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佐々成政という人は大変な人傑である

2014年08月11日 19:13

501 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/11(月) 00:11:51.56 ID:Z2oXRHJt
佐々成政が、いわゆるさらさら越をして、密かに浜松の徳川家康の元に辿り着いた時のこと。
家康は家臣の高力與次郎正長を召して
佐々成政という人は大変な人傑である。ああいった人物とは知人と成って、その様子を
見習うように」と命じた。

さて、家康は佐々に
「私は元より秀吉と遺恨はありません。しかし信雄殿の衰弱を見るに忍びなく、故織田殿の
旧好を忘れかね、わずかにこれを助けたのみなのです。ですが、信雄殿が秀吉と
和議を結んだと聞けば、私のこれまでの信義も、詮無きことに成りました。

さりながら成政殿が旧主の為に義兵を起こすというのであれば、私からも援兵を出しましょう。」
そう言って懇ろに饗した。

この後、成政は家康との物語の中に、家康を武田信玄に、自身を上杉謙信に比して
大いに自負の念を披露した。

酒井忠次は、この佐々の自負を聞いて大変に腹を立て
「ああいう馬鹿者に御加勢なさることは無用です!」と家康に詰め寄った。
しかし家康は

「彼は元より大剛の士であるのだから、その勇気に任せて、失言をしてしまうのも仕方がない。
そんな事を気にしてはいけない。」

と語った。

(柏崎物語)

家康が、佐々成政を非常に高く評価している逸話である。




505 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/11(月) 06:58:20.07 ID:JPzfnsZ7
>>501
評価してると言うより、短所があるからと言って長所まで否定しない話に見える

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徳川家康と佐々成政

2012年05月13日 21:03

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/13(日) 14:55:58.88 ID:mQAiqYTz
長久手の戦いの後、佐々成政は越路の雪を踏み分けて
はるばる浜松までやってきた。世にいう『さらさら越』である。
成政が徳川家康と面会したところ、家康は成政を丁重にもてなした。

「この度は信雄様をお援け頂き感謝にたえません。
これからもどうか織田家興隆のためにお力添えをお願いいたします。」

「よくぞ深冬風雪をかえりみずに参られましたな。私は秀吉と遺恨が
あったわけではありませんが、信雄殿の窮状を見て忍びなく、
また亡き織田殿との旧好を忘れられなかったので、およばずながら
お援けした次第です。

しかし、信雄殿は秀吉と和議を結んだそうですから、私の信義も
詮なきこととなりました。ですが、成政殿が主のために義兵を起こす
おつもりであれば私も援兵を送りましょう。」

成政は家康の言葉に感謝した。その後、会話の中で成政は、
家康を武田信玄、自らを上杉謙信に例えて、己の自負を語ったという。

次に成政は織田信雄とも面会した。成政は信雄に上洛を勧めたが、
信雄は秀吉と和議を結んだことを理由に勧めを拒否した。
とうとう、どうしようもなくなった成政は後に秀吉に降伏した。

家康は成政が訪ねてきた時、高力正長に「佐々は人傑である。
あのような者とは知人になって、その様を見習うがよい。」と言い、
成政を評価した。

しかし、老臣の酒井忠次は成政の自負に不快感をあらわにし、
「あのような者に御加勢は無用でありましょう。あの者は
大剛の士なれば、その勇気に任せて失言するのも道理である。
関わらないほうがよろしい。」と批判した。




162 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/13(日) 14:58:01.65 ID:ZJGf6pn7
大剛自体は三河者にも認められるレベルだったのだな

163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/13(日) 15:01:37.70 ID:60Eo2k8l
忠次の場合、お前が言うなって話のような

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/13(日) 15:29:25.23 ID:wk3JHOPB
三河武士は、本音の暴言は吐いても失言はしない(キリッ

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/13(日) 17:58:20.11 ID:zXq2moZZ
というかタヌキをお屋形様になぞらえていいのか?

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/13(日) 18:17:10.82 ID:So+1BAHS
家康はこの時期すでに、全盛期の信玄を超える勢力を持っているわけだが