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残された妻・嶋子は秀吉のもとに差し出され・・・

2010年05月06日 00:00

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 12:06:54 ID:lT0bMlyM
以下蛇足

>>553-554の際、大関高増の外孫の倉ヶ崎城主・塩谷惟久も参陣せず、秀吉の怒りを買った。
これに対し惟久は、居城と妻を置いていずこかへ逃げ出し、残された妻・嶋子は秀吉のもとに差し出され・・・喰われた。
気丈にも嶋子は、秀吉の枕元で切々とお家再興を訴え続けた。



・・・実家の再興を。

実は嶋子は小弓公方・足利義明の孫であり、その弟は食うや食わずの生活を送っていたのだ。秀吉は嶋子の願いを容れ、
古河公方の血を引く足利氏姫を嶋子の弟・国朝と結婚させ、惟久が逃亡して空いたその旧領・喜連川郷を与えた。
こうして一ノ谷の戦い・屋島合戦にも名を連ねる名門・塩谷氏は滅び、鎌倉公方家が再興された。


『 日本一小さな大大名 』 喜連川藩が、これである。




557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 12:14:23 ID:0Oun9P+g
>>556
実に心温まる話だなw

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 13:39:18 ID:l69SEt3P
>>556
股かn…あ、いや、胸が熱くなるな

559 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/05(水) 15:04:12 ID:IHGN8mgp
今もって栃木県民にはアンチ徳川、秀吉好きの人が多いが
喜連川公方の再興もその理由のひとつとなっているようだ。
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