上杉景虎、「信玄公の批評」

2014年08月04日 18:55

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/04(月) 01:46:49.10 ID:nia5rqbg
永禄3年(1560)上杉景虎の北条への攻撃、いわゆる最初の「越山」が行われる。
景虎は怒涛の進撃を行い、この事態に北条の同盟国である武田家において、飯富兵部少輔(虎昌)は
信玄にこのように申し上げた。

「景虎の勢いはこのようでは、北条氏康公がついには切腹されることも疑いありません。
そうして北条が滅亡すれば、次は駿河の今川家、そしてこの武田家も滅亡と成るでしょう。
氏康公が未だ堅固な間に、笛吹に兵を入れて、甲州から花水川に出て関東の勢力と共に、
景虎と決戦をいたしましょう。そうすれば勝っても負けても、信玄公の名は末代まで言い伝えられる
ことでしょう。我々に直接関係のあることでなくても、北条氏康公に頼まれての義理の一戦は、
弓矢取る者にとっての面目です!」

しかし信玄、これを聞いて
「長尾景虎の攻撃の様子、あるいは退却、武辺の形などをここ14年ほど見てきたが、彼は戦争に関しては
生まれついて優れた才能を持っている。だが、彼の戦略には臆意に練った工夫がない。

今回の事、結局は氏康にとっての吉事であると考える。何故なら、上杉憲政はうつけたる
人物であったので、関東の諸侍は表向きは憲政を恐れるようにしていても、裏では侮り、
藤田左衛門をはじめ上杉家の侍たちは逆心をして、上杉家を関東より追い出した。

そして北条氏康を主としたわけだが、彼は一段優秀な人物であるから、関東の者達は今度は
その支配を難しく思い、それよりは景虎がいいと思って、今渇望しているのだ。

だが、彼はようやく30歳の若さであり無分別である。しかも短気者であるから手荒に仕置きをする。
だから今年来年の間には関東の諸侍も景虎を疎み、かといって独り立ちも出来ないので、結局は
北条氏康を頼りとするより外に選択肢はなくなるのだ。」
この信玄の発言に飯富は全く納得しなかった。

さて、上杉景虎は3月中旬には相模国小田原へと攻め込み、蓮池まで乱入した。
彼はよく知らない関東の侍大将の衆に少しも気遣いすること無く、兜をつけず
白布の手ぬぐいを使った桂包という物に頭を包み、朱采配をとって諸手へ乗り込んで下知した。

彼の、他人を生きた虫ほどにも思わない態度を見て、関東の諸侍は大小共に舌を震わせ、
『このままこの大将を頼っていては、ゆくゆく大変なことに成る』と、今後の身の上を考える
者も多かった。

そのような中、景虎が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮に参拝した時、近衛前久殿に都より下っていただき
これを公方とみなし、景虎は山内から大石、小幡、長尾、白倉の4人の侍大将を近辺に連れて、中でも
上野国鷹巣の城主、小幡三河守に太刀を持たせ、ここで景虎は関東管領と成った。

人々は
「その威勢は東日本の三十三ヶ国に並ぶもの無く、行く行くは京都へと軍を出しても、一体誰が
盾をつくだろう。そもそも景虎は大国の越後を支配し、それに上野を手にし、関東を従え管領となり、
十万あまりの軍勢を率いている。3年のうちに日本の主となること疑いない。なんと果報の大将であろうか。」
と評判した。

ところが、この鎌倉参拝の帰りに、忍の成田長康という五百騎の大将が畏まっていたが、他の者より
すこし頭が高いと景虎は激怒し、手に持った扇で成田の額を3度まで打った。

成田は宿舎に戻ると、「私も五百騎を率い、地元の合戦では千騎を従える程の者だというのに、
景虎にこのようにさせられる事口惜しい」と、景虎に暇乞すること無く忍へと帰った。
これを見て、関東の諸侍も尽く引き払い、景虎の手勢である1万7千の人数すら混乱した。
その上小荷駄を地元の百姓に取られ、小物・中元を殺され、敗軍のような有様となり、
ようやく上野国平井まで戻れたのも、景虎なればこそであった。そしてそのまま平井に逗留し、
5月始めに越後へと帰っていった。

武田家の人々は、大小、上下を問わず、「信玄公の批評は少しも間違いはなかった」と大いに
感じ入ったのである。
(甲陽軍鑑)




868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/04(月) 01:59:53.30 ID:KLawV5yp
景虎さんは戦略目標ってのはあまり意識してないよなぁ

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/04(月) 04:30:48.77 ID:YawQpXQz
池享氏の本だったと思うが「景虎は最後はただ虚しく関東の野を駆け回るだけだった」とか書かれてた

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/04(月) 12:35:44.72 ID:b6Mz3aC7
時代的な意識の違いというか
「自分の縄張り広げるぞー!!」っていう考えが
そのあとの世代になって「やっぱ都目指さなきゃダメっしょ」
みたいに変わってきたってことなんかな

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/04(月) 14:34:48.21 ID:j/22Dnht
領土を広げるのが食料確保目的だとすると
冬の間、出稼ぎ遠征だけで目的は達せられるし
遠隔地に代官をおいて地域の問題を解決したり、領民の保護したり、
というコストを考えると、むしろ荒らすだけのほうが安上がりだったとか
関東管領になったことで戦略目標(分捕り許可)は十分達せられたってことで

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