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諍いの原因は、「男色のもつれ」

2018年03月18日 19:08

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/18(日) 12:23:05.91 ID:T43lWMTR
「信長記」首巻によれば、織田信長は父信秀から那古野城を譲られた際、四人の家老を付けられたという。
その筆頭は林秀貞(通勝)、次席に平手政秀、三番が青山与三右衛門、末席が内藤勝介
林・平手の二人がよく知られているのに対し、青山・内藤の知名度は低い。青山などは信長元服前に戦死
したのではないかとも言われ、内藤も家老と呼べる程の分限であったか疑わしい、などとされている。

信長が桶狭間の戦いで今川義元を討ち、三河の徳川家康と同盟を結び、美濃攻略のため、本拠を清洲から
小牧山に移そうかという永禄六年(1563年)のこと。
既に廃城となっていた古渡城付近の松原で一つの事件が起きた。青山与三右衛門の嫡男虎と内藤勝介
嫡男小三郎の二人が織田因幡守家臣桜木隼人助を襲撃したのである。といっても、虎と小三郎の二人で
襲撃したのではない。青山・内藤両勢合わせて八十六人!対する桜木も三十人を揃えていたというから、
これはちょっとした合戦である。戦いの結果、双方合わせて四十二人の死人が出て、桜木隼人助は青山の
家臣に弓で射殺されたという。虎と小三郎はそのまま織田家を退転、揃って三河に逃げて家康を頼ったと
いわれる。


諍いの原因は、「男色のもつれ」。


息子の不始末ゆえ、内藤勝介の立場が弱くなり、既に冥途へと旅立ち現世で活躍できなかった青山とともに
影の薄ーい存在とならざるを得なかったのかも知れない。

それにしても、男色のもつれで五十人近くが死ぬとは… すごく 濃い世界です…


以上、和田裕弘「織田信長の家臣団」からの受け売り。
名古屋の鶴舞中央図書館にある「津島十一党家伝記及牛頭天皇社記」に書かれているそうな。
誤読あったらごめんm(__)m。



617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/18(日) 12:56:52.98 ID:5nKM9M85
秀忠「こっちの傅役の青山・内藤はかなりの知名度なのに
地名になるほど」

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/18(日) 21:19:39.10 ID:xl9vsyvP
徳川に使えたのが正解だったようですね
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