岡家利の遺言

2010年04月15日 00:00

岡家利   
154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/14(水) 02:49:54 ID:nqPitrgM
岡豊前守家利と言えば、長船貞親亡き後浮田家の家政を取り仕切った重臣であったのだが、
文禄元年(1592)、朝鮮への出陣のさい釜山においてにわかに病を発した。
主君、宇喜多秀家はこの老臣の発病に大いに驚き、医師をして治療に当たらせたがその効なく、病状は重体となった。

秀家は涙を流して家利の枕元に寄り、声をかけた

「何か言い残しておくべきことはないか?思うところがあれば何でも良い、申し置くのだ。」

しかし家利

「わたくしには秀家様のために申し置きたいことがあります。しかし言ったとしても、とても用いては頂けないでしょう。」

「何を言うか!私がお前の遺言に背くなどと言うことが有るだろうか!?殊にお前が、私のためにと言っているのに!
神にかけてこれを誓おう!」

これを聞いて家利は大いに喜び、近習の者たちを下がらせた上で、言った

「これは秀家様、そし宇喜多の御家の長久を考えた上でのことです。
どうか、長船綱直を重く用いることをおやめ下さい!」

長船綱直は長船貞親の子で、この頃秀家にとって最大の寵臣であった。

「処分をしろと言うのではありません。彼の父長船貞親は、御家に大変に忠義をいたしました。その父の功があります。
ですから、長船綱直を外様並の者とし、御前に近づかぬようにしていただきたいのです!
どうかこの事を…」

これだけのことを伝えると、岡家利は死んだ。
秀家は大いに嘆き、その子蔵人を越前守に受領させ岡家を継がしめ家老職になした。

だが、

それでも秀家は家利の遺言を用いること無く、長船綱直を重用し続けた。
長船綱直は宇喜多家の中で専制と言っていいほどの権勢を誇り、これが後に、宇喜多家を事実上分裂させた
宇喜多騒動を起こす原因となる。

用いられなかった岡家利の遺言、のお話。




スポンサーサイト