足利義教と日親

2010年05月09日 00:03

日親   
781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 17:43:36 ID:GkX4OATc

室町か戦国か、微妙な時代の話をも一つ。
室町六代将軍、義教の頃、有名な僧侶として法華宗の日親が居た。

この日親、僧としての実績は申し分ないのだが、ゴリゴリの法華宗強硬派であり、
他宗派とは付き合わない、施しも受けない、馴れ合わない。他宗派の人間は全て悪
人、と言わんばかりの……日本版フロイスとでも言うべき人間であった。

ある時、将軍義教に直接面会出来る機会を得た。義教は足利氏一門の長であるから、
当然禅宗(臨済宗)の門徒である。
その義教に対して日親、

「土一揆やら後南朝の反乱やらと天下が治まらず、関東の情勢も不穏な様子が続い
ているのは、全て天下人である貴方に問題がある。具体的に言うと貴方は法華宗に
帰依していない!今すぐ我が宗派に改宗し、法華経の徳に縋って仁政を行うべきな
のです!」

ま、怒るよね、フツー。www
当然義教への面会禁止となり、布教活動も禁止させられる。

が、日親にしてみれば自ら信じる正論を述べ、天下泰平の為に唯一の道を示したの
である。だから彼は諦めなかった。
「立正治国論」を著し、禅宗や天台宗に基づいた政治を批判。あくまでも将軍が法
華宗に改宗するコトが天下の政道であるとした。

ま、怒るわな、jk。www
今度は面会禁止では済まなかった。逮捕され、持論の撤回を迫られた。

が、日親にしてみれば(以下略)

終いには拷問として真っ赤に焼けた鉄鍋を頭に被せられたが、それでも日親は屈す
るコトなく法華経を説き続けた。
幕府はこれ以上日親に口を開かせないよう、舌先を切り取った上で開放した。

この拷問の後、日親は四十年以上を生き、八十歳を超える長寿を記録している。
言葉を失ってからも日親は精力的に布教を続け、権力者に逆らい、他宗派に喧嘩を
売っていた。
その態度から他宗派のみならず、法華宗内にも敵は多かったようだが、何度投獄さ
れてもまた復帰し、僧としての名声を失わなかったコトを見ると、この「ゴリ押し」
も「毅然とした態度」として一定以上の支持は受けていたらしい。

ちなみに拷問の際に被せられた鉄鍋は頭の皮膚に張り付いてはがれず、生涯鍋を被
ったままだったと伝説には伝わる。
日親の名前は「なべかむり日親」「鍋被り上人」として信仰の対象にすらなってい
る。

明らかに悪い話だと思うんだが、日親の逸話は暴君の拷問に屈せず信仰と信念を貫
き通した名僧、というニュアンスで紹介されてるモノが殆ど。
後世で信仰の対象にもなっているそうなので、とりあえずコチラに投下しておこうかな。




782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 17:58:05 ID:OmHIRbdi
この人安土桃山に生きてたら、間違いなく不受不施派になってただろうなw

しかしどの宗教にも狂信者と言うのはいるものだけど、この手の
一種の社会運動家的な狂信性というのは、日本の仏教では日蓮宗以外には余り見られないな。

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 18:06:03 ID:6W4H8GaH
というより狂信者の受け皿が日蓮宗だったのでは?
他の宗派から始めてもそういう気質の者は弾かれそうだし

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 18:09:40 ID:dzNaUZ+4
>>778
本音はどうかは知らないが、みんなのアイドルな兄ちゃんも信幸→信之に変えてるね
通説的には、父親と同じ名前を捨てて、縁を切ったという意思表示ととられてるようだが

785 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 18:35:59 ID:M1chJv08
混交をよしとする日本の宗教にあって、日蓮宗は原理主義的傾向だったんだろね
どの世界にも原理主義組織は現れて、歴史上存在感を示す時期があるし
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