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真田一人の出丸のように

2020年12月10日 16:51

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/10(木) 02:05:05.67 ID:bcPmQbhp
大阪冬の陣で、八町目に有った真田ヵ丸と申す出丸は、長宗我部と真田が
半分に割って持っていたのであるが、世間は真田一人の出丸のように風聞している。

長澤聞書

今でもそうだな



482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/10(木) 11:19:31.97 ID:rQHSFasw
長宗我部は長いから
短い真田でいいや
ってことだったり

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/10(木) 17:15:20.90 ID:WqAn93fS
長宗我部は名前が当時的に呼びづらいか認識しづらいで公家の日記でめっちゃ読み間違いされてなかったっけ

ちょうすがめ・・?ちゃうすかめ・・・?もういいわ!真田丸!
ってなったかもしれない
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大阪方の石火矢

2020年12月09日 18:52

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/12/09(水) 16:43:21.92 ID:ijx6Yt/R
大阪冬の陣の籠城の時、城内より石火矢を撃っていたが、これは修理(大野治長)屋敷より撃っていた。

ある時、この石火矢の火が脇に移り、修理屋敷は四ツ時分(午後10時頃)火事を出した。
それ以降、板葺きの屋根は何れも土塗りにいたした。

大阪城から石火矢を撃っていたのは難波六太夫という者で、秀頼公の所有する石火矢の中に、日本丸と申す
筒があったのを、車に仕掛けて撃っていた。しかし後に、修理屋敷に火事が出た故に、その後撃たなかった。

長澤聞書

大阪冬の陣、大阪方の石火矢について。



これよりいよいよ沢庵の墨跡が流行った

2020年04月17日 17:13

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/04/17(金) 01:29:47.12 ID:dNnHEo9X
乱世(大坂の陣)の後、二条にて上様(徳川秀忠ヵ)に、紫野(大徳寺)の好月(江月宗玩)、
玉室(玉室宗珀)、沢庵(沢庵宗彭)が御目見えした時、御所様はこのように仰せになった

「もはや春屋国師(春屋宗園)の弟子もこの三人のみである。むやみに掛け物など書かぬように。」

このような御意があったと沙汰され、それよりこの人々の手跡を、大小名衆も望むようになった。
その中でもとりわけ沢庵を用いたのは織田有楽殿で、判金百枚にてその墨跡を求めたが、それが偽物であると
目利きし、伏見にて御上洛の際、御前にて御詮索があり、いよいよ偽物と極まり、
「今より掛け物を買って、これを沢庵に見せるように」
との御意があった。これよりいよいよ沢庵の墨跡が流行ったという。

長澤聞書