雑談・筑紫氏について

2012年10月16日 20:11

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 22:33:29.19 ID:yxZMlk+8
筑紫氏はてっきり大蔵系かと思ってたけど、そういう訳じゃなかったのね
明確な味方が全くいないんだなあ(自業自得な面もあるが)
>>932とか見ると本当に生き延びるのに必死だったんだろうな

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 23:22:06.47 ID:OqRfzS4J
筑紫満門:大内方へ離反し大内氏の肥前郡代となるも馬場頼周に暗殺される

筑紫尚門:杉興連の肥前侵攻軍先鋒となるも龍造寺家兼に討たれる

筑紫惟門:大友から離反し毛利方につくが敗れ山口へ亡命、復帰するも斎藤鎮実に攻められ自害

筑紫広門:龍造寺から離反し大友方につくも島津に居城を奪われ拉致監禁後ドサマギで脱出、筑後へ減封領地替えで大名存続
するかにみえたが関ヶ原で西軍につき鍋島勝茂から居城を包囲され降伏、加藤清正を頼る
が、加藤家も改易され細川家の厄介となり大阪の陣に従軍するも数年後に死没
子の主水正広門が旗本に取り立てられたのは広門死後三年の話

950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 00:17:42.37 ID:YE/IAZdz
>>949
そこらの武家よりよほど死にまくってるような・・・

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 01:08:50.62 ID:vYS+gtvy
っていうか少弐がさあ………
龍造寺の一家も全滅させてるし、筑紫もこれだし、そりゃ滅びるわ
まぁそれでも毎度毎度不死鳥のように復活してるあたり「家」の魅力なのかねぇ

>>950
嗣子がいて家が存続してれば勝ちってことなんじゃないの
惟門が自害したのも広門助命のためみたいだし
和睦の条件として広門が斎藤鎮実の下の妹と婚姻したのもこの時だ
上の姉が宋雲尼(高橋紹運妻)だっけか

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 02:36:36.62 ID:GEYfB5fz
高橋統増はとんだとばっちりだわな
宝満山城の開城は筑紫広門が捕まったことが一因なのに当の広門はさっさと脱出してるんだもの

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 03:02:28.19 ID:ReE506LX
宋雲尼関連で常山紀談に載ってる話だと
南関(常山紀談だと『北の関』)に捕まっていた宋雲尼を龍造寺家臣の堀江覚仙が保護して
立花山へ送った話がある
九州治乱記だと娘と大木兵部丞(蒲池謀殺を隆信に難詰して気に入られた逸話がある人)が加わる

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 00:34:08.00 ID:phStM6dH
従属大名家をすごく簡単に書くとこんな感じか
少弐家…大内家…
(以降惟門時代)
大友家…毛利家…大友家…高橋(鑑種)家…
(以降広門時代)
大友家…龍造寺家…島津家…大友家…豊臣家…(改易)…徳川家

うん、特に広門時代だよねw
たぶん秋月家あたりも同じような遍歴を辿ってるはずだけども
筑紫家と秋月家は大体一緒に行動することが多いね
島津北上の時に袂を別ったけど、降伏は秋月種実を介在してだったらしいし、
助命されて幽閉で済んだのも種実のお陰だったのかもしれない

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 01:27:44.16 ID:xrpJIKwq
スロットマシンのぐるぐる回るやつみたい・・・。

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 01:42:54.23 ID:V8ZCGupB
ミリオ~ン スロット!

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/17(水) 01:51:49.17 ID:phStM6dH
[横取り40万石] (ピコン)

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筑紫家の身の守り方 一.「長いものには巻かれろ」

2012年10月15日 20:13

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 17:28:23.44 ID:XZBVDR98
悪い話スレに好きな筑紫広門の話があったので興奮して書いた

弱小勢力の悲哀 筑紫家の身の守り方
一.「長いものには巻かれろ」
筑紫氏は大宰少弐氏の一族の出といわれている。
筑前国御笠郡筑紫村の地頭職であったため、筑紫と名乗ったらしい。
少弐氏は鎌倉時代から筑前において大きな力を持っていたが、
大内氏の西進により徐々に衰退して行く。室町時代、応仁の乱を経て、
大内氏と少弐氏の争いは激化、筑紫家は少弐氏に従い大内氏との戦いに明け暮れた。
しかし大内氏の力は強大で、少弐氏は徐々に筑前における勢力を失い、
肥前の龍造氏を頼っていくこととなる。大内方・陶興房の本格的な少弐攻めにより、
少弐政資・高経父子は討ち取られ、筑紫満門は大内氏に降伏することになる。
その後高経の弟、少弐資元が少弐氏を再興。資元の重臣・馬場頼周は
満門の女婿だったため、大内氏についた満門を再び自軍に引き戻そうとした。
満門は、これからの時代は大内氏の勢い盛んになるのは必定、
少弐氏が生き残っていくためには大内氏の下につくしかないと逆に諭した。
しかし資元は父と兄を滅ぼした憎き大内氏に降伏した筑紫満門を恨み、
頼周は資元と謀って満門を騙し討ちにして殺害。
以降、少弐家と筑紫家は完全に袂を分かつことになる。
しかしそれが本家と関係を絶った弱小勢力の流浪の始まりでもあった。

大内氏の下で少弐氏との戦う→大内義隆が陶晴賢の謀叛で殺害される→大友氏と和睦
→毛利元就が北九州に進出→毛利家に付く→敗れて安芸に落ち延びる
→2年後九州に再上陸し旧領を回復→しかし大友氏に降伏→高橋鑑種が筑前に着任
→鑑種は筑前の国人たちに接近、比較的安定した大友支配下の時代
→龍造寺隆信が毛利氏と組んで筑前に勢力拡大→立花鑑載が毛利氏に通じて謀反
→高橋鑑種もこれに加わり、懇意としていた筑紫惟門・秋月種実らも同調
→大友軍の猛攻により筑紫惟門は子の広門らの助命を条件に自害
→毛利軍も出雲で尼子勝久が挙兵したため退却、秋月種実も降伏→大友支配下時代
→大友宗麟が耳川で大敗→それを契機に龍造寺が筑前進出→龍造寺側につく
→龍造寺隆信が沖田畷で討死→島津が筑前・筑後にまで勢力拡大→島津側につく
→突如高橋家と婚姻、大友氏につく→島津軍北上し敗退→秀吉軍が九州上陸
→幽閉先から脱出、島津軍を追い出し旧地回復→筑後上妻郡一万八千石を安堵、豊臣大名に
→筑前筑後衆として立花宗茂、小早川秀包らとともに肥後国人一揆、小田原征伐、
朝鮮の役など常に行動を共にする→関ヶ原の合戦で東軍について改易
→子は細川忠興の口添えで謝罪、大坂の陣に出陣した功で徳川旗本家として存続



936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 19:41:49.41 ID:60ZXLO6g
さすが戦国のカメレオン大名と言われるだけのことはある

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:07:32.86 ID:x0Hbw+K8
短中編の歴史物の舞台としては面白そうだな

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:13:23.96 ID:yR7j2g47
こういう生き方は格好悪いが好きだなw
帝国主義時代のタイ王国や20世紀のフィンランドみたく敬意を払うべき存在だ

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:21:50.35 ID:7002YGsM
泥臭くて俺好きだぜ

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 20:53:13.61 ID:RLfVSYc2
ん?
>関ヶ原の合戦で東軍について改易

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:13:09.21 ID:mvuryzzP
門が通字の家って珍しいよね

942 名前: 忍法帖【Lv=35,xxxPT】(1+0:8) [sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:14:25.28 ID:BjsnJ1vT
良く言えば「機を見るに敏」
悪く言えば…

943 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/15(月) 21:22:09.83 ID:Y1u2knWZ
>>940
ん?
>関ヶ原の合戦で東軍について改易

「関ヶ原の合戦で西軍について改易」が本当。

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:25:43.80 ID:RP0r2P4J
最初から東軍についてたのに改易になった大名がいるのか知りたくなった

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:49:51.37 ID:RLfVSYc2
>>943
西軍なんですね。何ぞやらかしたのかと・・・。

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 21:57:49.77 ID:Plea9pIU
佐野綱正「徳川家のために討ち死にしたのに」

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 23:08:35.11 ID:eDzTvCWf
>>944
西軍に寝返って改易くらった人は居るけど、ずっと東軍で改易は無かったような・・・
後は敵前逃亡の木下勝俊とか

筑紫家の身の守り方 二、「危なくなったら逃げろ」

2012年10月15日 20:12

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 17:29:30.19 ID:XZBVDR98
二、「危なくなったら逃げろ」
筑紫家の居城・勝尾城の峠を挟んだ筑前国側の五箇山に一ノ岳城という城があった。
五箇山は非常に山深く天険の地であり、大軍が攻めても狭い道で少人数しか通れない。
そのため一ノ岳城は要害とされ、勝尾城が落ちた時の「逃げ込み城」の役割があった。
勝尾城から五箇山までは地元の人間しか分からない無数のけもの道があり、
さらに五箇山からは博多や唐津など海へ抜ける逃げ道までも確保されている。
筑紫家の家風としては「城を枕に討ち死」などありえない考えであり、
とにかく危なくなったら逃げて再起を計れという思いがこの城の存在から見てもわかる。

筑紫惟門が大友軍に敗れ毛利氏を頼って落ち延びた際もこの道を通り唐津から出航したらしい。
その後九州に再上陸した時は大友方の博多代官を殺害し、旧領に戻っている。
高橋鑑種と共に反乱を起こした際はさすがに逃げ切れなかったのか一族の助命を条件に自害。
このとき筑紫惟門が腹を切ったのも一ノ岳城だったそうだ。

筑紫広門が島津軍に降伏した後も、家人の園部財部が五箇山周辺に立て篭もり、
一ノ岳城自体は秋月軍に占領されていたものの、広門が幽閉先から脱出してくると
秋月勢を追い出しまず一ノ岳城を占領、そして翌日にはもう勝尾城を奪い返している。
『上井覚兼日記』によると島津義久は「なぜ早く広門を処刑していなかったのか、
それが叶わないにしてもなぜ早く八代に連れて来なかったのか、言語道断だ」と怒り、
「御恥辱此上ハなく、人の申さぬ所にてハ、御落涙なさるる計也」とかなり悔しんだという。


このように大きな勢力への集合離散を繰り返し、
「逃げ城」まで作って家系を残そうとした筑紫家。
およそ一般的な戦国武将の「義理」のイメージとは離れているためかあまり人気がなく
大友家に忠義を尽くした立花道雪・宗茂、高橋紹運らと常に比べられるが、
戦国時代の小勢力としての生き様に親近感を感じるのは私だけだろうか。




952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 01:18:27.24 ID:VDDbOaCm
義久、泣くほど悔しかったのかw
たしかこのあと捕まってた宋雲尼と娘まで奪還されたから
警戒が強まって立花統増夫妻は薩摩本国まで移送されちゃうもんな
本格的な島津攻めを前に折衝して取り戻したらしいけど

筑紫広門は常にこれらの城を攻略しようと策を練っていた

2012年10月15日 20:12

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 20:43:47.80 ID:Lc9bBxPg
高橋紹運が宝満・岩屋城督、立花道雪が立花城督になって以降、
筑紫広門は常にこれらの城を攻略しようと策を練っていた。例えば…
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-856.html
立花城には計略を仕掛け、岩屋城には秋月種実とともに幾度と無く攻めるが、
その度に撃退されてしまっていた。そこで広門は一計を案じた。

↑のリンク先にも名前が出てくるが、筑紫方に武蔵城という城があった。
ここは宝満・岩屋城と、旧・大宰府の条坊があった広い平野(二日市など)を挟んだ
天拝山の麓にあり、その中腹の飯盛城とともに帆足弾正という武将が守っていた。
この山を越えるとすぐ肥前の筑紫居城・勝尾城に繋がり、
いわば筑前における筑紫方の前線基地である。
広門は帆足備後(弾正とも)に命じ、家臣を茶売りに変装させて岩屋城へと侵入させた。
戦時中の城とはいえ、城内には住居もあり、普段は商人なども行き交っていた。
まんまと侵入に成功した筑紫方の茶売りは、城内のいたるところに
「たまご火」を仕掛け、武蔵城へと逃げ帰ってきた。

この「たまご火」というのは、その名の通り見た目は卵なのだが、
卵の殻の中に一種の自動発火装置のようなものが仕込まれており、
それ自体に大した威力はないが、燃えやすいものの近くに置いておけば…
燃え移って延焼していくという仕組みだ。

岩屋城内は突然いたるところで起こった火事に大混乱。
この混乱に乗じて筑紫衆は観世音寺近辺まで詰め寄り、
このままでは岩屋城陥落も間近かと思われたが、
高橋方後詰の宝満山城の兵士たちが救援にかけつけたため、
筑紫方は自軍の損害も考えて、早々と引き返した。
しかし城内の家屋は残らず火災で焼け落ちてしまい、かなりの被害を受けたという。

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 20:46:35.86 ID:Lc9bBxPg
攻め切れなかった筑紫勢、被害を蒙った高橋勢どちらにも悪かった話。


ちなみにその後も秋月・筑紫連合軍と大友軍の小競り合いは続く。
1584(天正12)年に立花道雪・高橋紹運が筑後へ出陣した隙を突いて
秋月種長(種実が前年に家督を譲る)が留守中の立花城を攻めるも、
立花統虎(宗茂)がこれを見事に撃退している。

しかしついに城攻めが成功する時がやってくる。
立花道雪が筑後の陣中で病没し大友軍が陣引きしようとしていた頃、
筑紫広門は今度は兵300人全員を山伏修験者の姿に変装させて宝満山に侵入、
不意を襲って山上の僧坊や城に放火して、これを占拠してしまった。
宝満山は元々修験道の霊場で山中いたるところに僧坊があり、
山伏の姿になって入れば怪しまれなかったのだろう。
広門さんは放火とか変装とか鉄砲盗人とか、そういう計略が得意みたいですね。

そしてこの5ヵ月後に、「筑紫の押しかけ姫」の逸話と繋がるのである。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6441.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-828.html
上の逸話では本当にいきなり姫が押しかけたように書かれているが、
筑紫広門は大友家との和睦の交換条件として宝満山城を手に入れておきたかったようだ。
島津軍が北上するという時に、すぐ後方に敵の城があっては
岩屋城を守ることもできないため、高橋紹運としても婚姻は渡りに船の話だった。
宝満山城はその後、筑紫家と高橋家の相城となる。そしてかの有名な岩屋城の戦いへ…。




859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 22:05:02.78 ID:TDtkLp3S
長繁「あれ?あいつら敵だっけ味方だっけ?・・・とりあえず攻めとくか」

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 22:27:12.93 ID:xnTH6Cms
たまご火かぁ
そんなのが当時あったんだね
さすがノブヤボで知謀の数値高いだけのことはあるな

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/14(日) 23:55:42.01 ID:nJktpLb6
ええっと筑紫さんが秋月さんんを裏切った悪い話?

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 00:09:12.18 ID:60ZXLO6g
自動発火ってどうやったんだろうか
火薬や硝石は輸入物使ってたから黄燐とかも手に入ったのかな?それなら可能かもしれないけど
夕方くらいに仕掛けておいて翌日、日が上って気温上昇とともに発火とか

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 00:21:44.97 ID:z9QFnsn3
天かすとかでも応用すれば

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 00:47:44.52 ID:IfDTvJXs
>>862
大友家の朝倉一玄も「留守の火縄」って
自動発火の計略をやってた話もあるし
そういう研究してる人は結構いたんじゃないかな

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 09:21:10.57 ID:2uUmQsPB
幕末に鳥羽伏見で負けて幕軍が立ち退き、もぬけの空になった大坂城でも
器物目当てに町民が入り込むのを官軍はあえて制止せず
案の定幕軍が仕掛けていった地雷火が爆発して町民が吹っ飛んだのを確認してから入城したという。

地雷火ってどんなんだろう?砲術の伝書とかに書いてあるのかな。

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 15:59:22.12 ID:DCFAPyWL
接触地雷はその当時もうあったよ。
確実性にかけるので、電線張っての
遠隔操作の地雷火の方が多かったけど。

筑紫広門娘、高橋統増に嫁ぐ

2012年05月25日 21:00

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 21:46:22.21 ID:bfmd+RLY
立花道雪の死後、長年対立関係のあった高橋紹運秋月種実との間に和平を望む機運が高まり、
種実の娘と紹運の二男(統増)を婚姻させようとの動きが出てきていた。
そしてその動きは秋月種実の盟友筑紫広門を驚愕させる。
筑紫広門は道雪の死後のどさくさにまぎれ、高橋家の宝満城を攻略していたのだった。
もし秋月と高橋・立花が結び筑紫に攻めてくれば当家の命運は尽きる・・・

居城勝尾城に重臣を集め方策を練ったが、これと言った意見が出てこない。
そんな中、一族の筑紫六左衛門より
「当家が高橋家と婚姻をむすぶしかありません。姫を私にお預けください。
姫とともに岩屋城に参り紹運公に姫と統増どのの縁組を直訴してまいります。
紹運公は情け深きお方とのこと、こちらが真心を持って誠心誠意懇願すればあるいは・・・
もし紹運公に承認いただけない時にはその場で姫を刺し、私も腹を切ります。」
広門もこの六左衛門の気迫を見て賛成するのだった。

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 21:47:07.69 ID:bfmd+RLY

岩屋城の高橋紹運、敵対している筑紫広門の娘が訪ねてきたとの知らせに訝りながらも目通りする。
「筑紫上野介の娘かねでございます。不躾ながらお願いの儀があり参上いたしました。
女子の口からお恥ずかしいことですが・・・・・」
と言って目を伏せてうつむいてします。その後を六左衛門が続けた。
統増とかね姫の婚姻による和平の提案、突然の押しかけ女房の提案に困惑する紹運。
六左衛門は
「ご当惑はごもっともと思います。しかし我が筑紫も滅亡の危機にあるのです。
もしこの件どうしてもお許しいただけないようならば、庭先をお借りし切腹を致します。」

六左衛門の熱意に押されたか紹運も婚姻を承諾、15歳の統増もとに17歳のかね姫が輿入れしたのである。
その後の2人は九州征伐時に島津軍に夫婦そろって拉致られ薩摩祁答院での軟禁生活を夫婦で乗りきることになる。

で、なぜ悪い話かと言えばその後広門が島津軍に宝満城の秘密を洩らしたため離縁することになったから。




479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 21:55:35.31 ID:KJ+phi8a
うちにも17歳の美人女子高生が結婚してくれなきゃ死ぬって押しかけてこんだろうか

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 21:57:48.44 ID:WpP6JSoO
>>478
戦国時代らしいオチだな

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 22:02:08.38 ID:4+4hjbf4
美人とは限らんで

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 22:03:39.48 ID:Tcsniuyu
秋月の娘は楢柴と一緒にラスボスに差し出された人か

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/24(木) 22:58:41.16 ID:J9GtnOfy
古田殿、出番ですぞ

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 00:20:26.07 ID:SLb8P8dH
>>478
離縁したって話だけど、してないとか復縁したとも言われてるんだよな。
1604年生まれの統増の長男の種次は加袮姫の子らしくって、
朝鮮とかでも高橋家と筑紫家は一緒に行動してて縁戚関係が続いてた様だから。
母親が姉妹で従姉弟同士らしいから、離縁されそうになったけど結局許されたって
とこじゃないかな。

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 06:58:10.47 ID:/00Z07jC
筑紫は関ヶ原で親戚の高橋・立花家と行動を共にして改易なんだよな

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 07:42:22.66 ID:srftelVj
>>481
筑紫広門の自慢の娘で美人だったらしい
ちなみに次女は黒田長政の側室になってて姉妹揃っての美人らしい

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 19:35:35.46 ID:pjV0/fy7
>>485子孫は旗本

489 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 19:36:47.32 ID:bNEa8zYz
改易されたがお情けっぽく旗本で再興、という大名って結構いるような。

490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 19:38:06.62 ID:ytjZzz6i
筑紫みたいに変わり身が早すぎてもかえって立場が悪くなるし
高橋みたいに頑なでも城を枕に討ち死ぬ羽目になるし
立ち回りって大事

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 19:55:00.19 ID:HS5j1PSZ
忠臣蔵みたいに変に意固地になって敵討ちだなんだやられるより、
捨扶持あげて体制内に組み込んで置く方が安心できるってのはないかね?

忠臣蔵が例として正しいか知らないけど

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 20:10:26.18 ID:srftelVj
立花宗茂、高橋統増兄弟も旗本からの復活組だもんなあ

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 20:30:16.74 ID:BLZx4OMx
真田パパンは敵にいたほうがマシじゃないのか?

494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 20:36:03.69 ID:HS5j1PSZ
真田パパンは、敵にも味方にもいて欲しくないかなぁ~

495 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 20:37:12.60 ID:zBDwHfCp
家康「信之とかの願い聞いて助けたら、一緒に助けた次男が仇で返しにきた。訴訟」

496 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 21:05:08.94 ID:HS5j1PSZ
高野山じゃなく、成田山あたりにしとけばなぁ~

497 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/25(金) 21:28:32.05 ID:X1t+JEUH
3000石くらいの旗本にしておけばよかったのに

昔は広門

2010年03月28日 00:04

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/26(金) 21:38:36 ID:hVm8Mgbm
昔は広門


天正14年、カメレオン大名こと筑紫広門は、九州制覇を目指し北上する島津軍を岩屋城に迎え撃つこととなった。
かの有名な岩屋城合戦の前哨戦である。

岩屋城の前衛を守備する広門は、島津の岩屋城攻撃を少しでも遅らせるために、出城にいる弟の晴門に島津軍の
背後を襲わせ、挟み撃ちにする計略をたてたのだ。
しかし、この策はあっさりと島津軍に見破られて晴門は討死。広門自身は、島津軍に降伏し大善寺に幽閉の身となっ
てしまった。

広門は再起を図らんと大善寺で、「忍ぶれば いつか世に出ん折やある 奥まで照らせ 山のはの月」という和歌を
詠んだというが、これを聞いた人達は、「 昔は広門、今は狭門 」と嘲笑したという。