島津のこと、それがしに征伐を命じられれば

2017年06月28日 18:59

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:13:45.68 ID:c8upfVr0
関ヶ原の時、島津は西軍に味方し、しかも国元まで引き上げた。そのため「島津征伐を行うべきではないか」
との議論があったが、この時黒田如水が言った

「島津のこと、それがしに征伐を命じられれば、島津領国を占領すること、上下の別なく心やすく思うであろう。
何故ならば、薩摩口は鍋島が先陣を仕る事になっているので、鍋島に先陣を仕るよう命じても、それを迷惑だ
などとは言わないであろう。必ず、先手を仕るだろう。

彼らの領国である肥前は大国であり、鍋島の軍勢は大軍であるから、必ず島津との間で開戦するだろう。


だが、彼らは弓矢の作法を知らず、戦の有り様に不案内な者達なので、島津と戦って必ず敗北するだろう。
これは証拠もないことを言っているのではない。かつて高麗において軍勢を動かしかね、致しようもなく
我が方へ頼みに来たため、蝶之介という我が方の足軽大将を遣わして、ようやく立ち直らせたほどなのだ。
鍋島の兵は至って弱兵であると理解すべきだ。

そしてそのあとを、加藤清正に任せる。清正は格別の器量の者であるから、島津が勝ち誇って来る所へ
一文字に掛かれば。何の仔細もなく必ず勝利するだろう。

その後に我々の備は、袴をつけたまま薩摩に入国するであろう。

(士談)



916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:20:56.68 ID:AGoXx4dW
これが出典なのか

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:33:33.43 ID:JTWyAlyF
チョウノスケが気になる

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:41:58.01 ID:biNEgbmZ
こえれは鍋島を餌にした誘引戦術

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 19:57:31.67 ID:ZsT2vZR/
同じ役のことで清正が鍋島さんちを戦しやすくてよかったって褒めてんのはなんなんだろね
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黒田如水の大名論

2017年05月18日 21:16

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/18(木) 19:04:15.33 ID:/lkqHOXo
黒田如水の大名論

 今時の若い大名たちに、笑止千万な欠陥がある。
 それは、礼儀をやかましく法令を厳重に守らせようとするあまり猜疑心が強くなり、家臣たちにだまされまいなめられまいとして年寄りどもの言う事を聞かず、やたらに改革を好み新参の迎合者を近づける。
 老臣の功を忘れて遠ざける一方、新参の家老や奉行をつくるので、諸臣一般は納得しない。
 新参の迎合者は、邪欲が深いので、先輩を陥れようとする。
 徳の高い者が陥れられるので、諸臣の憎しみは主君の一身に集まる。
 大身の大名も小身の大名も、家の仇となるのはこのような新参者である。
 かつての功臣で部下の信望を集めている者を近づけその意見を尊重してやれば、家中は睦まじく諸士は安心して出仕する事ができる。
 このことは大名の心得として最も大切なことなので、いくら強調しても足りるということはない。

(古郷物語)

 なおこういう話を残した家で発生したお家騒動が三大御家騒動の一つに数えられる黒田騒動である。



911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/18(木) 19:06:05.10 ID:kCwotbhR
栗山大膳に同情的だったのかな

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/19(金) 05:50:51.35 ID:1HPoejV7
>>910
秀吉を隠喩したのかもしれないw

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/19(金) 11:29:49.72 ID:3r0AizNy
いや愚息のことだろう

伊東家による宮崎城攻め

2017年02月23日 10:18

668 名前:1/2[sage] 投稿日:2017/02/22(水) 23:37:40.04 ID:KEyHajol
当家(伊東家)が(西軍についた高橋家の飛び地の)宮崎城を攻めるという内容が島津家に届いた為、(島津領の)穆佐、倉岡、綾、木脇の諸将は会合して「もし本当であれば佐土原と申し合わせて宮崎城に援軍を出し、その勢いのまま(伊東家の)清武城を攻め取ろう」と佐土原に伝えた。

佐土原もまた同様に評議して軍を準備しているところに宮崎城が落城したという内容が届いたので途方に暮れる限りであった。

縣(延岡城)の高橋家でも家老の花田備後守が宮崎城での急を聞いて不安に思ったので加勢として士卒雑兵合わせて300人余りを向かわせた。

しかし穂北村に到着した夜、宮崎城が落城して城代の権藤父子を始め城兵が残らず討ち死にしたという報告を聞いたので肩をおとして空しく引き上げた。

669 名前:2/2[sage] 投稿日:2017/02/22(水) 23:38:12.24 ID:KEyHajol
掃部助(稲津重政、伊東家の家臣)が考えたように、陣立てに時間がかかり宮崎城が一日持ちこたえるようなことがあれば、敵の援軍が次々と競い集まり容易に攻め落とすことは難しかったはずである。

掃部助の用兵は雷風の速さのようで、神速で攻め寄せた為に狙い通り僅か子の上刻から卯の上刻(23時から5時)までの間に城を攻め落とす大功を成した。

特に夜襲であれば必ず同士討ちがおこるものなのに雑兵に至るまでその誤りが無かったのは、朝鮮の陣以来伊東祐兵公が士卒と辛苦を共にし、家中の士もまた今一度主君を一国の主にしようと各々勇を奮い立たせ一致団結した為に巧みな駆引をしてこのようになったのだ。

黒田如水の検使、宮川伴左衛門も
「掃部助の軍略は言うに及ばず家中の諸士の勇敢なる振る舞いは筑紫の立花家の家風によく似ている」
「島津は大敵といえども恐れるに足らず。この旨を帰国して如水様に申し上げなくてはならない」
と褒め称えること限りないこととなった。

(日向纂記)

関ヶ原の裏で起きた伊東家による宮崎城攻めとそれを如水の検使が評して


黒田如水公式設定

2016年10月29日 12:31

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 22:25:21.46 ID:hT+bzspg
黒田勘解由次官孝高は、黒田職隆の嫡子である。母は明石氏、天文15年孝高を播州姫路に産んだ。
この時雪が降って、その家を覆った、これは英雄の生まれる奇瑞であった。また家門繁栄の
前兆でもあったのだろう。

孝高は天性聡明、鋭敏にして才知たくましく、武芸も人に優れていた、彼ほど勇猛、英武な事も、
また世に少なかった。古の和漢の良将といえども、彼を越えることはないだろう。
まさしく天が下した英材であり、本朝においてこの右に立てる人は殆ど居ないと言える。

秀吉が播州に初めて来た時から、これを助け、遂に天下を平らげたのも、ひとえに孝高の功である。
黒田孝高を知る人は、孝高はよく秀吉を助け、天下を平らげたと思っている。
黒田孝高を知らない人は、秀吉が孝高を取り立てたと思っている。
例えれば、漢の張良が高祖を助け、明の劉基が太祖を補佐した事に似ているが、その功は
それらを越えているのだ。

(黒田家譜)

これが黒田家譜の、黒田如水公式設定である。



257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 22:50:02.34 ID:a0vwWu8v
黒田家譜だししゃーない

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 23:03:20.81 ID:JnJrWcR6
作者はキリシタンなんだろうな

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 23:15:53.53 ID:0wqTwghO
貝原益軒はキリシタンだったのかφ(..)メモメモ

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/29(土) 00:31:26.90 ID:qpXB4M5+
中国の王朝開祖のテンプレートみたい

稲津掃部助に黒田如水、激怒す

2016年07月02日 18:03

791 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/01(金) 20:50:17.92 ID:+Z/oQOdg
伊東家家臣、稲津掃部助は、関ヶ原後、宮崎城を空しく高橋家に返還することを残念骨髄に徹して
思っており、その後も度々黒田如水に嘆き訴えた。如水としても、一旦検使まで差し下し、内々に
下知して伊東家に取らせた事でもあったので、様々に考え、伊東祐慶が江戸に在府の時、掃部助に
内々にに申し含めた

「これは本多佐渡守(正信)とも、かねて内談致しおいている。今度、九州の大名が暇を賜って
帰国が許される。だがその時左京亮(祐慶)殿は江戸に残り、将軍家の小姓として奉公を勤められるようにせよ。」

稲津掃部助は「畏まって候」と申し上げたが、内心こう思った
『武士が槍先にて攻め取った城地さえ空しく敵に返す程の事なのだから、如水の指図も頼み少ない。
ならば帰国したほうがいいだろう。』

そして帰国が許されると直ぐに祐慶に供奉して国元に下ってしまった。

このことを聞いて黒田如水は激怒し、
「掃部助は武功の者であるから捨て難いが、以後江戸に召されることは然るべからず!」
そう、伊東家に通告した。

伊東祐慶の母公である松寿夫人はその頃、かねてから稲津掃部助に対して心情を悪くしていたのであるが、
如水の一言を聞いて更に彼を憎むように成り、それは後の誅殺の原因ともなるのである。

(日向纂記)




宮崎城返還の事

2016年07月01日 13:52

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/30(木) 19:08:58.40 ID:/HemqasI
高橋元種の宮崎城は慶長5年10月朔日に、伊東祐慶の兵によって攻め取り、翌年8月まで確保していたが、
徳川家康の上意として、高橋元種に返却すべきと片桐市正(且元)より伊東家に使者が送られた。
またその頃、大阪に在った伊東家家臣の松浦久兵衛尉も、奉行所に召され、その趣を申し渡された。
この時久兵衛尉は一言の弁明もせずおめおめと退いてきたので、同じく伊東家重臣の稲津掃部助は
大いに怒り、

「いかに内府公の命だからといって、侍の槍先にて攻め取った場所をおめおめと敵に返すなど
ありえようか!」
そうして自ら上洛し、

「宮崎城の事は、井伊兵部少輔(直政)殿の内意があり、また黒田如水老よりも検使宮川伴左衛門を
差し下され、内府様への忠節のために、幼年ながら左京亮(伊東祐慶:関ヶ原当時11歳)は、
父(祐兵)が病中なのも顧みず、日向に下り一命を捨てて太刀下に切り取った所なのです!そこを
今更返せと言われるのは迷惑でござる!」

そうしきりと訴えたが、奉行所は許容せず
「宮崎落城は10月朔日。ですが高橋が寝返ったのは9月15日ですから、前後決断の理においては、
例え忠節として攻め取った太刀下勲功の地であっても、帰さねばならない。」
そう重ねて言明が下ったため、是非無く慶長6年8月、高橋家に返還された。

伊東家では宮崎城を落とした後、諸軍の手柄を逐一吟味し、それを三巻に記して、
飫肥に一巻、大阪に一巻、清武に一巻を置き、占拠した宮崎四万石の地を割って、それぞれに
賞与あるべき旨を沙汰しており、これに諸士は言うに及ばず、百姓らに至るまで勇み喜んでいた。
そのような所に、返還を命ぜられ、一旦の勤労もたちまち水の泡となった。

こうして国中の上下は皆力を落とし、内府様の沙汰も当てにならず、黒田如水の取り持ちも頼みに成らぬと
恨みを含まぬものは居なかった。

その後、黒田如水父子の取り持ちによって、伊東家は井伊直政に様々に内訴したが、これに直政は言った

「石田ら逆徒は、或いは滅亡し或いは降参して、天下一統内府公に従い奉った。
だが、天下の諸侯のうち十に三つは、治部少輔の佞悪を疑い、一旦は内府公に随身したようにしているが、
それは誠の心服ではない。

である以上、今度内府公に降参した諸大名の領地を割って忠功の者達に恩賜あれば、それは再びの
逆乱への端緒となるだろう。
天下は一人の天下ではない。天下の天下なのだから、内府公と雖もその思し召し通りには成り難い。
先ず暫く、天下の安否を見定められる間は、穏便の沙汰を行うのだ。

左京亮殿が幼年の身でありながら、父が重病なのも顧みず大敵の中に下向あって、一命をかけ
類のないほど、御味方として無二の忠功を立てられたことに対して、内府公はたいへん御感悦されている。
なので、終には御報謝あるだろう。
伊東家においてはどうか、その意をくんで、これ以降も遺恨無く、専ら勇義を励まされる事が肝要です。」
そう懇々と示し諭したため、伊東家もその旨を受け、恨みを捨て奉公丹誠を成されたのである。

(日向纂記)



789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/30(木) 19:13:21.97 ID:sv5Jc6ie
>>788
いい話じゃないかw

遠からぬ内に、世の中は

2016年06月20日 17:57

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/19(日) 19:37:51.41 ID:SUyILvdO
慶長元年12月下旬、伊東祐兵は朝鮮の安骨浦陣中より、黒田如水に相談の事があって、家臣の
借家原甚右衛門尉満鎮を豊前に派遣した。如水は甚右衛門を近くに召して

「さてさて、良い所に参った。私の方からも使いを出して、伊東殿に申したいことがあったのだ。
実はな、太閤が近頃殊の外衰えられた、その上日本中で様々な怪異が多く起こっている。
遠からぬ内に、世の中はまた騒がしくなるであろう。

民部殿(祐兵)は小身であるから、国元について甚だ心もとなく思うだろう。
天下の事が未だ起きない内に、片時も早く島津家と談じて、縁故を取り結ぶか、又は麾下に入る事を
申し入れるべきだろう。その上で互いに神文を取り交わすべきだ。
この旨を早々に帰って伝えるように。」

甚右衛門は急ぎ豊前を立って明けて慶長2年正月中旬、安骨浦に帰り黒田如水の口上の趣を申し上げると、
伊東祐兵はこの助言を喜び、早速加徳島にあった島津の陣中に赴き、兵庫頭(義弘)と会談して、
以後、堅く唇歯の好みを結び、互いに違背有るべからずと、神文を取り交わした。

(日向纂記)



吝い上に汚いこと、世に稀である

2015年10月12日 18:34

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 21:08:13.67 ID:O9Fntjyb
黒田如水に関して、瓜や茄子の皮を捨てずに漬物にするという話よりも、なお可笑しき事がある。

歳末の時期、折紙、箱、葛籠、革籠、百重張といったものを、細工人には申し付けず、
大小姓、児小姓、馬廻り、何者であっても、細工らしく張らせた。
そしてその時出た反古を食いさき、口の中にたまったものを、板に吹き付けさせ、
坊主どもに申し付けこれを念入りに乾かして、少しも散らさぬように取り集め、
白土のすさ(壁土にまぜて、ひび割れを防ぐつなぎとする材料)にさせていた。

如水は何であっても捨てることを嫌われ、普通は何とも思わないような細かなことに、
吝い上に汚いこと、世に稀であると思わせてくれる人であった。

(古郷物語)



456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 22:15:57.56 ID:a59pr6qI
>>451
如水ももしもの時の為にとっておくタイプなのか

伊藤次郎兵衛への手形

2015年10月11日 19:24

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/10(土) 19:37:58.31 ID:BHa9ax9z
黒田家家臣の伊藤次郎兵衛と言う人は、若いころ新参の無足人であったが、根強く奉公を心がけ、
日夜油断なく勤めていたのを黒田如水に認められ、3年目に知行二百石が与えられた。
もとより人に越えた気根の強い若者であったので、知行を与えられたことを忝なく思い、
その後も前にもまして少しもたゆまず働いた。

ある時、この伊藤がお目見え仕った時、如水はこんなことを聞いた
「次郎兵衛、お前は気分でも悪いのではないか?」

「いや、そんな事は有りませんが…」
伊藤はすぐにそれを否定し、如水の御伽衆たちも

「彼は殊の外、無病と聞こえています。この御家に参ってはや25年となりましたが、一時も
心の重いということは有りませんでした。」

実は黒田如水は、家中の者達が、気分が悪い、喉が痛む、物が食われぬなど、病がましいことを言うのを
常に嫌っていたため、御伽衆の者達も、ことさらに無病であることを申し上げたのである。
しかし如水

「あいつは段々疲れが見えて見苦しくなっている。さては食米が不足して、ひだるさに疲れているのだろう。
よし、食米を取らせる!」

そう言うと自筆で手形を書き、

「これにて飯を炊かせ、食いたいほど食うが良い」

と、伊藤の方に投げた。罷り出て戴き、次の間でその手形を見ると、なんとそれが五十石加増の手形であった。
実は伊藤はこう思っていた。
『如水様が食米と言っている以上、せいぜい五俵から十俵程の手形であろう。しかし何ほどであっても、
いままで奉公に精を入れていた所を見ていて下さっていたのだ。』
そう嬉しく思っていたのだが、五十石の手形を見て、肝をつぶしたという事である。

(古郷物語)



819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/10(土) 23:18:15.57 ID:JIT+3Gex
社長表彰の副賞が寸志程度だと思ってたら、とんでもない額だったみたいなオチか

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 09:00:52.38 ID:QYWKA/Qj
一石で成人一人が一年間に食べる量だっけ?
どんだけ食わせる気だw

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 09:20:45.27 ID:mQLzoH1z
最近思うんだけど、人間、頑張っても他人の倍までが仕事できる限界だよね。
3人分は回んないわ。

黒田如水「人を殺すというのが、どれほど重大なことか」

2015年10月10日 18:39

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 18:51:44.43 ID:sZtCnp/b
ある時、黒田如水が作事奉行に、「木くずや用に立たない木の切れ端を、念を入れて取り集め、
風呂屋に渡すように」と申し付けた。ところが

「木くずは、大工が回収したもの以外は長屋の者が皆盗みましたので、少しもありません。」

これを聞いた如水は怒った
「木くずを盗んだ者たちを捕り搦めよ!首を斬るべし!!」
そう厳しく申し付けた。

これを聞いた作事奉行は思った。「如水様は慈悲深く物事に柔らかであるから、このような法度も
徹底しないのだ。これは法度の徹底のために、かえって幸いのことである。」

そう思い注意して作事場を監視し、その夜には早くも木くずを盗んでいるものを見つけ搦め捕らえてみると、
それは草履取りだった。その者の主人は彼が捕らえられたことを迷惑に思い、人を頼んで色々と
詫び言したが、奉行は「固く申し付けられた事であり、許すことは出来ない!」と申し付けた。

奉行は盗人を捕らえたことを手柄立てに如水に申し上げた。如水は内心「たわけたやり方だ」と
思ったが、「よくやった。後で首を斬ろう。」と申し付けた。
奉行は斬首が今日か明日かと思っていたが、4,5日延びた。
如水としては「きっと詫び言が出るだろうから、その時、いかにも厳しく恐れるように言った上で
許すのだ。」と思い、詫び言があるのが遅いと待っていた。

そんな時、留守居の者が作事奉行を同行して罷り出た。作事奉行は聞いた
「木くず盗人は、今夜首を斬るべきでしょうか?長々と縛りおいていると、日夜
その番に人も入ります。」

この言葉に如水は激怒した
「大たわけめ!物をよく聞け!その木くずを盗んだものの首を斬り、盗んだ木くずに、
彼の着物を着せて使ってみろ?それが人間の役をすることはない!
人を殺すというのが、どれほど重大なことか解っているのか!?それをおまえは何とも思っていないようだ。
彼を急ぎ赦せ!」

そう申し付けたため。奉行はかえって叱られ、面目もなく盗人の縄を解いた。

「厳しく仰せ付けられたから、見つけ次第に縛ると宣言し、盗人たちに『本来首を斬るべき罪なのだ。
今後構えて盗んではならない。大変なことに成ってしまうぞ。』としたたかに脅し、盗まれぬように
することこそ奉行をする者のやり方なのに、どうして黙って盗ませ、捕らえて、急ぎ首を斬れなどと
申してくるとは。全くもって、主の為にならぬ覚悟である!
己の役をさえ勤め、良きように仕事をすれば、人の迷惑も、主の為も構わぬと考えているのだ。」

如水はそう思ったのであろう、その作事が終わると、この奉行には重ねて役を申し付けること無く、
遠ざけた。このことは、如水が後日語ったものである。

(古郷物語)



801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 19:14:08.54 ID:E2zbjZW+
主の言うことを真面目に聞くと馬鹿をみる

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 20:12:33.79 ID:P6yRHuhm
こういう家風だと愚直な三河者みたいなのはやってられないな

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 20:27:54.77 ID:K/raKVWt
あほな上司で奉行がかわいそうやなw

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 21:15:10.14 ID:L5gHh0gn
市松みたいに酒飲んでて命令した内容忘れちゃったのかな

805 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/10/09(金) 21:25:07.25 ID:Rf5ZWUVV
跡継ぐ長政のために家臣に嫌われようとしていた時期の話かな?

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 22:06:57.62 ID:Ym1a6QgQ
悪い話で盗みを重ねた中間を追っ払えと怒鳴り散らした逸話のあとにこれか
やるなあw

807 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/10/09(金) 22:15:40.15 ID:CbrSMVmd
>>800
これのどこがいい話なのか?

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 23:23:45.88 ID:b/HxYO8G
首を斬られる罪人が命長らえた良い話

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 23:53:06.57 ID:WE0alqGT
金正日の車を検問で停めた兵士が、最初はちゃんと仕事してると褒められたが
2回目に車停めたら、何で車を覚えていないんだとキレられて処刑された
話を思い出したw

上に立つ人間が法を守らないで気分次第のとこは危険

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/10(土) 00:40:51.80 ID:7Z1ooVW6
それでも貝原益軒なら、貝原益軒ならちゃんと官兵衛アゲアゲ話にしてくれるはず!!

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/10(土) 01:43:30.83 ID:sJpBltH4
>>809
あまり関係ないけど、ダイエー創業者の中内氏は自社の店舗を視察する時も率先して、出入管理簿に自分で記入してたってね、店のルールで決まっているから

結局は戦国に例えると敗北して他家に占領されたような形になったけれど

黒田如水「首を切るのは要らざる事ぞ」

2015年10月09日 12:26

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/08(木) 23:13:41.06 ID:dcYCBE5X
黒田如水の中間に、盗みをした者が出て、組頭たちが如水に申し上げた
「彼はこれこれの盗みをいたしましたので、捕らえて搦めおきました。
ご成敗されて然るべきでしょう。」

しかし如水はこれを聞いて「首を切るのは要らざる事ぞ、早々追い出せ」と命じた。

「いや、彼が盗みをするのた度々のことです。是非とも首を斬るべきです!」
組頭たちは再びそう申し上げた。しかし如水

「それこそ上々の事である。度々盗みをするというのは、よくよく盗人に産まれついた者なのだろう。
急いで追放せよ。追い出された先でもきっと盗みをするだろう。彼はそこの領主に斬らせれば良い。

だいたいお前たちのやり方は何だ?度々盗みをしているのを知っているのなら、どうして今まで
そのまま置いておいた?1度やっただけでも合点のあるべきだ!」
そう、したたかに叱りつけた。

(古郷物語)



423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/08(木) 23:36:12.59 ID:Yl5kjjlJ
改心させようとか命には使い道がとかいう綺麗事が無くてよいと思います(小並

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/08(木) 23:56:18.15 ID:XL8unw7h
ガチで性格悪い人の対応だな

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 10:06:19.69 ID:69L6ypXj
きっと追放先は細川領だな?

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 11:10:35.47 ID:zqR3s8Bq
なんだかんだ言って助けちゃう官兵衛のいい話だろ

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 11:13:36.93 ID:6K4fuHS1
跡継ぐ長政のために家臣に嫌われようとしていた云々の時期ではないよな

如水の兵士応募に参加した人々

2015年09月27日 13:57

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/27(日) 09:46:44.86 ID:xn1Ub7CY
関ヶ原の役が起こると、中津に在った黒田如水は、兵を集めるためこうお触れを出した
『諸浪人、親掛かりの者をはじめ、歳寄って隠居した者、百姓、町人、諸職人によらず、
望み次第何者であっても罷り出でるように。』

これに人々、我も我もと罷り出た。もちろん武具一式を持たない者達多かったので、黒田家では
普段出入りの業者より古い捨て道具などを乞い集め、鞍骨を一緒に乞い、切付、肌付を片方ずつあてがい、
轡、片鐙は縄で、具足の無い者には紙羽織の後口に朱にて紋をつけ、兜のない者には竹の皮笠の周りに
四手を付け、痩せた馬に乗り、中間一人に馬を引かせて槍を持たせるような者も多かった。
しまいには、知人の陣屋に飛び入り、これに馬人養われて陣を務めるような者もあった。

その者が言った、「このような見苦しい体では出陣すべきでないと思われるかもしれませんが、
私も若い時は侍の真似をしていました。しかしこの国が京から来た人(黒田家)の物となり、
私は本領を離れ、詮方無く百姓をしていましたが、慣れぬ業ですから、口を過ぐる事も出来かね、
餓死にも及ぼうかという有り様を口惜しく思いながら、自害することも出来ず遺恨に思っていた折、
思いもよらず乱が起こり、先祖の家業を継ぎ、もう一度侍の真似を仕り、討ち死にできることの嬉しさよ!」

また、職人にもこのたぐいの参加者が多かった。

笠冠をかぶった百姓の中の、樋田山城守・小城源兵衛という者は、昔の代には一城の主であり、
人をも引き回し、度々手柄を仕った者達であった。

また職人たちが俄に侍になった事について、日頃より関係の在った裕福な町人たちがこんな意見を言った
「親が何であったとしても、入らざる武士立てである。今の分で、鉄などを吹いていたほうが良い。
きっと炭や地金の代金がなくて、それを惜しんで参加したのだろう。」
そう言って笑った

この時笑われた職人たちは、戦後正式の武士となり知行を取ったものも多かった。
金は失せやすいものであり、笑っていた金持ち達は、程なく財産を失い、乞食となり、
笑われた者の知行の内に行き小さな屋敷に乞い、鉢を開き、終には餓死したものもあった。

こういった者達がもし思い立っていれば、その頃裕福だったのだから、一廉綺麗に支度も
あい調ったであろう。元来侍の果てでもあったのだから、武士として取り立てられ知行取りに
成ったこと疑いないのに、その気性が甲斐ないために、そういう将来を捨て去ってしまったのだ

とにかく侍というものは、とりわけ気概を持たない者は、何の役にも立ち難いと見えたり。

(古郷物語)

関ヶ原の折、黒田如水の兵士の応募に参加した人々についてに記事である。



751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/27(日) 17:31:12.93 ID:vOxey6zv
これって結局どっちにしてもおちぶれるんじゃね?
気概のない者は選択の余地なしってことだよね

納屋小左衛門の決断

2015年09月06日 13:55

674 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/05(土) 19:22:15.26 ID:FljfpJkN
関ヶ原の役が勃発した時、大阪の黒田長政の屋敷には、その母と妻が残されていた。

つけ置かれていた家老の母里友信と栗山利安は相談し、母里が医者に行くと見せかけ
その乗り物に密かに両人を乗せ屋敷の外の宿に潜ませた。

その夜、船に載せようとしたが、船までどうやって両人を遣わすか、方法がなく困り果てた。
最初は彼女らを俵に入れ、粮米に紛らわせて船に載せようと考え、二人を俵に入れたのだが、
暑気甚だしい頃であったので「息が切れる!このように苦しいのならいっそ刺し殺してほしい!」
と声高に泣かれ、母里も思案に苦しみ、『このような事で大阪方に露見するのも口惜しい事だ。
二人共に害し、腹を切るべきか…』などとも考えたが、『いやいや!出来るだけなんとかなるよう
才覚せねば!死ぬのは全て叶わなかった時だ!』と思い直し、宿の亭主に相談することにした。

相談の結果、櫃の中に両人を入れ、夜に紛れて茶船に乗せ、そこから本船に移す。仮に大阪方の警備に
見咎められればその時のことだ、と決まり、すぐさま出発の準備を始めた。
亭主も共に出発しようとするのを、母里が止めた

「私は主のためであるから、捨てて惜しまぬ命である。二人の女房衆にとってはいたわしい事だが、
侍の妻子として生まれた以上、これも生前の因果の道である。
しかし、其の方は町人である。黒田家に対して殊に日頃の恩があるわけでもない。
我らと同じように相果ててしまっては気の毒千万である。

この宿の門まで出て見送ることも無用だ。もし我々が見つかり、咎められても、決してこの宿のことは
人に知らせない。であれば、ここに難儀はかからないだろう。」

そう申し聞かせたが、宿の亭主は言った
「日頃、黒田様のお屋敷に出入りし、久しく御恩を被っていた奴原が、今回お頼みしても
御宿を仕ろうとせず、他人のようなふりをしているとのこと。畜生とも言い難い所業です。

私は近年御台所にも罷り出て、似合いの御用を仰せ付けられるように成りました。
尤も甲州様(長政)からお言葉をかけて頂いたことは未だ有りません。ですが、
私をお頼みにされた栗山様の一言が打ち捨て難く、この事お受けし、一命を捧げたのです。

あなた様がどれほど止めようとも、本船までは、私はお供仕ります!」

そう言い切ると母里よりも先に外に出たため、母里も力及ばず、彼の同行を許した。

この亭主は納屋小左衛門といって、堺の納屋一党の者であった。母は浅野殿の家来、丹羽大膳という人の
娘だそうだ。丹羽大膳と言う人は、その勇ましさ人に聞こえのある人物であった。

亭主の物を切ったような決断は、なかなか筆にも詞にも為し難い。

(古郷物語)




675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 03:58:43.39 ID:NfWTuxJ9
「納屋小左衛門は男でござる」
小左衛門の頑とした決意に打たれた母里太兵衛は、彼の船までの同行を許した

そして明日の乗船を控え、小左衛門宅で一夜を過ごすこととなった黒田家主従であったが、
太兵衛は今生の最後にと、昼に目をつけていた女中の部屋に夜這いをかけた
部屋の中に忍び込み、布団の中に身を潜らせた太兵衛が相手の股間に手をやると、思わぬ叫び声がこだました

「納屋小左衛門は男でござる!」

676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 07:45:20.20 ID:HQXPEQKJ
忠臣蔵の天野屋利兵衛のセリフだし
そのジョークも天野屋利兵衛であるし

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/06(日) 16:18:31.37 ID:fp5VtXEX
>>675
これは実につまらん。>>674がかわいそう

広島城建設

2015年08月31日 05:20

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/30(日) 17:27:17.35 ID:qLuQU98a
安芸の毛利家の居城は、吉田の郡山といい、毛利陸奥守元就以来の家城であった。
これに対し、豊臣秀吉は分別に

「毛利の居城は自然に惣構良く、敵の馬寄には悪く、その上猛勢が入り込んでも
無事に引き上げることは出来ないと聞いている。

この秀吉一代、輝元一代は別状ないだろう。しかし末代の天下持ちはどう考えるだろうか?
秀吉がこの事に気が付かなかったかのように、分別の厚い将来の天下持ちは思うのではないだろうか。
であるので、毛利の居城を変えさせるべきである。」

そう考え、当時まだ存命であった蜂須賀彦右衛門に内々に命じ、蜂須賀は毛利輝元、小早川隆景に
このように言った

「今どき、山城などというのは登り降りにも苦労する代物です。その上毛利家の御居城は
山中にありますから、輝元殿には不似合いと言うべきでしょう。
幸い、厳島に向かい合った海上に近い場所に広い土地があり、そこに平城を取立てられれば、
京都への往復も、城下から直に船を召して移動できます。ここを、御居城とされるべきでしょう。」

これを聞いた輝元、隆景も、城替えの普請苦しからずと思い
「ご指図の場所に、直ぐに城を取り立てましょう。」と、同意した。
蜂須賀彦右衛門は間もなく病死し、その後を黒田官兵衛が仰せ付けられ引き継いだ。
官兵衛は輝元、隆景と「では、ここに城を取り立てましょう」と議定した。
官兵衛はこれを秀吉に報告すると、「では早々にこの地に城を建設するのだ。」と、
秀吉は官兵衛を、この新城建設の横目付として遣わし、広島の地を取立て、官兵衛がその縄張りをした。

秀吉からは「辺りに川などあれば、それが城下に入るように見合って縄張りするように」と
念入りに言い含めた。

そして関ヶ原の時。
徳川家康は、もし毛利領に軍を向けた場合、吉田城であれば手間取ることになるだろうが、
今の広島城なら苦労なく乗り崩す事ができる。であるので、家康の有利な点と成ったと
聞こえている。

(川角太閤記)

毛利の広島城建設に関する逸話である。




238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/30(日) 18:42:14.10 ID:QAk7Wrvm
戦国時代の最も末期に作られた最新式の山城である八王子城が
寡兵であったとはいえ、1日で陥落した事を思うと、山城が守備力高い
とは思えん。

岐阜城は言うに及ばず...

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/30(日) 20:42:01.11 ID:iPqE+GO0
八王子はまともな兵力が籠ってなかったけどな

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/30(日) 21:12:05.79 ID:eIkg4jQZ
岐阜城は攻め手に池田輝政がいたから落ちたんだよ

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/30(日) 23:54:07.22 ID:ePV5p545
>>238
最新式の山城って、一体どんなの?
今の時代に、「最新式の要塞」とか「最新式の戦艦」とか言ってるようなもんじゃないの?

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/31(月) 01:45:20.04 ID:fOT1hgBo
>>241
>>241
最新式の山城といえば、古くからある山城を近世城郭にグレードアップした
高取城とか備中松山城かな

http://sightseeing.takatori.info/img/sightseeingspot/shiro_cg/higher_middle/cg.jpg
http://sightseeing.takatori.info/img/sightseeingspot/shiro_cg/west_side/cg.jpg

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/31(月) 11:48:58.93 ID:U5xdB9df
三村氏の居城、松山城の画像がなくて泣いた

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/31(月) 15:42:06.57 ID:lOg2cNV0
要塞小田原キャッスルの実物みてえなぁ

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/31(月) 15:55:42.64 ID:BS7oAB8N
土塁と障子掘り天守閣無しで見栄えはパッとしないんだろうな後北条小田原城

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/31(月) 22:03:19.16 ID:vwe9D4wq
備中松山城はこないだ行ったがいいぞ~あそこ
600~700メートル山登りすると突如として出現する感じが

大村由己が申し上げた通り、吉野の花も今が盛り

2015年08月25日 12:17

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/24(月) 18:30:55.00 ID:SwsAnAYe
本能寺の変の報を聞いた羽柴秀吉が、いわゆる中国大返しから姫路城に入ると、大村由己がこのように
挨拶を申し上げた

「今の世間の様子を物に例えれば、名花の桜、ただいま花の盛りと見えます。
お花見されることがご尤もと存じ奉ります。」

この大村由己は下天第一と呼ばれるほど歌道に深い造詣を持つ人物であった。
その場の人々は「由己には流石に、似合いたる挨拶である。」と感じ言った。

ここで、黒田官兵衛が突然大村由己に向かって言った

「あなたは申し上げにくいことを申したなと、人々言い合っていると承りました。
殿様(秀吉)はおおいに嘆いているかのように見えていますが、その底意を推量すれば、
実に目出度いことが起き、博奕をも遊ばされます。大村由己が申し上げた通り、
吉野の花も今が盛りです。

桜の花というものは寒のうちに見たいと思っても、時が来なければ見ることは出来ない花です。
春の雨風の陽気をうけて、おのがままに咲き出るものですから、見る者の心には任せる事は
出来ません。

この上は明智光秀との天下分け目の御合戦、御尤もに候。目出度いことだ、お花見初めと
覚え申候。」

そう戯れに申し上げた。

秀吉は官兵衛の発言を聞いて、心のうちでは「我が心中と同じだ」と思ったのだろう。
その場でただ、にこりと笑ったという。

(川角太閤記)



599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/24(月) 23:34:44.22 ID:UwNEzgok
山崎はよいけや

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 10:21:51.35 ID:sibtuP1o
>>598
>目出度い事
ちょっちょっと官兵衛さん!
ラスボスも顔はにっこりでも....。

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 13:04:53.06 ID:oVT5umCk
夏場に桜のたとえてのはなんとも…

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 17:35:57.91 ID:W6OO8im/
ラスボス化以前とは言えなんか「にこり」がすごく怖いんですけど、毒されてるかなぁ

『夏の火鉢、日照りの傘』

2015年08月18日 13:52

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 08:55:58.62 ID:NBpl909+
黒田如水が隠居した頃、嫡男長政にこのようなことを語った

「武士を使うのに一つの伝授がある。これは私も、ようやく30歳を越えて合点したものだ。
小さな家中であっても、必ず心得あるべきものである。

『夏の火鉢、日照りの傘』

この言葉をよく味わい、堪忍を守らなければ、家臣は心服しないものである。」

そう、教え諭した。

(明良洪範)


どういう意味なんでしょうね?




575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 09:03:11.66 ID:FKrYwSyZ
必ず使う時が来る?

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 09:31:18.24 ID:4JvV4sSu
単純に考えれば、夏の火鉢も日照りの傘も(日除けという意味ではなく雨を防ぐ傘として)無用の長物だけど、
持っていれば、万が一の時には役に立つこともあるってことだと思う

いわゆる、古代中国の食客ってやつだな

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 13:15:32.83 ID:f7a13/2H
鶏鳴狗盗的な?

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 13:33:53.42 ID:arYbfGFK
使えない物はあっても邪魔になるだけだから、
どんどん捨てろって言いたかったりして・・・

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 14:20:11.18 ID:7o0KyfLQ
いやいや、冬には火鉢が必要になるし、雨が降れば傘もいる
万が一と言うより、今は必要なくともいずれ必要になるときが来る
だから、堪忍して人は使えということだろ

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 14:59:06.61 ID:/vWoNJNT
のび太が「壊れた扇風機は暑くない時に必要
壊れた電気スタンドは停電の時に必要」
とか言ってたなそういや

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 15:02:52.16 ID:qoulYF5T
有事にだけ非常に役に立つ系の人材に埃かぶせるなって事か

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 17:13:57.33 ID:YmcjVABZ
麦わら帽子は冬に買え
商人の心得を説いている

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 20:46:15.20 ID:vM79DdxU
ちょっと弓片付けて犬煮てくるわ

終いには頭のてっぺんを削ることになるぞ?

2015年08月11日 14:12

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/11(火) 10:25:51.50 ID:8wQ5baPO
後藤又兵衛基次は黒田如水の家臣であった。

天正15年(1587)、黒田長政が大将となり、後藤又兵衛など大剛の者大勢を動員し、城井谷城の
城井鎮房を攻めたが大敗北を喫し、撤退時に長政は、馬が深田に嵌り込んでしまい動けなくなった。
ここに菅六之助(正利)という大剛の者走りきて

「西国一の名馬であっても、殿の御命に代える事は出来ません!」と長政を馬から下ろし
「早々に退いて下さい。この馬は私が引き上げて後から参ります!」
そう言って自分の馬に長政を乗せ、菅は後に残って馬を何とか引き上げようとしたが上手く行かず、
片鐙を外して持ち帰った。この菅六之助の行為に人々はみな感じ入った。

ちなみに長政が馬を深田に嵌まり込ませた時、最初に通りかかった後藤又兵衛に声をかけたが、
又兵衛は知らぬ顔で通り過ぎた。

さて、この戦では如水の下知を用いずに敗軍したため、物頭などは恐れて寺に入り、或いは元結を切り落として
出仕を止め引き篭もったが、後藤又兵衛一人は常のごとく出仕のため登城した。

そこで人々が又兵衛に「じ、如水公の御機嫌はいかがだろか!?」と心配したが、又兵衛は大いに笑い

「主君の怒りを恐れて引きこもるような者は忠臣ではない!殊に戦の習い、勝つも負けるも常のことなのだから、
その度に髻を切るのなら、終いには頭のてっぺんを削ることになるぞ?さてもさても小気な事だ。
我らが主人は、そのような小気ではないぞ。」

そういって出仕した所、如水の機嫌も治った。これを見て長政初め皆々も如水の前に出仕した。

(明良洪範)




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/11(火) 10:47:26.97 ID:SpSvfI1H
このあと又兵衛は死にかけるのか

にしても相変わらず長政には素っ気ないなあ

軍の道を存じた私を遣わされれば、

2015年08月08日 13:03

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/07(金) 20:33:07.77 ID:vtwNp2Jb
黒田如水は、石田三成の讒言により太閤秀吉の御前より疎くなった。
ただ折々に、連中に出仕はしても、久しく対面を許されることがなかった。

ある時、秀吉が諸大老と朝鮮での戦略を評議しているのを、如水は壁越しに聞いて、秀吉の耳に入るよう
大声で語りだした

「去年、大軍を朝鮮に遣わした時、徳川家康か前田利家のどちらか一人を総大将として遣わされ、
万事一人の下知より出していたなら、軍法はよく行われ滞りは無かったでしょう。
もしまたこの両将の使わされる事が出来ないのなら、軍の道を存じた私を遣わされれば、
軍法定まって上手く行ったでしょう!

その上で和を以って人を懐かせ、朝鮮人が安堵して日本人に帰服すれば大明を征伐することも
安かるべし!

しかし、加藤清正、小西行長らは若き大将ですから、血気の勇のみにて軍の道を知らず、
その上両人は仲悪しく、清正の仕置を行長は破り、行長の法令を清正用いず、仕置一様ではありません。
それ故に、朝鮮の人民は日本の下知法度を信用せず、頼みなく思って、山林に逃げ隠れて
安堵することがありません。

日本より朝鮮への路遠く、兵糧武具等、日本より持続的に輸送するのは難しいことです。
朝鮮の民を懐け、耕作を元の通りにさせ、兵糧を敵であった彼らから徴収する事こそ然るべきなのに、
仕置き悪しく、日本人が通った朝鮮の三道は、人民散逸し、荒れ野となって五穀なく、
このように朝鮮は将に亡国となってしまいましたから、大明に入るべき基礎ができていません。

朝鮮の人民散逸し、日本からの運送もまた、持続がなり難いのですから、今後、味方の大軍は
兵糧が尽き、異国の在陣は不自由でありますから、士卒の苦労は耐え難いほどになり、
殿下が思し召された大功は、絶対に成就することは出来ません!」

そう高らかに言うと、これを壁越しに聞いた秀吉も、たしかにそのとおりだと思い
「来年、異国を討つときは私自ら朝鮮に入るか、そうでなければ私は上洛し、秀次を名代として
朝鮮に遣わすであろう。」
と語ったという。

(黒田家譜)



508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/07(金) 20:45:15.46 ID:q0lUqLcp
何も理解してない秀吉w

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/07(金) 21:04:35.47 ID:08oRjCCl
子飼いは温存しておいて
油断ならない徳川、伊達を朝鮮で消耗させれば一石二鳥なのに
逆だからな

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/08(土) 08:25:33.61 ID:nIQNXiUD
むしろ失敗したという歴史を知ってて、あとから好き勝手に書いてるのが黒田家譜
秀吉自身は当初から渡海する気満々だったし

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/08(土) 19:28:50.41 ID:xYPPspqx
うーん黒田家譜がソースかぁ。

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/08(土) 19:40:15.56 ID:vFyxtPXh
ラスボスの計算では前哨戦で子飼いを使い、
明との本戦で東国の大名を投入する予定だったのに
前哨戦で躓いたのかね

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 11:34:32.58 ID:WlkuYOw/
子飼い関係無く西国大名が先鋒なだけだろ
子飼いの多い近畿東海道軍は秀吉親征のために温存したままだ。

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 13:21:44.49 ID:6YzWbgGD
戦場に近い大名が先陣するのが豊臣政権のセオリーだもんな

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 16:24:11.68 ID:DBc4ZSEo
>>514
となると徳川家の転封先を九州にしておけばよかったのか

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 16:50:13.85 ID:WlkuYOw/
小田原征伐の時に関東を与えることによって徳川を当事者にして他大名より大兵力の提出させ
軍事力的空白地となった徳川領の防衛治安維持の名目で豊臣の兵を入れて
全ての主要城を一時的にしろ明け渡せたことによって徳川の完全服従を内外に示したという
プロセスが無くなるという事は、徳川は独立性を保ったままより厄介な勢力になる訳で、下策やね

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 18:46:38.12 ID:6YzWbgGD
>>515
旧北条領並の石高となると九州全域になるから、小田原征伐の時点だと
九州の大名、国衆を転封させる手間がかかりすぎじゃないかな

そもそも関東に徳川クラスの大勢力がいないと奥州仕置のあとの一連の
一揆がとめどなく広がって大変なことになってた可能性も…

孝高・弾正、碁を打って三奉行に対面せず

2015年08月07日 12:59

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/06(木) 19:37:45.27 ID:6LDCYi5a
朝鮮の王城に在陣していた日本の諸勢、尽く撤退したが、宇喜多秀家が先ず最初に退いた。
この秀家の元に黒田孝高、浅野弾正(長政)が出向いて対面し、太閤秀吉より仰せ越された
趣を述べて、晋州の城攻めについて評定した。その日はそこで宿し、帰陣してくる者たちを待った。

その後、三奉行(石田三成、増田長盛、大谷吉継)が都より引き戻り、黒田孝高の宿所に来て
対面することを請うた。その時孝高は、浅野長政と共に奥の間で碁を打っていたが、
三奉行、特に石田三成が平生権勢に誇ることを憎み、表座敷に待たせて、対局の途中であった碁を、
打ち終わり石を収めた後、「対面するのでこちらに来るように」と伝えさせたが、三奉行は
孝高と浅野長政が碁をしている声を漏れ聞き、彼らが早く出てこないことを怒って、この時すでに
立ち帰っていた。

その後、孝高・浅野両人は三奉行に使いを出して追いかけさせ、『こちらに帰ってきていただきたい』と
伝えたが、三奉行は憤って帰らなかった。これに対し孝高と浅野長政は『我らは既に、総大将である
宇喜多秀家に遭って軍のことをしばしば評議した。太閤の命により軍評定をしようと使いを遣わしたのに、
帰ってこないのは彼らの誤りである。』そう言って再び使いを出すこともしなかった。

その後、三奉行はこのことを恨み、「孝高・弾正は囲碁におぼれ我ら3人が来たことにも気が付かなかった。」
等と言って、人に会えばこのことを語り謗った。更に後には、太閤秀吉にこれを訴えでた。


*貝原益軒の注釈
(この時、孝高・弾正が碁を打って三奉行に対面しなかったのは右に記す通りである。
ただし、太閤記に書かれているのは、伝える者の誤りを信じて、知らずに虚説を記している。
孝高・弾正はこれより先2月に既に渡海しており、この時に渡海したのではない。
軍評定のため宇喜多秀家が都より先に帰った所を対面し、また三奉行をも待っていたのである。
太閤記には、この時弾正・如水日本より使いとして渡海し、太閤の命を告げんとて三奉行を
待っていたと書かれているが、これは虚説である。2月26日太閤より黒田長政に送られた書状にも、
『浅野弾正、黒田勘解由、都在陣衆令相談、見計陣所可相定』とある。
また5月1日太閤より朝鮮に在する弾正、勘解由、三奉行に与えられた書状がある。
2月より既に渡海していたことは、これを以って知るべきである。
その上、黒田孝高はこの時まだ剃髪しておらず、太閤記で如水と称しているのも誤りである。)

(黒田家譜)




西国にて第一の弓取りは、黒田勘解由である

2015年07月14日 13:04

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/13(月) 23:31:14.33 ID:SiPwLPjQ
小田原の役、秀吉の軍勢は小田原城を囲み日々これを攻めたが、これを落城させることが出来ず、
無為に日々を多く送ったため、諸軍の士卒も長陣に飽きてきた様子が見えた。

ここで秀吉は尾張清州城に置いていた小早川隆景を呼び、この状況を打開する策はないかと聞いた。
隆景は答えて曰く

「この度の長陣は、秀吉公のたやすき勝利の基本となるものですから、ご心配も然るべきものです。
ですので、先ず城攻めを止め、弓鉄砲も止められ、その代わり仕寄等に念を入れ、敵の夜討などが
入らぬようにし、用心堅固に仰せ付けられ、若き輩には音楽をさせ、下々には小唄を歌わせ踊りを踊らせ、
味方の気をくつろがせ。長陣の覚悟をさせ、敵の気の屈するようにするのが、然るべきでしょう。」

秀吉はその旨に従って軍勢に下知したため、味方の諸軍は戦を止め、あちこちの陣所で謳い、舞、
囃子の音、踊りの声がしきりに聞こえるように成った。これにより味方は長陣の窮屈を忘れ、
敵方はこれを聞いて気を屈し力も弱まった。

その後、黒田孝高(官兵衛)、小早川隆景は敵の気が屈した時節を考え、秀吉に申し上げた
「今や良き時分です。徳川家康は東国の案内者であり、特に北条とは縁者ですから、秀吉公は
家康とご相談なさって、和議を持ちかけるべきでしょう。
現在、小田原城中は追い詰められていますから、必ずこれに同心するでしょう。」

秀吉も尤もだと思った。北条氏直は家康の婿であったのである。
秀吉より、北条を降参させるようにと家康に相談するため、黒田孝高がその使いとして度々家康の元に
派遣された。
ある時、使いの孝高が家康の御前を下がった後に、家康は孝高をこう絶賛した

「西国にて第一の弓取りは、黒田勘解由である。」

この頃、黒田孝高は秀吉の御用が無いときも、しばしば家康の元に行って物語などした。
これによって孝高は、いよいよ家康に君徳があることを知り、かねて志を属したのだという。

(黒田家譜)




403 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/07/14(火) 05:26:29.50 ID:x6VFdDis
あれ?この話前に出ていませんでした?

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/14(火) 06:36:03.79 ID:Cop9a00z
孝高「今日は内府に馳走になってのう…内府自らわしの手を取り案内をしてくれたわ」
長政「それはどちらの手ですか」
孝高「右手じゃ」
長政「その時、父上の左の手はどうしていたのです」

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/14(火) 12:51:01.58 ID:k4FcCftr
あいにく手元に村正がなくてのぉ