704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/01/30(水) 14:48:21.48 ID:BCfrZ7lK
池田恒興の犬山城略取に対する恩賞
賤ヶ岳の戦いの後秀吉と織田信雄の関係は悪化し、天正12年3月13日に池田恒興が犬山城を占拠した。
下記はそのことに対する恩賞について、秀吉から恒興の母(養徳院)に送られた手紙。
今度の勝三(恒興)の犬山の御手柄は、中々お礼を申せるようなことではないのですが
尾張一円(一国)を勝三に差し上げるつもりです。また藤三郎殿(長吉)に美濃稲葉の知行を相添えます。
それゆえ、あなたさまにまで一筆進上しました。恐々謹言。
勝九郎殿(元助)へはあなたさまに内密に申し上げた通りですので、御心を安くしてください。以上。
三月廿三日 秀吉(花押)
秀吉
おおちさま(養徳院) ちくせん
――『原富太郎氏所蔵文書』
恒興と元助が小牧・長久手で討ち死にしたため、実際には尾張一国を貰うことはなかった。
池田恒興の犬山城略取に対する恩賞
賤ヶ岳の戦いの後秀吉と織田信雄の関係は悪化し、天正12年3月13日に池田恒興が犬山城を占拠した。
下記はそのことに対する恩賞について、秀吉から恒興の母(養徳院)に送られた手紙。
今度の勝三(恒興)の犬山の御手柄は、中々お礼を申せるようなことではないのですが
尾張一円(一国)を勝三に差し上げるつもりです。また藤三郎殿(長吉)に美濃稲葉の知行を相添えます。
それゆえ、あなたさまにまで一筆進上しました。恐々謹言。
勝九郎殿(元助)へはあなたさまに内密に申し上げた通りですので、御心を安くしてください。以上。
三月廿三日 秀吉(花押)
秀吉
おおちさま(養徳院) ちくせん
――『原富太郎氏所蔵文書』
恒興と元助が小牧・長久手で討ち死にしたため、実際には尾張一国を貰うことはなかった。
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