伊達政宗、長井の地を守る

2015年04月10日 18:32

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/09(木) 20:15:30.48 ID:ul3JACSZ
最上義顕(義光)公という人は、伊達政宗公の叔父であるが、輝宗公の御代にも度々伊達家と戦った相手であった。
しかし近年は別して友好的な関係を保っていた。ただし義顕公は、その家臣や二人の兄弟まで切腹させるような
大事の人であった。

政宗公は二本松、塩ノ松で強盛を示し、これに脅威を感じて、佐竹、会津(蘆名)、磐城、石川、白川まで
伊達の敵と成った。この時、これらの大名衆が言い合わせ、伊達に対して開戦し、長井の地を取ろうと
考えた。その結果伊達家は大崎で敗北し、諸勢の人質として、泉田安芸守を最上に相渡す事となったが、
義顕公はこの期に米沢(伊達家)との事切れを考え、最上境の伊達家家臣、鮎貝藤太郎という者と
密かに語らった。

天正15年(1587)3月13日、鮎貝は伊達に対し手切れを行った。政宗公はこれを聞き
「これは時刻を移してはならない!即座に退治すべし!」と仰せ出された。
しかしこれを聞いた家老衆は申し上げた
「おそらく最上からの加勢があるのでしょう。その上、されに最上に心を寄せる者達も在るようです。
今は様子を見た上で御出馬を判断されるべきです。」
しかし政宗公

「そのような事を言っては米沢を出ることすら出来なくなる!必ず鮎貝を退治せねばならない!」

そう言って強引に出陣した。ところが、最上からは一騎一人すら助勢はなかった。
磯貝は最上に加勢を請うたのだが、最上は助けなかった。その上政宗公の御出馬のことが聞こえると、
最上へと逃亡した。

これにより、長井の地は無事であった。

(伊達日記)

伊達政宗、迅速な判断で領地を守るという話。



823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/10(金) 01:41:34.92 ID:bxHDvN4j
鮎貝藤太郎(宗信)は自分の家も纏められなかったんだよな
父鮎貝宗重(盛次)は息子と決裂して主君政宗に息子を攻めるよう進言する有様で、
山形へと落ちていった藤太郎はそのまま廃嫡されてしまった

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/10(金) 21:13:48.96 ID:Lx8miNhS
信玄が上杉家臣を煽った話に似ているじゃないか

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