働き、お寺では、
「蛻庵よ、蛻庵よ」
と、大事にされた。
小坊主たちや檀家の人たちにも、親切に接するので、
「蛻庵さま、蛻庵さま」
と、したわれておったという。
とうとう人柄を見込んだ商家の主が
「蛻庵さまを是非わが家の婿に」
と言い出したが、これは和尚様が角が立たぬよう断ってくれた。
蛻庵はやっと、穏やかな日々を手に入れた。

831 名前:人間七七四年[unko] 投稿日:2014/03/28(金) 21:13:25.28 ID:QvbjpiGx
ある冬の日のこと、興禅寺では下呂の安国寺に用ができ、その使いに蛻庵が選ばれた。
和尚「蛻庵よ、道中くれぐれも気をつけて行って来ておくれ。お主のことだから心配は無いがの。」
蛻庵「はい、和尚さま。きっとやり遂げます。」
蛻庵は旅支度を整え、和尚様からの大切な手紙はしっかりと油紙にくるんで、懐に縫い付けた。
次の朝、蛻庵は暗いうちに興禅寺を出た。
信濃を抜け、なつかしき飛騨の山々を見ながら旅を続け、日和田に着いた頃には、短い冬の日は、とっぷりと暮れていた。」
蛻庵は、とある農家を訪ね、宿を請うた。
ところが飛騨の山中のこと、冬は猟師をして暮らしをたてている農家は多い。
この家の主人もまた猟師だった。
夕飯も終え、囲炉裏火に手をかざすと蛻庵は、旅の疲れから、うつらうつらと眠ってしまった。
実は主人は手練れの猟師だったために、蛻庵の正体を見抜いていた。
「この古狐め、うまく化けたと思っても、わしの目はごまかせんぞ。」
主人は、そうっと鉄砲に弾を込めた。
蛻庵は旅の疲れからか気づく様子もなく眠ったまま。
主人は銃をかまえ
「ズダーン」

832 名前:人間七七四年[unko] 投稿日:2014/03/28(金) 21:16:54.72 ID:QvbjpiGx
蛻庵は悲鳴をあげると、みるみる狐に姿を変え、そのまま息が絶えた。
主人がしてやったりと死骸をあらためてみると、懐から血染めの手紙が出て来た。
表書きを見ると、下呂の安国寺の住職あて、木曽の興禅寺の桂岳和尚よりではないか。
「これには何か深いわけがあるに違いない」
主人は殺した狐をあらためて見直した。
よくよく見れば、銀色に光るふさふさした毛の見事さ、狐とはいえ気品の高い白狐ではないか。
主人は急いで、狐の死骸を興禅寺へ運び、和尚さまに、わけを話しねんごろに弔ってもらった。

しかしそれから日和田村に、恐ろしい病がはやり出し、蛻庵を殺した猟師の家が真っ先に死に絶えてしまった。
「これは罪もない蛻庵を殺した祟りに違いない」
と村人は興禅寺に駆けつけ、事の次第を話し、蛻庵の供養をねんごろにしてもらった。
すると疫病はみるみる収まり、村は助かった。
そしてこの時以来、日和田村は興禅寺の檀家になっているという。

そしてこの話の証拠に、興禅寺には蛻庵が書き写した般若経があるそうな。

833 名前:人間七七四年[unko] 投稿日:2014/03/28(金) 21:20:09.94 ID:QvbjpiGx
飛騨の蛻庵狐って昔話です。
長話スマン




834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/29(土) 01:33:10.51 ID:6qWEkOw+
化けるのが下手な狐だな。

835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/29(土) 18:46:18.18 ID:AD0ukCy7
>>832
悲しいけどいい話じゃないのかと思ったら祟るんかいw
狐が恐れられるのも無理からぬ話じゃ

836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/29(土) 18:57:01.58 ID:IoZIcL5Q
狐が憑いて金持ちになっても要求を満たさなくなったらご破算になるし
わしはここ数年、競馬に行っておらんから狐に憑いてもらっておらんが

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/29(土) 18:57:41.39 ID:uzzzTD31
四国は大師様が狐を追い出したからその心配はなし

金森長近は三度負けた

2012年04月03日 21:29

545 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/03(火) 16:47:33.39 ID:WQZz4Vfw
天正13年(1585)正月7日、越前大野城主であった金森長近は、羽柴秀吉に
『飛騨の国、攻め取り次第に与える』
との墨付きを得、越前より飛騨に攻めいった。

ところが飛騨の国人たちはこの侵攻に対し同盟を結び強固に抵抗したため、長近は入国することが出来ず、
二度にわたって合戦に打ち負ける有様であった。
この時、とある長瀧寺社僧が

『金森と 銘は打てども 爪切りの 断つに断たれぬ飛騨の細布』

『金森は 袴のまち(両足を分ける部分)にさも似たり 腰が立たねばヒダも取られず』

と詠んで、長近を嘲笑した。

このような状況の中、美濃郡上郡の遠藤慶隆は、長近の嫡男可重の舅であった関係から、長近に対して、
舎弟慶直、同胤元、胤安、その他家来多数を加勢の軍として出し、白川において合戦となった。
しかしこの加勢の軍も、慶直家来鷲見弥五右衛門、遠藤彦次郎などが討ち死にし、一門の胤安も負傷し、
飛騨勢の破竹の勢いに、金森はまたもや敗北したのである。
(濃北一覧)




547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/04(水) 00:53:40.80 ID:W4CIUrd+
金森勢が一気呵成に飛騨を制圧したわけでは無かったんだなあ

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/04(水) 08:43:44.40 ID:TPQzzYzN
なんとなく飛騨は人跡未踏の山岳地帯だったイメージがあるし、地勢に明るい地元国人
は手強そうだもんな。

奥さんの形見の着物とか残ってるけど、共々落武者狩りにあったんだっけか
親父が色気だして佐々に乗ってなければ、国司夫婦として生涯を終えられたかもなあ

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/04(水) 13:53:19.85 ID:Q1lGLKdq
飛騨は美濃より富山に近い印象
体の丈夫そうな人も多かったな

とっさの歌詠みシリーズ・細川幽斎編

2010年10月14日 00:00

644 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/12(火) 23:55:20 ID:T1Vrtphw
ある時のこと、豊臣秀吉の側に細川幽斎、金森法印(長近)、そしてあと一人の3人が侍坐していた。
秀吉はこの3人に

「”吹けどもふけず、すれどもすれず”との題にて、前をつけて歌を詠め」

と言い出した。

これに先ず残りの一人が
『わらわれて 数珠うちきってちからなく するもすられず吹きも吹かれず』
金森法印は
『笛竹の 割れてささらになりもせず 吹きもふかれずすれどすられず』
と、それぞれに詠んだ。

秀吉が「幽斎いかに?」と問えば幽斎

「お二人の歌はいずれも面白いものです。私の考えたものなど一向に埒のない
趣向でして、申し上げるのもおこがましいとは存じますが、こんなものもあると、まあ
思ってください。」

と、詠んだのは
『すりこ木と 火吹き竹とを取り違え ふくも吹かれずするもすられず』

秀吉はその歌の滑稽さに大いに喜んだ、とのことである。
一体何パターンあるのかわからない、細川幽斎とっさの気の利いた歌詠みばなしの一つである。
しかし歌を詠む前に自信があるくせにおもいっきり謙遜するのが、いかにも京都人らしい嫌味
ですなw




645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/12(火) 23:58:18 ID:9OYLn8kY
いけずだけど幽斎さんは完璧超人すぐる・・・

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 00:10:54 ID:ytKsGeWf
>>644
平成時代のオレが読んでも普通に笑えた。
細川幽斎のセンスは時代を超えてる。
まさに古今伝授

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 00:17:20 ID:XC9zTnwE
>>645
父親が完璧過ぎるとちょっとグレたくなるんだよ…
また嫁が完璧だったりすると…わかるよな。

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 01:09:42 ID:xW0tMmx1
我が嫁が尺八演奏試みも
吹けどもふけずすれどもすれず



もう寝る

651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 01:55:23 ID:VIn4QwUa
>>644
古文で爆睡してて赤点連発してた俺でもすんなり読めて笑えた。
幽斎すげぇよ。

652 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 02:08:55 ID:qmTvZrbe
>>644
幽斎さんの才能は本当にもう、すごいよな。
そら朝廷が必死こいて助けようとするわけだ。

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/13(水) 09:33:40 ID:22feaARf
>>644
曽呂利新左衛門みたいな逸話だな