秀頼七手組、八番目の大将・悪い話?

2008年12月17日 00:05

327 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/16(火) 13:03:18 ID:JsZ8pz0T
関ヶ原前後のお話し

豊臣秀頼の七手組は当初、八手組あった。現在文献などで確認できる七人の大将はそれぞれ有名で名の通った武将だが八番目の将を知る者は少ない。
彼の名は結城上野守高康。
結城秀康の側が産んだ四男である。(詳細な文献がないため生没年などは不明。)
小田原で初陣を遂げ手勢16騎と共に首級167を取る縦横無尽の活躍を秀吉から認められ、のちの八手組の大将に抜擢された。

さて関ヶ原…
彼は大阪で秀頼を守る七手組とは別に家康の北伐に従軍した彼は東軍の一部隊(1400人と伝わる)を率いていて小早川と大谷に挟まれる形で小早川勢の右斜め前方に陣を張っていた。
家康の恫喝で西軍を裏切った小早川が猛烈な勢いで山を駆け降りた時に当然結城高康軍も大谷軍に襲い掛かった。大将高康を残して…

何と高康は落馬し、勢いの止まらない小早川軍のヒヅメに踏み荒らされていたのだ。高康は命を取り留めるも明日をも知れぬ重体。関ヶ原の数日後、息を引き取る前の遺言は自分を記録から抹殺してくれとの事だった。
秀康も大変恥ずかしく思い息子の記録を徹底的に廃除し、幕府もこれを徹底的に守ったという。
なんとも格好悪い話し。



328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/16(火) 13:08:22 ID:uHUJbZb6
八手なのに七手組

五人なのに龍造寺四天王


つーかこれは悪い話のほうだなw

329 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/16(火) 14:44:44 ID:JUYfPi+b
>>327
しかし、小田原初陣というのは豊臣家に養子に出された当時の年齢・状態を考えるとありえんw

>>328
七手組の将の一人は、剥げ鼠がどうしてもほしいといったからという理由で譲った元徳川家臣で、
大坂の陣の際に捕らえて城に帰さず、豊臣滅亡後も大名として存続させたという神君ならではの配慮という話を思い出した

ここら辺が、数正系石川家と扱いが違ってて面白い

333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/16(火) 17:47:16 ID:57UQE5j0
>>329
青木一重だっけ?
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