福岡石見守の奮戦

2009年12月27日 00:12

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 01:47:09 ID:DjuibA9D
天正元年(1573)、信長の越前攻めに朝倉義景はついに一乗谷を放棄、大野へ退くと言う時、
家臣、福岡石見守に二人の娘を預けた。

「一人は、女ながら髪をおろさせ、後々比丘尼として出家させよ。もう一人の喝食(稚児)の姿を
している方は、大阪の本願寺にいる顕幸殿に嫁がせると約束しているので、そこまで送り届けよ。」

しかし福岡
「私にはこのお二人を預かることなど出来ません!死のうとも殿のお供を仕りたいのです!」
と抗議したが、「達ての命である」と言われ致し方なく、急ぎ二人の子女を連れて宿所に帰り、
一首の歌を書き残すと、妻女にも告げず出立した。

『今日出て 廻り合わずば小車の 此輪の内に無しと知れ君』

今日出立して行くが、このまま音信が無くなれば、もはや私はこの世にはいないものだと考えて欲しい。
自信の運命を覚悟をした、別れの歌である。

福岡は御息女を馬に乗せると中間を2,3人連れ豊原寺に向かって進んだ。

ところが途中、落ち武者を狙う野伏達に遭遇、押し留められた。
「おまえたちは何者で、どこに行く!?」
福岡はありのまま、正直に語った。

「ふむ…。で、お主の名は?」

「福岡石見守である。」

「!?、ならば通すことはできぬ!先年我らの村と鳴鹿の村との訴訟のとき、お主は鳴鹿村の
奏者となった。そのため我らはその訴訟に負けたのだ!
今ここでめぐり合った事こそ幸いである!あの時の返報をさせて頂く!」

言うやいなや合図を送り、村より多数の人々が出て彼らを取り囲んだ。
福岡は「多勢にに無勢、ここを無事通り抜けることはできない。」と覚悟を決めると、下人に持たせた
薙刀を手にとり、御息女を逃がすようにと中間に任せ、野伏たちに一人斬りかかった。
彼は多人数を相手に大いに戦い、野伏たちを苦しめた。だがやがて討ち取られた。

福岡が奮戦している間に逃げた二人の息女は、その後方々を流浪したがどうにか逃げ切り、
喝食姿の方は無事、顕幸の妻になった、とのことである。


朝倉家崩壊に際し多くのものが裏切った中で、朝倉義景の命を守り抜き死んだ、
一人の忠臣のお話である。




スポンサーサイト