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上野隆徳の滅亡

2019年12月31日 15:17

706 名前:1/2[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 04:11:37.52 ID:v8mFCew0
天正三年六月四日、備中成羽城(鶴首城)には毛利の諸軍勢が集まり、常山表へ攻撃のため陣を移した。
この時、常山城主である三村上野介高徳(上野隆徳)は城内の者達に
「私は多年に渡り芸州に対して鬱憤があった故、三村元親に謀反をさせた張本人の第一は私である。
そうした所に元親が無下に生害に及んだ以上、私は生きて何の面目が有るだろうか。一日も早く死地に
赴く事を思っている。」と語り、少しも騒ぐ気色もなかった。

家の子郎党からは次々と、「一先ず阿波讃岐へ渡海されるべきです!」と諌めの言葉が上ったが、
「阿讃の沙汰は無益である。私は累年細川真之を頼り、既に今度は人質として実子を差し渡し加勢を請うたが、
その甲斐も無く、弓矢の頼りも尽き果てた。」

郎党たちはこれを聞いて、思い思いに欠落する者もあり、或いは弓の弦を弛め降参する者もあり、或いは
小舟に取り乗って逃げようと、櫓よ舵よと言っている間に、これを追いかけ討ち果たす者もあり、このように
家中は散々なる有様であった。

六月六日の晩景、小早川重臣である浦ノ兵部丞宗勝(乃美宗勝)が岸根に旗を上げ、先陣の兵数千人が二ノ丸へ
攻め入り、太刀を閃かせ靭鼓鋏を叩き、鬨の声をどっと上げた。しかし高徳は少しも騒がず、
「命を助かろうとする武者ならば鬨の声にも驚くだろう。明日、辰の刻(御前八時頃)に大櫓に出て一類腹を切り、
名を後代に留まらしむべし。」と、静まり返っていた。

敵陣では猶も悪口し「小舟に乗って島へ逃げるか、泳いで逃げるか!」と、攻め口の油断に成るだろうと、
逆茂木をかなぐり捨ててわめき叫んだ。これに三村高徳は「耐え難い奴原め、いざ高徳の最期の働きを
見せてやろう。」と言うままに、鉄砲を取り広縁に躍り出て隙間なく放ち懸った。嫡子源五郎高秀は、普段は
強弓を好んでいたが、彼も兵とともに鉄砲を放った。高徳の舎弟である小七郎は弓を打ち捨て敵に切り掛り、
互いに声を合わせて戦った。死傷者十四、五騎片時の間に見えたため、すぐにその日の陣を引き上げた。

明けて七日の暁、城内には酒宴の声聞こえ、その多くは女性の声であった。
互いに分れの盃を指し、同日辰の刻、敵陣に向けて「一類自害」の旨を告げた所で、城内の人々は、我こそ
先に自害すると言い合った。

高徳の継母はこの時五十七歳、彼女が先ず一番に自害した。
「我が世に留まって、このような憂き目を見る事も、前世の因業浅からぬ故なのだろう。高徳が芸州に遺恨を含み、
入道したことも世に物憂く思ったのに、それが腹を切る所を見てしまっては、目もくらみ心も悶えるだろう。
少しでも高徳の跡に残るより、先立って自害すべし。」
そう言うと、縁の柱に刀の柄を巻きつけて、そのままそこに向かって貫かれた所を、高徳が走り懸って
「五逆の罪は恐ろしく思いますが」と、その御頸を打ち落とした。

高徳の嫡子高秀は十五歳。父高徳の介錯をしたいとも思ったが、跡に残れば少年故に未練を仕ってしまえば
心残りに成ると、「逆ではありますが、先に腹を切ります。」と言うと、これを高徳聞いて「愚息ながらも
神妙である。」と、扇を開いて彼を仰ぎながら、その紅顔をつくづくと見て、
「水の泡草守る露と成さんこと、後世の障りともなるべし」と、暫く袖を涙に濡らした。
高秀も溢れ出る涙を押し留め、そのまま雪の肌を押し脱ぎ腹十文字に掻き切って伏した所を、高徳がその頸を
打ち落とした。
その舎弟、八歳になる者は、傍に引き寄せ、肝のたばね(内臓の急所、心臓)を二つ刺し貫いて退いた。

高徳の妹に、十六になる姫があった。芸州鼻高山の大将は高徳の弟であったので、この姫には「鼻高山へ
退くように」と進めたが、「それは思いもよらぬことです。」と、老母の体を貫いた刀を手に取って
乳のあたりを突き貫き、これも同時に自害した。

次に高徳の女房(鶴姫)は、修理進(三村)元親の妹で、普段から男子を越えた勇力があり、
「我、女性の身であっても武士の妻であり、子です。最期に敵の一騎も討たずして、悶々と自害するのは
返す返すも口惜しい!況や三好修理太夫(義継カ)従弟として反逆の一族であり(況ヤ三好修理太夫反逆ノ一族トイヒ)
女人の身であっても、一軍をしなくては叶いません。」

707 名前:2/2[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 04:13:05.45 ID:v8mFCew0
そう言うと鎧を着て上帯を締め太刀を帯き、長い黒髪を解いて颯と乱し、三枚兜の緒を締め、紅の薄衣を着て
裾を引き上げ腰にて結い、白柄の長刀を小脇に挟んで広庭に躍り出た所、春の局秋の局、その他青女房端下に
至るまで三十余人が
「これは如何なる御所存ですか?ただでさえ女人は嫉妬妄執の罪深く、成仏を得ないと言われています。
であるのに、さらに修羅道の罪業まで成すべきではありません。どうか思いとどまって、心静かに自害をなさって下さい。」
そう鎧の袖を掴んで訴えた。しかしこの女房は打ち笑い

「あなたたちは女性の身であるのだから、敵も強いて害しようとはしないでしょう。どこの国へでも先ずは
忍んで行きなさい。もし自害するのであっても、念仏を能く申すので、後世を助かることでしょう。
私は邪正一如と願を立て、この戦場を西方浄土とし、修羅の苦患をも極楽と成していますから、どうして悔やむ
事があるでしょうか。」

そういって袖を引き放ち城から出ようとすると
「さては私達を捨てられるおつもりでしょうか!?どうせ散る花であれば、同じ嵐にて散り、死出三途の御供を
仕ります。」と、髪をかき乱し額に鉢巻を巻き、ここかしこに立て置かれている長柄の鑓を取り、この三十余人の
女性たちが集まり出ると、累年芳恩の家僕たちもこれを見て我もと集まり、八十三騎が死を一挙として集まり出た。

寄せ手はこの集団を見て、敵はたった今、妻子を先に立てて降人に出したのだと思っていた所、小早川の
重臣である浦兵部丞宗勝(乃美宗勝)の七百余騎の軍勢の真ん中に喚き懸ってきた。宗勝はこれを見て、
「敵が女人の装束で寄せて来るのは奇っ怪である。これは処女の如くして脱兎の功を作る(はじめは弱々しく
見せかけ敵を油断させ、後で一気に素早く攻撃する事)の謀である。孫氏が秘する所の『虚はこれ実』と言うのも
このような謀を言うのであろう。欺かれて不覚を取るな者共よ!」と、陣を固めて防御したため、これを
破ることは出来なかったが、彼女に従った勇士たちは死を軽んじて突き立てたため、寄せ手の面々は
足を乱し傷を蒙り死を致す者百余騎も有り、この周章狼狽の様子に乗じて、高徳女房は腰より銀の采配を
抜き出して、「突撃せよ者共!」と大勢の中に割って入った。

そして宗勝の兵たちは流石に武勇を嗜んでおり、女人に向かおうという者は無く、勇士が互いに鑓を合わせて
いる所に、女性が傍から潜んでこれを突いたため、これによって負傷したものも若干多かった。
暫く戦っている間に、寄せ手の毛利勢が大勢馳せ寄り彼女らを攻め討った。高徳女房は宗勝の馬前に
出て大音にて罵った

「いかに宗勝!御辺は西国にて勇士の名を得られていると聞く。我女人の身と雖も一勝負仕らん。
そこを引き給うな浦殿よ!」
そう叫び長刀を水車に廻して馳せ寄せた。しかし宗勝は四、五間ばかり後ずさりに退いた。
「いやいや、御辺は鬼であったとしても女である。武士の相手には成りがたし!」と自身は引き、
傍にあった兵五十余騎ばかりにて懸らせた。彼女は長刀で七騎ばかりを薙ぎ伏せたが薄手を負った。
そこでまた大音で叫んだ
「女の頸を取り逃すな人々よ!」
そして腰より三尺七寸の太刀を抜き

「これは我家重代の國平が作の太刀である。一度は先父家親に参らせ、家親の秘蔵として他に異なる宝としたが、
我家の重代の太刀であることを聞き及ばれ返還された物だ。そのような太刀であれば、父家親に副え奉ると思い、
身から離さずに持って来た。この太刀、我が死後は宗勝に進ずる。後世これを以て弔い給え!」

そう言い捨てると城中に駆け入った。その姿はただただ、刀八毘沙門が喜見城を守られた時、吉祥天女諸共
修羅を攻め討たれた事に違わぬと、見る人舌を巻かぬという言うこと無かった。

こうして彼女は西に向かって手を合わせ、「我は西方十万億土の弥陀に頼るのではない。既に身の弥陀、
唯心の浄土は、今ここに現れている。仏も露の如く、また雷の如しと言われる。誠に夢の世に、幻の身の
影を留めて露に宿を借り、雷のように早く立ち帰る元の道である。南無阿弥陀仏。」
そう念仏し、太刀を口に含んで貫き臥したのは、例少き事である。

そして高徳も西に向かい、「南無西方教主の如来、今日三途の苦しみを離れる。先に行った元親、久式、元範、
実親よ、同じ蓮台に迎え給え!」と念仏を唱える声の中に腹掻っ切ると、舎弟の小七郎が介錯し、その身も
自害して高徳の死骸に寄り懸かり、同じ枕に伏せた。見る人聞く人、皆涙を促した。

そして数多の頸が備後鞆に送られ、こうして備中国は平均し、各々に賞功が行われた。

(備中兵亂記)



708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 10:09:15.60 ID:euneZmXJ
高徳が逃亡すれば范蠡のような家臣と協力して
会稽の恥を雪ぐことができたのだろうか

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 11:09:21.12 ID:OOCajN32
>>707
激しくて悲しい…

710 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/12/31(火) 11:42:14.52 ID:z7AJ6j9T
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               し \:::
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711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 19:15:41.34 ID:X3Fx3h7v
「これは我家重代の國平が作の太刀である。一度は先父家親に参らせ、家親の秘蔵として他に異なる宝としたが、
我家の重代の太刀であることを聞き及ばれ返還された物だ。そのような太刀であれば、父家親に副え奉ると思い、
身から離さずに持って来た。この太刀、我が死後は宗勝に進ずる。後世これを以て弔い給え!」

これ実際に声を出して言ってみたが結構時間かかったわ

随分とのんびりした戦場だな

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/01(水) 02:11:30.84 ID:ERYVtzyf
>>711
言い終わるまで待つのも武士の心得かも

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/01(水) 08:37:42.40 ID:f5F7Zkfa
>>707
>宗勝の兵たちは流石に武勇を嗜んでおり、女人に向かおうという者は無く
ある程度の身分があると女性に手をかけるのは憚られたのかな。
寄せ手の毛利勢が大勢で女を討ったってのは雑兵だから?

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/01(水) 08:52:27.09 ID:7Aktj8/K
弱い者いじめや卑怯な振る舞いは好まれなかった

716 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/01/01(水) 14:32:13.84 ID:yQmgkNIm
>>712
ビー○たけしだったらうるせぇ馬鹿野郎っつって途中でぶった斬ってそうだな

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/01(水) 15:16:47.87 ID:KFA/VQwB
>>714
>>715
あと根本的な問題として、「女首は手柄として認められない」ってのがある

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伝・「鶴姫所用・紺糸裾素懸威胴丸」

2015年12月21日 07:52

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/20(日) 18:34:17.21 ID:0xWi4/0S
愛媛県大三島の大山祇神社が所蔵する鎧に「紺糸裾素懸威胴丸」(重文)があり、
神社はこれを、戦国時代に大祝家の鶴姫が大内水軍との戦いに際して使用したもので、
「女性用の鎧」だとして宣伝しており、世間もこれを広く受け入れている。
その鎧の胴体は胸回りが張り出して腰が細くすぼまり、いかにも女性の体つきを思わせる。
しかし、古くからそう伝えられてきたわけではなく、この話が登場したのは昭和41年、
大祝家末裔で大山祇神社の関係者だった三島安精の素朴な思い込みに始まる。
三島はその胴丸の「いかにも」な見た目から「これは女性用の鎧に違いない!女じゃなきゃ着られない!」
と推測し、その使用者が誰だったかを探求した結果、『大祝家記』なる古記録に出てくる鶴姫という女性が、
その鎧を着たのだという筋書きで『海と女と鎧』という小説を書いて出版し、これが後で流布していったわけだ。
この話が有名になるのに一役買ったのが『図解 日本甲冑事典』などの著者である笹間良彦で、
彼が件の胴丸を着けた鶴姫の絵を描いて神社に奉納したらそれが大受けして土産物の包装紙やラベルに多用された。
けれども、『海と女と鎧』のベースであるはずの『大祝家記』は「門外不出」の書として公開されず、
しかも現在は所在がわからないという検証のしようがない代物で、偽書、創作、虚構を勘ぐりたくなる。
肝心の胴丸のほうも、一見すると確かに「いかにも」女性用だが、戦国期に作られた胴丸・腹巻は、
息をしやすくするために胸を大きく張ってスペースを確保し、重量を腰にも配分するためにウエストを絞り、
結果逆三角形の強い形状に変化していったのが当時の傾向であり、女性用として作られたという説は正しくない。
現在話題になっている徳川美術館の「しかみ像」の逸話のように、軽い思い付きや思い込み程度の話が人気を獲得し、
どんどん話が肉付けされていき、あたかも本当であるかのようにまでなってしまったというのが、
「鶴姫所用・紺糸裾素懸威胴丸」の実際のところである。