“真田”になれなかった男

2010年05月01日 00:05

488 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 00:18:57 ID:i1m9APz6
“真田”になれなかった男

下野国犬伏で石田三成の密書を受け取った真田昌幸と次男の信繁は、長男の信幸と三男の昌親に書置きを残し、
所領を目指して密かに去った。
書置きを見た信幸は驚いたが、すぐに書状を持って徳川家康のもとに駆け込み、父弟の離反を伝えた。
家康は信幸の手を取り、「親兄弟と別れ、わしに味方してくれた貴殿の忠義、忘れぬぞ!」と、大いに喜んだ。

「何ということだ…父上は乱心されたか?!」昌親も後から書置きを読み、あわてて信幸の陣屋に向かった。
「兄上はおられるか?一大事だ、お知らせしたい事がある!」
「信幸様なら、徳川内府の本陣に行っておられます。」
「よ、よし!ならばオレも、そちらに向かおう!」

昌親が家康のもとに行くと、家康は使い番の報告を聞いているところだった。
「あ、あのぅ内府殿、兄がこちらにお邪魔しておりませんでしょうか…?」
「信幸殿は、つい先ほど自陣に帰られたが、何の御用かな?」
「え?それは…その……」
「…ちょうど良い。お前の報告を今一度、聞かせてくれ。」
家康は、使い番に促した。
「はっ!信幸殿の仰せの通り、昌幸殿・信繁殿の陣は引き払われておりました。あと、昌親殿は自陣に姿が見えず、
残っていた者の誰も行方を知りませんでした。」

(し、しまった!家臣にも行き先を告げずに出てきた……!)
「信幸殿が語ってくれた父兄の大事を、昌親殿はワシに話せぬと見える。去就に迷っておいでのようだの?
それとも、お父上に合流される予定かな?」
「い、いえ!そんなことは!信幸兄に、同心いたしまする!!」「ふん、そうかい。」

家康に初めて謁見した時は、「働き次第では父兄らと別に所領を与えよう。」との話もあった昌親だが信用を無くし、
関ヶ原の戦後に何の沙汰もなかった。その後、松代藩から知行を与えられたが、子の代で断絶した。




490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 01:04:49 ID:VvO0WCm3
>>488
あちゃー、やっちまったなって感じだわ
真に気の毒なのはこの人なのでは…

491 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 01:12:30 ID:ntbCM3tw
この人がちょびっと判断誤ってるのも確かだが兄ちゃんも弟に使い飛ばすくらいしよーよとも思うな。
三男が兄飛び越えて家康のとこに直で駆け込むわけにゃいかんのだし

どっちもとっさの判断だからしょうがないといえばしょうがないんだけど…

492 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/30(金) 06:38:20 ID:Kpc6O7eV
>>488
その経緯が本当だとすると、おじさんの真田信尹よりも働きが少なかったってことか
こちらは関ヶ原と大阪で加増されてるようだし
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