徳之島、琉球侵攻の際の話

2010年04月26日 00:03

382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 06:06:48 ID:lMkSWrwp
スーパーサイヤ人化した薩摩隼人ですら足元に及ばなかったという噂の徳之島の逸話ってありませんか?




383 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 08:41:39 ID:Mu3Dz5ZV
琉球侵攻の際の話

1609年3月、島津勢は80隻3000人の軍勢で山川港を出発、奄美大島を征服し、喜界島から降伏の使者を
受け入れた後に徳之島を目指し、20日には東側の秋徳という港に上陸した。ここでは琉球王府の役人である
佐武良兼(さぶろうがね)と思呉良兼(うみじろうがね)の兄弟が兵を備えて待ち構えていた。
農民たちも、木の棒や包丁をくくりつけた竹で武装したいたという。
佐武良兼は、身の丈七尺二寸(220cm)の大男で三尋(約3m)の棒を持っていたという。
彼らは上陸してきた島津勢に襲いかかり、北郷久武の配下の6、7人、船頭6人を討ち取った。篠川勘津という
70歳の老人は、島津兵3人を討ち取って戦死という奮戦ぶり。苦戦する島津勢だったが、渋谷丹後守が鉄砲で
佐武良兼を討ち取ると形勢は逆転する。弟の思呉良兼も戦死し、戦に参加した農民も皆殺しにされた。
その数は数百人にのぼったとされる。
その後、徳之島は降伏し、沖永良部島も戦わずして降伏した。即座に降伏した沖永良部島の住民は樺山久高から
「馬鹿ども」と罵られたという。しかし、悪久さんから「降伏したり無抵抗な者を狼藉、殺害、人取りするな」と
命ぜられていたため、命だけは助かった。勇敢にも抵抗したために、かえって皆殺しにされた
徳之島のちょっと悪い話




384 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 09:04:59 ID:uEDaUvXs
ちょっと・・・?

385 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/04/25(日) 09:07:13 ID:k8F2i2Pl
>>383
この島は何故こうも突出してんだろうな
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