伊達晴宗の娘・彦姫の生涯

2010年04月08日 00:01

彦姫   
928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/07(水) 11:44:04 ID:Cw+v9GTE
既出だったらスルーしてくれ
伊達晴宗の娘・彦姫の生涯

彦姫は晴宗の娘として、蘆名盛興の元に嫁いだ。
…のはよかったのだが、子供がいないまま夫・盛興は死去。
他に蘆名を継ぐべき男子は居らず、当主の座は宙に浮くことになる。

仕方がないので二階堂家から養子をもらって、
彦姫を盛興の父・盛氏の養女ということにして娶わせ、蘆名家を継がしめた。
彦姫の夫となったのは蘆名(二階堂)盛隆であるが、彼の母親もまた伊達晴宗の娘、阿南姫。
つまり彦姫は甥っ子と結婚することになってしまった。しかも10歳近く年下の甥である。
しかし彦姫は盛隆との間に数人の子供をもうけ、今度こそ幸せになったかと思われた。

が、不幸というものは続くもので、盛隆が衆道のもつれから
家臣の大庭三左衛門に殺されてしまう。23歳の若さだった。
(いきさつはこちら ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2418.html)
義父・盛氏ももう亡くなっている。
蘆名家はまだ赤ん坊の亀王丸(亀若丸)が継ぐことになった。

赤ん坊が当主となるという緊急事態に、彦姫の兄弟・伊達輝宗がすかさず介入し、
輝宗は亀王丸の後見となることに決まる。

929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/07(水) 11:45:07 ID:Cw+v9GTE
同年、輝宗は嫡男政宗に家督を譲って隠居すると、
輝宗が亀王丸の後見になると言ったばかりなのに、
政宗は突如蘆名家に攻め入る。
彦姫は気丈に蘆名家臣をまとめ、頑強に政宗に抵抗。政宗に敗戦を喫させた。

しかし不幸はさらに続き、わが子であり、頼みの綱であった亀王丸が3歳にて病死。
再び宙に浮いた蘆名の当主の座。
待ってましたとばかりにこの跡継ぎ問題に伊達と佐竹が介入し、
誰が跡を継ぐかで再び紛糾することになる。
結局、佐竹家から養子をもらうことになり、義広が蘆名当主となった。
ちなみに義広も彦姫の姉妹の子供なので、彦姫にとっては甥に当たるが、
この義広と自分の娘(亀王丸の姉妹)を娶わせることになった。

その後も伊達と蘆名・佐竹の争いは続き、
彦姫は血族に翻弄され続けた。
彼女は蘆名に留まったまま1588年に病死。まだ30代の若さだった。
政宗はこれを弔し喪に服したと言うが、彦姫は政宗を恨んでいたので
政宗に喪に服されたくはないと思ったかもしれない。

その後、義広は家中の心を掴むことに失敗し
坂道を転がり落ちるように蘆名家は没落していく事になる。

蘆名家没落の中心にいた彦姫の、家族運の悪い話。




930 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/07(水) 12:31:57 ID:UKR43dUf
素直に小次郎を養子にすれば良かったのに・・・

931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/07(水) 12:51:51 ID:tGA5K2DX
有力家臣団による主導だからどうにもならん

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/07(水) 13:33:33 ID:ce3m4che
佐竹も介入ぶりは伊達と変わらなかったしな。
彦姫は可哀想なのは確かなのだが、盛興が死んで、盛氏が死んで、盛隆が死んで、
さらに亀王丸が時点で蘆名氏は詰んで居たとしか思えぬ。
宗家が断絶して猪苗代とか針生とか支流が健在でありながら蔑ろにされがちになった
のもまずいし。

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/07(水) 15:34:22 ID:tGA5K2DX
つうか、甲斐武田と同じで盛氏の頃で滅亡は決定づけられてたと言っても過言では無いかも知れない
信長が生きていれば滅びなかったかも知れないけど
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