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その一言は大きな誉れである

2019年08月24日 16:15

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/24(土) 02:46:52.12 ID:vjfU7B8l
同青木民部(一重)が真柄を討ち取り申されたこと以上に存じられるのは、牢人して今川家に武者修
行の士は多く、甲州勢が出ると聞き民部は一同に30人ばかりで掛け出て、新坂の道辺にある銀杏の
木の見えるところまで行った。その時、山上へ大物見の如く3百人ばかりが出た。

「何とぞ引き取るべき!」といずれも申したが、民部は曰く「引き色を見せれば、猶更敵は募ること
だろう」と。十死一生の戦を持ち戦う内に、民部は大きな男と組んで山の下へこけ落ちた。銀杏の木
の際へ落ち付いた時、民部は上になって首を取った。また、他の者も2人で敵1人を一緒に討った。
その内に味方の加勢が来て、敵は引き取ったのである。もっとも、初め同時に来た味方の内にも討死
は多かったのだという。

今川家よりその褒美として民部に金子1枚を賜り、一緒に敵を討った士には金の龍の口蓋を2人に1
本ずつ賜ったのだという。

民部はいつも武辺の話を致さぬ人であったという。また小兵で痩せた人だという。この人は青木先甲
斐守入道丹山(重兼)の父であるが、実はその伯父である。実父(青木可直)は輝政公(池田輝政)
の御家中におられたという。

前述の時に諸人は「引き取るべき!」と言ったが、青木1人は申され「引き取れば追い付かれて1人
も残らず討たれることだろう。堪えて戦おう!」と申した。その一言は大きな誉れである。その上で
功名があった故、ますます手柄となったのである。

――『烈公間話』



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水中で首を取り申した

2019年08月18日 14:11

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/17(土) 20:50:59.04 ID:S3TnxfWQ
長篠で勝頼敗軍の時、青木(一重)の人数は舟に乗り、川を越えて敵船に交じり乗ったのを
敵は(青木を)見知っていて船から突き落としたが、川中を潜って折々首を出し、船に遅れ
ずに付いて行った。

向こうの岸際で浮き上がると、かの突き落とした兵を見掛けて浮き上がり取って引き落とし、
水中で首を取り申したという。

――『烈公間話』



カスウの大兵

2019年08月17日 17:00

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/17(土) 16:26:55.11 ID:a03B31HY
姉川合戦の時、家康公に従い奉った青木民部(一重)は真柄(直隆)という兵の首を取った。

さる人(原注:能勢小十郎(頼隆)である)は民部に尋ねて「真柄を討ちなさったとも申す
し、または真柄の子(隆基)であったとも申しますが、どうなのですか」と問うた。

青木は答えて「カスウ(糟斑か。馬の毛色)なる大男と競り合った後、片岸で大男が後ろへ
落ちて行くのを押し付けて取った。カスウの大兵なので、人の子とは申し難き者だった」と
申されたのだという。(原注:子か親かは分からないが、子とは言い難い者だったと申され
たのだということである)

真柄という者は隠れ無き大兵で功の者という。

――『烈公間話』



真柄といった者は私めなどに

2016年06月03日 19:47

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/03(金) 04:34:00.77 ID:dq37fpmd
ある時、古田大膳(重治)は青木民部少輔(一重)に向かい、

「貴殿は越前の真柄(隆基)を討ちなさったと聞いている。その時の様子を語って
くださらぬか? 承りたく存じる」と、言いなさった。これに民部少輔は、

「真柄といった者は大剛大力の者で、私めなどに討たれるはずの者ではなかった。
ちょうど巡り合わせが良くて、真柄が手負いでくたびれていたところに行きかかり
討ったので、どんな様子ということもないのです」

と、答えなさった。「語るに飾りなくおっしゃることだ」と、大膳は殊の外感心され、
聞く人も皆感心したということである。

――『備前老人物語』



三女下向

2016年05月24日 10:47

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/23(月) 23:49:54.24 ID:dNUJBjsC
大阪冬の陣の和議が整ったものの、豊臣家においては前年の旱魃によって摂津、河内は
甚だしい不作となり、年貢収入が殆ど無い状態となっていた。
その上、大阪冬の陣のため招聘した諸士頭分の者達、並びに武功有る者達は和議のあとも
そのままに抱え置いたため、物入り多く財政難に陥っていた。

そこで大阪方では摂河泉三ヶ国に加えて加増をしていただきたいと、七手組の青木民部少輔(一重)、
伊藤丹後守(長実)の二人を駿府、江戸へと派遣した。

江戸では将軍秀忠より
「委細は大御所と相談し、宜しきようにお計らいなさるだろう。四月上旬には大御所は
上京されるので、その時にこれを解決されるであろう。両人が大阪に帰ればこの事を秀頼公に
申し上げるように。」

との言葉を頂き、これを受けて駿府の大御所家康も

「将軍がそのように言った以上、この件は事済んだ。早速大阪に帰り、秀頼公を安堵させるように。」
と仰せ下した。

両人は大いに喜び早速駿府を出立、道中を急ぐ所に、遠州浜松の入り口において
大阪より降ってきた三人の女性と行き会った。
大蔵卿局二位局正栄尼である。

彼女たちは、両人より駿府と江戸の様子を問い、彼らの首尾を聞くと安堵し
「我々は駿府に下り淀様の御口上を申し上げます。あなた方は帰路を急ぎ、大阪城に登り、
関東の様子を申し上げるように言った。

この時青木・伊藤の両人は思った

『去年、あの三女が関東に下向して、片桐且元を猜疑し、様々に讒言したことによって
終にはあの大乱が起こったのではないか。
それにも懲りず、またあの三女を下されるとは、是非もないやり方である。
今度もどんな災いを引き起こすか…』

二人はそう畏れ、「駿府に向かわず、あなた方もこれより直に大阪に戻るべきです!」と申したが、
「何故?」と三女は全く合点せず、青木・伊藤も持て余し、

「ならば、駿府においては御機嫌を伺う御口上のみも申し上げ、その他のことは一切秘密にして
話さないでください!何故なら秀頼公のお望みは既に落着いたしたからです!
絶対に他のことは申し上げないように。」

そう固く申し含めると、三女もついには納得して駿府へと下っていった。

本当に、去年の騒動もこの三女の口から起こったのである。なのにまた、今年も下されるというのは
浅智の極みではないか。前車の傾きは後車の戒めという言葉を知らないのだろうか。
二人はそう思うばかりであった。

(慶元記)



豊臣秀頼、幕府との再戦を決意

2015年10月06日 19:28

399 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/05(月) 20:13:01.50 ID:bsliRp53
大阪冬の陣の和議の後、豊臣家の領地である摂河泉三国では百姓たちが逃げ出したまま戻らず、
大阪城内に集めた数万の軍勢に与えるべき兵糧も欠乏し、どうにも成らない状況であった。
そこで豊臣秀頼は、大蔵卿二位局に青木民部少輔(一重)を添えて関東に遣わした。

彼らは幕府に対し訴えた
『摂河泉三ヶ国の百姓たち、尽く退散し、未だにその家に安堵しません。
そのため牢人たちに与える糧も有りません。よって、関東よりの援助をお願いしたい。』

幕府はこれを聞くと
「先の和睦の後は、諸牢人の扶持を放ち、穏便の体にしてこそ和平入魂の顕れだというのに、
牢人たちに情けを深め、人を集めたままにしているというのは、秀頼公がその野心を
諦めていないこと疑いなしと言わざるをえない。」
そう考え、彼らに一切の返事をしなかった。このため使いの者達は、どうにも出来ないまま
無為に江戸に在府していた。

豊臣秀頼はこの様子を聞くと、
「この上は討ち死にし、名を後代に残すのだ!」
そういって木村長門守、大野主馬、諸牢人の頭などに内々に金銀数百枚づつを与え、
人を募集するように命じた。

しかしこのことを知った大野修理、織田有楽などは
「どう思われているにしても、日本中を敵に受けて叶うわけがありません!先ずは穏便にして、
時節を待つべきです!」
そう度々諫言したが、秀頼は毛頭許容せず、このため大阪は再びもってのほかの騒動と成った。

(豊内記)

豊臣秀頼が、幕府との再戦を決意したお話である。




400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/05(月) 20:32:05.69 ID:X5C2DS6f
そんな金があるなら米買えよ
霞でも食えってか?

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/05(月) 21:23:58.04 ID:tE7tVZPn
この時青木が板倉に拉致られて再び徳川方に仕えたわけか

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/06(火) 00:40:18.96 ID:eXeo6N2+
時節待ってもなぁ

青木一重が18歳の時のお話。

2014年06月21日 20:29

175 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/06/21(土) 17:15:22.01 ID:vfRkyEkP
青木一重が18歳の時のお話。

ある戦に敗れた時
一重「(。+・`ω・´)キリッ みんな、槍はかつげ。所を見て返すべきだ。かついでたら返しやすいだろ?」
と下知した。皆、もっともだとこれに同じた。
場所を見合わせて反撃に出ると、ついに勝つことができたという。

備前老人物語





古田重治は青木一重に向かって話かけた。

2014年04月20日 18:48

827 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2014/04/19(土) 17:53:22.77 ID:4D7S36vy
ある時、古田重治は青木一重に向かって話かけた。

古田「(*゚Д゚*)キミ、越前の真柄を討ち取ったんだって?その時の話を聞かせてくれよ。どうやったんだい?」

青木「いや、真柄って人は凄く強い人でさ、本当なら僕が討ち取れるような相手じゃないんだけど・・・巡り合わせがよくてね。
真柄がケガして疲れ果ててるところに出くわしてさ、たまたま僕が行きがかり上討ち取ったってだけなんだよ。
だから話すことなんて無いんだよね。(´-ω-`;)ゞ」

飾らない青木の態度に、古田や聞いていた者は皆感じ入ったという。





42年ぶりの帰参

2012年09月17日 20:31

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 19:28:46.31 ID:81YxZFft
42年ぶりの帰参


時は大坂冬の陣から年が開けた翌慶長20年(1615年)春の事。
大坂方の和睦の使者として駿府へと遣わされていた『大坂城七手組』の一人に数えられる青木一重は
駿府から大坂への帰途に京で板倉勝重の接待を受けていた。

しかし、これは罠であった。板倉は突如として兵を呼んで一重の身柄を拘束したのである。
囚われの身となった一重に板倉はこう告げた。「大坂へと戻れば弟である青木可直を処断する」と・・・

一重の弟である可直は大坂方ではなく、徳川家の旗本として3000石を与えられていた身分であったが、
これを処断されるとあらば家名存続が危うい。結局の所、一重は夏の陣が終わるまで板倉に軟禁されたまま過ごした。

その後、開放された一重は剃髪して高野山に隠棲していたのだが、家康から二条城へと呼び出しを受け、
何故か豊臣時代(1万石)から微増の摂津豊嶋1万2000石を与えられ初代麻田藩主として諸侯に名を連ねた。

かつて一重は徳川家に所属しており、姉川の戦いで真柄直隆を討つという功を挙げて家康から武勇を賞賛されたが、
三方ヶ原の戦いのしばらく後に徳川家を去っており、何の因果かそれから実に42年の時を経てまた再び家康から禄を賜る身分となった。



少なくともいい話ではないのでこっちに




459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 19:46:40.38 ID:G+9Cjne/
多分、善意で助けようとしたように思えるけど

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 20:50:41.37 ID:0tEYl2V4
一万石が敵方になるなんて、そんな大したことじゃないし、
家康としては一重を無駄に殺したくなかったのかな

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 20:50:42.28 ID:lre/8rHz
10万石格のご朱印のおまけ付きで復帰したというから寛大どころではないんだよね。

スパイでもしてたの?

462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/16(日) 21:43:40.86 ID:gM79Kzef
七手組は基本穏健派だったから家康にとってはあまり有難い存在では無かっただろうなあ
長老格の青木一重がこんなことになると七手組としてはもう何も意見言えなくなって結果的に主戦派の暴走を許すっていうのが狙いかなと妄想してる

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/17(月) 00:39:39.10 ID:W8rDjt/n
案外いい話だと思うのは俺だけ?

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/17(月) 00:48:37.46 ID:gCUeR2Yw
いいか悪いかで言えば、いい話だと思う

家康が呼びつけたってことは戦後すぐの話だし
一重を許すのは、少なくとも家康にとっては既定路線だよな
単純に死なせたくなかっただけなんじゃないのかと

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/17(月) 02:42:06.46 ID:9t6TBFJk
まぁ人質とって脅迫めいたこと言ってるんだからこちらでいいんじゃない

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/17(月) 08:23:44.35 ID:ggqP0q70
和睦の使者なのに捕えたって事は
いよいよ手切れ布告の段階って事になるのか?

467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/17(月) 10:17:48.94 ID:hk/vXnJV
でも大名復帰後は周りから避難轟々だったんだろな。

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/17(月) 10:36:45.54 ID:IUG41wpy
大名の誘いを固辞して・・・って感じなら○く納まったんだろうね~