田丸具安の開城

2010年04月05日 00:01

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/04(日) 20:17:57 ID:3ETL6KiH
田丸具安っちゃあ、阿木の爺さんらが作った歴史教室の資料より。
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慶長五年秋九月、関ヶ原で石田方が敗北した後もなお岩村城を明け渡さなかった田丸直昌。
家康は苗木城遠山久兵衛友政に明智遠山民部、小里彦五郎を付け岩村城攻めを命じた。
十月九日、友政は五百の兵を率いて阿木と飯羽間の境の根に陣を敷いた。明智、小里も
それぞれ三百の兵を率いて岩村城の南に陣を構えた。

田丸は三百の手勢で籠城していたが、敵が攻め寄せたと聞いて櫓に上がり城の南北を
見渡してみると大勢の敵兵が旗をたなびかせているのが見えた。急ぎ櫓から降りた
田丸は一族と兵士等に向かい「とても防ぎきれる戦いではない。城を無事に明け渡し
私は髪を切って出家する。」と言い放つと城中の者は静まりかえってしまった。

こうした時に友政の使者の陶山次郎兵衛がやって来た。田丸は「明け渡しは承知した。
大儀ではあるが大手の城戸までお越し頂きたい」と言い渡した。

使者が帰った後、田丸は頭髪を全て切って投げ捨て、織物の袴に一尺八寸の太刀を差し、
家臣の石部外記を連れて大手門に向かった。迎える友政も褐布織物の袴に太刀を差し
家臣の纐纈藤兵衛を連れて出向いた。「これから私は出家しようと思います。何卒
私ともども城内の者らの助命を御願いしたい。また白昼に城から出て行くのは城主として
面目のないこと。暗くなってからの降城をお許し願いたい。」と。友政は快く了承した。

日が落ち、数十日の籠城から解放され我先にと東へ西へ逃げる一族兵士等。これを見た
田丸は大手門の扉に一句貼り城を出た。

  岩村にたまる物とてゆきばかり 消えもやせんと思う我が身も

友政の使いで藤左衛門が出迎え、軽少ではありますが路銀にと田丸に金五十両を渡した。
田丸は涙を流し、薙刀を取り出して「これは田丸家代々の家宝です。友政公にお渡し
ください。」と言った。田丸は友政の付けた足軽二人の共で西美濃まで逃れた。

田丸の降城で乱世から解放された岩村城。友政、明智、小里の三将が城内に入って
みると、大広間にはそれは見事な武具や珍しい器、馬具などが山のように詰んで
あったという事である。




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