232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 18:14:25.37 ID:KEOch0MY
本能寺の変の一報が徳川家一行に届いた時のお話
天正10年(1582年)6月2日深夜、
織田信長・信忠親子に謁見するべく堺から京へと向かう最中の飯盛山で徳川一行が休息を取っていると、
先に京へと向かわせていた
本多忠勝と
茶屋四郎次郎が慌てて引き返してきた。
ただならぬ様子に家康は井伊、榊原、酒井、石川、大久保等の重臣たち以外を遠ざけ、
加えて織田家からの案内役である
長谷川秀一のみが本多と茶屋からの報告を聞いた。
本能寺の変の仔細を聞いて一番動揺したのは他ならぬ家康であった。
家康「我はこのとし頃織田殿とよしみを結ぶこと深い。もし今少し手兵がいたならば、光秀を討って織田殿の仇を討つべきなのだが、
この無勢ではそれも叶うまい。
生半な事をして恥をかくよりは、急いで京に上って知恩院で腹を切って織田殿と死を共にする。」
と言い出した。
すると
長谷川秀一も「家康殿さえかく仰るならば、まして私は年来の主君。一番に腹を切ってこの程の如く
御道しるべとなります。」と言う。
という訳で
本多忠勝と
茶屋四郎次郎の二人がまた先に掛けて京を目指したのだが、20町ほど進んだ所で忠勝は引き返してくると
石川数正らに言った。
忠勝「我、君(家康)の御大事が今日に極まったので、若輩の身を顧みず思うところを申させて頂きたい。
君が年頃の信義を守り、織田殿と死を共にするという事が
義のあたる所としてどうして適切と言えようか。織田殿の為に年頃の芳志に報じようというなら、
本国に戻り軍勢を催して光秀を追討し、
その首を切って手向けとすれば織田殿の幽魂も祝着し給うでしょう。」
するとこれを聞いた
石川数正や
酒井忠次ら老臣達もこう述べた。
「年長けたる我々もここに心付したい。返すべすも恥ずかしいと思い由を聞いていたが、君はつくづくと聞き召されよ。
我ら本国に帰って軍勢を催促し、光秀を誅殺する事は元より望むところである。しかしながら主従共にここに来るのは初めてである。
だが、知らぬ野山に彷徨って山賊一揆の為にここかしこで討たれる口惜しさに、都にて腹を切るべきとは思わない」
これを聞いて家康も冷静になって三河に帰る事を考えたようだ。すると
長谷川秀一は怒りに涙を流しながらこう言った。
秀一「我ら悔しくも此度、家康殿の道案内に参りて主君の最期の共もせず、また
賊軍一人も切り捨てずにこのまま腹を切って死ねば冥土黄泉の下までも恨みなお深く残るでしょう。
家康殿がご帰国して光秀を誅伐する軍を挙げた時は、その先手に参じて討ち死にする所は本望です。
ただし、帰路の事を危うく思うのであれば、
この辺りの国士どもは殿に参謁する時は、皆私が取り次ぐ事になっているので、私の申事に背くものは無いでしょう。
それ故にこそ、今度の道しるべの役にも参じさせていただきたい。」
どうやら長谷川も内心悔しく思いながらも十分に冷静さを取り戻しているようだ。
彼の言い分を聞いた酒井や石川や忠勝も「御道のことは長谷川殿に任せるべき」という事でまとまり、
こうして伊賀越えへの旅が始まったのであった。
233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 19:36:07.27 ID:+xcGHnOJ
>生半な事をして恥をかくよりは、急いで京に上って知恩院で腹を切って織田殿と死を共にする。
前から疑問だったんだが、
信長は京(本能寺)で襲われたのに京(知恩院)に行こうって発想はどうなんだろうか?
厳戒態勢だろうし捕まったりした方が「生半な事」になると思うんだが。
234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 19:43:21.23 ID:TNzX3LXj
>>233
創作ないし社交辞令だと思うが、
明智軍に捕まっても武士の情けとかいえば明智の将立ち会いのもと切腹はできたんじゃないかな。
伊賀越えは奇跡だったけど、もし家康が数百の精鋭を率いて信孝、丹羽長秀に合流して
山崎の戦いに加わっていたら面白そうだな。
235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 19:54:27.65 ID:mrCHm2pM
伊賀越えの功労者として長谷川の名が挙がる事って殆どないよね。
236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 20:01:58.14 ID:ce7aIi/9
>233
家康って浄土宗だから、浄土宗の寺で腹切ろうって意味なのかと思ってたわ
237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 20:59:14.11 ID:FtSiNovc
家康の心底を疑って別行動を取った穴山信君が気の毒だ
238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 21:53:43.99 ID:r9bTckOE
>>237
当然の報いじゃあ
239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 21:54:11.27 ID:bHbVWmrv
武田を裏切った後の穴山は散々なイメージしかないし
最近になってもそれを覆す様な話が出てきた記憶もないな
240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 21:54:59.48 ID:XjxWbxf4
>>236
それで合ってるんじゃない?
浄土宗の総本山で切腹しようという発想は自然だと思う
もちろん、無事に知恩院までたどり着けるかは疑問だけど
244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 23:40:34.26 ID:TNzX3LXj
>>239
穴山は落ち目の武田存続も兼ねて寝返ったんだろうし気の毒。
245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 00:05:24.61 ID:ZqQOCizz
後の保科正之を保護したという功績
・・・奥方の話だけど
250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 09:05:17.05 ID:U9zUCjWA
血縁者が敵味方に分かれて家を残そうとするのってこの時代じゃ当然のことなのか?
それとも、そこまでして家を残したいのかと蔑まれるのか?
251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 09:08:10.41 ID:4AXx5oKx
当然だったんじゃない?
そんなことは源平の昔からあった事。
252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 09:11:59.39 ID:DqY5eRaL
というか家を残すのが最優先課題じゃないかな、家さえ残ればぶっちゃけ血縁すらどうでもいいレベル
257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 15:45:09.44 ID:KqhVrGjC
>>252
まったく血筋ない養子とかな。
徳川だと平岩さんや石川家成さん。