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親の加賀守の分別を以て

2022年12月16日 19:23

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/15(木) 22:49:24.71 ID:wmHpMfPX
これは要らぬ義にて御座候へども、そのあらましを書き付けておく。

関ヶ原の時、国大名衆の中でも、分別を以てその家を恙無く存続させた人物としては、
鍋島加賀守(直茂)と申し、今の鍋島殿(勝茂)の親父が有る。その当時までは達者で居られた。

加賀守は御所様(徳川家康)が東へ御馬を出された事を聞くと、
「おそらくその跡で御謀反を企てる衆が出てくるだろう。御所様への御馳走として、
国大名衆はあらかたその御供に参ると聞いている。
我が家は東への御供を仕らないが、国を失わないための分別が有る。

銀子五百貫目を東へと持って下り、尾張国から御所様御分国は申すに及ばず、上杉景勝との境目までの
国々の町方にて、五貫匁程づつ、見合い見合いに兵糧を買うために、その町々の年寄共に預けおくべし。

上方に事が起きたとの情報を聞いた時、御所様へ申し上げる内容としては
『鍋島は御所様への御馳走をする覚悟であった所に、上方が蜂起したため、もはや鍋島がそちらへ
出ることは非常に困難になりました。ですのでこの兵糧は我々には必用がなくなりました。』
そう云って、町々において兵糧を差し上げ奉るように。」

そのように申し付け、奉行三人を東へ差し下した。

御所様がはや宇都宮に到着したのと等しく、治部少輔(石田三成)の謀反の情報が入った。
かの鍋島の者共は御所様に先の御断を申し上げ、早くも宇都宮において兵糧を差し上げた。
そして奥州境目までの兵粮米を買い置いていた事を目録にして、尾張からの兵糧米を進上したという。
この時御所様の御分別にも「さては鍋島、心中は別状無い」と思し召したと聞こえている。

鍋島の奥意は、実際には状況を伺っていたのだと言われているが、親の加賀守の分別を以て
(改易で)国から離れる事が無かったのだと、世間ではその頃専ら申していたという。

川角太閤記



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長崎も大村の所領であり

2022年03月20日 16:23

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/03/20(日) 13:27:33.74 ID:rpnOy1Tz
丙申(1716年)三月十九日に、大村家の家老・富永五郎左衛門が申した事によると、今の大村伊勢守(純庸)は
藤原純友より三十三代の後裔であり、純友の子が伊予国に隠れ住み、その子の代に大村へ移った。
富永の先祖もこの時伊予から随臣した家人であったという。

南蛮人が我が国に来る始めは薩州種子島で、その後に豊後に来た。そして三度めに大村領に来たという。
現在もその地に、(キリスト教)寺院の跡がある。
これより、(大村)民部大輔純忠の代、元亀元年の春、南蛮人は初めて長崎に来た。この頃は長崎も
大村の所領であり、元々は長崎と称していた者の領地であった。

同二年三月、南蛮人は長崎に町々を建てて大村氏に対し地子三百目を出し、キリスト教の寺院を建てた。
その後秀吉の代に、南蛮人は博多に於いて秀吉の近習の者に無礼があったとして、長崎を追い出された。
(思うにこれは、薩摩陣(九州役)の時の事か)
この時、長崎は秀吉の御領となった。これは大村氏が地子銀を取って南蛮人に貸していたが、その南蛮人が
この地を没収された故であったという。

天正十六年に鍋島加賀守(直茂)に預けられたというが、それから四年ほどして、文禄元年より
寺沢志摩守(広高)を長崎の奉行とした。

紳書抄

大村氏の由来と長崎について。



鍋島直茂が寺で湯を所望したところ

2019年06月15日 14:14

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/14(金) 20:04:13.92 ID:OGK4Yufa
「葉隠」読むとどっかで見たが三つほどあった

一つ目はまとめの4607で出ていた
鍋島勝茂が農家の庭で米を跨いだら老婆に足を打たれた話

二つ目
勝茂に殉死した中野杢之助の扇子に
「惜しまるゝとき散りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
と辞世の句?一首が書かれていた


三つ目
鍋島直茂が寺で湯を所望したところ
そこの生運という住職が
初めは湯を少なめに、次は多めに出して、直茂を感心させ、そのまま召し出された話。



16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/14(金) 20:47:15.19 ID:EI+bsoH8
茶坊‘S 何人おるねん

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/06/14(金) 20:55:45.50 ID:OGK4Yufa
すいません、二つ目もまとめの6267で出てました

島津のこと、それがしに征伐を命じられれば

2017年06月28日 18:59

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:13:45.68 ID:c8upfVr0
関ヶ原の時、島津は西軍に味方し、しかも国元まで引き上げた。そのため「島津征伐を行うべきではないか」
との議論があったが、この時黒田如水が言った

「島津のこと、それがしに征伐を命じられれば、島津領国を占領すること、上下の別なく心やすく思うであろう。
何故ならば、薩摩口は鍋島が先陣を仕る事になっているので、鍋島に先陣を仕るよう命じても、それを迷惑だ
などとは言わないであろう。必ず、先手を仕るだろう。

彼らの領国である肥前は大国であり、鍋島の軍勢は大軍であるから、必ず島津との間で開戦するだろう。


だが、彼らは弓矢の作法を知らず、戦の有り様に不案内な者達なので、島津と戦って必ず敗北するだろう。
これは証拠もないことを言っているのではない。かつて高麗において軍勢を動かしかね、致しようもなく
我が方へ頼みに来たため、蝶之介という我が方の足軽大将を遣わして、ようやく立ち直らせたほどなのだ。
鍋島の兵は至って弱兵であると理解すべきだ。

そしてそのあとを、加藤清正に任せる。清正は格別の器量の者であるから、島津が勝ち誇って来る所へ
一文字に掛かれば。何の仔細もなく必ず勝利するだろう。

その後に我々の備は、袴をつけたまま薩摩に入国するであろう。

(士談)



916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:20:56.68 ID:AGoXx4dW
これが出典なのか

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:33:33.43 ID:JTWyAlyF
チョウノスケが気になる

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:41:58.01 ID:biNEgbmZ
こえれは鍋島を餌にした誘引戦術

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 19:57:31.67 ID:ZsT2vZR/
同じ役のことで清正が鍋島さんちを戦しやすくてよかったって褒めてんのはなんなんだろね

(鍋島直茂は)また曰く、

2016年12月11日 12:25

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/11(日) 00:25:43.02 ID:J1pncLmF
鍋島直茂は)また曰く、

北条氏康は、『常に老若ともに武士道を立てる者は、もし途次などでも
気違い酒狂いの人に行き会った際、自分の勇気を表して睨み鎮めた時、

その人がそのまま正気に戻って平伏し、よく調べる者を側に置きたい』
と、言いなさった。まことに面白き分別である。

しかしながら私は、酔狂人などに行き会った時は少しも怒らず、平静に
打ち笑って見せて、その理性の無き者も、自然と威に恐れて痛み入る、
そのような徳の者が欲しい」

とのことであった。

――『名将言行録』



399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/11(日) 09:47:37.55 ID:uHxpFn9d
市松の事か

昔の人の言葉を参考にし、他人にも相談をするならば

2016年11月12日 15:59

313 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/11/11(金) 17:47:37.99 ID:TF19QdX0
昔の人が残した名言や行動を聞き覚えておくのは、古人の知恵、経験にあやかるためである。
私心を働かせないためである。
我一個の感情、知識だけでなく、昔の人の言葉を参考にし、他人にも相談をするならば、
客観が加わり、間違いということもなく、悪事も起こらないものである。
勝茂さまはよく直茂さまに相談し、お知恵を借りておられた。
これは『御咄聞書』に書いてある。
とても立派なお心掛けであられた。
また、ある方は弟たちを家来として召しかかえ、
江戸や上方に行くとき、いつも彼らを連れていき、
日々起こる公私の出来事すべてを弟たちと相談して決めたので、
其の方の立ち振舞いには間違いの起こることがなかったとのことだ。 【葉隠】



肥前鴉、高麗雉

2016年09月27日 17:43

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/26(月) 23:09:36.89 ID:G5W7smCo
肥前鴉、高麗雉

 予は年毎に肥筑の間を往来している。
さて佐賀から神埼までの間に不思議な鳥がある。他では稀で見られない。
その形はくちばしが尖り頭が小さく尾と首が長く共に黒い。
羽と背とに白色がある。
鳩よりはよほど大きく、カラスよりは小さく、全体はカラスに似ている。
俗に呼んで”肥前がらす”という。これは他国にいないことからの称である。
あるいは”かちからす”ともいう。これは群行と鳴き声によって称す。
昔佐賀の領主が朝鮮から取ってきて領地に放った後繁殖したという土俗の話がある。
ある人は、これは漢土のカラスであるという。
我が邦の”かささぎ”と名づけたものは、黒白斑があることから”からすさぎ”ということからと聞いた。
百人一首の家持卿の歌にからすのことのことをいうのは講説の秘訓であるとか。

予の領地にも多久島という二里に足らない島の城地に近いところに、これの異種の雉がいる。
土人は”高麗雉”と呼ぶ。
これも祖先の宗静公〔式部卿法印〕(松浦鎮信)が朝鮮からの帰りにかの島に放たれたものという。
よってかの称がある。
この雉も領分の中の余所にはなく、ただかの島のみにある。
他でも稀に飼う者を見かける毎にその大本を聞くが、
皆かの島産のものから伝わったものだという。
(甲子夜話)




太閤さま曰く「龍蔵寺隆信という者は」

2016年02月10日 18:52

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/10(水) 02:49:37.48 ID:CZ/ylyxq
太閤さま曰く

「龍蔵寺隆信という者は名将に違いないだろう。
その理由は、鍋島飛騨守(直茂)に政治を任せているからだ。
これは人を見る力があることに他ならない。
今、飛騨守に会ってみてそれがよくわかった。」

と申された。 【葉隠】



292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/10(水) 10:32:56.23 ID:puLG6I4a
その時はとっくに戦死してるのに名将とは

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/10(水) 10:49:45.71 ID:1yztIISX
いやだから会った事ないけどこんな男を重用していたならきっと名将だったのだろうという話だろ

294 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/10(水) 11:47:43.77 ID:ynrpUDpY
愚者は諫言する家臣を左遷したり誅したりするものですからね

295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/10(水) 13:35:51.50 ID:3eHFHd6C
直茂を諫言で疎んで柳川に飛ばしたって話しも
筑後方面の司令官的な立場を考えると遠ざけたことと違うと思うのよね

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/10(水) 14:28:39.15 ID:gqS1qBa7
普通左遷なら僻地だもんな
重要拠点なんかに配置しない

297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/02/10(水) 14:32:49.09 ID:wqpyLFKA
分かってねぇw
平和っていいなぁ

先祖が善かったか悪かったのかは

2014年09月28日 18:56

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 08:19:17.43 ID:/FZtx0c9
直茂さまは、

「先祖が善かったか悪かったのかは子孫の行い如何で決まる」
(先祖の善悪は子孫の請取手次第)

と仰せになられた。
先祖の悪事は外に出さぬよう、善事を成した者の子孫のはずだと思われるようありたいものだ。
これが孝行である 【葉隠】



897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 20:19:39.51 ID:Yrm7osCw
>>895
簒奪者、後世の評判を気にするの巻

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 21:35:54.60 ID:X+E/DPQ/
最近も祖先の悪評を薄めようと必死になってる人がおる

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/28(日) 22:44:51.19 ID:Yrm7osCw
本当に子孫なのか怪しいものだがな

908 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/09/29(月) 08:09:37.05 ID:ttFKPJD9
>>895
蜂須賀 茂韶「………」

脱ぎ捨てた袴

2014年07月24日 18:50

758 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 17:16:19.97 ID:IMc1f/4v
ある者が八戸の宿の通りで、腹の調子を崩した。
近くの町家に走り込み、便所を借りたいと頼むと、
その家に若い女が一人いて、奥にあると教えてくれた。
ある者は、その場で袴を脱ぎ捨て便所へと駆け込んだ。
そのあとに町家の亭主が帰宅し、脱ぎ捨てた袴を見つけ、
留守の間に密会をしていたのだと思い込んで口論となり、
それでも収まらず訴訟沙汰となった。
直茂さまは、この事件をお聞きになると、
「密通でないとしても、女一人の家で無遠慮に袴を脱いだことは油断である。
女も、夫の留守に見知らぬ男に袴を脱がせたことは油断である。
いずれも密通同然のふるまいだ」
と仰せになり、両人に死罪を命じられた 【葉隠】




759 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 17:29:47.91 ID:DGyF2j2g
それはちょっと悪い所の話じゃないな

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/07/24(木) 17:31:16.54 ID:kRzG/Jok
女一人って確認する余裕もなかっただろうな…

太閤さまを討てないこともないだろう

2014年06月14日 19:09

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/14(土) 13:34:12.20 ID:wafyQHIz
太閤さまが名護屋へおいでになられたときのこと。
主水殿が御謀叛をオススメしたところ直茂さまは、
「太閤さまを討てないこともないだろう。しかし、後が続かぬ。
また三か国を領することも出来なくはないだろう。
しかし、十代と続くことは出来まい。
一国だけならば長続きするだろう」
と仰せになられた 【葉隠】




509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/14(土) 13:43:21.02 ID:ZSzw+rZ5
>太閤さまを討てないこともないだろう

そもそも鍋島如きに討てないから
しかし、大恩あるラスボスを討つってどんだけアホなんだ

510 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/06/14(土) 16:38:43.83 ID:9TmYXH2d
退行検知

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/06/14(土) 23:11:47.68 ID:yWzYFqRz
鍋「敵は醍醐寺にあり!」

陽泰院さまは、前髪を角が立つように

2014年04月18日 18:28

彦鶴姫   
821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/18(金) 11:26:56.30 ID:W/4P81WZ
太閤さまが名護屋へ御出陣なされたときの話。
九州の大名たちの奥方をお集めになりお遊びなされたことがある。
陽泰院さま(直茂公室)にも、是非お出でなされますように、とお招きがあった。
陽泰院さまは、太閤さまの侍女、幸蔵主を通してお断りになられ、
そのときは、幸蔵主の取りはからいでお出かけにならずにすんだのである。
しかし、
「鍋島家のみが勝手な振る舞いをしてよいという前例を作っては後々よくないでしょう。
一度はお目見えになられたほうがよろしいかと思います」
と言ってきたので、陽泰院さまは、前髪を角が立つように剃り落とし、
顔に醜く化粧をして、太閤さまにお目にかかられた。
それから後はお出かけにならなかったということだ 【葉隠】





その後、直茂さまはお側の人々に

2014年02月02日 19:05

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/02(日) 10:52:56.47 ID:kDIVB2yG
佐賀城の普請ができたので、父上さまにも御覧いだだこうということになり、勝茂さまが直茂さまを御迎えした。
そして勝茂さまが立付袴の姿で、城の各所ひとつひとつを細かく御説明されながら案内をされた。
その後、直茂さまはお側の人々に、
「勝茂は敵が攻めてきた時のことを熱心に説明していたが、腹を切る場所を忘れているのではないだろうか」
と洩らされたとのことだ 【葉隠】




460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/02(日) 11:01:54.36 ID:/hb/3e18
不謹慎やな

一家の滅びる時節が来たならば

2014年01月18日 18:33

122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/01/18(土) 16:44:21.09 ID:ZP9mQt3Q
あるとき直茂さまが、御孫の元茂さまに、
「身分の上下関係なく、時節が来れば一家の滅びることもあるだろう。
その時、無理に取り繕うならいかにも未練がましく、恥をさらすような滅び方をする。
いよいよ無常の風が吹き荒れるような時節が来たならば、きっぱりと滅びる覚悟を決めるのだ。
そうするとまた、滅亡をくい止め、一家が立ち直る方法も見つかるものである」
と話されたとのことだ。
この話は、元茂さまがいつものように話されていたから、直朗殿がよく覚えていたのである 【葉隠】





前田家定処断

2013年11月07日 19:11

659 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/07(木) 14:29:45.15 ID:rFnThLu/
肥前国佐留志の前田家定は、龍造寺家の傘下に収まった武将である。
朝鮮の陣の頃、前田家定は既に老齢であったため、彼の息子たちが鍋島直茂に率いられて朝鮮へと渡っており、
家定は国元に残っていた。

このころ名護屋城には、豊臣秀吉をはじめ徳川家康前田利家など、全国の大大名が名護屋城に在陣していたことは
知っての通りだが、
前田家定は同じ苗字のよしみを使い、前田利家に兵糧や進物をおくり、名護屋の陣屋で利家と対面した。
当然直茂には無断で、である。
利家から濃茶や名刀を戴き、意気揚々と佐留志に帰った家定であったが、これを聞いた直茂は家定の勝手な行為を
厳しくとがめた。
するとこの家定、何を思ったのか肥前から加賀へ移り住もうと思い立ち、海路で加賀へ出発したのである。
しかしながら航海は失敗し、家定は肥前国の海岸へ漂着し、加賀へはたどり着けなかった。
在陣中にこれを知った直茂は烈火のごとく怒り、ついに家定は処断されてしまったという事である。




660 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/07(木) 18:45:53.63 ID:YrbGa9us
そりゃ斬られるよ。たぶん家臣やめることを言ってないだろうし。義理ワン転職家でも袋叩きにするってw

661 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/07(木) 19:27:09.73 ID:5vzy7qw+
漂着先肥前ってw
出航直後に沈んだのか?

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/07(木) 22:45:05.83 ID:z/U3DWKS
利家には文句言えたのか?鍋島さん
……言えないか

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/07(木) 23:22:04.22 ID:9eCD4F4O
佐賀県杵島郡江北町佐留志の位置だと、まさか有明海を回って長崎を南回りに出ようとしたとかじゃないよな
ゾンビ魔法使いを撃破したり、前田家定さんの行動はなかなか素敵

鍋島直茂の洞察力

2013年09月22日 19:10

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/22(日) 14:54:43.82 ID:HaytvJp9
早朝、藤島生益の家を叩くものがあった。
「トンットンッ) 藤島殿、大変な事が起きました」
生益が戸を開けるとそこには天台宗本庄院の住職がいた。
「今朝、いつものように御神体を清めようと宝殿を開いたところ、
神仏の御首が落ちておりました。
なにか悪い兆しではないかと思い、
お城へも申し上げるべきかとそれを持参いたしました。」
生益は、
「住職殿のお気遣いありがたく思いますが、
御神体のお首というものは殿にお目にかけるものではありません。
しかし、事の次第はわたしが申し上げておきましょう」
と言って登城し、そのことを申し上げた。
すると直茂さまは、思いのほかお怒りになり、
「酷い生臭坊主がいたものだな。
この鍋島直茂に計略を仕掛け騙そうとは。
すぐに牢屋番の者を召し連れて行き、拷問にかけて本音を吐かせよ」
と仰せになられた。
生益には直茂さまの怒りがまるでわからないので、
「お言葉ですが、あの住職は不吉な兆しを感じたゆえ、
殿の御ためを思い朝早くから駆けつけ参ったのでございます。
拷問にかけるなどとはいかがなものでございましょうか」
すると、ますますお怒りになり、生益も叱りつけ、
「出来ないのならもうよい、他の者を使わすから下がってよいぞ」
と、生益は、
「出来ないと申しているのではありませぬ。
わかりました。わたしが行きます」
とお答えして、牢屋番の者を召し連れ本庄院へと向かった。
そして住職を呼び、
「殿が非常にお怒りになっておられる。早急に拷問を加えよとのことだ」
と伝えると、
「なんとも迷惑な話。さっぱり意味がわかりません」
と住職が答えた。生益は、
「住職ほどの身が拷問にかけられ白状させられたとあっては、
誠に見苦しいことだとは思わぬか。
そんな姿をさらすまえに、ありのままを話してはくれぬか」
と言ったので住職は、
「わかりました。それならば本当のことを話しましょう。
御神体を清めておりますとき、ゆれ動かした拍子でお首が落ちてきたのです。
そこで、ふと思いついたのが、早朝のように申し上げたなら、
この寺の御造営費も増やしていただき、繁盛もすると考え致したことでございます」
と白状した。(1/2)

173 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/09/22(日) 15:22:24.30 ID:HaytvJp9
事の次第を聞き出した生益は急いでお城に立ち返り報告した。
すると直茂さまは先程とは打って変わってお笑いになられた。
それとは反対に生益は怒りをあらわにして、
「あの住職は朝早くからわたしを叩き起こし騙しました。
その怨みもございますので磔にしてやりたいと思います。
どうかあの住職の処分をわたしに下されますようにお願いします」
と申し上げた。
すると直茂さまはますますお笑いになられ、
「そちは、最初に住職の言葉を信じたので、
いまその嘘が明らかとなり腹を立てているのである。
このわたしは初めから住職の企みを察していたから、
最初に腹を立てたけれども、今はさほど腹の立つこともない。
あの坊主は、普段からわたしが通りかかるたびに、
『鍋島さまを尊敬しています。ぜひ寺へお立ち寄りください』
と言うから、わたしも行かねばならぬと一度立ち寄ったことがあるのだ。
そして住職は吸物を出してきたが、椀の底に土が付いていた。
そんなことをしながら、顔を合わすと、
『鍋島さまの御恩、ありがたいことでございます』
などと言っている。
そのように思う相手に、膳を出すときに注意が欠けるとは思えないから、
このクソ坊主め、腹の中では何を考えているかわかったものではないぞと、
常日頃から思っていたのだが、今日ついにこのような企みまで始めた。
しかし神仏にかかわることでもあるし、磔にかけるほどではない。
あの住職を寺から追い出すだけでよかろう」
と仰せられた。
生益は直茂さまの洞察力にただただ驚愕したという。
これは生益の孫の清左衛門から聞いたことだ(2/2) 【葉隠】




174 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/09/22(日) 20:06:56.00 ID:wShu+/Jv
直茂さんも割りとパーフェクト超人っぽとこあるよな・・・

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/09/22(日) 20:16:00.60 ID:zPTnO4cn
ラスボス「野心が足りない」

広橋一遊軒は台所の下男であった

2013年05月23日 19:50

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 14:41:32.16 ID:6FYwgCS7
広橋一遊軒は台所の下男であった。
ある時、相撲で揉めて相手を七、八人斬り殺した。
一遊軒は自害することが決まったが、
龍造寺隆信さまがそれをお聞きになり、
「今は乱世であるから、剛の者は大切だろう。
この者は剛の者にちがいない」
とお許しになった。
そして、姉川での合戦へ一遊軒を連れていったところ、
真っ先に進み、比類なき働きをみせた。
高木での合戦では、あまりに敵方へ深入りするので、
隆信さまは心配なさり、お馬のそばにいるよう命じたが、
先手が進まなくなると、一人駆け出し突撃していくので、
しまいには一遊軒の鎧をつかみ離れないようにした。
このとき一遊軒は、頭部を数ヵ所斬られ、割れていたが、
傷口に青葉を押し込んで、上から鉢巻で締めていた。
当時、一遊軒黒薬という膏薬があった。
まだ当国に外科医などのいないころである。
腫物のできた者はその薬をつけていた。
その黒薬とは、へそのゴマ、塩、米、を練り合わせたものだ。
腫物を切り裂いてそれを押し込むから、
たいていの者は気絶したとのことである。
直茂さまの腕に腫物が出来たとき一遊軒が、
「お見せください」
と言ってきたのでお見せになると、
一遊軒は突然、針を取りだし不意に切り裂いた。
直茂さまが思わず、
「何をする!」
と叫んだところ、
「これくらいで痛いのですか」
と言ったので、直茂さまは針を取り上げ、
一遊軒の頬を切り裂いた。
二人は気が合わず、顔を合わせば喧嘩をしていたという。
天正二年須古の平井攻めのとき、一遊軒は討死した 【葉隠】




681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 15:08:01.95 ID:hNNWNmJw
とくに落ちがあるわけじゃない所がまたいいな

682 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/05/23(木) 15:22:00.04 ID:EGxVCoOf
へそのゴマ、塩、米を練り合わせたものって・・・

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 15:46:56.09 ID:UL3DuNNu
垢を丸めた先祖伝来の薬だってあるんだ、問題ないって勝成さんが…

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 16:19:16.92 ID:rYD0kCrI
小十郎「まーくんの目玉取ってやったぜ!痛み止め?そんな軟弱に育てた覚えはないぜ!ワイルドだろ♪」

685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 17:22:53.95 ID:YqZIn6op
クロカン「目薬いらんかね?」

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 17:32:24.22 ID:rYD0kCrI
ダンジョー「お茶でも飲んで逝きなさい」

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 17:40:13.55 ID:1BFd76bf
>>680
姉川じゃなく耳川じゃね?

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 18:07:10.00 ID:06GvmBN2
龍造寺が耳川で戦うことはないよ
肥前にも姉川という地名があるんよ

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 18:10:04.64 ID:cRSA1gOa
>>687
なぜ?
耳川より姉川のほうが自然だが…

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 18:27:56.12 ID:06GvmBN2
同じ地名と言えば佐嘉の北、現在の脊振山地一帯である山内の入り口にある城は春日山城といって、謙信の居城と同名だな。

三歳牛の毛の数

2013年05月14日 19:51

283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/14(火) 16:25:23.21 ID:zXnARiyL
慶長三年正月、蔚山に布陣する日本勢へ明軍数十万が攻め寄せてきた。
戦国叩き上げの日本勢であったが、
日頃古典で親しんでいる漢民族の大軍に、
皆、一言の発することも出来ず呆気にとられていた。
直茂さまが、
「とんでもない人数だ。あの分では何十万という単位であろう」
と仰せになると、中野神右衛門が、
「我らが日本国では、
数知れぬことを三歳牛の毛の数と申しますが、
これがつまり、その、三歳牛の毛の数ですな
ガハハハハハハw」
と冗談を言ったので、鍋島勢のみならず、
日本勢の人々は思わず笑いだして、
よい具合に落ち着き、力を取り戻したという。
このことは、勝茂さまが白石山で狩をなさったとき、
中野又兵衛政良にお話になって、
「おまえの親父のほかに、あのとき一言いえた者はなかったぞ」
と声をかけられたとのことだ 【葉隠】

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/14(火) 16:34:59.78 ID:zXnARiyL
ちなみにこの中野神右衛門清明という人は、
山本常朝の祖父にあたる人。
かなりの剛の者だったらしく、
筑後三池城攻め一番首、
肥後和仁城一番乗り、
筑後戸原城攻め一番乗り、
筑後江ノ浦城攻め一番乗り、
と武勇を記録に残している。
直茂公逝去時に追腹を願い出るも、
勝茂公に止められ断念。
光茂公逝去のときの山本常朝を考えると、
魂も受け継がれるのかと思うようなエピソード



285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/14(火) 20:31:00.51 ID:HtG3D7C4
初陣の若者の目には、さぞ頼もしく映ったことだろうな

これが戦国武士の風習だったのである

2013年02月10日 18:55

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/02/09(土) 20:00:07.77 ID:SDvMJ5MH
島内新左衛門は直茂さまと戦場を駆け巡ってきた古強者だ。
応仁以来の戦乱も治まった勝茂さまの御代、ある日のこと、
新左衛門に御礼日のお目見えがおおせつけられた。
登城して勝茂さまが部屋にお入りになると、
皆々が平伏するなか、新左衛門だけは、
人々の間に背筋を伸ばし微動だにせず座っていた。
勝茂さまが、
「新左衛門、めでたき日だな」
と御言葉をおかけになると、
新左衛門ははじめて礼をした。
新左衛門はいつもこのスタイルを貫いたが、
これが戦国武士の風習だったのである【葉隠】






下村生運が登城したときのことだ

2012年11月13日 19:57

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 21:54:15.92 ID:VYcOdj0h
下村生運が登城したときのことだ。

直茂公
「息子(勝茂公)は年齢のわりに逞しいし、力もある。
武士として見所があり、わたしも喜んでいる。
家来たちと相撲をとらせてみたが、
歳上の者にも勝ってみせたぞ」

と上機嫌で仰せになられた。
生運はこれを聞いて、

生運「私は老いぼれですが、それなら一番お相手いたそう」

と言い、勝茂様をお身体がお痛みになるほど投げ飛ばした。
そして、

「まだ骨格も考え定まってないうちから、自慢事などなさると、
いつか恥をかきますよ。
まだまだ見かけよりも全然弱いです」

と言い残して退出したとのことだ 【葉隠】




316 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 22:22:00.19 ID:85/3QSwu
本人自慢してねぇんじゃ…

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 22:24:19.19 ID:HgDbQET7
勝茂かわいそうすぎるだろ

318 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 22:27:52.41 ID:fWtNB/H0
御曹司だから加減して負けてやってるのに、それを見抜けないとは愚かな大将だな。

319 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 22:39:30.06 ID:VRtijOy3
ちょっと親バカしてみたらなんか息子が投げ飛ばされたでござる

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 22:41:02.43 ID:SdiwlhJ4
忠直卿行状記の一節を思い出す
こういう家臣は大事だ

321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 22:56:50.97 ID:VYcOdj0h
やはり人それぞれいろんな感想あるな
オレはこの話が、下村生運が、
「直茂さま、それは貴方がよくありません」
とやらなくて正解だったと思う。
親子の間に善悪つけるよりはって意味で

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 23:05:14.19 ID:H8/TFiru
まあようやく授かった男子だっただろうし、親バカしたくなる気持ちもわからんでもない

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 23:06:07.07 ID:Kz1pjgFx
一豊「相撲は自らとるのでなく、とらせるもの」

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/12(月) 23:17:33.71 ID:ksWIqIaj
勝茂はガチホモだと聞いた

325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 00:38:25.02 ID:jpcXJsCK
いやいや勝茂何も悪くないじゃんw

326 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/11/13(火) 00:58:26.71 ID:WwEpuaWj
鍋島直茂教訓二十一箇条のひとつ
・理非(善悪)を糾す者は人罰に落ちるなり

これはアイツが悪い!その場合はソイツが悪い!
とやる奴はニュー速にいっぱいいるが、
アイツらそんな立派か?
口では上手く説明できない感情を憶える(笑)

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 01:38:25.52 ID:yUrCqml0
竜造寺の乗っ取りを正当化しているだけだな

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 01:54:19.89 ID:HFDR/2WC
黒田家臣だと泣きながら「あんた音痴だから!!」って本人に向かって言うんだよな
それに比べると鍋島家臣は慈悲の心があるわ

329 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 03:18:59.54 ID:N2q6IJwS
勝茂の恥か…
島原の乱抜け駆けの後日談を思い出した。

330 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 09:14:37.13 ID:zBZp6/Ju
骨格定まってない子供を力いっぱい投げなさんなと。
ところで勝茂って逸話で怒られてばっかりいないか?

331 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 09:32:23.95 ID:GNTDovvs
やたらと鍋島を悪の権化化したい人がいるよな
別に龍造寺が好きなわけでもないんだろうけど

332 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 09:44:22.65 ID:LnUTaeXc
この骨格って人格じゃないのか

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 10:57:11.91 ID:zBZp6/Ju
>>332>骨格
体と心の両方を引っ掛けて言ってるんだと解釈したんだけどどうだろう。

334 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 12:01:16.78 ID:dwcQzrdC
人 間 無 骨

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 12:56:05.78 ID:BIFa2zp4
切れない槍なら骨が多いから
なんという為骨豊!
とののしられたんだろうか
336 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/13(火) 20:16:40.47 ID:cRqPCY+g
明治大帝を侍従山岡鉄舟が投げ飛ばした話をおもいだしたが・・

337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/14(水) 03:27:02.07 ID:KlA4uQ+g
ありゃ御上が酔って絡んだからで…