<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?><rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns="http://purl.org/rss/1.0/" 
			xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" 
			xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/" xml:lang="ja">
<channel rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/?xml">
<title>戦国ちょっといい話・悪い話まとめ</title>
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/</link>
<description>２ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板　 http://gimpo.2ch.net/sengoku/</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<items>
<rdf:Seq>
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3216.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3215.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3214.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3213.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3212.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3211.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3210.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3209.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3208.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3207.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3206.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3205.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3204.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3203.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3202.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3201.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3200.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3199.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3198.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3197.html" />
</rdf:Seq>
</items>
</channel>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3216.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3216.html</link>
<title>池田輝政を止めた馬廻り某</title>
<description> 490 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/22(日) 22:43:33 ID:qXAuPcaf小牧・長久手の戦いでの事である。この時、秀吉方について戦っていた池田恒興が家康配下の永井直勝に討ち取られた。さらに、恒興の長男元助も一緒に戦死した。ここまでは皆さんもご存知と思います。さて、父と兄の戦死を知った池田輝政は「父上と兄上が戦死した！？おのれっ！者ども続けぃ！父と兄の敵をとる！」と敵陣に突っ込もうとした。しかし、この時輝
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 490 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/22(日) 22:43:33 ID:qXAuPcaf<br />小牧・長久手の戦いでの事である。この時、秀吉方について戦っていた池田恒興が<br />家康配下の永井直勝に討ち取られた。さらに、恒興の長男元助も一緒に戦死した。ここまでは<br />皆さんもご存知と思います。さて、父と兄の戦死を知った池田輝政は<br />「父上と兄上が戦死した！？おのれっ！者ども続けぃ！父と兄の敵をとる！」<br />と敵陣に突っ込もうとした。しかし、この時輝政の馬廻りとして仕えていた某<br />(名のある人物ですが失念)という男は<br />「なりませぬ！もし輝政様まで討死という事になったら御家はどうなります！ここは耐えられませ！」<br />と輝政の馬の手綱を放そうとしなかった。<br />これに輝政は「ええぃ、離せっ！離せと言うに！」と男の頭を持っていた指揮棒で<br />血まみれになるまで叩いた。それでも某は手を離さなかった。<br />そうこうしてる間に、秀吉と家康は和睦し戦は終結した。しかし、輝政は内心面白くなかった。<br />父と兄の敵を討てなかったからだ。さらに、それを邪魔した某の事も許せなかった。<br />結局輝政はこの事を死ぬまで根に持ち、某を昇進させなかったという。<br />しかし、跡を継いだ利隆はこれに感謝し某の息子を取り立て、譜代の列に加えたという。<br />いい話か悪い話かは微妙ですが、長文失礼<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />491 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:53:03 ID:+Jkpt57T<br />景勝も輝政も、そこは感謝しとけよw内心感謝していたのかもしれんけど<br />利隆は良く忠義に報いた<br /><br />492 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:59:07 ID:p3PkMTPF<br />池田利隆は若くして死んだけど、名君の聞こえの高い人だったそうな。<br /><br />496 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 00:27:10 ID:VRrKsZIm<br />>>490<br />何で見たか忘れたけど輝政の従者が気をきかせて輝政に<br />「親父も兄貴も戦線を離脱しましたよ。私達も離脱しましょう」<br />って言って撤退させた話も聞いた事がある。<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■池田輝政■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-24T00:27:30+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3215.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3215.html</link>
<title>石田、小西、安国寺、引導を断る</title>
<description> 497 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 00:30:07 ID:jgdlniVm石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の処刑が、いよいよ行われると言う時のことである。その日は三人の最後を見ようと、京中の老若男女が刑場を十重二十重と囲んだそうだ。このころ、京の時宗六条派の本山、六条道場（歓喜光寺）の上人は、処刑される罪人に引導をわたす役目を受け持っていた。この日も道場の上人は弟子、出家を率いて、三成ら三人を待ってい
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 497 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 00:30:07 ID:jgdlniVm<br />石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の処刑が、いよいよ行われると言う時のことである。<br />その日は三人の最後を見ようと、京中の老若男女が刑場を十重二十重と囲んだそうだ。<br /><br />このころ、京の時宗六条派の本山、六条道場（歓喜光寺）の上人は、<br />処刑される罪人に引導をわたす役目を受け持っていた。<br /><br />この日も道場の上人は弟子、出家を率いて、三成ら三人を待っていた。<br />が、この三人、上人による引導を、無役だとして拒否した。<br />何故無益か？<br /><br />石田三成は<br />「自分は法華宗であり、念仏を信仰しない」<br /><br />小西行長は<br />「自分はキリシタンであり、そもそも念仏を必要としない」<br /><br />そして安国寺恵瓊は<br />「南禅寺の長老まで務めた自分が、いまさら引導など必要が無い」<br /><br />こう言われてかの上人、すごすごと立ち退き、その姿は京童たちに、<br />大いに笑い囃されたそうである。<br /><br /><br />六条道場（歓喜光寺）上人の、ちょっと恥ずかしい話。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />500 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 01:24:31 ID:yO/h8IYP<br />>>497<br />この三人打ち合わせしてたんじゃないかって位息ピッタリだなw<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>公家・寺社</dc:subject>
<dc:date>2009-11-24T00:25:57+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3214.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3214.html</link>
<title>同じ家を三度出奔した男・相良武任</title>
<description> 498 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 00:33:32 ID:9NEidfGo同じ家を三度出奔した男・相良武任相良武任は大内義隆に右筆として仕えた男である。義隆に寵愛され右筆以上の権限を持つようになってからは大内家の武断派、特に陶隆房から激しく嫌われていた。そんな天文14年4月、武断派奉行による掟書が出される事になる。殿中並びに私の銭、近年殊に過麗に及ぶと云々～で始まるそれは「武を忘れるべからずの精神」を
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 498 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 00:33:32 ID:9NEidfGo<br />同じ家を三度出奔した男・相良武任<br /><br />相良武任は大内義隆に右筆として仕えた男である。<br />義隆に寵愛され右筆以上の権限を持つようになってからは大内家の武断派、<br />特に陶隆房から激しく嫌われていた。<br />そんな天文14年4月、武断派奉行による掟書が出される事になる。<br />殿中並びに私の銭、近年殊に過麗に及ぶと云々～で始まるそれは<br />「武を忘れるべからずの精神」を説いたもので、<br />尼子攻め失敗以来すっかり文弱になった義隆とそんな義隆を甘やかす武任を<br />あてつける内容だった。<br />家中に居づらくなった武任は剃髪して本家である肥後相良氏を頼って逃げだした。<br />天文14年5月、武任出奔。<br /><br />これに困ったのは義隆である。<br />肥後の安国寺に説得を依頼し、義隆自身も手紙を出して必死に説得した。<br />3年近く続けられた義隆の説得に、そこまで必要としてくれるなら…＞＜と武任、<br />大内家に戻ることを決意した。<br />天文17年8月、武任再出仕。<br /><br />これにイラついたのはもちろん陶隆房と武断派である。<br />この頃から武断派は武任だけでなく義隆にも反感を抱くようになっていた。<br />・天文18年1月、陶隆房・麻生余次郎間の密約を露見させた家人を<br />麻生が殺害→義隆直々に隆房を詰問<br />・同3月から5月まで山口に滞在していた毛利元就御一行と隆房が内密に連絡をとり合っている噂<br />など不穏な空気が家中に漂う。天文19年9月になると隆房による義隆・武任幽閉計画の噂が立ち、<br />二人はそれを警戒して予定されていた神社参拝とりやめた。<br />その数日後には逆に義隆による隆房暗殺の噂が立ち、隆房は自邸の警護を固めた。<br />どちらも噂で済んだのだが武任は怖くなった。このままではやばい。<br />天文19年9月、武任再々出奔。<br /><br />武任は逃げた。剃髪して石見の吉見正頼を頼り、船を使って筑前まで逃げた。<br />筑前守護代杉興運の庇護を受け、花屋城をもらってそこで暮らしていた。<br />が、逃げたままでは面目が立たないと思ったのか、あくる日筆を持ち自身を弁明をする書状を書く。<br />これが「相良武任申状」である。自己弁護の他に、<br />「隆房が謀叛起こすって噂があるけど、この噂を広めたのは杉重矩です＞＜」<br />「てか重矩も隆房を嫌ってたくせに今になって隆房方についてるねー、ホント不思議だわｗ」<br />などと杉重矩を非難する内容もあった。<br />ある意味これは的を射ており、杉重矩の未来に暗雲をもたらす事になる…がそれは置いといて<br />これを読んだ義隆、武任を呼び戻した。<br />天文20年1月、武任再々出仕。<br /><br />山口には天敵・陶隆房の姿はなかった。<br />隆房は武任が再々出仕する二ヶ月前に暇乞いを願い出て富田に引きこもっているのだ<br />謀叛の空気をひしひしと感じていた武任は逃げ出すタイミングを探していた。<br />天文20年8月10日、武任再々々出奔。<br /><br />吉見正頼に義隆の密書を届けると、武任は筑前に逃げた。<br />そして天文20年8月29日、隆房はいよいよ山口に攻め入った。<br />この報を聞いた武任は花屋城に立てこもった。もう逃げる場所はない。呼び戻してくれる主もいない。<br />陶軍は容赦なく花屋城を攻め落とした。<br />享年54歳。首は山口に送られ隆房によって晒し首にされましとさ。<br /><br />その後、相良武任申状のことを知った隆房は杉重矩も殺しました。<br />彼も晒し首です。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />499 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 01:11:56 ID:M0ok+of3<br />同じ名門でも小田とはえらい違いだな<br />やはり当主の差か<br /><br />501 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 01:45:25 ID:rNv9d4qv<br />>>498<br />陶隆房って短気と言われる割によく我慢してるな<br /><br />503 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 06:05:55 ID:M0ok+of3<br />>501<br />大内の一族で誇りもあるだろうしだし寵愛されてもいたし、昔の義隆を知っていたから<br />佞臣さえ除けばという思いがあったんじゃないの<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>相良武任</dc:subject>
<dc:date>2009-11-24T00:24:47+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3213.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3213.html</link>
<title>小田氏治は智仁勇の三徳を備える</title>
<description> 502 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 02:26:35 ID:XzE7mT1p道灌の再来とも呼ばれた名将資正でバックに軍神と鬼が・・・これで瞬殺されない氏治は名将ではないか？504 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 08:22:32 ID:w59Gbmlw&gt;&gt;502名将かどうかはわからないけど、当時の人たちの評価を聞いてみたい身内や敵側とか、だれか日記にでも書いてないかな510 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 502 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 02:26:35 ID:XzE7mT1p<br />道灌の再来とも呼ばれた名将資正でバックに軍神と鬼が・・・<br />これで瞬殺されない氏治は名将ではないか？<br /><br />504 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 08:22:32 ID:w59Gbmlw<br />>>502<br />名将かどうかはわからないけど、当時の人たちの評価を聞いてみたい<br />身内や敵側とか、だれか日記にでも書いてないかな<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />510 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 10:39:25 ID:YDvqbEiK<br />>>504<br />当時とはとても言えないが、興味深いものを発見したので載せてみる。<br /><br /><br />茨城における戦国末期の合戦を記録したもので、<br />おそらく江戸時代にできた東源軍鑑(写し)という資料がある。<br />もっとも、文中で永禄元年と前置きしながら<br />佐竹の当主が義宣だったりとツッコミどころはあるが。<br /><br />そこの一項目で、佐竹義宣小田天庵(氏治)確執之事という章がある。<br /><br />四海大いに乱れ国土穏やかならず、<br />楽しいことも無く人々は餓えている、<br />なんとも浅ましい世の中だった…<br /><br />という出だしで始まるわけだが、問題はその後。<br /><br />この時代にあって、<br />佐竹義宣と小田氏治の二人は智仁勇の三徳を備えていた。<br />両虎であり、二龍であった。<br /><br /><br />ど う し て こ う な っ た 。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />511 名前：504[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 11:15:29 ID:vkfgOXR8<br />>>510<br />虎と龍で知勇兼備wwwwwwwwww<br /><br />地元の人が書いたのかな、ありがとうw<br /><br />512 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 11:17:42 ID:/ddIaKoD<br />小田氏治が虎であり龍であったとか違和感が凄いｗ<br /><br />513 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 11:32:22 ID:XzE7mT1p<br />>>504<br />記憶ですまないが直江兼続が古今東西大小問わず名将を上げろ言われて<br />大はもちろん謙信公で小は三楽斎以外に無しとか言ったとかなんたらかんたら。<br />地元のさいたま市は議会で岩槻城を築城したのは成田氏でなく太田道灌。<br />理由は有名人だからｷﾘｯ<br />なんか歴史捏造してないでもっと太田三楽斎を評価すべき。<br /><br />516 名前：514[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 12:08:15 ID:XzE7mT1p<br />>>504のレスを勘違いしてた<br /><br />>>510<br />ｺﾞｸﾘｯ・・・<br /><br />517 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 12:11:07 ID:9XbKkv2U<br />>>510<br />なんなんだ、その三國志演技のような書き出しはｗ<br /><br />518 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 12:14:37 ID:U7Ibx9Io<br />上杉、北条、佐竹らに囲まれた戦国真っ只中の関東で戦い続けた男<br />不屈の闘将、小田氏治さんカッコイイ！<br /><br />519 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 12:17:29 ID:fpT2gtDA<br />少なくとも江戸時代には小田氏治を敬愛の眼差しで見つめる人間が存在したというわけだな<br />そして更に現在、ネットの片隅とはいえその名前が語られる氏治<br /><br />ここ数日の流れのせいで妙に好きになっちまった<br /><br />520 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 12:22:05 ID:vkfgOXR8<br />氏真がなかまになりたそうにこちらをみている<br /><br />521 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 12:26:05 ID:fpT2gtDA<br />>>520<br />氏真はさ、今川義元の息子でありながらああもさっぱり諦めちゃった潔さ良さが凄いんだよ<br />で、小田氏治は小田原攻めでゲームオーバーするまで決して諦めなかった<br />異常な執念深さが凄いわけで<br />この二人は共に武将としての才能が乏しいということ以外は真逆だと思うんだ<br />俺は二人とも好きだが<br /><br />522 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 12:46:42 ID:kMnlZhAM<br />>>514<br />家臣誰もいないんだよね。ｗ<br />忠臣団が必死の抵抗 or 小田城奪還する<br />ところが見たいのに…。<br /><br />しかしこのスレでも人気が出てきたということは、<br />氏治様には天性の人気（じんき）があったん<br />だろうなぁ。<br /><br />523 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 12:50:46 ID:gimmsbwK<br />人徳とガッツは正直かなわん<br /><br />524 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 12:56:56 ID:9XbKkv2U<br />>>522<br />なに「のぼうの城」みたいなことを言ってるｗ<br />あれは色々と粗い小説だったな<br /><br />525 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/23(月) 13:03:27 ID:jhImjQOs<br />関東八屋形は個性派揃いだもんな～。<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■小田氏治■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-24T00:23:29+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3212.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3212.html</link>
<title>蒲生郷安「良き者」を連れ帰って何が悪い？</title>
<description> 527 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 15:35:01 ID:90mdE6d7文禄元年(1592)、蒲生氏郷は朝鮮の陣に備え、会津から肥前名護屋に行くことになった。出立に及んで氏郷は重臣の蒲生左文郷可を呼び、米沢城代として執政の職に着くよう申し渡した。しかし、郷可はこれを断った。「ならば、誰か他にお前の代わりが務まる者がおるのか？」「四郎兵衛がよろしいかと。」蒲生四郎兵衛郷安は、郷可と仲が悪かった。郷可がそれ
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 527 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 15:35:01 ID:90mdE6d7<br />文禄元年(1592)、蒲生氏郷は朝鮮の陣に備え、会津から肥前名護屋に行くことになった。<br />出立に及んで氏郷は重臣の蒲生左文郷可を呼び、米沢城代として執政の職に着くよう<br />申し渡した。しかし、郷可はこれを断った。<br />「ならば、誰か他にお前の代わりが務まる者がおるのか？」<br />「四郎兵衛がよろしいかと。」<br /><br />蒲生四郎兵衛郷安は、郷可と仲が悪かった。郷可がそれを置いて郷安を推挙したことを<br />氏郷は良しとして、米沢城を郷安に授けた。<br />しかし一抹の不安を覚えた氏郷は、米沢に近い中山城を郷可に授け、<br />「当家に敵対していた者でも、良き者であれば召抱えよ。」と二人に言い、九州へ向かった。<br /><br />しばらくして後、郷可の家臣が米沢城下を通り過ぎようとした時、郷安の手の者に囲まれ<br />米沢城に拉致されるという事件が起きた。<br />「おのれ、四郎兵衛！殿に推挙した恩も忘れ、何をするか！？」<br />「ふん、わしは殿の仰せに従ったまでよ。殿は「良き者を召抱えよ」と申されたではないか。<br />わしの城下にいた「良き者」を城に連れ帰って何が悪い？」<br />「貴様ァ――――ッ！！」<br /><br />激怒した郷可は、実弟の上坂源之丞、郎党の上坂左介、松下半兵衛、若宮三郎兵衛、<br />松田七兵衛、寄騎の布沢勝左衛門、伊南弥五郎、横田某などに兵を集めさせた上に、<br />“米沢からの攻撃に備えるために”中山城を改築した。<br />一触即発の自体に蒲生郷成・真令（備中）らが調停に乗り出し、事は一応の決着を見た。<br /><br />3年後の文禄4年、氏郷の急逝後、郷安は政務を独占し、これを批判した氏郷の近習筆頭<br />だった亘理八右衛門を郷安が暗殺すると、再び他の重臣と郷安は対立。<br />この騒ぎが太閤秀吉の耳に達し、蒲生家は会津92万石から宇都宮12万石に大減封され、<br />家臣団は散り散りとなった。<br /><br />信濃なる　浅間の岳は　何思ふ　我のみ胸を　焦がすと思へば<br /><br />塾長不在の蒲生男塾の話。↑は、氏郷が名護屋へ向かう道中で活火山・浅間山を見て<br />詠んだ句と伝わる。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />533 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 18:19:03 ID:t5qZ3gEQ<br />>>527<br />蒲生姓もらった人達同士かな<br />しかし急造の大所帯だけに、まるで家中の和がない・・ｗ<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>蒲生郷安</dc:subject>
<dc:date>2009-11-24T00:20:48+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3211.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3211.html</link>
<title>謙信と爆弾正の邂逅</title>
<description> 563 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 09:25:08 ID:w59Gbmlw調べていたら、謙信と爆弾正の邂逅についての逸話があったから書いてみる1559年　謙信は二度目の上洛をしていた。まだ正式に上杉家を継ぐ前であり、その事についての打ちあわせがあったと思われる。当主を辞めて出家しようとした謙信だけに、京都観光は楽しみにしていたのか街中を練り歩いていた。(この直前、腫れ物が出来て家臣たちが膿を吸いだしたり
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 563 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 09:25:08 ID:w59Gbmlw<br /><br />調べていたら、謙信と爆弾正の邂逅についての逸話があったから書いてみる<br /><br />1559年　謙信は二度目の上洛をしていた。<br />まだ正式に上杉家を継ぐ前であり、その事についての打ちあわせがあったと思われる。<br /><br />当主を辞めて出家しようとした謙信だけに、京都観光は楽しみにしていたのか<br />街中を練り歩いていた。<br />(この直前、腫れ物が出来て家臣たちが膿を吸いだしたり一騒動だったらしい)<br /><br />すると、ばったりと当時の近畿で三好の重臣として辣腕を揮っていた松永久秀と出くわした。<br />ここで、どのような会話がなされたかは分からないが謙信は久秀に対し、<br />気後れする事もなく振舞ったという。<br />久秀は将軍に気に入られている程度の田舎大名が、尊大に振舞うので<br />内心面白くなかったのかもしれない。<br /><br />それを感じとったのか、久秀の家臣二名が謙信に対し無礼を働いくと、<br />謙信は、この二人を三条橋のあたりまで連行して首を切り落としてしまった。<br /><br />この事に対し、三好も久秀も事を荒立てたくなかったのか講義は無かったという。<br /><br />そんな上洛してのやんちゃが多い謙信公の度胸のいい話。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />564 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/23(月) 09:43:04 ID:jhImjQOs<br />その時のトラウマか、義輝暗殺を実行スイッチを押させたのが、<br />義輝のために謙信が上洛して三好や松永を討ち滅ぼす為に近々上洛という風聞だったらしい。<br /><br />565 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/23(月) 09:45:53 ID:jhImjQOs<br />謙信が商人とのトラブルで堺に火をかけたりと暴君ぶりを発揮したが長慶が不問にしてあげたり…越後兵の上洛とかそんなに怖いんかな？<br /><br />566 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 09:48:20 ID:YDvqbEiK<br />>>563<br />その上洛の時って確か最初は長慶にもシカトされたんだよな。<br />そんでキレた謙信が長慶を襲撃しようとしたらしい。<br /><br />日本の副王も爆弾正もさすがに相手が悪かったか…<br /><br />567 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 10:00:20 ID:9XbKkv2U<br />>>563<br />上洛した時、謙信は時の将軍義輝に<br />「お望みならば手前の兵で逆賊共（三好・松永党）を討ち滅ぼしてご覧に入れましょう」と口上<br />将軍様はなんとかなだめて謙信の暴走を抑えたみたいだが<br /><br />スゲー自信だなと思うけど、謙信なら本気も本気なんだろうなあｗ<br /><br />568 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/23(月) 10:41:24 ID:queEP3ux<br />謙信なら仕方ない<br /><br />569 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 10:59:29 ID:vkfgOXR8<br />>>568<br />ちょっと待て<br />その言い方だと富田さんや鬼武蔵と同レベルに聞こえるぞw<br /><br />570 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 11:05:50 ID:2U1mrchE<br />スケールが違うだけで方向性は同じだと思うｗ<br /><br />571 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 11:18:45 ID:vkfgOXR8<br />謙信ヒャッハーか<br />ラスボスみたいにDQN四天王とは別格な気がする<br /><br />572 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 11:32:15 ID:zuZxf8Xf<br />でも暗殺に関しては義輝の方が先にやってるんだよな。<br />爆弾正も、義輝みて暗殺に開眼したんじゃね？<br /><br />573 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 11:54:10 ID:NUD/Uvib<br />久秀「暗殺！そういうものもあるのか」<br /><br />574 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 11:56:28 ID:vkfgOXR8<br />その二人が対織田では対織田包囲網に同時期参加してるし<br />人生なんて先がわからんな<br /><br />575 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 12:40:53 ID:ov8YGJKg<br />久秀「それでも謙信なら・・・謙信ならきっと何とかしてくれる」→謀反へ<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■上杉謙信■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-24T00:18:25+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3210.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3210.html</link>
<title>天正十三年のローストチキン</title>
<description> 594 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 20:30:05 ID:b/U49Hu+ほんの小ネタ。天正一三年、大坂城に諸大名を集めて行われた年賀の宴席に、ニンニクを使った鳥の焼物、現代で言うならローストチキンが出たという記録がある。
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 594 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/23(月) 20:30:05 ID:b/U49Hu+<br />ほんの小ネタ。<br /><br />天正一三年、大坂城に諸大名を集めて行われた年賀の宴席に、<br />ニンニクを使った鳥の焼物、現代で言うならローストチキンが<br />出たという記録がある。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■豊臣秀吉■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-24T00:15:54+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3209.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3209.html</link>
<title>伊達政宗、少年の記憶に刻み込まれる</title>
<description> 459 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 03:12:04 ID:p3PkMTPF伊達政宗、少年の記憶に刻み込まれる。徳川家光の御世、寛永七、八年（1630～31）頃、江戸において、伊達政宗が金森重頼の屋敷に遊んだ事があった。この時金森の屋敷の客の中に、旗本の兼松又四郎正吉もいた。ちなみにこの兼松、天正元年（１５７３）の朝倉攻め、刀根山の戦いの活躍で、織田信長より褒美として例の半足をいただいた、初陣は桶狭間と言う
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 459 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 03:12:04 ID:p3PkMTPF<br />伊達政宗、少年の記憶に刻み込まれる。<br /><br /><br />徳川家光の御世、寛永七、八年（1630～31）頃、<br />江戸において、伊達政宗が金森重頼の屋敷に遊んだ事があった。<br /><br />この時金森の屋敷の客の中に、旗本の兼松又四郎正吉もいた。<br />ちなみにこの兼松、天正元年（１５７３）の朝倉攻め、刀根山の戦いの活躍で、<br />織田信長より褒美として例の半足をいただいた、初陣は桶狭間と言う<br />歴戦の勇者である。<br /><br />どうも政宗、この日既に酔っていたらしい。<br />政宗が屋敷の中を移動した折、この兼松の着ていた肩衣に触れ、これを<br />はじくような形になったのだが、そのまま何の挨拶もなく通り過ぎようとした。<br /><br />「待たれよ政宗殿！」<br /><br />兼松は呼び止めた。<br />いくら太平の世になったとはいえ、この時代の武士である。このような無礼、<br />刀を抜いて血を見る事態になってもおかしくは無いのだ。<br />が、兼松はそこをぐっとこらえ、懐から扇を取り出すと<br /><br />『パンパーン！』<br /><br />と、政宗を二発叩いた。<br /><br />政宗、これに怒る、かと思いきや、何でもないような顔をして<br />犬坊という十番切（幸若舞の一つ）を舞いながら<br /><br />「打って腹立ちが収まるなら、いくらでも打てばよかろう。」<br /><br />と、静かに言った。<br />個人的にはどうにも挑発しているようにしか思えないのだが、まあとにかく、政宗にしては、<br />諸侯の長老らしく、平和裏に大人の態度で事を済ませようとしている、かに見えた<br /><br />「しかし考えてみれば、もしわしが同じように肩衣をはじかれたら…」<br /><br />ここまでは<br /><br />「その時は…それをした奴を逃がしゃしねえぞ！！」<br /><br />政宗、突然脇差に手をかけた！<br />なんだか解らないが、自分が同じことをされた場合を想像したら、怒りのスイッチが<br />入っちゃったらしい。なんとも困った爺様である。<br />やっぱりこうなったか！と、傍にいた者達、一斉に政宗に取り付いた。<br />こうして政宗を身動きできなくしたことにより、その場はどうにか無事に済んだ。<br />とのことである。<br /><br />これは、後に島原藩初代藩主となり、島原の乱で荒廃した地域の復興に尽力した<br />松平忠房が、12，3歳の頃にその場で見た事なのだそうだ。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />460 名前：奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日：2009/11/22(日) 03:38:57 ID:OOOjBe43<br />兼松という苗字は、岐阜県加茂郡坂祝町でダントツの人口を誇る。<br /><br />461 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 05:54:45 ID:2k0n8zPM<br />兼松さんも蘇ったのか…？<br /><br />462 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 10:37:15 ID:Eejrqtwe<br />兼松さんは1627年に86歳で家族に看取られて大往生を遂げたはずじゃ･･･。<br />政宗は本人が生き返ったり、相手が生き返ったり忙しいな。<br /><br />463 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 10:46:45 ID:IoOWHJoG<br />>>459<br />途中まで今日の政宗は一味違うと思ってたら…<br /><br />やっぱりいつもの政宗でしたかｗ<br /><br />464 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 13:22:05 ID:f6nCRt4t<br />>>459<br />俺の知ってる話だと、<br /><br />政宗「微禄の旗本ふぜいじゃ相手にしねえよ」<br /><br />って穏便にすましてたんだが・・・<br />どうしてこうなった<br /><br />465 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 14:55:32 ID:Y7fiNRWD<br />DQがN龍の二つ名のなせる業としか。<br /><br />466 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 16:01:41 ID:Nl1q+4lQ<br />>>464<br />ソース忘れたけど俺の知ってる話だと<br />金森さんが仲直りの杯用意したけど、まだキレてた兼松が杯投げつけて粉々にするオチと、<br />兼松が帰る時、政宗が兼松の袴の裾踏んづけてブッ倒して鼻で笑うオチの2パターンある。<br /><br />また、『葉隠』だと<br /><a href="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2498.html" target="_blank" title="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2498.html">http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2498.html</a>の旗本は<br />「若松又七郎」になってて、>>459が九州に変化した形で伝わったと思われる。<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■伊達政宗■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T00:22:17+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3208.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3208.html</link>
<title>小野次郎右衛門、手筋を見たいと頼まれて</title>
<description> 467 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 18:09:59 ID:nHISOxUnある大名が小野次郎右衛門を招いて「あなたの手筋を見たいという配下がいるんだけど見せてくれない？」次郎右衛門「それは仕合を望むということですね？遠慮は無用、相手をしましょう」いざ試合となると木刀を逆に執って「余計な事を望むな。怪我するだけ損だぞ」相手の木刀を叩き落したうえで両腕を打った「見えたか」と一言って身を引くと「多分腕が折
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 467 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 18:09:59 ID:nHISOxUn<br />ある大名が小野次郎右衛門を招いて<br />「あなたの手筋を見たいという配下がいるんだけど見せてくれない？」<br />次郎右衛門<br />「それは仕合を望むということですね？遠慮は無用、相手をしましょう」<br /><br />いざ試合となると木刀を逆に執って<br />「余計な事を望むな。怪我するだけ損だぞ」<br />相手の木刀を叩き落したうえで両腕を打った<br /><br />「見えたか」<br />と一言って身を引くと「多分腕が折れてるよ」と平然をしてる<br /><br />相手はその後両手の自由を失ったそうな<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />468 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 18:17:28 ID:HPrp6dsm<br />>>467<br />小野さんはえげつない話が多いよね。<br />武芸者の興行に飛び入り参加して優勝してみたり。<br /><br />469 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 18:18:55 ID:Mp0hRGqL<br />容赦ねぇなｗ<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>小野次郎右衛門忠明</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T00:20:17+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3207.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3207.html</link>
<title>豊臣秀吉、天下人の自信</title>
<description> 470 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 19:03:03 ID:eSdyeDTU天下人の自信小田原攻めの間とも、開城後、奥州に向かうときともいわれていますが、武田信玄や上杉謙信の話が出たとき、秀吉公はこう言いました。「謙信よ、信玄よ、早く死んで良かったな。生きていれば俺の部下だ。」頼朝公と友達（http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-846.html）だったり、さすがです。これを聞いた人も、確かにその通りだと思
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 470 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 19:03:03 ID:eSdyeDTU<br />天下人の自信<br /><br />小田原攻めの間とも、開城後、奥州に向かうときともいわれていますが、<br />武田信玄や上杉謙信の話が出たとき、秀吉公はこう言いました。<br /><br />「謙信よ、信玄よ、早く死んで良かったな。生きていれば俺の部下だ。」<br /><br />頼朝公と友達<br />（<a href="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-846.html" target="_blank" title="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-846.html">http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-846.html</a>）<br />だったり、さすがです。<br /><br />これを聞いた人も、確かにその通りだと思ったそうです。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />471 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 19:18:39 ID:KN9AsmWU<br />俺の部下になれたのに残念だなあ<br />と言わないところに部下への接し方が見える<br />のはうがちすぎですかね<br /><br />472 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 19:20:50 ID:+Jkpt57T<br />さすがラスボスw<br />頼朝はまだ分かるけど、信玄・謙信とか織田の武将の時に手こずらされてたくせに<br />信玄・謙信が和睦して共同戦線張られてたら、織田家はヤバかっただろw<br /><br />473 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 19:22:20 ID:53rcG7Jm<br />謙信よ、信玄よ、早く死んでよかったな（ｷﾘｯ<br />というやる夫AAで即座に再生されたｗ<br /><br />474 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 19:37:36 ID:40TOW4n3<br />ラスボスは逸話中の発想のスケール感がマジ半端無い<br /><br />475 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 19:39:09 ID:imWIl5DO<br />まあでも実際に、１５９０年の時点で信玄や謙信が生きていても、<br />秀吉に服従するか北条と一緒になって滅ぼされるかしかなかったろうな。<br /><br />476 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 19:52:53 ID:5t8982ql<br />信長、そして信忠までもが死んでくれて良かったな＞秀吉<br /><br />477 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 19:57:37 ID:HI5SoZ4G<br />>>476<br />ラスボスのことだから、邪魔なら用済みとばかり、<br />信長でも信忠でも始末したのでは？<br /><br />478 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 20:03:29 ID:HPrp6dsm<br />>>477<br />そのどちらか片方健在なら秀吉の天下取りはかなり難しくなると思う。<br />織田家内での内紛という状況にならないと。<br /><br />479 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 20:05:09 ID:5t8982ql<br />>>477<br />いくらラスボスでもそれは無理だろ・・・例えば誰が秀吉につくんだ？<br />蒲生とか堀とか丹羽などは命がけで織田につくだろう<br /><br />480 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 20:05:17 ID:PEGGhkV7<br />ifの話は嫌いじゃないがその辺にしとけ<br />スレの趣旨から些か外れてしまう<br />みんなで楽しくやろうぜ<br /><br />481 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 20:06:59 ID:Mp0hRGqL<br />うん、本能寺スレでやろう<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■豊臣秀吉■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T00:17:24+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3206.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3206.html</link>
<title>甘糟景継の冷遇</title>
<description> 482 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 21:21:46 ID:OsR8rSQs上杉二十五将にも数えられた甘糟景継は、謙信に見出された剛勇の将であった。しかし、関ヶ原の戦いの折、預かっていた白石城を伊達政宗に奪われてしまう。以後、上杉景勝には冷遇されたといわれる。これを聞き、実にもったいないと思ったのが徳川家康だ。家康は自らの旗本に招きたいと思い、畠山下総守に勧誘させた。景継は京の畠山屋敷に呼び出され、本
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 482 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 21:21:46 ID:OsR8rSQs<br />上杉二十五将にも数えられた甘糟景継は、謙信に見出された剛勇の将であった。<br />しかし、関ヶ原の戦いの折、預かっていた白石城を伊達政宗に奪われてしまう。<br />以後、上杉景勝には冷遇されたといわれる。<br /><br />これを聞き、実にもったいないと思ったのが徳川家康だ。<br />家康は自らの旗本に招きたいと思い、畠山下総守に勧誘させた。<br />景継は京の畠山屋敷に呼び出され、本多正純の書付まで示されて説得を受けた。<br />しかし、景継は頑として断り続けた。<br />「白石での失態は、すべて自分が悪いことです。<br />主君が怒るのは当たり前のことで、恨みに思うなどとんでもない。<br />上意はまことに有難く存じます。<br />しかし、どうかどうか、このまま譜代の主に仕えることをお許しください」<br />景継はそう言い、涙を流した。<br />家康はこの話を聞いて感動し、「だからこそ欲しいのだ」と悔しがった。<br /><br />さて、どこから漏れたのか、景勝にもこの一件が聞こえてしまった。<br />景勝は感動などしなかった。逆に怒った。<br />「わしに隠れてこそこそと畠山に会うなど、分を超えている。言語道断」<br />以後、いよいよ甘糟を疎み、景継は不遇のまま死去した。<br />子らは甘糟家の相続の沙汰下らず、津軽へと流れていったという。<br /><br />（続武者物語）<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />483 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 21:27:14 ID:+Jkpt57T<br />景勝酷過ぎでドン引きした<br /><br />484 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 21:28:28 ID:gZTCpWkT<br />景勝器小さいと率直に思ったが、そう思っちゃっていいのだろうか…<br /><br />昔からどうも景勝からの上杉は苦手だな<br />理由は分からないが<br /><br />485 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 21:30:19 ID:p3PkMTPF<br />>>482<br />この甘糟景継は、大河ではパパイヤ鈴木がやってた人…ｗ<br /><br />甘糟が疎んじられたのは、次男がキリシタンだった部分もあるのかもね。<br /><br />486 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/22(日) 21:46:57 ID:LjaJH3t2<br />>>464<br />神保 相茂「わしは7000石じゃ！」<br /><br /><br />487 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:25:49 ID:zx3i3eST<br />上杉将士書上で上杉四天王に名を連ねる程の勇士なのに同族の景継よりもマイナーな<br />扱いにされている甘粕景持。<br /><br />488 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:37:28 ID:+Jkpt57T<br />なんか上杉家臣団自体が他の有力大名と比べると影が薄い感じ<br />良くも悪くも謙信のカリスマ性が喧伝されている<br /><br /><br />489 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:42:59 ID:V/RC7kng<br />まあバラバラでまるで結束力の無い因縁だらけの家中を<br />謙信がカリスマと力業でねじふせてまとめていたようなもんだからな……<br /><br /><br /><br />493 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 23:15:29 ID:rTxsVh6z<br />謙信って若い頃は領土裁定に行き詰まって逃げ出したのにな<br />なんだかんだでよくまとまったよな<br /><br /><br />494 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 23:34:19 ID:/+zulvIK<br />御館の論功行賞はそれは酷いものだったらしいからな。<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>甘糟景継</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T00:16:24+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3205.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3205.html</link>
<title>案外謙虚な政宗公</title>
<description> 520 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 22:47:30 ID:wRuCMhhgある時のこと伊達政宗が本願寺の門跡より会食に招待された事があった。その後、能の興行が行われた。政宗、その番組（演目表）を見て、「杜若（かきつばた：能の演目の一つ）をやるのか！よし、ここの鼓はわしが打とう！」座の人々、一斉に眉をひそめた。『杜若なんて超難しい曲目じゃないか。プロでも大変なのに大名が打てる訳無いだろ！あーあ、せっか
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 520 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 22:47:30 ID:wRuCMhhg<br />ある時のこと<br /><br />伊達政宗が本願寺の門跡より会食に招待された事があった。その後、能の興行が行われた。<br />政宗、その番組（演目表）を見て、<br /><br />「杜若（かきつばた：能の演目の一つ）をやるのか！よし、ここの鼓はわしが打とう！」<br /><br />座の人々、一斉に眉をひそめた。<br />『杜若なんて超難しい曲目じゃないか。プロでも大変なのに大名が打てる訳無いだろ！<br />あーあ、せっかくの能興行がぶち壊しだ。』<br /><br />が、あにはからんや、政宗の鼓は見事であった。<br />物語の序破急節を、見事に表現した。<br /><br />曲が終わって門跡、感に堪えたように<br />「政宗公は鼓の名手であられますな！」<br />と、声をかけると、政宗<br /><br />「杜若に限らず、（難解な曲と言われる）獅子や姥捨の秘曲でも、打つ自信はありますよ？<br />まあ、そこいらの並みの能楽師じゃ、わたしの足元にも及びませんよ。」<br /><br />門跡に向って自画自賛。このあたりいかにも政宗らしい。が、<br /><br />「…ですがね、ふと思い出しましたが、細川幽斎なんて人は、鼓に限らず、もう<br />いろんなものの名人でした。ですが、その事を一生自慢しなかったそうです。<br /><br />わたしがこんな大口を叩くのは、人柄も鼓も、細川幽際に及ばないからだ。<br />ま、そんな風に思ってください。」<br /><br />案外謙虚な政宗公なのであった。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />521 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 22:51:48 ID:kgiw7Isc<br />>>520<br />鼓の勉強する暇あるなら、戦の勉強もしろよ。と思ってしまった俺は<br />悪い話スレに毒されすぎ？<br /><br />522 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 22:55:21 ID:pwW6tjBY<br />既に幽斎がこの世を去ってかなり経った頃と思われるので<br />戦の勉強しまくってると逆ににらまれるような時代の話かも知れんぜ<br /><br />523 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 23:01:05 ID:rN/y1UD3<br />幽斎の話を持ち出して一歩ひいてみるが、自慢したい欲求は抑えない政宗<br /><br />524 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 23:02:50 ID:wRuCMhhg<br />あ、この話はもう、家康も死んで政宗がフリーダムを楽しんでる時期の事ですねｗ<br /><br />525 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 23:04:49 ID:OR3WbBW+<br />幽斎さん、完璧超人過ぎるからな<br /><br />526 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 23:13:40 ID:3B2GthLD<br />結構名門の生まれで、腕っ節が強くて、天皇から助命嘆願来るほどの文化人てなんてチート<br /><br />527 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 23:23:15 ID:WJ7076H9<br />油や柿盗むほど手癖悪いし自分の子の情操教育は失敗してるけどな！<br /><br />528 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 01:29:36 ID:W56FUvRK<br />>>527<br />その息子さんも地雷さえ踏まなきゃ、親父ほどではなくてもかなりのチートだからなぁ。<br /><br />529 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 09:10:57 ID:za4kshnW<br />珍しく謙虚でいい話なんだから誰かまーくんを褒めてあげてよｗ<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■伊達政宗■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T00:15:20+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3204.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3204.html</link>
<title>上杉謙信は神保主殿という17歳の若者を新たに使い番とした</title>
<description> 530 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 09:39:40 ID:DADiwyYmこのスレって基本的に戦国後半の逸話が多い気がする自分は戦国末期殆んど知らなかったから、新鮮なんだけどある程度平和になってから色々語り継がれるようになったのかなといった訳で、どなたかの上杉謙信時代の家臣の逸話あったら聞きたいです531 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 13:36:41 ID:Iu1K+i/s&gt;&gt;530謙信の家臣というには無名
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 530 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 09:39:40 ID:DADiwyYm<br />このスレって基本的に戦国後半の逸話が多い気がする<br />自分は戦国末期殆んど知らなかったから、新鮮なんだけど<br />ある程度平和になってから色々語り継がれるようになったのかな<br /><br />といった訳で、どなたかの上杉謙信時代の家臣の逸話あったら聞きたいです<br /><br /><hr size="1" /><br />531 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 13:36:41 ID:Iu1K+i/s<br />>>530<br />謙信の家臣というには無名で微妙かもしれませんが。<br /><br /><br />ある時、謙信は使い番に欠員ができたので、<br />神保主殿という17歳の若者を新たに使い番とした。<br /><br />が、すでに使い番として仕えていた者たちにはそれなりの自負があったのか、<br /><br />「こんな右も左も分からんような小僧を我らと同列にするとは。」<br /><br />と、内心面白くなかったようである。<br /><br />これを知った謙信は、使い番の者たちを呼び出してこう言った。<br /><br />「使い番といえば、わしの目とも片腕とも呼べるものでなければならん。<br />　よって、十分吟味した上でおまえたちを使い番に命じたわけだ。<br />　<br />　それで、新たな使い番のことだがな。<br />　新たな者を選ぶにあたって以前武役を務めたものが適任かと思ったが、<br />　中途半端な者を選べばかえっておまえたちの気分を害するかもしれぬ。<br />　<br />　そこで、全く経験の無い神保をわしの眼力を頼りに選んだのだ。<br />　おまえたちならしっかりと使い番として教育してくれると思ってな。」<br /><br />その後、神保主殿は加賀尾山の城攻めで功を上げ、謙信から感状を賜ったという。<br /><br /><br />神保の才を見抜いた謙信、彼を一人前に育て上げた使い番仲間、<br />そして両者の期待に応えた一人の若者の話。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />532 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 15:17:58 ID:6CYc0kIf<br />謙信って世間ではただの戦馬鹿的な印象広まってるけど<br />気を使うなかなか優秀な将だよね<br /><br />533 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 15:18:40 ID:H6OV6i8D<br />おかん武将ですから<br /><br />537 名前：530[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 18:36:54 ID:+Jkpt57T<br />>>531<br />ありがとうございます、神保性という事は越中神保氏の関係者かな<br />たしか佐々成政に仕えた神保氏がいた記憶はあるんですが<br /><br />なんか血縁て意外な所で繋がってる事がある気がする<br />謙信の配下に真田と同族の海野氏とか見かけた事あるし<br /><br />538 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 19:03:25 ID:hC8uUojw<br />>>537<br />軽く調べたんだけど神保主殿てのが何者かはよく分からなかった。<br />苗字が苗字だし、おそらく越中神保氏の縁者かと。<br /><br />神保長職は1568年以前に謙信と何度か和睦してるし、<br />その時に人質にでも出されたのかもね。<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■上杉謙信■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T00:14:12+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3203.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3203.html</link>
<title>奇声を発する理由</title>
<description> 534 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 17:52:18 ID:l0C2BSWI奇声を発する理由池田輝政は時々一人で「ウォー」とか「ウワァー」とか奇声を発することがあった。家臣たちが驚いて「いかがなさいましたか？」と訊くと、輝政は苦笑してこう言った。「驚かせてすまない。今起きていることが昔俺が考えた通りのことなので、思わず俺もたいしたものだ、と嬉しくなったのだ。今後もしばしばこういう声を出すと思うが、別に
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 534 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 17:52:18 ID:l0C2BSWI<br />奇声を発する理由<br /><br />池田輝政は時々一人で「ウォー」とか「ウワァー」とか奇声を発することがあった。<br />家臣たちが驚いて<br /><br />「いかがなさいましたか？」<br /><br />と訊くと、輝政は苦笑してこう言った。<br /><br />「驚かせてすまない。今起きていることが昔俺が考えた通りのことなので、<br />思わず俺もたいしたものだ、と嬉しくなったのだ。<br />今後もしばしばこういう声を出すと思うが、別に心配しなくてよい。<br />俺が奇声を発した時は、会心の声だと思ってくれ。<br />嬉しくてこういう声を出すのだ。」<br /><br />話を聞いた家臣たちは納得し、胸をなでおろした。<br /><br />その後も輝政はしばしば一人で「ウォー」とか「ウワァー」とか奇声を発し続けた。<br />だが、その声を聞くたびに家臣たちは<br /><br />「いま、城の仕事が全てうまくいっているのだ。」<br /><br />と安心した。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />535 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 17:55:28 ID:HI5SoZ4G<br />なんか武断派の中心人物って全員、奇人変人だな。<br />奉行派がマシに思えてくる。<br /><br />536 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 18:02:32 ID:xoOEf6+2<br />>>534<br />既出…かと思ったらオチが違うね<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■池田輝政■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T00:12:23+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3202.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3202.html</link>
<title>武田信玄と上杉謙信　お互いを認め合う話</title>
<description> 539 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 21:05:22 ID:+Jkpt57T有名な逸話ですが纏めてみました「武田信玄と上杉謙信　お互いを認め合う話」信玄は、遺言で有名な「自分の死を三年間隠せ」とともに、勝頼に宛てて遺言を残したといわれる。内容は、「自分は謙信と幾度も戦ったが、お前は謙信とは和睦した方がいい。謙信は義に篤い人物だから、きっとお前の助けになってくれる筈だ。」と書き残した。その遺言の影響があ
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 539 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 21:05:22 ID:+Jkpt57T<br />有名な逸話ですが纏めてみました<br />「武田信玄と上杉謙信　お互いを認め合う話」<br /><br />信玄は、遺言で有名な「自分の死を三年間隠せ」とともに、勝頼に宛てて遺言を残したといわれる。<br />内容は、「自分は謙信と幾度も戦ったが、お前は謙信とは和睦した方がいい。<br />謙信は義に篤い人物だから、きっとお前の助けになってくれる筈だ。」と書き残した。<br />その遺言の影響があったのか、後に勝頼は上杉景勝を支援し信玄の娘・菊姫を嫁がせ<br />信玄・謙信が世を去った後、武田家と上杉家は婚姻関係を結び同盟が成立した。<br /><br />対して謙信は信玄の死が伝わると、「吾れ好敵手を失へり、世に復たこれほどの<br />英雄男子あらんや」と<br />食事中にも関わらず号泣し、宿敵・信玄の死を惜しんだ。<br />家督交代に乗じて攻め込むのはよくある事で、家臣が武田攻めを進言したが<br />謙信は、信濃に兵を進める事はなかったという。<br /><br />第一次川中島合戦から数えて、約二十年戦い続けた戦国時代の名将二人も<br />死を間近にしては、互いに戦を通じて親しみを感じていたのかもしれない。<br /><br />そんな両雄の生まれが違えば仲が良かったのかもと思わせる、いい話。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />540 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 21:08:53 ID:jah12rTx<br />謙信は女性でﾂﾝﾃﾞﾚだからな。<br /><br />541 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 21:26:21 ID:iwgDrwgp<br />>>539<br />これ出てなかったのかｗ<br /><br />542 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 21:53:45 ID:XwbPxavF<br />>>539<br />この二人の互いに争いあったが、<br />一方で互いを認めてたっていう話は熱くていいわ。<br />これぞまさに天の配剤ってやつだな。<br /><br />543 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/22(日) 21:54:04 ID:LjaJH3t2<br />>>514<br />で、エンディングは泳いでいくんだなｗ<br /><br />>>518<br />そいつらの子供の代も結束はしてたな<br />結束して宇喜多家の結束を崩した--;<br /><br /><br />544 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:18:16 ID:imWIl5DO<br />>>539<br />すでに矛盾しまくっているんですけどね<br /><br />545 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:38:35 ID:V/RC7kng<br />しかし謙信、信玄が死ぬとすぐに関東の諸勢力相手に<br />信玄が死んだ今こそ力を合わせて武田勝頼と北条氏政を倒そうぜ！って手紙出してるよね<br />例の小田さんまでも貰っている<br /><br />546 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:51:00 ID:O2wRiXwn<br />あんなに役立たずな小田さんにも書状が届くとは穏<br />やかな話ではないな。<br /><br />548 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:58:14 ID:5iuTbFQt<br />小田さんの動員能力を甘く見るな！<br />ただ天才的に指揮能力がなかったんだ<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■上杉謙信■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T00:11:34+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3201.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3201.html</link>
<title>島津義弘の家臣北山内助が早退したいと言ってきた</title>
<description> 547 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:56:33 ID:PwaR6ekdある時、島津義弘の家臣北山内助が義弘に早退したいと言ってきた。「なぜ早退するのだ。理由を言え」「実は家の馬が病気でして」「うまぁ？馬ごときで早退か！？」義弘が笑うので内助は続けて言った。「はい。馬は足の代わり、ご奉公に必要なものです。それがしの家にいる蟻や蜘蛛が病気でも、それが貴方のお役に立つなら帰ります」「ううむ、さような心
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 547 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/22(日) 22:56:33 ID:PwaR6ekd<br />ある時、島津義弘の家臣北山内助が義弘に早退したいと言ってきた。<br /><br />「なぜ早退するのだ。理由を言え」<br />「実は家の馬が病気でして」<br />「うまぁ？馬ごときで早退か！？」<br /><br />義弘が笑うので内助は続けて言った。<br /><br />「はい。馬は足の代わり、ご奉公に必要なものです。<br />それがしの家にいる蟻や蜘蛛が病気でも、それが貴方のお役に立つなら帰ります」<br />「ううむ、さような心掛けであるか」<br /><br />義弘は納得した。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>島津義弘</dc:subject>
<dc:date>2009-11-23T00:10:48+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3200.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3200.html</link>
<title>雑談・宇喜☆宇喜フェスティバルについて</title>
<description> 496 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 09:44:22 ID:JblLH590そういえば今日だっけか、宇喜多フェス497 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 10:28:35 ID:KM09uo04直家「宇喜☆宇喜フェスティバルは岡山城天守閣広場で本日13:00から！鉄砲隊の撃ち方指南とかやるからみんな来てね♪」498 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 10:36:41 ID:YJ7Pf1qs大将を狙撃する方法指南ｇｋｂｒ499 名前
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 496 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 09:44:22 ID:JblLH590<br />そういえば今日だっけか、宇喜多フェス<br /><br />497 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 10:28:35 ID:KM09uo04<br />直家「宇喜☆宇喜フェスティバルは岡山城天守閣広場で本日13:00から！<br />鉄砲隊の撃ち方指南とかやるからみんな来てね♪」<br /><br />498 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 10:36:41 ID:YJ7Pf1qs<br />大将を狙撃する方法指南ｇｋｂｒ<br /><br />499 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 10:51:56 ID:K4Hl7i/W<br />特別ゲスト<br /><br />遠藤又次郎・喜三郎兄弟<br /><br />500 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 10:58:03 ID:/RJfE8WI<br />何故いい話スレでフェスティバルの宣伝をするんだｗ<br /><br />501 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 12:02:17 ID:kgiw7Isc<br />１３：００からのフェスティバルの宣伝を１０：３０にされても、間に合わないだろう。<br />せめて１０：００にしてくれないと。<br />それだと近畿、北部九州の人間は間に合う。<br /><br />502 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 15:36:11 ID:3B2GthLD<br />宇喜☆宇喜暗殺フェスティバル行った人いるんだろうか？<br />自分は遠くてとても行けないけど、いつか中国地方も言ってみたいな<br /><br />というか、岡山は森家のイメージが強かったけど地元は宇喜多をプッシュしているのか<br /><br />503 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 16:27:24 ID:C9Z6IAK2<br />うきうき行って来た。ちょっと風が強くて寒かった。<br />後楽園は紅葉の真っ最中。銀杏が綺麗だった。<br /><br />……寒かったから、太鼓の実演だけ聴いて帰った。<br />そんな悪い話。<br /><br />PS:ハッピ着て太鼓叩いてる外人さんや、甲冑着て火縄銃の解説してる外人さんなど、<br />割と外人率高めだった。<br /><br />504 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 16:28:39 ID:wRuCMhhg<br />>>503<br />ちょっとした戦国祭りみたいな感じのものだったのかな？<br /><br />505 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 17:26:40 ID:4uOlzr2d<br />Oh！　UKI☆UKI　FESTIBAL♪<br /><br />506 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 19:01:03 ID:wRuCMhhg<br />某所に浮き☆浮きの写真が上がってた<br /><br />> 246 名前：以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 18:21:47.31 ID:JRfhHpQo<br />> うっきー<br />> http://kita.kitaa.net/10/s/10mai346873.jpg<br />> あったまる<br />> http://kita.kitaa.net/10/s/10mai346874.jpg<br />> 天守をバックに<br />> http://kita.kitaa.net/10/s/10mai346875.jpg<br />> 鉄砲隊<br />> http://kita.kitaa.net/10/s/10mai346876.jpg<br /><br />あったまるは<br />http://www.okayama-cci.or.jp/ukita/attamaru.gif<br />> ▲湯原 温丸（ゆばら あったまる）<br />> 湯原温泉郷キャラクター<br />> 湯原温泉の湯治場は<br />> 秀家の母「おふくの方」が開設した<br /><br />らしいｗ<br /><br />507 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 19:15:06 ID:VIG/3yKT<br />直家はほんとうは心のあったかい人だった説もあるね。<br />秀家に対してだけは…<br />いっぽう忠家は兄の手が及ぶところでは鎧を脱げなかった。<br /><br />508 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 19:21:11 ID:kgiw7Isc<br />直家って貧乏していた頃、譜代の家臣を養うために<br />経費節減で毎月数日、断食していたんだろ。<br />謀略で領土拡大したのだって、戦いで多くの人を死なせたくなかったからでは無いか？<br />結果的には殆ど合戦の犠牲者を出していないのだから。<br /><br />509 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 19:23:38 ID:WJ7076H9<br />ロマンチストだな<br /><br />510 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 19:29:40 ID:LbP5KQPu<br />謀略は自分の戦力は減らないわ、敵の戦力をそのまま吸収できるわで上手く使えればおいしい。<br />ま、悪く言われるのは仕方ないよ。<br />燕雀いずくんぞ、ってね、民衆は分かりやすいほうを好むのさ。<br /><br />511 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 19:45:33 ID:3B2GthLD<br />弱小勢力が生き残るためには、頭使って汚い謀略も使わざるを得ないと思う<br />滅んで困るのは、家臣と領民なわけだし<br /><br />直家なんか浦上家の重臣の孫から没落を経験したから余計に生き残りに必死だったろうな<br />初めて城任された時、帰農していた家臣たちがかなり集まったんてね<br /><br />512 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/21(土) 19:49:19 ID:abA237d9<br />>>507<br />それは兄を自分のみを盾にして守るという心意気の表れに一票<br /><br />513 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 20:04:09 ID:VIG/3yKT<br />>>512<br />無理やりいい話に持っていこうとしてないかｗｗ<br />助かるけどもｗ<br /><br />514 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 20:39:16 ID:3B2GthLD<br />この話の流れなら大河ドラマ化可能じゃね？<br />毛利並みにキレイな謀略にすれば、一応信長と絡められるし<br />秀家加えて二代記にすれば三傑全員出せる<br /><br />515 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 20:49:00 ID:WJ7076H9<br />対外戦争が少なく自身の権力確立の為の謀殺がやたら多いし<br />一般的にもっとも身近な存在のはずの家族が死んで怯えてるから無理<br />そういうロマンは嫌いじゃないけどな<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>その他</dc:subject>
<dc:date>2009-11-22T00:12:45+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3199.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3199.html</link>
<title>宇喜多直家の美作三宮城攻めと岡平内利勝</title>
<description> 516 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 21:58:38 ID:JtFA/qre天正7年(1579)3月、宇喜多直家は美作三宮城を攻めたが、城主・村上勘兵衛はみずから60騎を率い討って出る剛の者で、なかなか勝負がつかなかった。直家は明日こそ城を落とさんと、若手の足軽大将ら4人を呼んで策を授けようとしたが、隣室でこれを聞いていた、家老の岡平内利勝が進み出た。「殿が弓を取られて以来、大事の謀を戸川、長船、そして私に明か
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 516 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 21:58:38 ID:JtFA/qre<br />天正7年(1579)3月、宇喜多直家は美作三宮城を攻めたが、城主・村上勘兵衛はみずから<br />60騎を率い討って出る剛の者で、なかなか勝負がつかなかった。<br />直家は明日こそ城を落とさんと、若手の足軽大将ら4人を呼んで策を授けようとしたが、<br />隣室でこれを聞いていた、家老の岡平内利勝が進み出た。<br /><br />「殿が弓を取られて以来、大事の謀を戸川、長船、そして私に明かされぬことはなかった。<br />しかるに此度、若い者どもと謀を成すとは、誠に心許なし。<br />この上は、明日我ら城に討ち入り、村上が首を取ってお目に掛けるべし。首を取らずんば、<br />生きて再び帰りませぬ！」<br /><br />自陣に戻った利勝は、先駆けするには身軽でなければ、と思い家臣の半井原某を呼んだ。<br />「おい、オレの鉄の脛当ては重くていかん。お前の脚絆を貸してくれ。」<br />「お断りします。利勝様は、城中まで騎馬で行けばよろしかろう。私は徒歩で行くのです、<br />鉄の脛当てでは不自由です。」<br /><br />翌日、仕方なく鉄の脛当てを着け出陣した利勝は首尾よく村上勘兵衛と遭遇して渡り合い、<br />勘兵衛を押さえつけた。<br />その時、勘兵衛の妹が長刀で利勝の足に斬りつけたが、鉄の脛当てのおかげで無事に<br />済み、そのスキに追いついて来た半井原が彼女の首をはね、利勝は勘兵衛の首を挙げた。<br /><br />城将の首を見た直家は苦笑しつつ、「また利勝が手柄を立ておった。」と褒め、また、<br />「脚絆を借りず、長刀の難を逃れたのは運が良かったからだ。半井原は一人、利勝の供を<br />して難を救い、良く働いた。」と言い、二人に感状と褒美を与えた。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />517 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 22:07:15 ID:3B2GthLD<br />従者の活躍って珍しい気がする、乙<br /><br />518 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 22:32:03 ID:Jyfg9eSa<br />>>516<br />戸川、長船に岡で宇喜多三家老だったか。<br />直家も昔から苦労してるだけに、<br />その頃からの家臣との結束はそうとう固かったんだろうな。<br /><br />519 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 22:37:37 ID:Zvk1uejw<br />直家は謀略見事に成し遂げて帰ってきた家臣にきっちり報いたり<br />切腹させた相手との約束守って子に扶持与え続けたり<br />いいところも多いと思うが…敵とか自分を脅かす可能性感じた相手とかへの対応は凄いからな。<br /><br />まぁしゃーないところ。<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■宇喜多直家■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-22T00:11:09+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3198.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3198.html</link>
<title>小田氏治、家臣の言葉を聞き入れず</title>
<description> 408 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:09:41 ID:+Q7cUxT+小田氏治、家臣の言葉を聞き入れず一、手這山の戦直前佐竹義重は小田氏討伐のため真壁道無を派兵した。そして佐竹勢は「片野に旗を揚げれば氏治は出る」と考えて氏治を挑発した。小田の重臣、菅谷政貞は怒る氏治を諌めた。「出陣はいけません！どうかご再考を！」「駄目だ」かくして出陣した氏治は見事に惨敗した。家臣の信太伊勢守は「強も捨てる処あり
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 408 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:09:41 ID:+Q7cUxT+<br />小田氏治、家臣の言葉を聞き入れず<br /><br />一、手這山の戦直前<br /><br />佐竹義重は小田氏討伐のため真壁道無を派兵した。そして佐竹勢は<br />「片野に旗を揚げれば氏治は出る」と考えて氏治を挑発した。小田の重臣、<br />菅谷政貞は怒る氏治を諌めた。<br /><br />「出陣はいけません！どうかご再考を！」<br />「駄目だ」<br /><br />かくして出陣した氏治は見事に惨敗した。家臣の信太伊勢守は<br />「強も捨てる処あり、弱も用いる処あり。若鳶天狗にならず」と絶望し<br />出仕しなくなったため逆心を疑われて氏治に成敗された。<br /><br />二、手這山の戦<br /><br />戦いのさなか、真壁勢を発見した氏治はこれを叩くため坂を登ろうとした。<br />しかし、家臣たちは何かがおかしいと感じていたのである。<br /><br />「真壁勢があまりにも少なすぎます。おそらく本隊は筑波山をまわって<br />挟み撃ちにするつもりです。早く引き上げるとしましょう」<br />「駄目だ」<br /><br />具申を退けた氏治であったが、真壁の鉄砲のために敗北し、筑波山をまわり<br />こんだ敵本隊と合流した部隊によって小田城を落とされてしまうのだった。<br /><br />三、手子丸の戦<br /><br />天正になると小田家の命運も尽き始めていた。そんな時に小田家の智将、<br />天羽源鉄斎が氏治に遺言を残して死去した。<br /><br />「よろしいか殿、絶対に野戦はいけませぬぞ。篭城して後詰を待つのです。<br />考えてもみて下さい、我ら小国が大国とまともに戦えるはずがありません。<br />国力に差があるのに一人が一人と戦って勝てますか？しかし篭城なら一人で<br />二十人と戦えるのです。ですから常に守勢にお立ちになることが重要なのです」<br /><br />天羽の死を見た佐竹は手子生城に出兵した。<br /><br />「ついに佐竹が攻めてきました。ここは亡き源鉄斎殿に従い篭…」<br />「駄目だ」<br /><br />天羽の遺言を無視して出陣した氏治であったが、佐竹に挟撃されて敗北。<br />氏治はほうほうの体で逃げ戻った。<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />409 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:16:20 ID:hp9iF3FP<br />家臣はこいつのどこに惹かれて仕えていたんだw<br /><br />410 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:17:37 ID:gtSsrHk+<br />>>408<br />なんでこれで人望あるんだろうなｗｗ<br />わかんねー<br /><br />411 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:22:34 ID:1l2mm3HS<br />まあ、「源平以来の名家の当主」としての矜持を感じないでもないがｗ<br /><br /><br />412 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:23:44 ID:PnUPVpKi<br />氏治本人になにかとてつもない魅力があったのか<br />それともあくまでも氏治本人ではなく「小田家」に忠を尽くしていたのか<br /><br />前者だと思いたい俺は氏治に毒されてきたようだ<br /><br /><br />413 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:26:31 ID:8PzckN6h<br />むしろ家臣が押し切られすぎだろ<br />黒田さんちのボロクソ苦言が必要だった<br /><br />414 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:27:07 ID:MMg1Coy8<br />ここで氏治をネタ扱いしてる奴らも、いざ小田家の危機とあれば全国どこからでも駆けつけるんだろ？<br /><br />417 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:44:39 ID:hp9iF3FP<br />>>414<br />ここにいるぞ！<br /><br />418 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:57:08 ID:e63x8IoT<br />菅谷政貞　「あんな殿だからこそ」<br />天羽源鉄斎「我々が支えなければと…」<br /><br />立花道雪　「あー、わかるわかる。」<br />高橋紹雲　「他人とは思えませんな…」<br /><br />419 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 22:59:00 ID:fRiqtSZL<br />12/06(日）1030～　1330～（同内容）<br />小田城址確認調査現地説明会<br /><br />同日には真壁城址発掘調査現地説明会もあります。<br /><br />興味があるかたはどうぞ。<br /><br />420 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 23:27:41 ID:IQMeC2wu<br />>>408<br />戦の天才すぎるｗ<br />俺でもまだマシな采配が出来るんじゃないかと思えるくらいｗ<br /><br />421 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 23:32:45 ID:LbAjErL5<br />>>408<br />このあふれでる決断力はどこから来るんだろうｗ<br /><br />422 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 23:45:04 ID:7+VpcI3Y<br />氏治は劉備みたいなもんだろ<br /><br />晩年の劉備みたいに他を圧倒するような謀臣や武将がおらんかった<br /><br />423 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/20(金) 23:55:20 ID:+Q7cUxT+<br />>>408<br />すいません。<br />最後から五行目の手子丸城は手子生城の間違いです。<br /><br />424 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 00:15:53 ID:jyXk6zye<br />>>418<br />下二人の殿は、それなりに有能だろ。<br /><br />私生活はあれだがｗ<br /><br />426 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/21(土) 00:26:10 ID:aTJyDsrv<br />以前自分が読んだ光栄の武将本に上杉憲政は百戦百敗の武将と書いてあった覚えがあります。<br />もしかしたら小田氏治ばりの武勇伝もあるかも知れないね。誰かご存知ないだろうか・・・<br /><br />427 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 00:36:57 ID:e9WL7EbM<br />俺が住んでる近くで死んだわ<br />最後は宿敵・北条の息子と一緒に、あの世逝くとは想像してなかったろうな<br /><br />432 名前：人間七七四年[] 投稿日：2009/11/21(土) 11:38:40 ID:/eZCR66M<br />三楽ちゃんは伊達を出し抜いて蘆名へ佐竹義広を養子に送り込むのに成功したり<br />佐竹に内緒で直接に秀吉にレターしてたが、<br />佐竹も三楽ちゃんま～た内緒で勝手にやってるけど、三楽ちゃんならまあいいかってな感じだったな。<br />もっとも肝心な時に息子の梶原が北条に内通しちゃったりw<br />最晩年に小田原攻めの際に秀吉に「小田原城あまく見ちゃいけないんだから」って言って<br />不興を買っちゃった。<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>■小田氏治■■</dc:subject>
<dc:date>2009-11-22T00:09:51+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
<item rdf:about="http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3197.html">
<link>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3197.html</link>
<title>デス武将扱いされる日根野弘就</title>
<description> 425 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 00:17:53 ID:QD5SAcuf某スレで日根野弘就がデス武将扱いされてたなー428 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 00:57:47 ID:/RJfE8WI&gt;&gt;425だって日根野さんは破滅の神に選ばれし男だし。876 名前：日根野弘就の華麗なる仕官歴[sage] 投稿日：2009/11/19(木) 20:55:23.63 ID:jaFzDAwo斎藤家：滅亡今川家：滅亡浅井家：滅亡長島一向一揆：壊滅織田家：木っ端微塵豊
 </description>
<content:encoded>
<![CDATA[ 425 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 00:17:53 ID:QD5SAcuf<br />某スレで日根野弘就がデス武将扱いされてたなー<br /><br /><hr size="1" /><br />428 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 00:57:47 ID:/RJfE8WI<br />>>425<br />だって日根野さんは破滅の神に選ばれし男だし。<br /><br />876 名前：日根野弘就の華麗なる仕官歴[sage] 投稿日：2009/11/19(木) 20:55:23.63 ID:jaFzDAwo<br />斎藤家：滅亡<br />今川家：滅亡<br />浅井家：滅亡<br />長島一向一揆：壊滅<br />織田家：木っ端微塵<br />豊臣家：滅亡<br />西軍に内通：大敗北<br /><br /><br /><hr size="1" /><br />429 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 01:06:24 ID:kgiw7Isc<br />>>428<br />日本版劉備？<br /><br />430 名前：人間七七四年[sage] 投稿日：2009/11/21(土) 01:46:53 ID:F2B4luqg<br />日根野さんも早くに武士辞めて甲冑職人にでも転職していれば……<br /><br /> ]]>
</content:encoded>
<dc:subject>日根野弘就</dc:subject>
<dc:date>2009-11-22T00:08:51+09:00</dc:date>
<dc:creator>まとめ管理人</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
</item>
</rdf:RDF>