北南 それとも知らず此糸の

2015年12月15日 17:25

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/14(月) 21:28:26.05 ID:M3Jj7P8F
大坂の役でも先鋒として活躍した脇坂安元は当時、武家第一の歌人でもあった。
寛永の頃、幕府が諸家の系図を召した特、彼が提出したものは、祖父の代より記したもので、その初めに

『北南 それとも知らず此糸の ゆかりばかりの末の藤原』
(北家か南家か、その他京家、式家の何れとも知れませんが、たまたま藤原氏の末裔を名乗っております)

そう書いて提出した。これを見た将軍家光は大変感心したそうである。

(藩翰譜)



97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/14(月) 21:37:19.43 ID:/uHFtuBT
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3895.html
既出だが出典はなかったようだ
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脇坂安元も悩んでいた

2010年03月25日 00:09

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/24(水) 07:21:23 ID:y0PBMvAU
ご先祖様でもう一丁いくか

同じころ、脇坂安治の子、安元も悩んでいた。
「ダメです殿、全然それらしい史料がみつかりません!」「うーん……」
悩んだあげく、安元は↓のような系図を提出した。


藤原氏 ―――― 脇坂安明 ―― 安治 ―― 安元


「なんじゃこれは…ウソつくにしても、もう少しマジメにやれよ……」
将軍家光は不快を示したが、良く見ると系図には安元自筆の和歌が添えてあった。


北南 それとも知らず この糸の ゆかりばかりの 末の藤原

(槍一本でのしあがった当家は、藤原の子孫とか聞いてるだけで、北家だの南家だの難しいことは
わかりませーん!)

その後おとがめのない所をみると、安元の開き直りは幕閣に好感をもって受け入れられたようである。




571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/24(水) 07:21:54 ID:CefimmKt
>>570
やだ…かわいい…

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/24(水) 07:56:12 ID:/p5RgKLP
戦国時代は下剋上だの実力主義だの言ったところで、その戦乱の世が収まってしまえば
やっぱり家系の重要性が復活しちゃうというのも悲しいもんだな

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/24(水) 08:21:41 ID:kcm7rEGd
林羅山と太田資宗が編纂した「寛永諸家系図伝」の内容は、編纂奉行の太田さん自身の系図が
すでにデタラメという体たらく。

江戸時代には武家を中心に「系図買い」なる商売が繁盛し、「 大名も 前は野に伏し 山に伏し 」
と川柳で揶揄されているな。

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/24(水) 08:47:40 ID:UDcmUYMO
>>573
武功自慢が出来なくなるからね