344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/08/31(水) 13:47:28.43 ID:9t7KSC9U
小河内蔵丞(小河之直)は栗山大膳らとともに黒田忠之の家老として精勤に励んだ人物であるが、その若い頃の話
内蔵丞がまだ喜助と言っていた十六の時、領内の百姓の馬を牛が突き殺してしまった。
馬主は「牛主に弁償させるべきです」
牛主は「牛主が不在の間に牛がしたことです。畜生のしたことですので牛主の責任ではありません」
と互いに水掛論となり、公事となったが決着しなかったためとうとう黒田長政の耳にまで達した
長政は「どっちももっともであるので、馬が百匁の値であるなら半値の五十匁だけ牛主が弁償してはどうだ?」
と裁定されたので、両者とも不満に思ったものの渋々帰っていった。
これを聞いていた喜助は朋輩衆に対して「このたびの判決は理非をわきまえぬ判決である」と言った。
朋輩衆「歴々の方がなされた判断であるのに何を言うか?」
喜助「牛主や馬主が牛や馬を繋いでいた間に起きた、とあるが繋いだ時間に前後があるはずである。
牛は相手に向かって突くのが習性なので、後で繋いだ飼い主に責任があると言えよう」
これを聞いた朋輩衆は手を打って讃嘆し、これが評判となり長政の耳に達した。
そこで改めて馬主、牛主を召喚すると、先に馬主が繋ぎ、後で牛主が繋いだことが判明した。
こうして牛主は全額百匁を馬主に払うこととなり、馬主は当然喜んだ。
牛主は最初の判決より五十匁多く払うことになったものの、今度は理屈が通っていたため、納得して帰ることとなった。
こうして長政は喜助を「常の人物ではない」と認め、十七の頃から評定衆に入れ、そののち小河伝右衛門の養子として名を内蔵丞と改めさせた。
長政のから忠之の代まで、今であれば二、三十人でさせるような仕置きを内蔵丞一人に任せたが、上からも下からも一言も苦情が出なかった
出典:竹下稔著・福田泰隆校訂「福岡藩初期家老 小河内蔵丞之直「小河内蔵之丞噺覚書写全」を読む」
小河内蔵丞(小河之直)は栗山大膳らとともに黒田忠之の家老として精勤に励んだ人物であるが、その若い頃の話
内蔵丞がまだ喜助と言っていた十六の時、領内の百姓の馬を牛が突き殺してしまった。
馬主は「牛主に弁償させるべきです」
牛主は「牛主が不在の間に牛がしたことです。畜生のしたことですので牛主の責任ではありません」
と互いに水掛論となり、公事となったが決着しなかったためとうとう黒田長政の耳にまで達した
長政は「どっちももっともであるので、馬が百匁の値であるなら半値の五十匁だけ牛主が弁償してはどうだ?」
と裁定されたので、両者とも不満に思ったものの渋々帰っていった。
これを聞いていた喜助は朋輩衆に対して「このたびの判決は理非をわきまえぬ判決である」と言った。
朋輩衆「歴々の方がなされた判断であるのに何を言うか?」
喜助「牛主や馬主が牛や馬を繋いでいた間に起きた、とあるが繋いだ時間に前後があるはずである。
牛は相手に向かって突くのが習性なので、後で繋いだ飼い主に責任があると言えよう」
これを聞いた朋輩衆は手を打って讃嘆し、これが評判となり長政の耳に達した。
そこで改めて馬主、牛主を召喚すると、先に馬主が繋ぎ、後で牛主が繋いだことが判明した。
こうして牛主は全額百匁を馬主に払うこととなり、馬主は当然喜んだ。
牛主は最初の判決より五十匁多く払うことになったものの、今度は理屈が通っていたため、納得して帰ることとなった。
こうして長政は喜助を「常の人物ではない」と認め、十七の頃から評定衆に入れ、そののち小河伝右衛門の養子として名を内蔵丞と改めさせた。
長政のから忠之の代まで、今であれば二、三十人でさせるような仕置きを内蔵丞一人に任せたが、上からも下からも一言も苦情が出なかった
出典:竹下稔著・福田泰隆校訂「福岡藩初期家老 小河内蔵丞之直「小河内蔵之丞噺覚書写全」を読む」
スポンサーサイト