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真田式部清鏡の切腹

2013年06月21日 19:50

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/21(金) 11:01:18.98 ID:WCkNjnBn
出羽羽黒山は修験の盛んな山であった。
羽黒山で重職にあった出羽真田家は武将の出であって、行法の事に預からず山内の行政を司っていたが、
中には行法に優れた者もあった。

真田式部清鏡は、真田幸隆の子とも言われ、羽黒山で修験者となり醍醐坊を開いた。
また天正19(1591)年九戸政実の乱の折には、南部利直を助けとされる。
慶長4(1599)年の頃、清鏡は檀那である利直と碁の賭けをして勝ち、利直の娘を妻にする約束をした。
しかしこの約束を利直が果たさないので、清鏡は南部家への面当てに、南部家の玄関で腹を切り果てた。
利直はその事に怒り屍を川に投げ捨てさせたが、
屍は川を逆流して三戸に流れ着き、それ以来清鏡の霊が南部家へ祟りを成すようになった。
そのため、利直は浅岸薬師の境内に清鏡荒神として清鏡を祀り、その祟りを鎮めたという。


知切光蔵 天狗の研究より





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南部利直 代官を叱る

2012年07月07日 21:08

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/06(金) 20:25:21.77 ID:tvLtD7va
南部利直 代官を叱る

陸奥の南部氏領は、浄法寺塗に代表される漆の産地だった。
漆掻きが始まる頃、時の当主 南部利直は家臣の毛馬内三左衛門宛に宛てて書状を書いた。

『漆掻きに良い時期となったので、漆掻きの者たちを代官たちにつけて、急ぎ派遣しなさい。
 最近は(量を取ろうとして)漆を深く掻かせてしまい、木を枯らせてしまう。
枯れなかった木も傷んで、実がならなくなってしまう。
 漆は一杯ニ杯少なくても良いから、木を枯らせないようにさせなさい、そう毎年申し付け、
奉行にもそれを伝えているのに、奉行たちがそれを理解していない。
もし木が枯れたら、それは奉行の落ち度として処罰するから、よく申し付け、厳重に取り締まるように』

代官の悪い話の気もするけど、資源を大事にした年直のいい話ってことで。





283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/07(土) 20:02:33.54 ID:WZeXkCam
漆に実がなるのかよとぐぐったらろうそくの原料の原料か…

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/07(土) 20:05:01.51 ID:EPbOlz/G
欲は身を滅ぼす、っていう事の好例だな

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/07(土) 20:08:32.11 ID:tIwx5QfD
どっかの記事で森を守るには独裁者が適してるというのを読んだ

286 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/07/07(土) 20:10:59.58 ID:VdlAuKXN
森を守るのは、信長。

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/07(土) 20:40:49.99 ID:zJGl1MAL
もうりまもる、は宇宙飛行士

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/07(土) 22:44:45.24 ID:10mCiz8Z
>>286
TERU「信長さんは身を挺して毛利(もり)を守ってくれたんだね。ありがとう!」

289 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/07(土) 22:46:55.83 ID:azH3NmH/
>280
お隣は津軽塗りもあるし、良い漆が取れるんだろうな

わんこそばの始まり

2011年11月27日 22:00

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:28:14.36 ID:Pfb6bthU
わんこそばの始まり

南部利直が江戸に向かう際、花巻市鍛治町の宿に立ち寄り、食事を所望した。
「殿様がお食事ご所望だじゃ」
「なら蕎麦出すべ」
「んだども、お口に合わねがったら失礼になんねべか?」
「あー…んだば少しずづ出して様子見んべ」

家人は漆塗りの椀に一口大に蕎麦を盛りつけ、利直に出した。
「美味い!」
利直は蕎麦を大変気に入り、何度もお代わりをした。
以来、蕎麦を小分けして振舞うことをわんこそばと呼ぶようになったという。

ちなみに当時は今のような大食いの形ではなく、ゆっくり味わって食べるのが普通だったそうな。




780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:30:43.22 ID:FEKM4Qwa
昔のほうが風情があるね ちょっとずつ味わって食べるんだ
いつから大食い・早食いなんて下品な食べ方にしてしまったのか…

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:35:01.46 ID:TvijQjtC
>>779
この時代に江戸でさえまだまだな蕎麦切りが奥州奥深くに波及しているわきゃ無い

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:42:31.09 ID:q9otc+Aw
蕎麦がきだったかも。

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:43:09.56 ID:70A4zj5d
>>781
蕎麦掻きのわんこそば説


南部さんが蕎麦アレルギーじゃなくてよかったよ

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/27(日) 18:50:59.34 ID:V4M2Ixzs
たしかに蕎麦がきならゆっくりたべるってのもわかるな。

南部利直、盛岡築城の普請現場で

2011年03月16日 00:00

340 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/15(火) 18:01:15.31 ID:LcLonGfK
南部利直、盛岡築城の普請現場で

盛岡築城の総指揮をまかされた南部利直は、自ら現場監督と共に普請の現場を見回っていた所、
ひとりの人夫が気にかかり声を掛けた。
「お前の面体は並の百姓には見えない。さだめし名のある者だろう、名を名乗れ」
百姓は一度は否定したが、利直の眼識に服して潔く伊達の家臣であることを認めた。人夫に紛れ
て城の様子を探ろうとしたのだ。

間者は処罰を覚悟していたが、利直は平然と間者に聞いた。
「この城地を見てお前はどう思う?」
「は?」
「城を探っていたなら心得はあるだろう。どんな感想を持った?」
「……されば、全て結構な惣構えですが、東北の方に山を負っているのが惜しいことです。
ここを占拠すれば遠目が利くものなら城内を一望できてしまいます」

この山とは現在の愛宕山の事らしく、実際、現在この山には展望台があり、盛岡の街が一望でき
るようになっている。
利直はこれに頷き、その間者を処罰することなく、人数をそえて仙台に送り返させた。伊達さん
への皮肉も感じさせる対応である。

南部利直、間者に城の感想を聞く話。




「十左衛門火」

2010年06月20日 00:02

468 名前:sage[] 投稿日:2010/06/19(土) 17:32:05 ID:E/tjJ2RR
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1454.html
この話の補足。ソースは実家で埃をかぶってた岩手の民話集

「十左衛門火」
北信景は通称を十左衛門と云い南部利直の寵臣だったころは十左と呼ばれていた
その十左衛門が伊勢で捕らえられ盛岡藩の利直の元へ連行された

十左衛門は弓の名手として家中でも知られ、大坂の陣でも巧みな腕前を披露し将軍秀忠の目に止まった
利直は秀忠に「南部は惜しい家臣を失ったな」とまで云われてしまい、かつての寵臣だっただけに怒りは激しかった
まとめには利直じきじきに処刑したとあるが、利直が命じたのは惨いもので
十左衛門の全ての指を一日一本ずつ切り落とせと命じたのだ

利直「指を落とされるたびに己の罪を悔いるが良い!」
十左衛門「ならば拙者は指を1本落とされるたびに、殿へ怨みの矢を10本射てくれましょう!」
返事に怒った利直の命令で処罰は執行された
そして全ての指が切り落とされた20日後、再び利直は十左衛門に対面した

利直「どうじゃ!少しは後悔したか?」
十左衛門「おお!殿へ怨みの矢を200本放ちましたぞ!」
利直「おのれ!まだ云うか!」
カッとなった利直は持っていた銃をブッ放し十左衛門を撃ち殺した

それ以来、城には怪異が続き十左衛門が殺された刑場に鬼火が出るようになり
人々は「十左衛門火」と呼んで恐れおののいた
さて、全国的な知名度は低いがDQN度は高い南部利直。彼は別に暗愚ではない
利直「十左のことは、やはりワシの不徳の致すところだろう」と思いなおし供養塔を建てた
ねんごろに弔ったところ、しばらくすると怪異は治まり鬼火は出なくなったそうだ

どんな怪異が起きたのかは民話集には載っていなかったです




南部利直の虎退治

2010年06月16日 00:00

398 名前:sage[] 投稿日:2010/06/15(火) 17:02:26 ID:wro4E+7x
ソースは民話集なんで緩い目で見てください

南部利直の虎退治

大坂の陣での功績で南部さんは徳川家から雌雄2頭の虎を拝領した
城内に厳重な檻を作り、マタギから一名の虎番が選ばれた
スリランカだったか、とにかく南国産まれの虎が東北で生きるのも大変そうだが
差し当っての問題は肉食獣である彼らのエサだった
虎たちの食欲は旺盛で鹿、猪など獲りつくし猟犬までエサに出すように命令が出たほどだ

ある時、虎番が檻に鍵をかけようとしたところ雄虎が檻から脱走し
目の前にいた虎番に牙を向き襲いかかった
南部利直は虎番のピンチを、たまたま高楼から見ていた
そして火縄銃を装填すると狙い定めてぶっ放し見事に雄虎を仕留めた

残った雌虎は1622年まで生きていたそうだが
檻に紛れ込んだ虎番の猟犬とケンカになり、老衰していた雌虎と猟犬は相打ちで死んだそうだ
戦国かどうかも微妙で、いい話か悪い話かも迷ったが
生まれ故郷から離された虎には気の毒な話と思い悪い方に投下




404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 19:19:49 ID:RZ37HjKJ
>>398
シベリアトラ(チョウセントラ)は意外と北国(雪国)でも
生息している。加藤清正が退治した虎もおそらく同種じゃないかな?
まあ、飼育には現代でも、かなり手間がかかるんで、利直も
折を見て処分したんだろうね…虎には気の毒だけど。
現代であれば人間より手厚く保護されるだろうに…



関連
清正の土産
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5204.html

本国に帰りたい南部利直

2010年01月03日 00:03

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/02(土) 12:44:55 ID:VenamTkc
関ヶ原の時のこと

南部利直は家康からの命により、上杉景勝征伐のため、山形は新庄までその軍勢を進めていた。
が、ここで上方に置ける石田三成挙兵の報が伝わり、さらに南部領内において一揆が勃発した。
まあ、この一揆の黒幕は西軍ではなく例によってこの人なのだが… →(●∀゚)ナニカ?

利直は進退極まり、とにかく本国に引き上げようと仙北と最上の境の山道を通って撤退を始めた。

さて、仙北との境金山と言う場所に最上の端城があり、ここに丹の与三という小身の者が、少数の
守備兵と共に置かれていた。

退却中の南部からこの金山城に軍使が送られる

『ここを通って本国に引き上げようとしている最中であるが、この城をお借りして
一泊させていただきたい。』

これに与三は激怒した

「義光様より、あなた方をお通し申せとの命もない以上、いかなる理由があろうともここを通すことは
出来ません!是非にまかり通ると言うのなら、一戦に及びましょう。
ましてや城を宿として貸すなど、沙汰の限りでござる!」

南部勢はこの勢いに驚き、なんと小荷駄を捨てて逃げてしまった。
そして致し方なく新庄へ再び戻ろうとしたが、この事が最上義光に報告されると、義光は
南部の通行を許可する旨を命じ、これで南部勢はようやく本国に帰ることが出来た、と言うことである。

たかだか端城の勢いに腰の砕けてしまった、南部さんのちょっと情けない話。




466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/02(土) 16:36:28 ID:1DuPsclb
ただでさえ、当初の東軍助成をうっちゃつて帰るところなのに東軍の軍勢と一戦なんてとんでもないと、
南部さんにしてみたら、怖いのは家康だったんだろうな。


467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/02(土) 17:04:27 ID:pvVMS2Tq
>>465
投げ捨てた小荷駄に鮭が入っていてだな…

南部信直、津軽為信に対して・悪い話?

2009年03月01日 00:14

上方で人付き合いに苦労し、すっかりホームシックになった南部信直
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-181.html
書状で他にもこんなことを言っていた

「津軽為信のやつ、前田利家殿のところで迂闊な言動をしたそうです、馬鹿だよね(笑
それで前田の陪臣風情に、田舎者って罵られたみたいですm9(^Д^)プギャー!!
最近じゃ、さすがに為信も前田殿や浅野殿に顔を出せないんだってwざまあww」

同じ境遇にいたってもなお、仇敵同士は和解できないのだった




439 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 23:11:38 ID:mHNPpkNb
>>438
流石南部さんと津軽さん。仲の悪さは筋金入りだぜ。

440 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 23:12:43 ID:YR9G/KzF
現代でもいがみ合ってんだしそりゃそうよね

441 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/27(金) 23:32:34 ID:rmlbjCLx
下の人間はさらに下の人間を見て安らぎを得るのです。

442 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/28(土) 01:55:47 ID:am5C+oNK
その信直の手紙、津軽に対する嘲笑というよりは
「オラだけじゃなくて為信も馬鹿にされただよ、田舎ものはなんで上方大名に馬鹿にされるんだべか」
という同情の気持ちが有ると自分は感じたが
少なくとも原文読む限りそんなプギャーとかいうノリじゃなかったよ

無粋は承知だけど

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/28(土) 09:56:02 ID:JuQ+Ig65
いや、無粋じゃないだろ
むしろ同じ逸話なのかと思うぐらいニュアンスが違う
>>438の意訳の仕方だと南部の器量ちいせーw
と思ったけど>>442読むと地方大名の悲哀みたいなのを感じるし

本当に逸話は書き方次第すなぁ

444 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/28(土) 11:00:01 ID:JVB5gvt+
>>443
南部の場合、ろくなエピソードがないからなぁ。
いい話といえば、第三者が読んでも共感できない
「相馬大作テロリスト」の話とかだし。

南部利直とその家臣、北信景・悪い話

2009年02月24日 00:13

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 09:30:50 ID:AISn4vDq
南部利直の家臣に北信景という男が居た
彼は名臣北信愛の甥で南部盛岡藩の金山奉行を勤めた有能な人物である

ある日、利直の食事に小石が混じっていた
これに激怒した利直は小姓をしていた信景の子の十蔵に料理人の手打ちを命じた
しかし十蔵、料理人の必死の抵抗にあって重傷を負い死亡してしまう
これに信景は「元服前の若輩に命じる事か!」と激怒し出仕しなくなってしまう
これに利直も激怒、閉門処分とし職責を剥奪してしまう
こうなると収まりがつかない信景はついに高野山へ出奔してしまうのである

そして大坂冬の陣
大坂城内に派手な甲冑を身につけ‘南部の光武者’と渾名された南部信景なる人物がいた
そう、北信景である
彼は南部宗家血を引いているのでこの名乗りは利直への当てつけである
さらに彼は入城に際して、弓500矢1万(祐清私記)とも鉄砲数百挺(篤焉家訓)いわれる膨大な装備品を持ち込んだ
これらは金山奉行時代に‘不正に’貯め込んだ財産が元手であるといわれる
もちろんこの信景の行動に利直は激怒
従来、徳川への忠勤を示すとされる冬の陣へ強行参戦も信景を討つ為だけだったとする説もある

さて、夏の陣終了後もしぶとく生き残った信景であったがついに伊勢にて捕縛される
盛岡藩に移送された彼を南部利直は直々に処刑した


いろんな部分で悪い話




297 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/23(月) 10:03:54 ID:QYZ8Mf1r
>>296
北信愛「俺が長生きしていれば…」

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 10:47:35 ID:+mWgVJTC
南部の当主って根暗揃いのイメージ

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 11:19:08 ID:NKpF8JqO
津軽為信「ワシもそう思う」

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 11:37:40 ID:29f7XcwC
九戸政実「わしもそう思う」

301 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/23(月) 11:43:46 ID:COXheLoU
>>298
南部って
「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く」
と言う歌の、叩く方ってイメージなんだな。
自分も強者にしてやられているが、
弱い立場の相手にはものすごく高圧的。
もののふの情けとかとは無縁。

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 12:19:51 ID:sZIhWmjq
何故突然南部叩きの流れに?
弱いものに高圧的になるのが酷いと言う人に、朝倉宗滴翁のお言葉を

「犬とも言え、畜生とも言え。武士は勝つ事が本にて候」

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 12:21:04 ID:nOe2tkKM
それはさすがに南部さんに失礼
だがまじめに住んでいる場所の気候が似ていると
生活環境など諸々が似ていて、人間性なども似ているらしい

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 12:31:50 ID:EGNti6Y8
お前ら→え゜=ぷノ ←南部さん

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 12:41:01 ID:kVuIlv65
万が一に備えて、家臣を大阪に送り込むも徳川の勝利。
徳川への弁明のために後で話を捏造系のネタのような気がしないでもないが。

308 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/23(月) 19:27:08 ID:6IHhSLbb
>>306
テル「家臣をこっそりと大阪に送り込むなんて卑怯だよ」

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/23(月) 19:45:24 ID:1zRwLVaG
>>306
三斎「家臣じゃなく息子を大坂に入れた大名もいるらしいぜ。徳川に忠勤を尽くす細川家にはあり得ない話だな。」

南部利直と大槌孫八郎・悪い話

2008年10月16日 11:59

73 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/09/03(水) 00:41:20 ID:/J5HghFJ
閉伊郡内で3千石あまりを領していた大槌城主・大槌孫八郎だが、
南部氏により秀吉に南部領だと勝手に報告されて、
心ならずも南部配下とされてしまう。
剛毅な大槌孫八郎は商才もあったとみえて、名産の鮭を
「南部鼻曲がり鮭」として江戸に売り出し利を得るが、
それが南部家に警戒される元となり、南部利直により
濡れ衣を着せられて南部一族の奥瀬家にお預けになる。
ある日奥瀬家の家人から「暴れ馬を何とかしてくれ」
と頼まれた孫八郎は、馬術の心得もあったので
馬を取り押さえようとするが、とたんに刺客が数人沸いて出てきて
そのまま殺害、大槌に残っていた息子も南部家により殺害され、
大槌家は滅亡して南部藩による代官所が置かれた。

うーん、だいぶ悪い話になったかな?
でも南部がいつも津軽の件では被害者扱いされるんで、書いてみた。