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多田新蔵のこと(改正三河後風土記ver)

2018年10月23日 17:17

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/23(火) 05:08:14.63 ID:eTfwBn7W
(長篠の戦いの時)

本多平八郎(忠勝)は猶も厳しく武田勝頼を追って行くと、岡の辺りの松を盾に取って矢を放つ
敵がいた。本多の郎等・多門伝十郎と蜂須賀彦助は馳せ向かったが、彦助は敵を1人討ち取って

討死し、伝十郎は手傷を負って敵を追い散らした。また味方の軽卒らが1人の敵を生け捕ったが、
雑人かと思って着ている衣類を剥ぎ取って見れば、緋緞子の下帯を身に着けていた。さては只者

ではないなと姓名を問うと多田淡路守満頼の子・三八(新蔵か)であった。信長卿はこれを聞き
なさって、「それでは伯父の葬送の時に火車を切った勇士であるな。私が召し仕おう」と仰り、

長谷川竹丸(秀一)に命じその縄を解かれると、三八はその縄を引き切って近辺にいる者の槍を
押っ取りその辺りに群居する者4,5人を突き殺した。よって竹丸は槍を取って三八を突き倒し、

その首を取って信長卿の御覧に備えた。およそ今日の合戦は卯の刻の始めに押し出し、午の刻の
終わりに武田方は総敗軍とぞなりにける。

――『改正三河後風土記(四戦紀聞・東遷基業・武徳大成記・家忠日記・甲陽軍鑑・武家閑談)』



355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/23(火) 14:38:18.02 ID:+GgA7et2
>>354
この時のぶな画を討ち取ってれば…。
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信の勇士の理

2017年12月09日 16:05

498 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/09(土) 09:23:29.50 ID:eSWp/XYE
天正18年、小田原の役における山中城攻めの際、木村常陸介(重茲)の家臣である鳥居源八という
勇士、先に立って城に取り付き名乗りを上げた。
そこへ、羽柴藤五郎(長谷川秀一)家臣、磯平三郎が続き来て、鳥居に言った

「源八よ、汝は既に”頸取り源八”と世に呼ばれている名高き勇者であるが、真実の武功を
知らぬな。田舎育ちの働き故に、ここでも名乗るべきではない所で名乗っている。
こういった場所では、諸人茫然として心もついていかず、気後れしているものであるのに、
ここで名乗っては、諸人はこのお陰で心付いて、我先にと進む。故に思いのままの一人高名が
出来なくなってしまうのだ。
物の訳を知らぬ故に、流石の頸取り源八もこのような時に名乗ってしまう事よ。」

これを聞いて源八は嘲笑って言った
「平三郎は心がけもある武士であると聞いていたが、さては信の勇士の理を知らぬと見た。
このように、諸人茫然たる時分は、一人声高に名乗って、人に気力を付け大勢に力を与え、
多くの人を用に足る者に成す事こそ、武士の義というものだ。
何事ぞ、我一人功名してそれを宜と言うのは。そんなものは甚だしい小技であり、言葉にする
価値すら無い。」

そう蔑んだという。

(士談)



499 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/09(土) 11:59:31.12 ID:HwqEYabs
こういうのって戦の最中にやりあってんのかな
敵味方もどっちの口撃が勝つのか見守ってたりして

500 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/09(土) 12:56:49.36 ID:4iPqjqA6
二人とも弓鉄砲で倒されてたら笑う

家康の運が強いために

2014年05月05日 18:08

203 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/04(日) 19:35:41.85 ID:8KBlIew7
明智光秀の乱の時、東照宮(徳川家康)は堺に居られた。この時、織田信長は羽柴籐五郎(長谷川秀一)に命じて、
家康の堺見物の案内をせよと遣わした。しかし、実はこれは、隙を見て家康を殺害しようとする
謀であったというのだ。

家康の運が強いために明智の乱が起こり、太閤が西国より登って来る時、家康は伊賀越えをし
三河の岡崎に馳せ帰った。明智の事がなければ、家康は危うい所だったのである。

(老人雜話)

家康が信長に殺されかかっていたらしい、というお話




204 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/04(日) 19:49:43.01 ID:K4fySxTS
明智憲三郎がアップを始めました

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/05/04(日) 19:57:32.28 ID:logqxORs
家康自身があのとき信長殿に殺されてたかもしれないんだよ…って語った話は全く無いよね
やはり信長は家康を殺さず活かし続けるつもりだったんだろなあ

『当代記』より、荒木村重謀反の理由

2012年04月28日 21:06

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 14:19:06.95 ID:lxgRHWqB
『天正6年(1578)10月、荒木摂津守(村重)反逆のこと、方々より注進があった。
信長はこれを聞き及び、
『これはきっと、村重が何者かに騙されているのだ。そうであれば宥めることが出来るはずだ!』
そう考え、松井友閑、惟任(明智光秀)、万見仙千代を10月下旬に遣わした。

村重は家老に対し、彼らと対面し、近いうちに信長のもとに出仕すると言うつもりだ、と伝えた。
しかしこれを聞いた家老は、すかさず諫言に及んだ

「この度の事は、もはやその科を逃れることは出来ません!このまま出仕を止められるべきです!」

村重も内々にそう考えていたので、家老の意見に同調し、使いの三人に対面すると、そう言い切って、
信長への敵対の姿勢をはっきりと打ち出した。

そもそも荒木村重は、信長の厚恩により出頭した者であって、特に摂津一国を与えられ、反逆など
有り様はずもなかったのだが、彼に対して、信長の寵愛する小姓、長谷川藤五郎(秀一)がしきりに慮外を企てた。

ある時のこと、信長が三河岡崎城を訪問した時、それに従っていた荒木村重が門の所に立っていたところ、
長谷川は2階から、村重に向かって尿をしかけた。

これに気がついた人が、村重にそのことを伝えたが、村重は「苦しからず」と言ってその場を立ち去ろうとしなかった。

こんな事があったために、謀反に及んだのだ、と言われている。』

つまり、当時信長の寵童であった長谷川の嫌がらせに当初は耐えたものの、これが原因で、そんな長谷川を
重用している信長に対し逆心を抱いたのだ、ということである。

『当代記』より、荒木村重謀反の理由についての記載である。




905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 16:13:06.62 ID:5D9Lsl0e
竹中半兵衛「その程度で逆心とは、なんと器の小さい男」

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 16:33:07.14 ID:IAX/Zo7P
長谷川がこういう軽薄なことするイメージにピンとこない
逸話レベルとしても人選がどうしてこうなったかに興味

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 17:14:11.30 ID:Uc5/dZXL
織田家中で重用されてなかったうえに
信長の小姓にまでこんな扱いされたら謀反するかもしれん

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 20:00:04.57 ID:dNIuXleX
創作臭いが、実際になぜ荒木が謀反したのかって謎が多いからな……。
ボンバーマンと違って……おやだれk(ry

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 20:04:31.53 ID:43tvGGII
>>906
江戸時代まで残ってた家は悪役に使いづらいからじゃね?
長谷川家って途絶えてたよね?

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 20:39:47.48 ID:ZWEDU/G3
>>905
先越された

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/28(土) 22:59:08.32 ID:w5fKeVgs
秀吉もトイレでわざとおしっこかけられて相手に謝罪させた上で
名前を売っていたらしいがw

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 00:00:14.41 ID:KLkzLPcu
>>909
荒木攻めで死んだ万見仙千代あたりで因縁話にする方が分かりやすい気もするなぁ

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/29(日) 17:42:46.39 ID:TbMbEuJJ
>>908
中川清秀にハメられただけのような気がしないでもない

本能寺の変の一報が徳川家一行に届いた時のお話

2012年01月03日 22:01

232 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 18:14:25.37 ID:KEOch0MY
本能寺の変の一報が徳川家一行に届いた時のお話


天正10年(1582年)6月2日深夜、織田信長・信忠親子に謁見するべく堺から京へと向かう最中の飯盛山で徳川一行が休息を取っていると、
先に京へと向かわせていた本多忠勝茶屋四郎次郎が慌てて引き返してきた。

ただならぬ様子に家康は井伊、榊原、酒井、石川、大久保等の重臣たち以外を遠ざけ、
加えて織田家からの案内役である長谷川秀一のみが本多と茶屋からの報告を聞いた。
本能寺の変の仔細を聞いて一番動揺したのは他ならぬ家康であった。


家康「我はこのとし頃織田殿とよしみを結ぶこと深い。もし今少し手兵がいたならば、光秀を討って織田殿の仇を討つべきなのだが、
   この無勢ではそれも叶うまい。
    生半な事をして恥をかくよりは、急いで京に上って知恩院で腹を切って織田殿と死を共にする。」

と言い出した。
すると長谷川秀一も「家康殿さえかく仰るならば、まして私は年来の主君。一番に腹を切ってこの程の如く
御道しるべとなります。」と言う。

という訳で本多忠勝茶屋四郎次郎の二人がまた先に掛けて京を目指したのだが、20町ほど進んだ所で忠勝は引き返してくると
石川数正らに言った。

忠勝「我、君(家康)の御大事が今日に極まったので、若輩の身を顧みず思うところを申させて頂きたい。
   君が年頃の信義を守り、織田殿と死を共にするという事が
   義のあたる所としてどうして適切と言えようか。織田殿の為に年頃の芳志に報じようというなら、
   本国に戻り軍勢を催して光秀を追討し、
   その首を切って手向けとすれば織田殿の幽魂も祝着し給うでしょう。」

するとこれを聞いた石川数正酒井忠次ら老臣達もこう述べた。

「年長けたる我々もここに心付したい。返すべすも恥ずかしいと思い由を聞いていたが、君はつくづくと聞き召されよ。
我ら本国に帰って軍勢を催促し、光秀を誅殺する事は元より望むところである。しかしながら主従共にここに来るのは初めてである。
だが、知らぬ野山に彷徨って山賊一揆の為にここかしこで討たれる口惜しさに、都にて腹を切るべきとは思わない」

これを聞いて家康も冷静になって三河に帰る事を考えたようだ。すると長谷川秀一は怒りに涙を流しながらこう言った。

秀一「我ら悔しくも此度、家康殿の道案内に参りて主君の最期の共もせず、また
   賊軍一人も切り捨てずにこのまま腹を切って死ねば冥土黄泉の下までも恨みなお深く残るでしょう。
   家康殿がご帰国して光秀を誅伐する軍を挙げた時は、その先手に参じて討ち死にする所は本望です。
   ただし、帰路の事を危うく思うのであれば、
    この辺りの国士どもは殿に参謁する時は、皆私が取り次ぐ事になっているので、私の申事に背くものは無いでしょう。
    それ故にこそ、今度の道しるべの役にも参じさせていただきたい。」

どうやら長谷川も内心悔しく思いながらも十分に冷静さを取り戻しているようだ。
彼の言い分を聞いた酒井や石川や忠勝も「御道のことは長谷川殿に任せるべき」という事でまとまり、
こうして伊賀越えへの旅が始まったのであった。




233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 19:36:07.27 ID:+xcGHnOJ
>生半な事をして恥をかくよりは、急いで京に上って知恩院で腹を切って織田殿と死を共にする。

前から疑問だったんだが、
信長は京(本能寺)で襲われたのに京(知恩院)に行こうって発想はどうなんだろうか?
厳戒態勢だろうし捕まったりした方が「生半な事」になると思うんだが。

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 19:43:21.23 ID:TNzX3LXj
>>233
創作ないし社交辞令だと思うが、
明智軍に捕まっても武士の情けとかいえば明智の将立ち会いのもと切腹はできたんじゃないかな。

伊賀越えは奇跡だったけど、もし家康が数百の精鋭を率いて信孝、丹羽長秀に合流して
山崎の戦いに加わっていたら面白そうだな。

235 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 19:54:27.65 ID:mrCHm2pM
伊賀越えの功労者として長谷川の名が挙がる事って殆どないよね。

236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 20:01:58.14 ID:ce7aIi/9
>233
家康って浄土宗だから、浄土宗の寺で腹切ろうって意味なのかと思ってたわ

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 20:59:14.11 ID:FtSiNovc
家康の心底を疑って別行動を取った穴山信君が気の毒だ

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 21:53:43.99 ID:r9bTckOE
>>237
当然の報いじゃあ

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 21:54:11.27 ID:bHbVWmrv
武田を裏切った後の穴山は散々なイメージしかないし
最近になってもそれを覆す様な話が出てきた記憶もないな

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 21:54:59.48 ID:XjxWbxf4
>>236
それで合ってるんじゃない?
浄土宗の総本山で切腹しようという発想は自然だと思う
もちろん、無事に知恩院までたどり着けるかは疑問だけど

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/03(火) 23:40:34.26 ID:TNzX3LXj
>>239
穴山は落ち目の武田存続も兼ねて寝返ったんだろうし気の毒。

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 00:05:24.61 ID:ZqQOCizz
後の保科正之を保護したという功績

・・・奥方の話だけど

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 09:05:17.05 ID:U9zUCjWA
血縁者が敵味方に分かれて家を残そうとするのってこの時代じゃ当然のことなのか?
それとも、そこまでして家を残したいのかと蔑まれるのか?

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 09:08:10.41 ID:4AXx5oKx
当然だったんじゃない?
そんなことは源平の昔からあった事。

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 09:11:59.39 ID:DqY5eRaL
というか家を残すのが最優先課題じゃないかな、家さえ残ればぶっちゃけ血縁すらどうでもいいレベル

257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/04(水) 15:45:09.44 ID:KqhVrGjC
>>252
まったく血筋ない養子とかな。
徳川だと平岩さんや石川家成さん。