武州忍城攻防戦・ヒマ潰しに夜襲編

2010年04月04日 00:01

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/03(土) 13:59:24 ID:5Sc1c9z9

ラスボス秀吉の関東仕置きの際、武州忍城攻防戦での一幕三連投。
上方勢は忍城を包囲するモノの、兵力差を活かせず、力攻めでは決着がつかない。
一体どうしたモノかと城を遠巻きにしていた。

この後、三成の大筒攻め>>水攻め>>援軍を交えてのやっぱり力攻め、と展開していくワケだが、
城方は城方でイロイロとイベントを用意していた。

前日の総攻撃を何とか退けた忍城。しかし、その中で攻撃が薄く、暇だった一手があった。
「……なぁ、今日、オレらなんもしてなくね?」
「ヒマだったよね」

そりゃまぁ、キミらを攻撃する筈の人、日が暮れるまで部下と喧嘩してたんだモノ。>>870
「でさ、ヒマ潰しに夜襲行ってみねぇ?」
「あ、それいいね。行こう行こう!」

折りしも季節外れの強風の夜。
正木丹波、長谷部隼人を筆頭に150人で夜襲を仕掛ける。
「○○の勢は表へかかれ! ××は裏から!」
「前々からの約束を果たす時だぞ! 長束の首はお前たちが取れ!」
わざと大勢に見せかけるよう、または内通者がいるかのように派手に声をかけて攻めかかる。夜襲
を受けた長束、中島の勢は慌てふためき、同士討ちする者、方々に逃げて行く者が大勢いた。

勢いに乗った夜襲勢、次は宇都宮氏の名代轟丹波(佐竹の配下、車丹波の間違い?)の陣に討ち入
ると、何の備えもしていなかった轟丹波、城方が深追いしているワケでもないのに利根川の河原ま
で逃げて行く見苦しさだった。

夜襲の城方はその後、調子に乗って速水甲斐(時之?)の陣に攻め込み、反撃を受けるも、上手く
撤退。
結局城方の討死は7名。負傷者20名余りだったという。それに対して上方勢の討死は120名余。
兵力差を考えても上々の戦果だったといえるだろう。
っつか、奇襲をしかけといて「次はあの陣!」なんて、深追いしすぎだろ。

以上三連投は「成田記」が出典なんだが、三成配下では川瀬左衛門、長束配下では速水時之が妙に
贔屓されてるんだよな。
何だろな、江戸期に子孫が成田家と関係してたのかな? 速水は大阪の陣で豊臣に付いて死んでるみ
たいだケド。





スポンサーサイト