敵城に飯を炊く煙が立ち上った故

2017年05月27日 16:49

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/27(土) 04:05:53.69 ID:G+wx7mBh
島原の乱の時、小笠原某(忠真か)の家士某は、「今宵は敵方から夜討ちが出るかも
計り難い。その用意をせよ!」と言って、陣中を触れ廻った。

諸士は、「堅固に構えているのに果たして夜討ちがあるのか?」と思ったが、果たして
夜討ちがあり、この小笠原の陣だけは少しも乱れず、

他の陣々は大いに乱れ打ち破られた。後に「どうやって夜討ちがあると知ったのか?」
とその家士に問うと、

その家士は答えて、「夕刻になって敵城に飯を炊く煙が立ち上った故、夜討ちの支度と
察したのだ」と言った。

翌年の2月にも前述の小笠原の家士・高田九兵衛は「明日は鍋島肥前守殿(勝茂)の
手から城攻めに一番に掛かると見た。私は抜け駆けして肥前殿の先を越えよう!」と、

夜中に支度して手勢を率い、未明に攻め掛かって敵方の不意を打ち、大いに功名を
遂げた。肥前の家では小笠原に先を越されて大いに残念がったということである。

この時も「肥前殿の家が一番に攻め掛かると、どうやって知ったのだ?」と諸人が問い、
九兵衛は答えて「肥前殿の陣は毎朝旗の手(旗印か)を直されていたが、昨夜に限って

夜更けに旗の手を直されていた故、今朝一番に進む支度と察し、私めは夜明けに城際
へ密かに押し寄せており、肥前殿の旗の手が動くのを見て、すぐに攻め掛かったのだ」
と言ったということである。

――『明良洪範』



962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/27(土) 17:23:44.46 ID:yW2SWIMe
よく見てんなー
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故郷に帰れたけど…?

2010年04月02日 00:02

833 名前:故郷に帰れたけど…?[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 00:47:19 ID:0gwEpzcR
天正10年(1582)、小笠原貞慶は徳川家康の後援を受け、信州深志に入った。父が天文19年(1550)に
居城を武田信玄に奪われて以来、実に32年目にして信濃守護家が、本貫の地に復帰したのだ。

貞慶のもとには溝口氏・二木氏・赤沢氏ら旧臣が続々と帰参し、涙ながらに祝いの言を述べた。
「若様…いえ、殿…よくぞ……」「“待つ”こと…待つこと久しくして“本”懐を遂げたり……!」
この思いから、貞慶は「深志」の地名を「松本(待つ・本)」と改めた。

翌天正11年、貞慶は会津に亡命中の長時を松本に呼び寄せたが、「暗殺された、だと…!?」
喜んで会津を発つ支度をしていた長時は、恨みを抱く従者に斬り殺された。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3668.html
悲しみに浸る間もなく、家康から人質の提出と上杉攻略を命じられた貞慶は、嫡男・秀政を差し出し、
上杉に逆に松本まで攻められたりと、苦労しながらも淡々と仕事をこなした。

ところが天正13年、秀政を預かっていた石川数正が徳川家を出奔、秀吉のもとへ。あわてて自分も
秀吉の傘下についた貞慶だが、徳川方の高遠城攻略に失敗する等、上手く行かない。
天正14年、秀吉と家康の間に和睦が成立すると、思い切って貞慶は秀政を家康のもとに出仕させた。
この賭けは当たり、秀政は家康の孫を妻に迎える等、なかなかの厚遇を受けた。

だが貞慶自身は天正18年、追放された尾藤知宣をかばって秀吉の怒りを買い、改易されてしまった。
故郷を回復し、再び失った男は、家康から下総古河三万石を授かっていた秀政のもとに転がり込み、
文禄4年(1595)、異郷の地で世を去った。


835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 00:49:10 ID:0gwEpzcR
「うう、父上っ…父上の無念は、この私が必ず……」父・貞慶の位牌を前に、小笠原秀政は誓った。
腹立たしい事に貞慶が改易された後の松本に入ったのは、一時期徳川を離れる原因になった石川家。
「何としても、再び旧領を回復するのだ!!」

あちこちに働きかけた秀政は、関ヶ原の戦いの際は宇都宮城の守備などという地味な仕事だった
にもかかわらず、信州飯田五万石に栄転した。「よし、あと少し!」
慶長18年(1613)、待ちに待った機会が訪れた。石川数正の子・康長が、大久保長安事件に連座して
改易となり、後には秀政が八万石で入る事になったのだ。
「しかし、これだけで満足せんぞ。旧守護大名としてさらに一族の力を結集し、信濃一国をわが手に!」

元和元年(1615)、大坂夏の陣に参戦した秀政は、次男・忠真と、留守を命じられた長男・忠脩も動員して
賭けに出た。しかし、留守居の勝手な出動は家康の不興を買い、さらに軍監の藤田信吉の言に従って
戦機を逃し、秀忠の怒りをも買ってしまった。「これはいかん。相当の働きを見せねば!」
覚悟を決めた秀政は、本多忠朝隊とともに毛利勝永隊に突撃。長男・忠脩は槍ぶすまを受けて即死、
次男・忠真は全身七ヶ所に傷を負い、秀政自身も重傷、自陣に戻るも夕方になって息を引き取った。
その最後の言葉は「信濃は……」だったという。

唯一生き残った忠真に、ようやく将軍秀忠から沙汰が下ったのは、元和3年のことである。
「大坂の陣での働き、まことに大儀であった。」「ははーっ、有り難きお言葉!」
「その功績を称え、二万石を加増し…」「………♪」
「…播州明石十万石に転封とする。」「は?明石?!あのー私、西国に縁もゆかりも無いんですが…」
「だって、となりの本多忠政はキミのお舅さんでしょ?縁戚同士、仲良くやんなさい。」「………」

めげずに父同様あちこちに働きかけた忠真に、寛永9年(1632)新たな沙汰が下った。
「積年の働き、まことに大儀である。」「ははーっ、有り難きお言葉!」
「その功績を称え、五万石を加増し…」「………♪」
「…豊前小倉十五万石に転封とする。」「は?小倉?!あのー信濃から、さらに遠くなってるんですが…」
「だって、前小倉藩主の細川忠利はキミの婿でしょ?縁戚同士、仲良くやんなさい。」「………」

以後、小笠原家は信州に帰ることなく、明治維新を迎えることになる。




836 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 00:51:22 ID:55CHa8mS
>>833
いろいろあったけど息子がそこそこ出世してたんだしいい話とも言えるな
なんだかんだいって運ががいいというか・・

つーかなんで徳川裏切ったんだろう。裏切ったのに息子は厚遇されたんだろう

837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 00:59:06 ID:F5EALxFc
秀政預かってた石川数正が豊臣に付いたからっしょ?

840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 02:01:58 ID:iInPit4l
>>835
山国の信州より明石10万石とかのほうが実入りも多そうだが、やっぱ父祖伝来の地は格別なのかね・・・・

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 09:10:18 ID:UF1J3OmI
>>835
これだけ厚遇されておきながら分家の唐津小笠原と本家の小笠原が
揃って長州征伐で致命的失態を犯して幕府を潰してしまうんだからなあ

844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 09:28:04 ID:INUuxaqx
>>833
>>835
この小笠原にしろ小田さんにしろ、
先祖伝来の土地に対する執着心は相当なもんだねえ。

845 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 09:31:51 ID:cs93tdhe
>>843
彦根藩「大恩ある徳川に泥を塗りおって」


846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 13:04:05 ID:R1McdF3F
>>845
津藩「お前が言うな」

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 13:26:56 ID:ldqGLldC
>>845-846
尾張藩「さあ、はやく倒幕の旗の下に集う作業に戻るんだ」

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 13:44:10 ID:CFHtGPY7
>>844
一所懸命 とか言うと、いい話スレ的なイメージに変貌

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 15:05:47 ID:Ezs66yis
兄ちゃんの親父「比興者と呼ばれようが、自分の才覚で切り取った土地はどんな手を使ってでも守らねばならない」

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 15:34:54 ID:N5KBLkg/
>>849
信雄「先祖代々の城地から勝手に土地変えとか許せるかってんだよな」

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 15:39:02 ID:+4NMM7qM
細川藩士「その点、ウチの殿はえら……えら……
      素直に褒められないのはなzぎゃー