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一日の間貸され候へ

2017年07月04日 12:10

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/04(火) 12:07:16.30 ID:Z7UEEGAF
弘治元年10月、陶晴賢が芸州厳島に押し渡ったのを、同月30日大風雨の夜、毛利元就は押し渡って、ついに
陶を討ち果たした。いわゆる厳島合戦である。

この合戦は大事の軍であったから、陶晴賢の元より、伊予の河野へ船を借りに遣いが出された。
同日に、毛利元就よりも河野に船を借りに来た。
この時、陶晴賢は何ということもなく船を借りた。
毛利元就は「一日の間貸され候へ。厳島に渡りてやがて戻すべし。」と云い送った。

河野家の重臣であった村上通康はこれを聞いて
「少しのことながら、思い入れが違う。毛利が必ず勝利するだろう。」
そう考え毛利家に船三百艘を貸した。はたして陶晴賢はその合戦に打ち負けて、中国地方は悉く元就に属した。

(士談)



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元就の明察

2012年06月16日 21:05

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 08:37:27.87 ID:Nfp8NyG6
 天文二十三年、毛利元就はそれまで手を組んでいた陶晴賢に反旗を翻し晴賢側の安芸の諸城を怒涛の勢いで攻略し始めた。
これに陶晴賢は船岡山の合戦などで高名を馳せていた宮川房長を派遣して元就討伐にあたらせた。
陶軍は各地で兵を募りながら膨れ上がり、その数は2万とも噂されるほどだった。
対する毛利軍はわずか3千余り。
対峙して元就はどうするべきかと作戦を練っているところに、敵方の様子を探らせていた斥候より一報が入る。
情報によると、今夜敵は秘かに軍を動かし兵を川岸に伏せ、明朝未明に合戦を仕掛けるやいなや
不意打ちをしようと目論んでいるとのことであった。

 そこで元就は福原貞俊宍戸隆家の両将に「急ぎ川岸に向かい、敵の伏兵を逆に不意打ちして討ち取れ!」と命じた。
両将は直ちに現場へ急行したが、元就は現場の地の利に不安を覚え
秘かに後を付け川がよく見渡せる川岸手前の小高い丘から現場を見渡した。
空は曇り月明かりさえも届かずあたりは漆黒の闇で、もちろん敵味方ともに伏兵として行動しているので
人馬ともに音を立てずひっそりとして静かであった。
なので丘から見渡しても敵味方の動きは何も見えず、気配すらわらかない有様だった。

 ところが、突然に元就は両将へ伝令を送り「直ちに現場から急いで引き上げよ!」と命じた。
両将は命令通りすぐに戻ってきたが、突然の命令であったため不審に思い元就に理由を尋ねた。
これに元就はこう答えた。
「敵陣や伏兵のありそうなところは暗闇で何も見えず全くわからなかったが、ただ川には数多くの蛍火があった。
ところが、突然川下の方で蛍火が乱れ、やがて一つ残らず逃げ失せた。
これは敵軍が我々の行動に気付き、不意打ちをしようとして川下を秘かに渡っているに違いないと思ったので
直ちに兵を引き上げさせたのだ。」
翌日、現場を確認してみると確かに川下を敵兵が渡った形跡があったので家臣たちはこの元就の明察に感じ入ったという。

折敷畑合戦で毛利元就が宮川房長率いる陶軍を壊滅させる数日前の出来事であった。




897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 14:21:32.39 ID:ygzQ02WT
源義家と大江匡房に因んだ創作

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 14:41:13.16 ID:2XxBulvc
祖先の兵法を知ってても不思議ではない

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 16:44:39.13 ID:KFV2WIV2
八幡太郎さんの故事を読んだ経験がホタルを見たときにピンと合わさったんだろうな。
それを即自分の戦術に用いるのは良将の知恵
似ているから創作だと決めつけてしまうのがオタ知識

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 17:49:44.21 ID:WyKotWyo
奇襲の情報はから相手方の罠だったんだろうなあ
それにしても蛍の動きを見ただけで相手の動きに気付くとはさすがに元就は戦上手だな

吉川元春・陶隆房、義兄弟のいきさつ

2011年09月07日 22:25

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 20:17:03.56 ID:ONKexbTL
吉川元春は陶隆房(晴賢)と義兄弟の契りを交わしている。
それにはこんないきさつがあった。

毛利父子が山口に来ていたとき、大内家家臣の相良武任が義隆に提案した。

「義隆様、元就が尼子になびかないように、
 がっちりハートキャッチしとかなきゃいけませんよ。
 隆元に関しては、内藤興盛の娘なら義隆様に血筋も近いし
 あれを養子ってことにして隆元と婚姻契約結びましょう。
 あと、次男の元春、いい男っぷりですよね!
 元就と並び立つ良将の器って評判ですよ!
 で、ウチの陶隆房と元春を義兄弟にしちゃいましょう。
 隆房も勇猛さでは西国一です。
 あの二人に先陣を任せれば、かの蒙古の堅陣だって簡単に破れますよ!」

「グッドアイデア!」と思った義隆が、さっそく元就を呼んでこれを伝えると、
元就もこの提案を大いに喜んだ。

そんなわけで、大内の毛利つなぎとめ政策の一環として、
元春と隆房は義兄弟になったという。
夢もロマンもありゃしねぇので悪い話。

ちなみに三男の隆景については、義隆様が直々においしくいただきました。
「又四郎隆景は容姿はなはだ美なりしかば、義隆卿男色の寵愛浅からずして」って
陰徳記に堂々と書いてある。





735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 20:24:06.39 ID:FMAob7Di
>>732
政略結婚もとい、政略兄弟の契り
大内義隆って、隆元も美味しくいただいてなかったっけ?

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 20:37:34.59 ID:yeZlZEIy
男子は手当たり次第…
さすが中国の男色王の名は伊達じゃないな

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 20:37:57.81 ID:ONKexbTL
>>735
十五、六の少年が三年も山口にいて、あの義隆に手を出されなかったとしたら、
そっちのほうが不名誉ではなかろーか。
隆元は人質初日から贈り物攻めで大変大事にされたようだし、
当時の日記に義隆と隆元同宿の記述もあるようだし……
毛利家としては権力者に愛されて大変けっこうなことじゃないのかなw

740 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 20:47:57.28 ID:FMAob7Di
>>736
あの時代、男色は珍しくないと言われても
俺はノーマルでもほいほい食っちまうんだぜ というセリフが凄く似合うよね義隆さん


742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 21:05:16.02 ID:ONKexbTL
>>740のせいで青い狩衣を着た阿部さんが夢に出てきそうだ

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 21:13:28.58 ID:3s40ZfNQ
「息子があの好色野郎に!」
なんてきれて離反する君主いそうだなw

744 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/09/06(火) 21:42:53.33 ID:FMAob7Di
出世の為に娘を差し出す奴もいただろうが
出世の為に息子を差し出す奴もいたんだろうか

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 22:18:42.04 ID:FLHqO/Q0
>>744
基本中の基本だろ
お手つき小姓上がりで出世した武将なんてゴマンといるぞ

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 22:29:44.80 ID:wJtlgc53
松永弾正はまず美少年の弟が召し抱えられ、その縁で自分が取り立てられたとか

749 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 23:06:04.33 ID:DlOiYxB3
松永弟は丹波の赤鬼に殺されたんだっけか

752 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 23:46:57.44 ID:FMAob7Di
>>747
ああ基本なんだな
それでトラウマになっちゃった子とかいるのかなあ

753 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 23:50:18.80 ID:ONKexbTL
元就が義隆さんち行くのに当時花の盛りの隆景を連れて行く時点でゲフンゲフン。
「差し出す」と言うとネガティブなイメージだけど、
隆景を義隆の強力な庇護下に入れるのは、隆景本人にとってもいいことだよ。

同じ「陰徳記」からになるけど、隆景が継いだ小早川は、
家格からすると姉婿の宍戸などより低く、座配も下座だった。
ところが義隆の推挙で「屋形号(尊称)」をもらえたので、
宍戸より上座に座ることが許されたそうだ。当時は格式に厳しかったんだな。
たぶん家中での発言権も周囲の国人への影響力も増したはず。

754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/06(火) 23:53:42.55 ID:FMAob7Di
これも閨閥って言うんだろうか…

755 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/07(水) 00:18:35.80 ID:aba4rV/4

> 出世の為に息子を差し出す奴もいたんだろうか

家光の御代には「尻の誉れ」という悪口があったという話があるが、ホントかね

757 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/09/07(水) 00:55:49.40 ID:DNcsBP+/
>>752
恥ずかしい話じゃないし、普通に楽しんだんじゃない
好き嫌いはあるだろうけど