202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/11(木) 00:08:31 ID:qwcl/Om8
有名な宮部継潤の息子、宮部長煕。
家康の上杉征伐参加し、三成挙兵の報により、またともに西上した。
尾張まで来た時、彼は三成方と接触し、西軍に参加することを約束。
そして夜、闇に乗じて彼は、陣を抜けた。なんと彼は、自分の率いてきた部隊を
置き去りにし、一人で西軍に合流しようとしたのだ。約束通り熱田まで向かう。
そこから船に乗り一気に大阪まで行く予定であった。だが、なにかの手違いがあったのか、
その船が着いていなかった。
長煕は焦った。
夜が明ければ自分のいないことは知れ渡り、探索され、捕縛されるに違いない。
どうするべきか…?そうだ!
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\ __ /
_ (m) _ピコーン
|ミ|
/ .`´ \
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<`∀´∩< 何食わぬ顔をして東軍に戻ろう
(つ 丿 \_________
⊂_ ノ
(_)
と、長煕は、こっそりと自陣に戻ったのだ。
が、
宮部の陣では既に、長煕の逃亡は露見しており、彼に「見捨てられた」家臣たちは
彼を主君として「見限り」、新たに田中兵部大輔を大将としていた。
そこにのこのこ帰ってきた宮部長煕、あっという間に捕縛され、岡崎城に拘束された。
さらに「あんな馬鹿な男一人を味方にしてどうする気だったのだ?それほど西軍は
人材に困っているのか?」と、東軍内での西軍の評価まで、一気に落としたという。
203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/11(木) 00:50:25 ID:dd4UaSLm
間の抜けた話だぜ!
204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/11(木) 06:36:28 ID:m0Qrix34
ワロタ
西軍にしたって軍勢込みで勧誘したろうに、
それをおきざりってw
245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/14(日) 09:01:33 ID:Xa3FHJ0M
>>202
これは宮部長煕を田中吉政が嵌めたという説もある
吉政にはこれ以外にも良くない噂がちらほら
小牧・長久手では羽柴秀次の側近として参戦、
秀次軍の旗色が悪くなると伝令と称して陣を離脱、
堀秀政の陣に状況報告に行くがその下心を秀政に見抜かれ、
「命が惜しくなったかw秀次殿の側近として死んで来い」と追い返される
秀次事件では主君を擁護せず、逆に秀吉に讒言して加増を受ける
関ヶ原では佐和山城の城兵の命を助けることを条件に開城させるが、
約束を守らず皆殺しにするなど悪名高かった吉政、
その非道を嫌った立花宗茂により、田中家が取り潰しになった後も
宗茂は旧田中家臣を召抱えなかったという
有名な宮部継潤の息子、宮部長煕。
家康の上杉征伐参加し、三成挙兵の報により、またともに西上した。
尾張まで来た時、彼は三成方と接触し、西軍に参加することを約束。
そして夜、闇に乗じて彼は、陣を抜けた。なんと彼は、自分の率いてきた部隊を
置き去りにし、一人で西軍に合流しようとしたのだ。約束通り熱田まで向かう。
そこから船に乗り一気に大阪まで行く予定であった。だが、なにかの手違いがあったのか、
その船が着いていなかった。
長煕は焦った。
夜が明ければ自分のいないことは知れ渡り、探索され、捕縛されるに違いない。
どうするべきか…?そうだ!
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\ __ /
_ (m) _ピコーン
|ミ|
/ .`´ \
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<`∀´∩< 何食わぬ顔をして東軍に戻ろう
(つ 丿 \_________
⊂_ ノ
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と、長煕は、こっそりと自陣に戻ったのだ。
が、
宮部の陣では既に、長煕の逃亡は露見しており、彼に「見捨てられた」家臣たちは
彼を主君として「見限り」、新たに田中兵部大輔を大将としていた。
そこにのこのこ帰ってきた宮部長煕、あっという間に捕縛され、岡崎城に拘束された。
さらに「あんな馬鹿な男一人を味方にしてどうする気だったのだ?それほど西軍は
人材に困っているのか?」と、東軍内での西軍の評価まで、一気に落としたという。
203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/11(木) 00:50:25 ID:dd4UaSLm
間の抜けた話だぜ!
204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/11(木) 06:36:28 ID:m0Qrix34
ワロタ
西軍にしたって軍勢込みで勧誘したろうに、
それをおきざりってw
245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/14(日) 09:01:33 ID:Xa3FHJ0M
>>202
これは宮部長煕を田中吉政が嵌めたという説もある
吉政にはこれ以外にも良くない噂がちらほら
小牧・長久手では羽柴秀次の側近として参戦、
秀次軍の旗色が悪くなると伝令と称して陣を離脱、
堀秀政の陣に状況報告に行くがその下心を秀政に見抜かれ、
「命が惜しくなったかw秀次殿の側近として死んで来い」と追い返される
秀次事件では主君を擁護せず、逆に秀吉に讒言して加増を受ける
関ヶ原では佐和山城の城兵の命を助けることを条件に開城させるが、
約束を守らず皆殺しにするなど悪名高かった吉政、
その非道を嫌った立花宗茂により、田中家が取り潰しになった後も
宗茂は旧田中家臣を召抱えなかったという
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