572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 15:36:12 ID:MCv4Yd31
文禄4年(1595)7月8日、関白豊臣秀次は、秀吉より高野山で蟄居することを命ぜられる。
これに聚楽第の秀次は重臣たちを集め、どう対処かを相談させた。
この時、三好家譜代の士で、秀次の乳父である白井範秀は言う
「秀次様にはいささかの誤りもありません。皆これ、石田などの讒言であり、
高野山に移られる必要などあるでしょうか?
どうか私、粟野、熊谷のうち一人を伏見にお遣わし下さい。太閤殿下の御不審の事、逐一申し開きいたしましょう。
その上で太閤殿下がお聞き入れ無く、押して討ち滅ぼそうと軍勢を派遣されるなら、この聚楽城を枕として
討死するつもりで戦いましょう。この聚楽城を持ってすれば何万騎が攻め寄せようと、恐れるほどのものですか。
聚楽を攻めあぐねる事態になれば必ず、太閤自らご出馬があり、自身で御謀反の仔細を聞こうとなさるでしょう。
その時こそ罪なき次第を一々に申し開きするのです。その言葉をお聞きなされば、太閤殿下の疑念も
解消されるでしょう。」
秀次はこれを聞いて
「汝の言葉、善いと思う。だが高野山に登れといわれているのに、聚楽に居ながらにして申開きをすると言うのは
これは不義であろう。
とにかくご命令通りに高野山に移り、高野山からお前たちを使わして申し開きをすべきだろう。
そのようにしよう。」
「それは甚だ悪いお考えです!こちらに誤りの無いことを一言も伝えることなく太閤殿下の命令に従うのは、
世の中の人々に”やはり関白はなにか間違いを犯したのだ”と推量されます!
どうかお考え直しを!」
しかし秀次はこれを聞かず、高野山に登った。すると直ぐに追っ手が来て、たちまち切腹となった。
この時にいたって秀次は、白井の言葉に従わなかったことを後悔したと言う。
白井範秀はこのことを予め覚悟していたので、諸人に構わず京に戻り、日頃より頼んでいた四条の聖雲院を訪れ
仔細を語ると、そこで殉死して果てた。
人々、彼の死を大いに惜しんだと言う。
秀次事件のさい、秀次のブレーンの一部に聚楽で籠城という計画があったのは確かなようだ。
かなり大規模で堅固な城郭だったと言う聚楽の防御力をバックに秀次が免罪闘争をした場合、はたして
どのような結果になったか、興味深い空想である。
573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 16:05:39 ID:Lvb7fpjH
肝心のラスボスが、人の話聞けない状態だからなあ……。
574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 17:05:40 ID:7PBftK/a
秀頼が生まれてる時点でもうどうにもならんだろ。
さっさと官位も所領も返上すべきだった。
575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 18:57:05 ID:hwjxZO9v
秀次そのものが邪魔なんだから返上したところで殺されてたでしょ
576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 19:11:08 ID:MRObdBmD
おそらくベストの選択はラスボスの首獲ってクーデター
これまた成功率が低いが
577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 19:12:55 ID:RIGOwoCj
最初から見切って身を引いていれば十分可能性があったろうけど
ここに至ってはもうどうしようもないよねぇ
578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 19:34:33 ID:7QaaZyb6
関白が日本の武家と政治を司るって新体制を創ったのは、他ならぬ秀吉だじぇ
後任もいない状態で秀次が世捨てしたら、政権崩壊の危機に陥る
579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 20:08:39 ID:zpE5AI6k
聚楽って宮殿みたいなものだと勝手に思ってたが
要塞としても堅固な城だったのかな?
580 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/06(木) 20:26:30 ID:Ay7qh+MI
>>579
すぐ壊されたけど、広大な城だったようだ。
581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 21:34:29 ID:v4F59i9d
既に鶴松が生まれて死んだ例があるし、秀頼が生まれてすぐに何もかも譲るとはいかなかったろう。
何もかも秀吉の意のままに秀頼を立て余計なことはせずに大人しくしておけばよかったかというと
なかなかそうとも思えないんだよなー。
秀次が何をどうすればよかったかって難しいよなー。
582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 22:20:04 ID:AGU/ijoX
家督譲った後に実子が生まれちゃった例では義政と日野富子の子の義尚の前例があるな。
ありがちなお家騒動だよなあ。
応仁の乱のような事態に発展するのを食い止めたかったんだろうなあ。
583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 22:23:50 ID:MCv4Yd31
>>582
応仁の乱はちょっと違うな。先に2派に別れた守護大名同士の抗争があった上で、
その抗争に将軍家の継承問題が巻き込まれた感じ。
586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 00:26:59 ID:yo0nGgyb
秀次って人間そのものが邪魔なんであって関白だとかそんな地位はどうでもいい状況
文禄4年(1595)7月8日、関白豊臣秀次は、秀吉より高野山で蟄居することを命ぜられる。
これに聚楽第の秀次は重臣たちを集め、どう対処かを相談させた。
この時、三好家譜代の士で、秀次の乳父である白井範秀は言う
「秀次様にはいささかの誤りもありません。皆これ、石田などの讒言であり、
高野山に移られる必要などあるでしょうか?
どうか私、粟野、熊谷のうち一人を伏見にお遣わし下さい。太閤殿下の御不審の事、逐一申し開きいたしましょう。
その上で太閤殿下がお聞き入れ無く、押して討ち滅ぼそうと軍勢を派遣されるなら、この聚楽城を枕として
討死するつもりで戦いましょう。この聚楽城を持ってすれば何万騎が攻め寄せようと、恐れるほどのものですか。
聚楽を攻めあぐねる事態になれば必ず、太閤自らご出馬があり、自身で御謀反の仔細を聞こうとなさるでしょう。
その時こそ罪なき次第を一々に申し開きするのです。その言葉をお聞きなされば、太閤殿下の疑念も
解消されるでしょう。」
秀次はこれを聞いて
「汝の言葉、善いと思う。だが高野山に登れといわれているのに、聚楽に居ながらにして申開きをすると言うのは
これは不義であろう。
とにかくご命令通りに高野山に移り、高野山からお前たちを使わして申し開きをすべきだろう。
そのようにしよう。」
「それは甚だ悪いお考えです!こちらに誤りの無いことを一言も伝えることなく太閤殿下の命令に従うのは、
世の中の人々に”やはり関白はなにか間違いを犯したのだ”と推量されます!
どうかお考え直しを!」
しかし秀次はこれを聞かず、高野山に登った。すると直ぐに追っ手が来て、たちまち切腹となった。
この時にいたって秀次は、白井の言葉に従わなかったことを後悔したと言う。
白井範秀はこのことを予め覚悟していたので、諸人に構わず京に戻り、日頃より頼んでいた四条の聖雲院を訪れ
仔細を語ると、そこで殉死して果てた。
人々、彼の死を大いに惜しんだと言う。
秀次事件のさい、秀次のブレーンの一部に聚楽で籠城という計画があったのは確かなようだ。
かなり大規模で堅固な城郭だったと言う聚楽の防御力をバックに秀次が免罪闘争をした場合、はたして
どのような結果になったか、興味深い空想である。
573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 16:05:39 ID:Lvb7fpjH
肝心のラスボスが、人の話聞けない状態だからなあ……。
574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 17:05:40 ID:7PBftK/a
秀頼が生まれてる時点でもうどうにもならんだろ。
さっさと官位も所領も返上すべきだった。
575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 18:57:05 ID:hwjxZO9v
秀次そのものが邪魔なんだから返上したところで殺されてたでしょ
576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 19:11:08 ID:MRObdBmD
おそらくベストの選択はラスボスの首獲ってクーデター
これまた成功率が低いが
577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 19:12:55 ID:RIGOwoCj
最初から見切って身を引いていれば十分可能性があったろうけど
ここに至ってはもうどうしようもないよねぇ
578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 19:34:33 ID:7QaaZyb6
関白が日本の武家と政治を司るって新体制を創ったのは、他ならぬ秀吉だじぇ
後任もいない状態で秀次が世捨てしたら、政権崩壊の危機に陥る
579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 20:08:39 ID:zpE5AI6k
聚楽って宮殿みたいなものだと勝手に思ってたが
要塞としても堅固な城だったのかな?
580 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/06(木) 20:26:30 ID:Ay7qh+MI
>>579
すぐ壊されたけど、広大な城だったようだ。
581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 21:34:29 ID:v4F59i9d
既に鶴松が生まれて死んだ例があるし、秀頼が生まれてすぐに何もかも譲るとはいかなかったろう。
何もかも秀吉の意のままに秀頼を立て余計なことはせずに大人しくしておけばよかったかというと
なかなかそうとも思えないんだよなー。
秀次が何をどうすればよかったかって難しいよなー。
582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 22:20:04 ID:AGU/ijoX
家督譲った後に実子が生まれちゃった例では義政と日野富子の子の義尚の前例があるな。
ありがちなお家騒動だよなあ。
応仁の乱のような事態に発展するのを食い止めたかったんだろうなあ。
583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 22:23:50 ID:MCv4Yd31
>>582
応仁の乱はちょっと違うな。先に2派に別れた守護大名同士の抗争があった上で、
その抗争に将軍家の継承問題が巻き込まれた感じ。
586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/07(金) 00:26:59 ID:yo0nGgyb
秀次って人間そのものが邪魔なんであって関白だとかそんな地位はどうでもいい状況
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