島井宗室の述懐  秋月種実への遺恨・悪い話

2009年05月13日 03:50

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 17:41:48 ID:1uJIE4Wf

島井宗室の述懐  秋月種実への遺恨

博多商人というものは、李王朝、さらにはこっそりとですが明、更にはルソンとの
交易で大儲が出来ましたから、博多の街は随分と栄えたものです。
堺の町衆に負けじと街の周囲にはぐるりと掘り割りを廻らし、武家の力をものともせず
自治を誇ったものでした。
しかし戦国大名達の横暴は実に目に余ります。ま、豊後の大友宗麟公は手前どもとも
懇意にして頂いておりましたので、別でございますが。

当時の博多商人の間でも茶の湯は盛んでした。
不肖、私めも足利義政公縁、堺の天王寺屋からこの地に伝わった
楢柴肩衝なる大名物を持ち、日々研鑽を積んだものでございました。
茶の湯というものは、武家も商家もございません故、この道を通じて
総見院様とも懇意にさせて頂きました。
本能寺のおり、どさくさ紛れに火焔の中から空海筆の千字文のお宝をちょろまかしたこと、
今となってはお恥ずかしき限りでございます。

そんなある日、夕刻の拙宅に二人の武士が訪れてまいりました。秋月家の御家来衆とか。
また、楢柴への執拗な御所望、お断り申し上げましたが、今回はなんと刀を抜く構え。
無粋にも程がございます。
「私を切ってお持ちなされ」と申し上げようかと存じましたが、
古処山しか知らぬ山猿大名風情に切られるのも癪でございます。
只で投げ出すようにくれてやりました。
それ以来、茶を立てる気力が失せる程、意を失いましたが。

それから数年後、因果はめぐるものでございます。
関白秀吉様の九州征伐でございます。関白様を成り上がり者と侮った秋月種実様、
楢柴肩衝と自分の娘の人身御供の御蔭でなんとか首が繋がりました。
が、筑前36万石から日向の片田舎3万石への磊落でございます。
楢柴が取り持つ縁で関白様との商売は大繁盛、私の笑いは止まりませんでした。

意を強くした私は、それ以後朝鮮と秀吉様との間で奇々怪々な働きをするので
ございます。




405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/12(火) 17:51:50 ID:JZ05v6Q3
確か信長もこれを手に入れようとした直前で殺されたよな

スポンサーサイト