大聖寺城、最後の奮闘

2010年04月10日 00:02

984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/08(木) 22:11:15 ID:tLytfPMW
大聖寺城主山口宗永の嫡男、山口修弘と言えば、薙刀の名人として天下に名高い男であった。

慶長五年(1600)8月2日、関ヶ原、前田利長による大聖寺城攻めで、修弘は父の籠城の方針に反対し果敢に討って出た。
これに油断していた前田勢は一度は撹乱したものの、やはり大軍である。当初の混乱から備を立て直すと逆襲、
修弘は城に押し戻された。しかし場内に残っていた山口方も出て反撃し、両軍は城壁側での乱戦となった。
ここで山口修弘の薙刀がうなる。水車に回し敵をなぎ払い、前田勢は修弘一人に追い立てられるという有様であった。
まさに無双状態である。

これに前田方の兵法の名人山崎次郎兵衛、利長の陣から抜け駆けし小太刀を抜いて修弘に迫る。
それを見て勇気を取り戻した前田の兵たちは数百人が山崎に続き修弘に殺到した。

この時櫓の上から、修弘が敵に取り囲まれているのを修弘の乳母が発見した。
この女、元より大力で有名であったが、これを見るや人夫たちに材木や大石をもたせ駆けつけた!

「若様に何をするか!」

乳母、人夫に持たせた材木や大石を受け取ると敵に向かって次々と投げつける!今度は女ドンキーコングだ。
これにより10人余りが討殺されたのだと言う。

前田勢は

「あれは人間じゃない!」

と大いに驚き恐れ進みかねた。ここで大将の山口宗永はじめ城兵が「修弘を討たすな!乳母を討たすな!」と
一斉に討ってで両人を回収。前田軍はそれを囲んで殲滅しようとしたが、ここに修弘と乳母が取って返し
天魔鬼神のごとく暴れまわった。これには大軍と言えどもたまらず、軍の真ん中を開いて彼らを通した。
無双と女ドンキーコング。これに立ち向かえと言う方が無理であろう。


…が、やはり山口勢は寡兵であった。
数度目の戦闘で乳母がついに討死。山口宗永、修弘親子も翌日、自刃した。


修弘は当初籠城を主張した父宗永に、こう言って説得したと言う

『この城でたとえ5日10日固く守ったとしても、後詰のあてが無い以上兵糧が尽きて餓死をするだけです。
我が城は兵糧の備えが足らないのです!ならば討って出て一戦し、名を後世に留めるべきでは
ありませんか!?』


大聖寺城、その最後の奮闘である。




987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 00:57:24 ID:s+Jxys/L
>>984
乳母さん、すげえ度胸と忠誠心だな
やっぱり戦国時代は女も強かったんだろうか



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