二益がある故に

2014年12月06日 18:53

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/05(金) 21:41:15.89 ID:ny/cwYoi
関ヶ原において西軍が敗れると、宇喜多秀家の士卒たちも思い思いに落ちていったが、
飯尾太郎右衛門安延は山中に逃げ退いた。この間に家人に離れ馬も乗り捨て兜も脱ぎ、
ただ一人で逃走していた。

しかしこの後から、池田輝政の家臣である砥倉市正が人数2,30人を連れて追撃をしていた。
実はこの市正は、太郎右衛門の叔母聟であった。
市正は落人を追いかけ接近してよく見ると。それが太郎右衛門であることに気がつき、声をかけた

「そなたは飯尾太郎右衛門ではないか!?」

「いかにも太郎右衛門である!そのように申すそなたは何者か!?」

「私は砥倉市正だ!」
そういうと後ろに続く兵卒に、彼を討ってはならないと下知した。
そして太郎右衛門の所に行き
「まず落人を一人、下人でも何でも良いから、それを討ち留めるのだ。」
そう言って下人2,3人を付け遣わした。
太郎右衛門は納得できなかったが、市正が強いて落人を討たせに向かわせたので、
見知ったものは討たず、そのうちに見慣れぬ下人を見つけてこれを討ち首を取って戻ってきた、

市正はこれを見ると、その血を太郎右衛門の口に塗るなどした。そして
「これは降人の法なのだ。敵の首を取って降人に来たといえば、主人に理屈を言うことができる。
そのうえ落人というものは、樊カイを欺くほどの勇者であっても、臆病神の付く物だ。
また落人を討たせその上で血を飲ませるなどする事は、昔より定まりたる法なのである。
このように、降人の法となる事と臆病になっている事の二益がある故に、そなたに落人を討たせたのだ。」

これによって飯尾太郎右衛門は、一命を許されたのである。

(黒田家臣伝)




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草履取りか下辺の者達が落ちてくる

2014年12月05日 18:31

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/04(木) 22:40:29.86 ID:xbFqXnl6
豊後富来の城主・垣見一直の兄垣見理右衛門の息子である飯尾甚太夫安延は、初名を太郎右衛門といった。
彼は16歳の時に奉公を志し、父の家を出て中村式部少輔(一氏)に仕えた。

この年、小田原の陣における箱根山中合戦があり飯尾もこれに参戦した。
彼の家人である岡村与次右衛門は老功の者であったが、飯尾に対しこう言った。

「敵の草履取りか下辺の者達が落ちてくるでしょうから、それを討つのが良いでしょう。」

飯尾は強く反発し
「それは士のすることではない!また討っても意味のない行為である!」

しかし与次右衛門は「是非これを討つべきです」と重ねて進めた。

こうして飯尾は何の手間もなく敵を突き殺して首を取り、それを式部少輔に見せたのである。

(黒田家臣伝)



949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/12/04(木) 23:15:02.20 ID:gDn526bq
で、どうなったの?
褒められたの励まされたの