634 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/03/29(木) 18:38:44.55 ID:Stb2uth1
1538年、10月。現在の千葉県松戸市にあたる地で、江戸川を挟み対峙する二つの軍勢があった。
片方の軍を率いるのは鎌倉を制して勢いに乗る北条氏綱。
もう片方の軍を率いるのは武田氏・里見氏を従属させ力を増しつつあった小弓公方足利義明であった。
世に言う第一次国府台合戦である。
里見や正木、酒井、土岐といった房総の諸将を従えたとは言え足利軍の総力は一万程度。
一方の北条率いる軍勢はは二万とその差は大きかった。
数の上での不利を補うべく、義明に従う里見義堯が進言した。
「敵の数は多けれど、太日川(江戸川)は流れも早いので渡河は困難。先手が川を渡りきる前に矢衾を作り、続く敵を討てば勝機も見えますぞ」
ところがこれを聞いた足利義明は大笑いした。
「儂は小弓公方義明ぞ。北条の雑兵共が儂に弓など向けられるものか。
北条軍が川を渡り終えたところで氏綱の首級を取ってみせるわ」
自らの武勇と威光に自信満々の義明と対照的に、慌てたのは義明の重臣、逸見忠次たち。
「公方様、いけませぬ。敵はおよそ我らの倍、地の利を活かさねば活路はございません」
しかし義明はこれを聞き入れない。忠次の必死の説得も空しく、結局房総連合軍は北条の渡河を待ってから攻撃をかけることとなった。
すると里見義堯が再び進言した。
「公方様、敵はその数に物を言わせ市川方面から別動隊を繰り出す可能性がございます。
公方様が敵の主力を叩く間、某が邪魔者を追い払って参りましょうぞ」
これに対し義明、
「頼もしい限りよ!」
と義堯を前線から外してしまい、義明率いる軍勢は更に少なくなってしまった。
やがて北条勢が次々に江戸川を渡ってきた。しかし足利軍は動かない。
とうとう渡河が終わったところで、ようやく両軍は激突した。
義明はその自信に違わぬ武勇で敵兵を蹴散らすものの、所詮は多勢に無勢。
次第に押され始めた義明軍は、義明の嫡男義純までもが討たれた。
「おのれ、北条め!」
激怒し刀を振るう義明に対し
「公方様、ここはお退き下さい!某殿となり、公方様の御命をお守りいたす!」
義明に懸命に訴える忠次だが、またしても義明は聞き入れない。
「かくなる上は氏綱と刺し違えてくれるわ!」
義明は北条軍へ突撃し、呆気なく射殺されてしまった。
それを見た忠次、自軍の将兵達に大音声で呼ばわった。
「者共は義純様(義明次男)を守り、義堯殿を頼って安房へ落ちのびよ!」
殿となった忠次は奮戦するものの、山中修理亮に討たれ義明の後を追うこととなった。
一方北条の挟撃に備えると称して戦場から離れていた里見義堯は、義明戦死の報を聞くとすぐさま本拠地の安房へと引き返す。
そして軍勢を整え、味方のはずの旧小弓公方領を火事場泥棒的に次々と攻略し、小弓公方に代わる勢力となったのは皆様ご存知の通り。
足利義明の暴走を止められなかった(止めなかった?)逸見忠次と里見義堯、二人の対照的なお話(『房總里見軍記』より)。
635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/29(木) 19:19:32.36 ID:YqWh7fXG
義堯にしてみれば、我が儘な義明にうんざりしてたんじゃないかな
義明方に誘ってきた真里谷武田との仲も芳しくなくなっていたし、国府台での義明戦死はもっけの幸いだったろうね
事実、義明を助けるそぶりすら見せないで退いたし
636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/29(木) 21:32:21.21 ID:1MeYh122
そもそも義堯が懇意だった北条と手を切る原因になったのが義明の真理谷家(武田家)への介入だからね
目の上の瘤な上に無茶をする義明には遅かれ早かれ見切りをつけるつもりだったのかも知れん
で、思いの外簡単に上総に進出できたから北条と戦い続けることにした、と
637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/29(木) 21:36:11.78 ID:irORd9HY
>>635
小笠原長時をさらに弱くした感じ
638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/30(金) 01:12:21.44 ID:Z/Xh5N+q
小田氏治「忠臣の進言無視は敗北フラグだぞ」
639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/30(金) 14:25:56.13 ID:r8DQgxnY
譜代の逸見君と違って足利家臣でもない足利の旗に集まった地方領主の里見君を比較しちゃだめだよ
見限って退却するのは当然の判断、それに倣ったのが真田昌幸な
640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/30(金) 15:07:43.43 ID:D15gAl9j
逸見も姓からして元真理谷武田家臣じゃないの?
と言うか小弓公方に譜代家臣なんかロクにいないんじゃ…
641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/30(金) 19:00:08.19 ID:xOGpPgXm
>>640
逸見は甲斐武田か真里谷の一族とされてる
ただ古河から移ってきた家臣もいたはず
642 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/03/30(金) 19:10:02.92 ID:UvmHsxPi
逸見と書いてへんみと読むらしいな
643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/30(金) 19:39:50.61 ID:DJSp8WgA
>>637
小笠原長時は戦いに冠しては評価がわりと高い
人心掌握がへた
645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/31(土) 01:17:23.11 ID:baFuhFEn
>>642
読みでいつみの方が認知度高いのは故政孝の関係だな
若狭にもいた同族のおかげで戦国時代はへんみでいける
1538年、10月。現在の千葉県松戸市にあたる地で、江戸川を挟み対峙する二つの軍勢があった。
片方の軍を率いるのは鎌倉を制して勢いに乗る北条氏綱。
もう片方の軍を率いるのは武田氏・里見氏を従属させ力を増しつつあった小弓公方足利義明であった。
世に言う第一次国府台合戦である。
里見や正木、酒井、土岐といった房総の諸将を従えたとは言え足利軍の総力は一万程度。
一方の北条率いる軍勢はは二万とその差は大きかった。
数の上での不利を補うべく、義明に従う里見義堯が進言した。
「敵の数は多けれど、太日川(江戸川)は流れも早いので渡河は困難。先手が川を渡りきる前に矢衾を作り、続く敵を討てば勝機も見えますぞ」
ところがこれを聞いた足利義明は大笑いした。
「儂は小弓公方義明ぞ。北条の雑兵共が儂に弓など向けられるものか。
北条軍が川を渡り終えたところで氏綱の首級を取ってみせるわ」
自らの武勇と威光に自信満々の義明と対照的に、慌てたのは義明の重臣、逸見忠次たち。
「公方様、いけませぬ。敵はおよそ我らの倍、地の利を活かさねば活路はございません」
しかし義明はこれを聞き入れない。忠次の必死の説得も空しく、結局房総連合軍は北条の渡河を待ってから攻撃をかけることとなった。
すると里見義堯が再び進言した。
「公方様、敵はその数に物を言わせ市川方面から別動隊を繰り出す可能性がございます。
公方様が敵の主力を叩く間、某が邪魔者を追い払って参りましょうぞ」
これに対し義明、
「頼もしい限りよ!」
と義堯を前線から外してしまい、義明率いる軍勢は更に少なくなってしまった。
やがて北条勢が次々に江戸川を渡ってきた。しかし足利軍は動かない。
とうとう渡河が終わったところで、ようやく両軍は激突した。
義明はその自信に違わぬ武勇で敵兵を蹴散らすものの、所詮は多勢に無勢。
次第に押され始めた義明軍は、義明の嫡男義純までもが討たれた。
「おのれ、北条め!」
激怒し刀を振るう義明に対し
「公方様、ここはお退き下さい!某殿となり、公方様の御命をお守りいたす!」
義明に懸命に訴える忠次だが、またしても義明は聞き入れない。
「かくなる上は氏綱と刺し違えてくれるわ!」
義明は北条軍へ突撃し、呆気なく射殺されてしまった。
それを見た忠次、自軍の将兵達に大音声で呼ばわった。
「者共は義純様(義明次男)を守り、義堯殿を頼って安房へ落ちのびよ!」
殿となった忠次は奮戦するものの、山中修理亮に討たれ義明の後を追うこととなった。
一方北条の挟撃に備えると称して戦場から離れていた里見義堯は、義明戦死の報を聞くとすぐさま本拠地の安房へと引き返す。
そして軍勢を整え、味方のはずの旧小弓公方領を火事場泥棒的に次々と攻略し、小弓公方に代わる勢力となったのは皆様ご存知の通り。
足利義明の暴走を止められなかった(止めなかった?)逸見忠次と里見義堯、二人の対照的なお話(『房總里見軍記』より)。
635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/29(木) 19:19:32.36 ID:YqWh7fXG
義堯にしてみれば、我が儘な義明にうんざりしてたんじゃないかな
義明方に誘ってきた真里谷武田との仲も芳しくなくなっていたし、国府台での義明戦死はもっけの幸いだったろうね
事実、義明を助けるそぶりすら見せないで退いたし
636 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/29(木) 21:32:21.21 ID:1MeYh122
そもそも義堯が懇意だった北条と手を切る原因になったのが義明の真理谷家(武田家)への介入だからね
目の上の瘤な上に無茶をする義明には遅かれ早かれ見切りをつけるつもりだったのかも知れん
で、思いの外簡単に上総に進出できたから北条と戦い続けることにした、と
637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/29(木) 21:36:11.78 ID:irORd9HY
>>635
小笠原長時をさらに弱くした感じ
638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/30(金) 01:12:21.44 ID:Z/Xh5N+q
小田氏治「忠臣の進言無視は敗北フラグだぞ」
639 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/30(金) 14:25:56.13 ID:r8DQgxnY
譜代の逸見君と違って足利家臣でもない足利の旗に集まった地方領主の里見君を比較しちゃだめだよ
見限って退却するのは当然の判断、それに倣ったのが真田昌幸な
640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/30(金) 15:07:43.43 ID:D15gAl9j
逸見も姓からして元真理谷武田家臣じゃないの?
と言うか小弓公方に譜代家臣なんかロクにいないんじゃ…
641 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/30(金) 19:00:08.19 ID:xOGpPgXm
>>640
逸見は甲斐武田か真里谷の一族とされてる
ただ古河から移ってきた家臣もいたはず
642 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/03/30(金) 19:10:02.92 ID:UvmHsxPi
逸見と書いてへんみと読むらしいな
643 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/30(金) 19:39:50.61 ID:DJSp8WgA
>>637
小笠原長時は戦いに冠しては評価がわりと高い
人心掌握がへた
645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/03/31(土) 01:17:23.11 ID:baFuhFEn
>>642
読みでいつみの方が認知度高いのは故政孝の関係だな
若狭にもいた同族のおかげで戦国時代はへんみでいける
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