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二つの辞世

2015年01月11日 17:06

駒姫   
212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 02:41:52.14 ID:NGT8I6OW
二つの辞世

慶長16(1611)年に建てられた京都の瑞泉寺には、文禄4(1595)年に秀次事件で斬首された、
数十人に及ぶ秀次の妻妾らの遺品と辞世が納められている

その中には山形の駒姫の着ていた着物を装丁し、辞世を貼付けたと言われるものがある

以下は文面
↓↓↓
罪なき身も、世の曇りにさへられて、ともに冥土に趣かば、五常の罪も滅びなんと思ひて
伊満(駒姫の別名)十五歳
罪を切る、弥陀の剣にかかる身の、なにか五つのさわりあるべき
↑↑↑


「罪なき私の身も、俗世のよからぬ人たちの思いに邪魔されて、みんなと共に冥土に行ったならば、
五つの徳目にそむいた罪も滅びるだろうと思って、罪を切る阿弥陀様の剣にかかる私の身
どうして成仏できない五つの障害などあるでしょうか」

しかし『太閤記』には駒姫の辞世は別なものとして遺されている

「うつつとも、夢とも知らぬ世の中に、すまでぞかへる白川の水」
(現実とも夢ともわからないこの世の中の事、澄まない内に・住まない内に還る、白川の水)

秀次の妻妾に「白川」を辞世に詠んだ者が四人あり、京都にも白川がある事から駒姫
京の白川を詠んだと思われていたが、
山形城下を流れる馬見ヶ崎川(まみがさきがわ)は古くは別名・城川(白川・しろかわ)と呼ばれ、
その分流も江戸以前から「小白川(こしろかわ・こじらかわ)」と呼ばれていた

つまりこの後句の方が本物の辞世ならば
駒姫の遺言は
「うつつとも、夢とも知らぬ世の中に、すまでぞかへる白川の水」
(京都に着いたばかりで関白秀次公が謀叛の罪を着せられ、私たちも無実の罪で殺されようとしている
こんな事が現実なのでしょうか?
悪い夢なら覚めて!目が醒めれば現実に戻れますよね?
白川のある山形に帰りたい)
とも解釈ができる

江戸中期にまとめられた「出羽太平記」には秀吉が最上義光の嘆願により駒姫を哀れみ「
鎌倉で尼にさせよ」と助命を下したが、命令が間に合わなかったとする記述は同時代の他の書物には見当たらず
駒姫の遺骸が最上義光に戻される事も赦されなかった

駒姫、享年数えで15歳

駒姫の処刑から二週後に、最上義光の妻の大崎夫人が京で落命した
研究者たちは世を儚んで、駒姫を追った自殺と推察している




213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 02:54:14.75 ID:ykylkjsT
最上研究

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 03:09:47.97 ID:NGT8I6OW
「太閤記」にある駒姫の辞世は「秀次の女妾らが生きている内に詠んだものを集めたもの」とされている様だから
事前に詠んだ辞世(後句)と、死の直前の辞世(前句)とが異なるものでも不思議はないのか…

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 03:27:35.16 ID:NSV4wJCC
時制が異なるんですね

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 10:10:15.81 ID:8FvxqunX
秀吉にすれば
「関白秀次はもとより、反逆者の秀次に輿入れさせて外戚として影響力を得ようとしてた連中もゆさねぇ」
ってことだろう
有力者における嫁入りが政治的に大きな武器になることは、古今東西変わらない
徳川も姫を嫁入りさせまくって道具に使っている
自前の姫じゃ足りなくなったんで、家臣の娘を養女にしてまで嫁がせまくってるほど

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 10:27:18.76 ID:zc0D/Bfq
畠山義続「うむ、ようじょは大切」

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 12:03:49.54 ID:DSSg8Z6F
↑どういう意味だよ

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 12:35:22.20 ID:XNy8e0Td
>>218
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1127.html


220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 14:17:34.18 ID:NGT8I6OW
徳川家康「このロリコンどもが!」
豊臣秀吉「え?」
秀次「え?」
又左「え?」

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 19:12:25.54 ID:8FvxqunX
秀吉だってロリを殺したくて殺したわけじゃなくて、ロリを使って秀次と繋がろうとした最上を叩くのが目的。

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 19:13:34.96 ID:9BBVVpip
秀次が欲しがったんじゃん

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 19:21:39.15 ID:034jqvSg
っていうか秀次は葛西大崎一揆や九戸政実の乱鎮圧の責任者を任されたように、東北仕置の責任者としての面もあった。
だから最上や伊達が秀次に接近するのは当然なこと。

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 19:31:12.86 ID:8FvxqunX
「頼まれたので断り切れなくて・・・」なんて言い訳通じるわけなかろうw

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/01/11(日) 20:26:07.94 ID:8FvxqunX
「秀次の言うことを聞く」やつらは、秀次の叛乱に加担する危険がある。よって粛清対象。

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三条河原の報告

2014年11月09日 17:04

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/08(土) 22:59:22.51 ID:/37eLJmV
三条河原の報告

三条河原で秀次事件の連座で処斬された女房らの最期を見た者たちが帰路につく中、京の大名屋敷に泣く泣く帰りつく者らの姿もあった
京最上屋敷もその一つ
前夜に荒れた浦山筑後の代わりに使いに出された小者らが戻ると、最上義光は屋敷の奥に篭り遮二無二に法華経を唱えていた
使いの者が部屋の外に居るのに気付くと「…いかに(どうであった)?」と声をかけた
小者らは口を開きかけたがすぐに涙で言葉がうまく言上できなくなり、歯をかみしめ、たどたどしくも処刑の模様を伝えると
義光は「わかった。苦労をかけたな」と言葉をかけ、「過去の業こそ(因果というものか)」と溜息をついた
小者らは言葉が続かず一礼をして席を外したが、
義光は肩をいからせ腿に拳を突き立て「口惜しい口惜しい」と言葉を漏らし、数日間食事を摂ろうともしなかったという

「山形の昔話」



722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/08(土) 23:45:09.39 ID:4YxLWT4R
農民の小倅に嫁がせるからこうなる
大河みたら信雄みたいな馬鹿殿で失笑した
実子が出来れば普通は分家を立てるでしょうに
それが出来ないから切腹なのさ

命名「お駒」

2014年11月09日 17:04

駒姫   
723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/09(日) 01:09:04.42 ID:bxqb0l/Z
命名「お駒」

米沢の伊達政宗(15才)から伯父の最上義光の許に山形の阿古屋の松の旧跡のある千歳山を謡った歌が届けられた

恋しさは 秋ぞまされる 千とせ山の あこやの松に 木隠れの月

丁度その日、義光の奥方のとしよ姫が産気付き、一人のかわいらしい女子を産んだ

ただこのお産の前後に最上家内には様々な不吉な事が立て続けに起きていた

としよ姫(義光の奥方)「あなた、姫の生まれた日に米沢の伊達政宗殿から山形の名所の千歳山を詠んだ歌が届いたのはきっと厄払いと祝儀でしょう。千歳山は霊験あらたかな名山ですから、この姫の名前は『ちとせ』としてはどうでしょう?」

義光(´・ω・`)「うーんとね、としよ。千歳山は名山だけど『ちとせ』と姫に名付けるのはちょっとまずいと思うんよ
昔出羽の国の安倍貞任の娘が『ちとせ』姫と言った名前だったんだけど、
ちとせ姫は両親を滅ぼしたといった悪い伝承があるんよ
名山に倣うなら他に湯殿山、羽黒山、御駒山などにちなんで名付けた方が良いと思うんよ」

としよ姫「湯殿…、羽黒……(汗」

義光(´・ω・`)「『お駒』でどう?」

こうして珠の様にかわいらしい姫は名山の加護あらんと「駒姫」と名付けられる事になった




専称寺の土まんじゅう

2014年02月28日 18:48

601 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/02/28(金) 12:13:13.61 ID:A/Vgrml8
専称寺の土まんじゅう

昭和の前期、日本が中国と戦争をしていた頃「山形(山形市)のどまん中にジャングルがある」といった話が山形高等学校(現・山形大学)の学生らの中にあった

場所は緑町から寺町境の専称寺東奥

専称寺の寺域でもそこだけが鍵字型に東側に突出し
竹薮や笹、ツタ、下草の生い茂る中にうっすらと丸石の載せられた、崩れかけた土まんじゅうがひとつあった

周りは高い木々と竹林に囲まれ昼間から暗く
野鳩や椋鳥が木々に巣を作っていた

言い伝えによればこれは最上義光の愛娘である駒姫を弔う塚で
丸石の下の土まんじゅうには京都で命を落とした駒姫の遺髪が埋められていると云う

「陽の目を浴び、注目されすぎてもロクな事にはならぬ」と塚は寺域の奥にひっそりと置かれた

その言い伝えにより専称寺の歴代の住職らは【あえて駒姫の塚の周りに手を加える事はしなかった】
人から尋ねられても「あそこはワケがあるからね…」と首を数度縦に動かし
事情を知らない者には駒姫の悲劇と寺伝を話した
けして手抜きで塚を放置していたわけではない

(つづく)

602 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/02/28(金) 12:14:46.84 ID:A/Vgrml8
(つづき)

駒姫の死を最上義光は大層嘆き、山形城から駒姫の住んでいた居室を専称寺に移築し、本堂の一部に組み入れた

昭和50年代に時の住職が寺域奥の塚で駒姫の再供養をし五輪塔を設置

現在では下草も笹も苅り払われ
参道と案内板まで設置されている駒姫の墓

五輪塔の裏に寄り添う様に置かれている丸い漬け物石ほどの大きさの河原石が
昔は塚のありかを示す墓石代わりだといった伝承が残る

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/28(金) 12:21:48.63 ID:A/Vgrml8
最上義光公400周忌に合わせてか
最上義康や江口五兵衛の墓石や供養塔が新しい物に代えられたと思ったが
それまで使われていた墓石や供養塔はどこに撤去されたのだろう?

606 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/02/28(金) 12:51:59.93 ID:A/Vgrml8
www.jmcy.co.jp/~goto/Majime/toshio/simi/simi02.htm

>中塀で区切られ、門扉が鎖(とざ)してあって、俗人の入りこめない場所である。たまたまそこの桟(?さん)が外れていて、Hさんが潜入することができたものであったろう。
>その時から四十七年が経つ。そしてHさん以外に、その墓域に足をふみ入れた人の話を聞いたことがない。寺側は、おそらくそこを聖域として、俗人に汚されないように守ってきているのだと、最近では思うようになった。
>「駒姫の墓は、草ぼうぼうで、とても参詣していただくような状態にありません。そのうち、綺麗に整備でもして、皆さんにお詣りしていただきたいとは考えているのですが」
>と、寺ではいう。何千回、何万回もくり返してきた科白だと思う

昔駒姫の墓は聖域として隔離されていた様です




607 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/28(金) 19:35:10.50 ID:wQK9e0yd
伝える者がいなくなると藪入らずとかになるのかな?

608 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/28(金) 20:54:13.48 ID:A/Vgrml8
>>607
藪知らず?

八幡の藪知らずは、千葉県市川市八幡にある森の通称。古くから「禁足地」(入ってはならない場所)とされており、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名である。
市川市が設けた解説板には「不知八幡森(しらずやわたのもり)」と記されており、ほかに「不知森(しらずもり)」「不知藪(しらずやぶ)」とも称される。現在は不知森神社の一角のみ立ち入りができる。

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/28(金) 21:31:11.10 ID:QUAf3kk5
不知火みたいなもんか