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よろず豊前守1人が

2022年07月20日 17:07

岡家利   
300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/07/20(水) 10:53:45.62 ID:KcG7usJM
天正十三年、秀吉公による根来攻めの時、和泉国千石堀において備前(宇喜多)勢は軍功有り、
根来寺破却の後、秀吉公は紀州雑賀へ御発向され、諸勢は丁場を分けて長堤を築き水攻めをするという時、
備前衆の丁場の堤が切れ水が溢れ出した。このため秀吉公の御機嫌を損じた。

岡豊前守(家利)は早速御前へ出て、
「私が不念故に堤を崩してしまったのです。申し訳に、切腹仕ります」
と申し上げるとたちまち機嫌を直され
「このような事は有るものだ。早々と水を留めるように(斯様の事ハ有物なり早々水を留候へ)
との上意にて相済み、即時に人夫を掛けて元のように堤を直した。そして程なく落城に及んだ。

その頃、宇喜多三老のうち戸川秀安は病気、長船貞親は既に死去しており、よろず豊前守1人が下知した。

戸川記



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岡家利の遺言

2010年04月15日 00:00

岡家利   
154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/14(水) 02:49:54 ID:nqPitrgM
岡豊前守家利と言えば、長船貞親亡き後浮田家の家政を取り仕切った重臣であったのだが、
文禄元年(1592)、朝鮮への出陣のさい釜山においてにわかに病を発した。
主君、宇喜多秀家はこの老臣の発病に大いに驚き、医師をして治療に当たらせたがその効なく、病状は重体となった。

秀家は涙を流して家利の枕元に寄り、声をかけた

「何か言い残しておくべきことはないか?思うところがあれば何でも良い、申し置くのだ。」

しかし家利

「わたくしには秀家様のために申し置きたいことがあります。しかし言ったとしても、とても用いては頂けないでしょう。」

「何を言うか!私がお前の遺言に背くなどと言うことが有るだろうか!?殊にお前が、私のためにと言っているのに!
神にかけてこれを誓おう!」

これを聞いて家利は大いに喜び、近習の者たちを下がらせた上で、言った

「これは秀家様、そし宇喜多の御家の長久を考えた上でのことです。
どうか、長船綱直を重く用いることをおやめ下さい!」

長船綱直は長船貞親の子で、この頃秀家にとって最大の寵臣であった。

「処分をしろと言うのではありません。彼の父長船貞親は、御家に大変に忠義をいたしました。その父の功があります。
ですから、長船綱直を外様並の者とし、御前に近づかぬようにしていただきたいのです!
どうかこの事を…」

これだけのことを伝えると、岡家利は死んだ。
秀家は大いに嘆き、その子蔵人を越前守に受領させ岡家を継がしめ家老職になした。

だが、

それでも秀家は家利の遺言を用いること無く、長船綱直を重用し続けた。
長船綱直は宇喜多家の中で専制と言っていいほどの権勢を誇り、これが後に、宇喜多家を事実上分裂させた
宇喜多騒動を起こす原因となる。

用いられなかった岡家利の遺言、のお話。