618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 01:35:07.31 ID:qTq099rM
高水寺斯波氏の衰亡 とある諌臣の最後(1)
全国に一族を輩出した斯波一族。戦国時代にその本貫の地・斯波(紫波)郡を領していたのは、
斯波御所と称されていた斯波詮直だった。
天正14年の事、詮直は重臣である高田吉兵衛と、家臣同士の争いが元で詮直と対立することとなった。
(詳しくはこちらにhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3783.html)
斯波御所と不仲になっている事を伝え聞いた吉兵衛の兄九戸政実は、南部信直に相談し、信直は高田の帰参を許した。
許しを得た吉兵衛は斯波御所に暇も告げず、わざと真っ昼間に出奔して三戸に帰参、高田の名を捨て九戸修理と名乗った。
斯波御所こと斯波詮直は、無論のこと怒った。
「昔流浪の身となったのを西御所に助けおき、しかも家臣にもしてやったのに、昔を忘れて反逆の長となりおった!
糠部へ断り、高田を引き戻し心のままに後来の掟にしてやる!」
と、南部へ使者を出した。だが南部は吉兵衛を帰す気はなく、使いの者を打ち向かい罵り返した。
それどころか信直は、吉兵衛を斯波国境近くの中野古館に置き、九戸修理改め中野修理は、斯波諸氏への調略を開始した。
詮直はいよいよ怒りを深くし、
「この処置は中野の一心ではない、糠部(南部)のせいだ。ならば我の相手は信直だ。
南部は近年世継ぎがたびたび替わり武威衰え、家中も落ち着かないと風聞に聞こえる、この時こそ幸い、
まずは悪しき修理を討ち、勝ちに乗じて糠部まで攻め入ってやる!」
気炎を吐く詮直だが、ここで高水寺左京という老臣が主人の前に出た。
「最近は味方も一枚岩ではなく、まして争乱の場となれば糠部へ内情が気付かれることも止めがたく、浅はかなことです。
また南部信直という人物は仁徳深く心勇気寛大な人物らしく、南部四・五代来の大将として南部の一揆をまとめ上げています。
最近は岩手郡も帰属させたと聞こえており、南部と確執してはなりません」
と言ったが、詮直はさらに不機嫌になる。
左京はさらに言いつのった。
「奥東奥北の大国南部は兵も多く、さらにそもそも中野修理が斯波の地に来たのも間者働きのためです。内情を知られております。
攻め込むのはやめられよ」
としきりに諫め、先代から仕えていた赤石藤十郎もこの諫めに加わった。
が、御所はさらに怒り狂った。
「世に恐ろしきは信直ばかりよな! 余に勇強は無いと侮っていいならめ、さては汝は中野修理に語られて南部に一味して、
我らが出馬を遅れさせ、その間にこの事を告げる気だな!? 恩を忘れた逆心者、それぞれ切って捨ててやる!」
と言った。二人はいずれも詫びをいれ、死罪は免れたものの、二人は小屋敷修理に預けられることとなった。
斯波詮直は重臣の御所八左衛門・稲藤大炊左衛門を大将として出撃。だが中野は寡兵ながら頑強に抵抗し、
近隣の南部家臣福士伊勢が加勢に現れ、これにより斯波勢は撃破され、手代森館に撤退した。
その後も抗争は続いたが、手代森館の手代森秀親が調略に応じて南部方に転び、さらに南の領主稗貫氏が仲裁に入り、
争乱は南部の勝利で幕を閉じた。
619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 01:36:15.38 ID:qTq099rM
高水寺斯波氏の衰亡 とある諌臣の最後(2)
以来斯波家臣は動揺し、「誰が南部に通じているのか……」と君臣・兄弟の間ですら疑心暗鬼が渦巻くようになる。
そんな中、高水寺・赤石を預かっていた小屋敷修理は、岩清水右京という者の誘いを受けた。岩清水右京も小屋敷修理も、
中野が斯波に仕えていた時代、彼の世話になっており、南部への鞍替えを決めたのだ。
小屋敷は、自分の元に囚われていた高水寺左京と赤石籐十郎も誘おうと思い、この事を二人に打ち明けた。
赤石は怒った。
「さては我々の心を見ようとしての物語だな。いかに我々御所より勘気を蒙るといえども、重代の主君だぞ、
争い恨むというのだろうか。
我々に野心があると思っている御所様のおおせでしばらくは自重しているわ」
だが、小屋敷は「何を偽り申しましょう、諏訪八幡も知りし召さん」と言う。
それを聞いて高水寺右京は小屋敷の顔を熟々と見て涙を流した。高水寺と小屋敷は、往年は男色の間柄であった。
「我は年劣りの身なれば、不義無礼の事には別の意見がある。御身は謀反人の与力をし、それがしにも
一味して悪名を広めろと言うのか?
たとえ貴方はともかくも、それがしにはできない。あさましい御心だ、この世の対面はこれまでだ」
主君は裏切れない、しかし長年の友人も売れない、と思ったのだろうか、高水寺は座敷を立つと、
一間の所へ引きこもり、そこで自害した。
小屋敷は残る赤石籐十郎の説得を続けたが、赤石は首を縦に振らない。
「このままでは御所に通報されてしまう」と焦り、小屋敷は赤石を斬り殺した。
主君に諌言した臣ふたりの、悲しい末期の話。
高水寺斯波氏の衰亡 とある諌臣の最後(1)
全国に一族を輩出した斯波一族。戦国時代にその本貫の地・斯波(紫波)郡を領していたのは、
斯波御所と称されていた斯波詮直だった。
天正14年の事、詮直は重臣である高田吉兵衛と、家臣同士の争いが元で詮直と対立することとなった。
(詳しくはこちらにhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3783.html)
斯波御所と不仲になっている事を伝え聞いた吉兵衛の兄九戸政実は、南部信直に相談し、信直は高田の帰参を許した。
許しを得た吉兵衛は斯波御所に暇も告げず、わざと真っ昼間に出奔して三戸に帰参、高田の名を捨て九戸修理と名乗った。
斯波御所こと斯波詮直は、無論のこと怒った。
「昔流浪の身となったのを西御所に助けおき、しかも家臣にもしてやったのに、昔を忘れて反逆の長となりおった!
糠部へ断り、高田を引き戻し心のままに後来の掟にしてやる!」
と、南部へ使者を出した。だが南部は吉兵衛を帰す気はなく、使いの者を打ち向かい罵り返した。
それどころか信直は、吉兵衛を斯波国境近くの中野古館に置き、九戸修理改め中野修理は、斯波諸氏への調略を開始した。
詮直はいよいよ怒りを深くし、
「この処置は中野の一心ではない、糠部(南部)のせいだ。ならば我の相手は信直だ。
南部は近年世継ぎがたびたび替わり武威衰え、家中も落ち着かないと風聞に聞こえる、この時こそ幸い、
まずは悪しき修理を討ち、勝ちに乗じて糠部まで攻め入ってやる!」
気炎を吐く詮直だが、ここで高水寺左京という老臣が主人の前に出た。
「最近は味方も一枚岩ではなく、まして争乱の場となれば糠部へ内情が気付かれることも止めがたく、浅はかなことです。
また南部信直という人物は仁徳深く心勇気寛大な人物らしく、南部四・五代来の大将として南部の一揆をまとめ上げています。
最近は岩手郡も帰属させたと聞こえており、南部と確執してはなりません」
と言ったが、詮直はさらに不機嫌になる。
左京はさらに言いつのった。
「奥東奥北の大国南部は兵も多く、さらにそもそも中野修理が斯波の地に来たのも間者働きのためです。内情を知られております。
攻め込むのはやめられよ」
としきりに諫め、先代から仕えていた赤石藤十郎もこの諫めに加わった。
が、御所はさらに怒り狂った。
「世に恐ろしきは信直ばかりよな! 余に勇強は無いと侮っていいならめ、さては汝は中野修理に語られて南部に一味して、
我らが出馬を遅れさせ、その間にこの事を告げる気だな!? 恩を忘れた逆心者、それぞれ切って捨ててやる!」
と言った。二人はいずれも詫びをいれ、死罪は免れたものの、二人は小屋敷修理に預けられることとなった。
斯波詮直は重臣の御所八左衛門・稲藤大炊左衛門を大将として出撃。だが中野は寡兵ながら頑強に抵抗し、
近隣の南部家臣福士伊勢が加勢に現れ、これにより斯波勢は撃破され、手代森館に撤退した。
その後も抗争は続いたが、手代森館の手代森秀親が調略に応じて南部方に転び、さらに南の領主稗貫氏が仲裁に入り、
争乱は南部の勝利で幕を閉じた。
619 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/07(土) 01:36:15.38 ID:qTq099rM
高水寺斯波氏の衰亡 とある諌臣の最後(2)
以来斯波家臣は動揺し、「誰が南部に通じているのか……」と君臣・兄弟の間ですら疑心暗鬼が渦巻くようになる。
そんな中、高水寺・赤石を預かっていた小屋敷修理は、岩清水右京という者の誘いを受けた。岩清水右京も小屋敷修理も、
中野が斯波に仕えていた時代、彼の世話になっており、南部への鞍替えを決めたのだ。
小屋敷は、自分の元に囚われていた高水寺左京と赤石籐十郎も誘おうと思い、この事を二人に打ち明けた。
赤石は怒った。
「さては我々の心を見ようとしての物語だな。いかに我々御所より勘気を蒙るといえども、重代の主君だぞ、
争い恨むというのだろうか。
我々に野心があると思っている御所様のおおせでしばらくは自重しているわ」
だが、小屋敷は「何を偽り申しましょう、諏訪八幡も知りし召さん」と言う。
それを聞いて高水寺右京は小屋敷の顔を熟々と見て涙を流した。高水寺と小屋敷は、往年は男色の間柄であった。
「我は年劣りの身なれば、不義無礼の事には別の意見がある。御身は謀反人の与力をし、それがしにも
一味して悪名を広めろと言うのか?
たとえ貴方はともかくも、それがしにはできない。あさましい御心だ、この世の対面はこれまでだ」
主君は裏切れない、しかし長年の友人も売れない、と思ったのだろうか、高水寺は座敷を立つと、
一間の所へ引きこもり、そこで自害した。
小屋敷は残る赤石籐十郎の説得を続けたが、赤石は首を縦に振らない。
「このままでは御所に通報されてしまう」と焦り、小屋敷は赤石を斬り殺した。
主君に諌言した臣ふたりの、悲しい末期の話。
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