美濃苗木城への帰還

2010年04月03日 00:02

174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 23:03:22 ID:l23SNEkL
織田勢力圏において美濃苗木城は常に対武田の最前線であり、遠山友勝以来、信長の命によりこの城を任されてきた
苗木遠山氏にとって気の休まる時はなかった。

特に武田の武将、秋山信友が、美濃遠山氏の宗家にあたる岩村遠山氏の居城岩村城に攻め寄せ、信長の派遣した
織田信広、河尻秀隆が率いる援軍も撃退、天正元年(1573)、ついにこれを降伏させると、苗木城は武田の圧力を
正面から受けることとなった。

このような中、苗木城主の遠山友忠、友政親子は信長の信任に答え必死に耐えぬいた。
天正二年の武田勝頼による東美濃侵攻に対しては、友忠の次男で阿寺城を守る遠山友重が討死するなど
多大な犠牲を払いながらも、この撃退に成功した。
天正三年、長篠の戦い、そして同年の岩村城の奪還で武田の圧力は大きく減退する。
そして天正十年、武田家滅亡。苗木城にはようやくの平穏が訪れたかに見えた。だが

同年、本能寺の変

翌天正十一年(1584)五月、苗木城は再び敵の軍勢を迎えた。当然ながら今度の敵は、武田ではない


(^^)「こんにちは。鬼武蔵です。」


織田家の同僚、森長可の軍勢であった。
羽柴秀吉の黙認をとりつけた長可は、東美濃の織田家の同僚たちに襲いかかり、その牙は苗木城にも
向けられたのだ。
武田の攻撃を耐えぬいた苗木城であったが、秀吉の後援を受けた長可に対し、援軍の目処も無く
とても防衛出来るものではない。

城を枕に討死か、一旦落ち延びて再起を図るか、遠山友忠、友政親子は悩んだ末、後者を選択した。
苗木城を落ちた遠山親子と家臣たちは、美濃の山々を越え遠江の浜松城へと向かい、徳川家康を頼った。
家康は彼らを受け入れた。
この亡命と言うべき生活の中、遠山友忠は浜松で客死する。苗木に帰れなかった父の無念、息子友政は帰還の意を
更に強くした。が、その手立てもつかめぬまま時は過ぎる。遠山友政は家康に従い関東に移り、美濃どころか
榊原康政配下として遠く離れた上州の館林にその身を置いていた。が、

慶長五年(1600)、関ヶ原

時や至り!遠山友政は出陣に先立ち、徳川家康に美濃路、木曽路の地理を詳細に報告、さらに西軍に参加している
川尻直次が城主となっていた苗木城の奪還を申し出た。家康はこれを高く評価し、黄金と鉄砲30挺、弾薬2万発を
友政に与え、中山道を通る徳川秀忠隊の先鋒を命じた。

途中上田城で足止めを強いられた秀忠隊であったが、家康からの連絡により関ヶ原に急ぐ。
苗木以来の家臣団を率いた遠山友政の部隊はその先駆けとしてついに、父祖の地、苗木城に迫った!ところが、

城の東から攻め寄せる遠山軍に対し、苗木城主、川尻直次の城代関治兵衛は戦わずして降伏した。

「関ヶ原での決戦の結果西軍は壊滅し、わが主君川尻直次は討死したとの連絡がありました。
この城はお引渡しいたす。」

呆気ないと言えばそれまでである。が、この城を落ちて16年、ついに苗木城を取り戻したのだ。
遠山友政、そして遠山家中の者たちの感激は、いかばかりであっただろうか。
友政はさらに岩村城も攻略し東美濃の平定に大いに活躍。家康はこの功に対し、苗木城を含む
恵那、加茂両郡、一万五百二十一石を与えた。
苗木は再び、苗木遠山家のものとなった。

この後苗木遠山家は美濃苗木藩として、国替えも改易も受けることなく、明治まで続く。
今、苗木城の本丸跡に置かれた石碑には、このような一文が刻まれている。

『戈(ほこ)に枕し膽(きも)を嘗め 百敗屈せず 時や至り よく舊(旧)物を復す』

父祖が血潮で守りぬいた地を取り戻した、苗木遠山家のお話である。




175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 23:16:25 ID:+V3o7bnd
>鉄砲30挺、弾薬2万発

家康もケチだよな
弾だけあっても機関銃じゃないんだから

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 23:23:59 ID:m2G82q2l
ちょうど悪い話スレで小笠原さんの話を読んでいたので、
途中読んでてはらはらした……。

良かったね遠山さん。

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 23:25:01 ID:l23SNEkL
>>175
このころの遠山友政って榊原康政の組下だからせいぜい千~数百石クラスなんで、
軍役で言えば率いるのは多くて20人から、無理して30人くらい。それに鉄砲30挺はむしろ多すぎだぞ。

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 23:46:25 ID:oEE6UxDR
>>174
遠山さん家は撤退あたりの混乱に乗じて鬼武蔵殺そうとした主犯だから報復は避けられんかっただろうw

179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 00:08:18 ID:we2iwgU3
>>178
鬼武蔵謀殺計画って、東美濃のほぼ全ての国人が参加してたらしいねw
長可はご近所から、もうこれ以上無いくらい嫌われていたらしい。


180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 00:09:55 ID:qUyDSIGc
>>179
鬼武蔵の行動は一応自衛行為なんだよねw
周り全部敵なんだから。

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 00:11:09 ID:jdghEh/4
鬼武蔵は好きとか嫌いとかそういう次元じゃない
退治すべき妖怪とか鬼とかそういうレベルの話だったんだろう

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 00:15:21 ID:we2iwgU3
>>180
まあ「敵」の方も、自分達こそ自衛だと疑いも無く信じていただろうけどねw

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 02:18:53 ID:jgJS0SFy
>>177
その場合、鉄砲30丁ってのは鉄砲足軽30人ってことじゃないのかな。
火力に欠ける小規模部隊に軍役とほぼ同数の鉄砲隊をつける事例は他でもあるし。


184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 09:18:07 ID:Y/jHQw1O
>>182
「あれ」は人の形をした災害ですから……ヒューマノイド・タイフーンってゆう

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 09:30:15 ID:MmGwBl9/
鬼武蔵が出たってだけで、どうなることかとハラハラしたw

でも明治までしっかり残ったってのはすごいことだな。
石碑の一文はちょっと感動した。

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 12:29:30 ID:rzqNrPue
>>184
地震、雷、鬼武蔵

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 14:45:24 ID:y2Ev1eax
森長可の死亡は
鉄砲隊の狙撃で眉間を撃ち抜かれ死亡
安藤直次に討ち取られ死亡
どっちなの

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 14:49:49 ID:3F2IKj0/
安藤直次に討たれたのは池田恒興

189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 14:51:02 ID:ipGHtxWr
眉間を打ち抜かれた後も猛威を振るっていた鬼武蔵を安藤が討ち取ったでいいじゃないw

190 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 14:52:58 ID:3F2IKj0/
じゃなかった、元助

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 15:02:26 ID:y2Ev1eax
>>188
ありがとうございます

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/03(土) 01:13:51 ID:ZHg8ltVv
永井直勝 「池田勝入を討ち取りしは安藤直次殿にござる」

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/03(土) 16:02:57 ID:JbqY1XkF
>>192
「なんのなんの、若侍があっぱれな働きでございましたぞ」



関連
明智遠山家顛末
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3955.html

田丸具安の開城
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3954.html
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赤壁城

2010年04月03日 00:01

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 07:14:51 ID:ZruSZdxH
強風とかの悪天候に関する話し無い?

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 09:14:23 ID:Y/jHQw1O
>>852
鍋島サンダー




854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 12:12:02 ID:we2iwgU3
>>852
いい話スレに出てた苗木城の話


赤壁城

美濃の苗木城が完成したときは、白壁の非常に美しい城であった。
時の城主もこれが自慢であったが、その完成の夜、にわかに嵐が起こった。

さて、夜が明けてみると城の白壁はすべて剥げ落ち、土台の赤土がむき出しとなっていた。
壁には爪でひっかいたような跡があったと言う。

城主はこれに大変驚いたが、多くの左官を集め再び白壁を塗りなおした。
ところがこれが完成すると、その夜又も嵐がおき、夜が明けるとやはり白壁は
無残に掻き剥がされていた。
以降白壁を何度補修しても、そのたびに嵐がおき、赤土の壁にと戻された。

一体何が起こっているのか?城主は何度目かの白壁を補修した夜、天守に籠り夜を徹して
白壁を見張った。

夜になり、風が強くなり嵐となった。するとその嵐と共に一匹の龍が現れ、苗木城の白壁を掻き落とし、
それを終えると嵐とともに木曽川の方へと帰っていった。

「これは白の色を嫌う、木曽川に棲む龍の仕業であったのか。」

それ以後城主は白壁を諦め苗木城の壁は地の赤土のままとし、世の人から「赤壁城」と呼ばれた、とのことである。

苗木に伝わる、赤壁城の伝説。




857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 15:36:39 ID:uFv5wDlP
苗木城にちょっと興味を持ったのでウィキペディアを覗いたら
>>854とほぼ同じ伝説が載っていて、更にオチまでついてた。

>実際には、苗木藩が経済的に弱体で漆喰を塗る経費が捻出できなかった、というのが真相である。

まあ、真実とはそんなモンでしょうねw

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 18:16:28 ID:T5K8ckH1
身も蓋もないけど、やっぱりそんなもんだよね。w

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/02(金) 18:41:59 ID:j98h8f7M
>>857
なんというオチ
しかし藩の面子を守るための伝説だとしても
考えた人はなかなか夢があると思う