明智遠山家顛末

2010年04月05日 00:02

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/04(日) 12:25:44 ID:tvgRt9rv
武田の武将、秋山信友によって攻略され滅びた、美濃遠山氏宗家岩村遠山氏、
武田の攻撃を耐え切ったものの、本能寺後森長可に攻められ落去、関ヶ原で古地を取り戻した苗木遠山氏
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それらと共に「三遠山」と称された、美濃明智城、明智遠山家についてのことである。

元亀3年(1572)12月、東美濃に攻め寄せてきた武田の武将秋山信友との戦い「上山合戦」は、織田方の大敗北となった。
明智城主遠山景行はこの敗北により自刃、さらに長子、景玄も討死し、明智遠山家に残されたのは、
未だ幼い遠山一行のみとなった。

叔父の遠山利景はこの一行を補佐しどうにか家を運営するが、一族の中には美濃を捨て地方に移住するものがでるなど
家勢の衰退は隠せず、天正2年(1574)の武田勝頼による侵攻で、ついに明知城は落城してしまった。

が、翌3年の長篠の戦いで状況は一変。明智城も取り戻された。そして天正十年。武田滅亡、本能寺の変、
そして


(^^)「こんにちは。鬼武蔵です。」


森長可の軍勢に、一行と利景は城を捨てて逃げた。利景の妻の実家、三河足助城の鈴木氏の元に身を寄せ
徳川家康の保護を求めた。家康は彼らを受け入れ、天正12年(1584)の小牧長久手の戦いでは井伊直政の後援の下
なんと森家の手から明智城を取り戻してしまった。更に調子に乗って岩村城も攻めたのだが、


(^^)「いらっしゃいませ。鬼兵庫です。」


ここでは城代の鬼兵庫ことかがみんこと、各務元正に一族の遠山半左衛門を討ち取られるなどフルボッコに
返り討ちにされたのはご愛嬌。
そして明智城を取り戻したのもつかの間、秀吉と織田信雄の間に和議が整うと、再び森家に返還されることになってしまった。

その後遠山一行、利景は家康に従い、家康配下の信州の大名、依田康国の下に付き信州の経営に参加していた。
が、

天正16年(1586)冬、遠山一行、凍死。

凍死である。なんと信州から駿府へ向かう途中に、甲駿国境の平沢峠で寒波に合い
凍え死んでしまったのだ。この時代の武将としても、かなり珍しい死に様である。

「なんということか」

遠山利景は途方に暮れたが、一行に子はなく、明智遠山家の家督は利景が継いだ。

そして関ヶ原が起こると苗木遠山家の遠山友政らとともに秀忠隊につき、西軍の田丸直昌の軍勢が守る
明智城を見事に攻略。戦後、この功により明智の地は利景に与えられた。

この後明智遠山家は明智を領する大旗本として江戸期を過ごし、やがて「遠山の金さん」として有名な、
江戸町奉行、遠山景元を輩出する。

「三遠山」の一つ、明智遠山家のお話。




195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/04(日) 16:28:02 ID:Y58c3c9I
浅井朝倉の大軍すら退けるかがみん防衛中の城に調子に乗って攻め懸けるとか。

主なくしたときこそ真骨頂だろw

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/04(日) 19:22:42 ID:3ETL6KiH
秋山晴近に大敗北したのは上村合戦じゃないっすか。



関連
田丸具安の開城
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