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富田高定、殉死をしそこね

2010年04月07日 00:05

897 名前:1/2[sage] 投稿日:2010/04/06(火) 15:04:47 ID:n+iQ+q4M
いい話といえばそうなのだが悪い話から始まってるのでこっちに


富田高定と言えば、関白豊臣秀次の重臣であった。が、

文禄4年(1595)7月15日、いわゆる秀次事件により関白秀次、切腹。
この時、高定も殉死をすべしと京に赴き、洛中洛外に、『何日、千本通の松原にでで富田高定が殉死いたす』と記した
札を立てた。
これを見た京の人々、貴賎問わずに遠近より見物に群集し、千本通に桟敷を構え幕を張って切腹を待った。

その人々の集まっているところに、高定出る。その装束は白帷子の二つ着、上には芭蕉布の陣羽織を着て
白練の長袴を着け、頭は髪を剃り上げ白布で鉢巻をし、一尺二寸(およそ36センチ)の小脇差の、柄を紙で包んだものを
帯びていた。
松原には四幅の白幕が四方に張られ、その中に四間(約7メートル)四方の床が置かれてあり、高定はその上に座した。

さてその場では、殉死すると聞いた大小名の内の友人や親しんでいる人達が、あるいは暇乞いの使者や書状を送り、
あるいは自ら訪ね来て、別れの杯を交わした。また高定の親類縁者も次々と来ては盃を交わし別れを惜しんだ。
高定、或いは元来酒に弱かったのであろうか、そんな風に何度も盃を交わしたため酩酊し、終に高鼾をかいて
寝てしまった。

数万にも膨れ上がった見物人達、いつ殉死するかと固唾を呑んで待っていたのに、この有様を見て大いに呆れ
退屈し、そのうち罵りや嘲りの声を上げ、なかには桟敷を仕舞って帰るものまでいた。
しかし一部には、この人は勇士であり、義を守って殉死されると言うのは痛わしい事だ、などと囁く者もあった。

ところが、こんな所に上使が駆けつけ、大声を上げた

「秀次のための殉死は固く禁じられておる!しかるに、今日富田が殉死するとのこと上聞に達し、
甚だお怒りになっておられる!
もしこの禁止に違反すれば、その罪一族に及ぶと心得よ!」

これに高定たちまち「謹んで畏まり奉る」と、すぐに輿に乗ってその場を立ち退いてしまった。

これには見物の者たち呆れ返り、一度にどっと笑って「誠に、武士の癖に匹夫土民の心にも劣る奴だ」と誹謗し、
皆興を冷まして家に帰り、物笑いの種とした。
高定の方は殉死をやめ命を伸ばしたことを恥じ、人に会うことを避け京の西山の自宅に幽居して日々を送った。


898 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/04/06(火) 15:06:18 ID:n+iQ+q4M
さて、前田利長はこれを聞き不審に思った。
富田高定ほどの武勇の者が、何故殉死を仕損ない世の笑いの種となっているのか。
彼を自分が扶持しよう。そう思い立ち使者を遣わした

「殿は1万石であなたを招きたいと言っておられる。」

しかし高定はこの使者に

「利長様の御心底、大変ありがたいことです。

私は主君のため殉死をいたすところに、それを禁止する上使が現れました。私は命を惜しんだのでは
全くありません。ただ、公命の重いことを恐れてこれを止めたのです。
ですが、世の人々にはそれを理解してもらえず、こうして笑いものになっています。それ故私は
再び人前に顔をだすことはしないと誓を立て、このように蟄居しております。
その他いろいろと考えることもありますので、この事はお断りいたします。」

しかし利長は諦めず、高定の元に何度も使者を出した。
前田家の重臣たちは「あのような世の笑い者を、1万石出してまで熱心に招くことはないでしょう。
殿まで笑いものにされてしまいます。」と諫言したが、
これに利長は

「私は昔から、富田高定の武勇を知っている。もし次に合戦があれば、彼は今度の恥辱を雪ごうと
必ず勇奮して働くであろう。彼は腹を切るのは下手かもしれないが槍を使うことは名人である!
彼に1万石は全く惜しくない。世の人間はこの利長を、何とでも言うが良いさ!」

そして最後には、利長は近臣を引き連れ自ら西山の高定の自宅に赴き、説得した。
これには高定も深く感じ入り、利長の臣となった。


慶長五年(1600)、関ヶ原が起こる。
富田高定は西軍、山口宗永の守る大聖寺城攻めにおいて、200の小勢で敵の大軍を打ち破り、途中、膝を
鉄砲で打ち抜かれても槍を杖にし城門まで進み、山口方の名のある勇者、飯田又六を倒し、成田喜三郎、松井宗助を
城の中に逃げ帰らせた。その上でもはやこれまでと、心静かに念仏を唱え、太刀を逆手に持って自ら首刎ねて果てた、
との事である。
富田高定の壮絶な最後に、敵味方の区別なく、感じ入ったと言う。


大聖寺城の陥落後、利長は家臣たちにこう言った

「先年、私はお前達が止めろと諫言するのも聞かず、富田高定を1万石で扶持したが、その後も
私の判断に色々と誹謗があったものだ。
さて、今度の富田の働き、忠死。私が富田を抱えたことは、間違っていただろうか?」

重臣たちはこれに、一言も発せられなかったそうである。


殉死をしそこねた、富田高定のお話。




899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/06(火) 15:15:46 ID:QXo5yzgd
福島「お酒って怖いヨネー」

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/06(火) 16:16:52 ID:8HUOt3Lw
>>898
きっと勇戦して汚名返上してから討ち死にするんだろうな、とは予想してたけど
それにしても鬼神の様な最後だな・・・

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/06(火) 17:52:31 ID:mZnGdP4T
最後にチクリと言ってしまう利長のちょっと(性格が)悪い話ですね



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大聖寺城、最後の奮闘
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