そして阿曽沼広長は

2015年03月06日 18:54

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/06(金) 10:51:39.98 ID:k5W8PY2+
そして阿曽沼広長

慶長5(1600)年7月、南部利直は徳川家康の要請を受け、兵5000を伴い米沢口からの最上義光の上杉攻めに加勢するべく山形の勝山に出陣していた

そこに上方で西国大名が挙兵した知らせと家康父子の会津攻めの中止と西進、更には伊達との国境で一揆が発生したとの報が立て続けに早馬で届いた

利直「かような時に他国に大軍を持ったまま長居する訳にはいかぬ。さりとて起請連判をしたからには全兵を引き揚げる事もまずい

・・・!

…阿曽沼(広長)殿、浜田(喜六)殿、最上への体面もある故そち達と兵500を山形に残しこれを任せる。最上殿に引き続き助力してくれ

なにかあったら使番で連絡を取り合う事にしよう」

南部利直はそのまま本陣を畳むと兵4500を連れ帰国の途についた

阿曽沼広長「…といった訳で我等が山形の陣を任されました」

最上義光「…それではお二方には城南の守備をお願いできますでしょうか?」

しかしこれは南部利直の謀で、阿曽沼広長の領地の遠野は広長の留守中に帰国した利直に収公されてしまった

「山形の昔話」「岩手の昔話」ほか

※阿曽沼氏は元は独立大名だったが、奥州仕置で南部の下に付与されてしまった

※浜田喜六も南部氏と対立していた旧葛西氏の重臣の浜田広綱の弟と言われる




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南部信直の申し入れ

2013年01月25日 19:50

282 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 21:15:45.13 ID:/cMzjHMl
「奥羽津軽一族」に書いてあったのを抜粋。

九戸政実らが投降したことで諸将は各陣所に引き上げていったが、一方で南部信直浅野長政の陣所を尋ねた。

津軽為信は実父高信の仇である。幸いにも為信がこの地に在陣している。まさに天与の機会である。
 この際、為信を攻めて父の仇を討ちたい。是非、貴将の許しをいただきたい。」
と申し入れをした。

これに対し、長政は
「この度の出陣は貴殿に対して謀反を起こした政実を討伐するためであり、
 この機会に津軽為信に対し私怨を晴らさんとすることは認められない」
と拒否した。

この時信直は言葉もなく下がったが、次いで蒲生氏郷の陣所を訪れて同様の願いを述べた。
これに氏郷も同調、ともに長政の陣所を訪れ重ねて願いを繰り返した。

これに対して長政は
「為信は殿下に属し、それに拠って朱印を賜りたる者であり、此度も当地で十分武功を顕し、
天下へ忠勤を示している。
 そのような時に貴殿が私怨を晴らそうとする行為は容認できない。」
と拒否し、津軽為信には不測の事態を避けるために即刻の帰国を勧告し、為信は従って帰国した。


なお、後に名護屋で津軽が馬鹿にされたことで津軽家と浅野家は絶縁しているので
本当にあったやり取りなのかは疑問が残る。


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283 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 21:56:55.38 ID:sfOCPR+u
工場長が同調しちゃうのがちょっと意外

284 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/24(木) 21:59:56.63 ID:voF6uaqJ
津軽と九戸どこで差がついた

時流の読みとしたたかさの違い

285 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 08:36:14.11 ID:ASx27AZm
>>282
まあ、南部と津軽は相手をディスる為に無茶苦茶な話を書き残してるからなぁ

286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 11:47:46.61 ID:uij6e+ed
●∀・「もっと仲良くしようぜ!」

287 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/25(金) 14:25:14.84 ID:hDIRbCtu
>>283
工場長の娘か養女だったかが
信直の息子の嫁になってるし、仲は良かったんだろう

遅かった話 南部信直・北信愛編

2012年08月11日 20:56

922 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/10(金) 23:44:58.10 ID:CU/QAYC2
遅かった話 南部信直北信愛編

すったもんだの末に南部家25代当主として家督を相続した南部信直は、北信愛をそばに呼びこう語った。
「天下に名高き武将は多いが、今皆がその名を知り四海に武威を振るっているのは、織田信長様だ。
諸国諸士はこぞってよしみを結んでいると聞く。
私も参上こそ叶わないが、土産を持たせて使者を送りたい。だが、この遠い糠部の地、なかなか
思うようにはいかない。
それに、信長様に我が家の由緒を示したいが、代々の由緒を記した巻物(系図書)も火災によって
失ってしまっていてなぁ……」

天文18年(8年とも)に、当時の居城であった本三戸城は、晴政に妻を奪われた
家臣の赤沼備中によって放火され、
南部家相伝の証文・系図・家宝などはことごとく燃えてしまっていた。

信直はどうしたものかと思案していたが、そこへ北信愛が
「御屋形様、これを……」
と、差し出した。それはまさに焼けて無くなった筈の系図書だった。
「どうしたのだこれは?!」
「はい、御城炎上ののちに、晴政様は家中に自家の系図を提出させ、その時集まった
30巻余りをつき合わせて抜きだし、
御前で清書しました。私の父は文筆の心得があったので、その手伝いを任されました。
その下書きを、晴政様は私の父に賜り、その後父はこれを私に譲ったのです」

そして信愛はそれから延々系譜の内容について詳しく説明した(長いので割愛)
「――ということで、そのほかにも筆にも及ばぬ言い伝えは数多ありますが、それは
追々話すとして、あらましはこのようなものでした」
信直の喜びはひととおりではなかった。
「よし、こうとなればさっそく信長公へ使者を登らせよう! 誰が良いと思う?」
「このたびの使者は御家の一大事のことです、私が行きましょう。
良い伝えを持って帰りますので、安心して待っていてください」
と、信愛は御家の由緒を荒々と書き抜いて、献上するための馬三頭・大鷹五羽を持って糠部を出立した。

時に“天正10年 6月中旬”のことだった。

北信愛は順調に進み、日本海側に抜けて下越後へ着いた。が、そこで、信長公が京都で
逆臣のために果てたことを風聞に聞いた。
不安に思った信愛はしばらくその所に逗留して情報を集めていたが、風聞が真実だと知ると、
今は上洛しても詮無しと、力を失い帰国したという。




924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 01:53:21.67 ID:TZJ+STfh
本能寺の変への各大名の反応とか調べたいな

色んな情報が錯綜してそうで面白そう


931 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 16:46:39.73 ID:/qNjNtQX
ん?6月中旬ってことは実際は越後は天正壬午の乱中だったんだろうが
信長が死んだことを知らないのになんで越後側に抜けたんだ
まさか上杉が織田と戦ってたことすら知らなかったのか?

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 16:54:23.60 ID:yi+zMmTj
下越後から船で上杉領スルーするとか?

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 17:32:29.71 ID:HF/OB6T/
>>931
下越後だと新発田重家の領内だろうから、そこから船にするか
関東方面へ出るつもりだったのかも。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 17:34:21.45 ID:UyImDaMx
>>922
この時秀吉に従ってれば、津軽は安堵されたのに(´・ω・`)

935 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/11(土) 19:30:48.90 ID:9jyoXUZh
>天下に名高き武将は多いが、今皆がその名を知り四海に武威を振るっているのは、織田信長様だ。
>諸国諸士はこぞってよしみを結んでいると聞く

この程度の把握では信長急逝後の後継者見込みを立てられなかったんじゃないかな

おぢおののき申し候て、有やうを申す人なく候

2012年05月08日 21:04

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/07(月) 20:38:23.84 ID:cIlYgPCA
おぢおののき申し候て、有やうを申す人なく候

文禄2年、朝鮮での戦局が転換を向かえ、明軍の講和使節が名護屋にやってきた頃、
在陣中の南部信直は留守居の八戸政栄宛てに手紙を出した。

『十郎がこちらに下ってきたので、文を送ります。
5月15日に唐の官人二人(謝用梓・徐一貫のこと)が名護屋に来ました。
(秀吉は)早々に兵を高麗へ入れるべしと申してましたので、
連れてきた者を集めておくようにと仰いましたが、赤キ国(全羅道)を占領せよと命ぜられたので、
8月までの御在陣を仰せられました。
そして近日、佐竹義宣・堀秀治・丹羽長重・織田信包など、五人を渡海させよと指示されました。
なにはさておき、詳しくは十郎がお伝えします。』

『高麗八州四ヵ国は日本に割譲されるとのことで、これは一国が九州ほどで、使者は多くの人々を引いてきて
年貢を送ると詫び言があったそうです。唐の大王も貢物を送ってくるそうです。
これ以上ない条件だと上も下も言っていますが、高麗四か国に
日本の侍を置かなければ平和は無いだろうと太閤様はいろいろな御難題を仰られる。
そういうわけで、北金の都より大将としてやってきた遊撃将軍(李如松のこと)が釜山海に居るので、
太閤様が仰られた通りの事をこの人へと伝えたそうです。』

『高麗に在陣している大名達はさんざんに疲れ果てて、何の役にも立たない様子です。
だがその有り様を秀吉の御前で話しては、即刻処分されるので、皆怖がり恐れて、この有り様を申す人はいません。
この状況をわかってほしい。』

『日本では大身者であろうと小身者であろうと、御前で物を申す者はいません。
日本国内では一切の争いも許されません。ですが、武具などは油断なく準備し、九郎(南部利直)に奉公してほしい。』

『高麗の年貢は年々印子金1万2千ずつだそうです。印子金一つは100目(匁)で、これというほどのものではありません。
弾正殿(小西行長)は釜山海に居ます。
こちらで重ねて何かあったら、おいおい人を下して連絡します。以上

(文禄二年)五月廿五日  信直
 八戸殿』


当時の情勢や秀吉の独裁者振りが垣間見える南部信直の書状。
『高麗に在陣している大名達は~』のくだりを読んだ時、秀吉って本当に独裁者だったんだなぁ、としみじみ思った。
誤訳あったらゴメン。




66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/07(月) 20:45:37.12 ID:B3YaATvq
もう早く帰りたいと書きたかったけど八戸さんや北爺を
心配させまいと我慢した信直くん

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 05:44:52.47 ID:bN+9LY1b
>>65といい
太平洋戦争といい
原発事故といい…
日本人の気質は400年以上変わってないなw

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 09:57:37.00 ID:yzMucEDe
>>72
大切なのは耳に痛い進言を許す上なのだけどね

そう考えると徳川家は本当に異様だな

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 10:00:16.87 ID:i8fNsTvc
MSNGさん再評価の流れですね

77 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 10:09:51.62 ID:vyd3V7yM
>>76
進言を取り入れる度量?進言をほとんど必要とさせないほどの智謀あっての度量だろ、jkとの声が届いています

78 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 11:20:28.26 ID:6+bzqfZS
信長も信玄も、文書上は自分に悪いところがあったら遠慮なく言え、としているね。

……ただ、リアルに考えると怖くて諌言できねえよw

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 14:20:32.32 ID:aMpjFMa+
>>76
三好政長?

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/08(火) 14:22:54.10 ID:i8fNsTvc
うん、素で間違えた

82 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/08(火) 23:34:30.38 ID:Kamt77nI
>>78
佐々成政

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/09(水) 00:17:22.67 ID:VJ72z96+
>>78
不平分子を炙り出す罠だから......

88 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/09(水) 02:27:44.62 ID:m0I6GJ3n
>>78
武井夕庵さん忘れちゃ駄目だろ

中野修理康実の怪力

2012年02月06日 21:50

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/05(日) 19:49:34.48 ID:S031iv0F
中野修理康実は九戸政実の実弟だが、九戸の乱の際は南部信直に味方し、その家を存続させた。
だがやはり兄弟を討たれたことに思うことはあったのだろう、信直を恨む様子が折々に見え、そんな吉兵衛に
信直も警戒していた。

さて、この中野修理は大男で怪力の持ち主だった。彼は唐竹の中に鉄棒を仕込んだ五寸回りの狩り杖を
つねに持ち歩いており
三戸城の石垣を組む時、三十人でも引けないような大きな石が落ちてくるのを
その狩り杖で押さえたという逸話があった。

ある冬の事、信直が三戸にて冬雪の上にて追鳥をして気晴らしをしていた。
信直はかんじきを履いて雪の上を自由に歩いていたが、大男だった中野は雪を踏つぶし、
歩くのも難儀しているようだった。
その様子に信直は
「御身はいつも鬼のようだが、こう雪が深くては我には駆けつけられないだろう?」
この言葉に中野は言い返した。

「さてさておかしな事をおっしゃる。御前を手取りにするのは、わが心のままですぞ」
「ほほう、さればわれに追い付いてみよ!」
駆け出す信直、中野は自慢の狩り杖を持ち直し、それを信直のかんじきに当てた。
雪の中にこける信直。中野は
「堪忍せぬぞ!」
とトドメを――刺さなかった。理由は分からない(書いてない)

こうしてこの場は何事もなく終わったが、信直はさらに中野を警戒するようになり、
いつか討ってやろうと折を窺っていたが
結局機会が来ることはなかったという。





時代の変化

2011年10月08日 22:06

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 18:18:04.77 ID:V4BUjsDV
時代の変化

名護屋在陣中の南部信直が、娘婿の八戸直栄宛てに手紙を出し、こう語った。

『ここ最近は上方の者達と付き合って、すっかり心境が変わってしまった。帰国したらわかってもらえると思うが
そのことを整理して帰りたいと思う。

昔の苦労に心を痛めて、昔はこうであったなどと言う者があったならば、すぐに追い棄てられてしまっても仕方ないであろう。
上方では、身分の低い者であっても主人に一生懸命に奉公すれば、すぐ取り立てられて侍になれる。
それを見た者は自分も負けていられないと一生懸命奉公する、こういう”からくり”なのだ。
貴方の所ではまず昔からの身分や家柄を調べて一族の中に組み込んでいく。私らも以前はそうだったが、後悔している。

(だから)上方衆は我々遠国者をとかくなぶる気持ちをもっている。
なので筑前(前田利家)のもとへ、月に一度ご機嫌伺いをする以外はどこにも出ないようにしている。
『日本の付き合い』に恥をかくようなことがあったら、家名を汚すことになる。
もしなにか問題を起こすようなことがあったら、その解決に大変な苦労が必要となる。
朝夕、寝ても覚めても気遣いすることばかりで、その苦労を察してほしい。

津軽右京亮などは筑前殿を訪ねて、くりかえししつこく自分の考えを申し述べたので、
奥村主計からやり込められ、恥をかいたという。その後は筑前殿を訪ねていけなくなってしまった。
大事な人付き合いなので、気遣いすることばかりである。

いまは新しい時代である。さらに重要なことだ。
もし不相応なことを申しつけられても、不満に思うことはあってはならない。
上手く対応できなければたちまち財産や身分はなくなってしまう。以前のような大名の心ではいけないのだ。
全てに念を入れ、何事が起きても、息子の九郎の身上が絶えないように、併せて、しっかり働く事が大切だ。

何度も申し上げるが、八戸はただ古い習慣があるからとばかり言っていて、心許ない。
古い分だけ新しい家風を積むように奉公なさるべきである。
返す返すも、昔を引きずった九戸の一族が、主人の政実をひき倒してしまった事情を考え、
物事の判断をしてもらいたい。
秋には帰るつもりである。よくよく上方のことを語り聞かせたいと思う。

京や田舎、古本(古いしきたり)はもう廃りものなのだから、それにこだわらず、才覚を巡らせて家督を続けてほしい

(文禄二年)五月二七日』

以上書状より抜粋。
既出の部分もあるけどあえて載せてみた。




8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:36:20.04 ID:yWSHIyRl
胸に迫るものがあるなあ

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:40:40.64 ID:Bzdw2q3c
胃に穴あきそうだ・・・

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:49:54.45 ID:bKo91DdR
戦国武将の手紙は、どれもこれも切実なものを感じる
その時その時の時代に対応しなければ、生きていけないのは昔から変わらないんだな

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/08(土) 21:22:21.44 ID:XqMtQqt3
>>7
>津軽右京亮などは筑前殿を訪ねて、くりかえししつこく自分の考えを申し述べたので、
>奥村主計からやり込められ、恥をかいたという。その後は筑前殿を訪ねていけなくなってしまった。
>大事な人付き合いなので、気遣いすることばかりである。

本来ならスカッとしたぜと言いたいはずだろうに
憎い髭野郎にすらも同類として哀れむ信直の姿がいっそう涙を誘いますな

南部信直と九戸旧臣・工藤業綱

2011年06月18日 00:03

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 20:33:30.20 ID:ToXtkX3b
九戸政実の乱の際、九戸党に味方した者の中に工藤業綱という者が居た。
彼は銃の名手であり、九戸没落ののちは一旦津軽へ逃亡したが、南部信直への恨みから
信直の居城となった福岡へ潜伏し、これを討たんとその機会を窺っていた。

天正20(1592)年の正月12日のこと、正月の賀儀を終えた南部信直
その日の夜半、わずかな供を連れて窟の観音(岩屋観音堂)に詣でることとなった。
それを知った業綱は銃を持って待ち伏せる。

燈灯を持った間盗役(忍者)の唐式部を先頭として、信直が供の葛巻覚左衛門・大光寺左衛門らと下堂する時、
そばを流れる白鳥川の対岸から大声で信直を呼ばわる声がする。業綱だ。
「我は九戸左近政実を頼りし工藤右馬助業綱と言う者なり。それなるは信直公と見えたてまつる。
 ただ今九戸が仇を報ずる間、お覚悟めしませ!」

供の者達が矢先に立ちふさがり「燈灯を消せ!」と狼狽する中
唐式部は冷静に、囮となって飛び出し「大丈夫だ、君はここにおられる!」と燈灯を振り回して大声で護衛に呼びかける
業綱は銃を持ち直して放つ。弾は燈灯に当たってこれを撃ち落としたが、
信直はその隙に危地を脱出、福岡へ帰城した。

その日はあいにく雪が降っていたが、捕縛の為に数百人が集まり、遂に業綱は生け捕られた。
信直の前に引き出された業綱は
「九戸の仇を討つ為に君を狙いたてまつること既に十余度、天運も既に乾いてこの次第となりました。
 早く命をお召しください」と請うた。

信直はこの優れた武士を殺すのが惜しいと思ったか、
「旧怨を捨てて我に使える意があるなら、すみやかに命を許し相伝の家人に列し、長く恩顧を与えよう」
と言い、業綱を許して二〇〇石・三十人の足軽の頭として取り立てた。
家臣達はこの厚遇に「お屋形様のご思慮とはいえ、いかなることか」と怪しんだが、
帰服した業綱はその後君臣の礼を守り、忠義を尽くしたという。




203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 21:39:33.99 ID:d1NdsFiW
>>202
九戸政実の乱のエピソードを聴くたびに、余程慕われた男なんだろうなぁと思う。
その遺臣達を懐柔する南部信直の器量の広さも大したもんだな。

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:11:43.88 ID:bEEWcw+u
>>202
信直さんはこれで殺されかけたの何度目だよ…

それにしても、九戸の乱のとき伊達政宗に「俺が仲立ちするから九戸と和睦すれば?」と言われて全力で拒否っていた信直が、
乱後津軽に逃げたり各地で潜伏したりしてた九戸の残党をまとめて再雇用してるんだよなー
けっこう治安が問題になってたらしい


206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:14:48.77 ID:CLfHF30R
>>205
土佐入りしたカズさんだってそうしてるべ
結局そうしないと治まんないのさ

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:17:43.99 ID:g+sWdfZR
>>202
騙し討ちで、5000人皆殺しのはずが、生き残りがいたのか

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:31:38.24 ID:ISRMMvsl
けっこう脱出できた人間は多かったみたいよ
津軽あたりには九戸の乱で逃れた者が家臣として雇われているし、政実の末裔を名乗るひともいるそうで

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/17(金) 23:37:51.34 ID:UuaFzrRx
皆殺しといっても「沢山死者が出た」程度のニュアンスで
実際のところ一城一人残らず全滅、ってケースは日本だとなかなか無いよね

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:02:01.62 ID:58WiPK7p
島原の乱で原城に立てこもった奴はほぼ皆殺し


213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:06:13.56 ID:Ag/wtQST
>>212
つーか原城にこもった連中はむしろ自分から殉死を望んでいた面が強い。
こう言っちゃ何だが、アレは一種の集団自殺だな。

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:21:30.96 ID:a+E9kFqc
>信直はその隙に危地を脱出、福岡へ帰城した。

俺が無知だったらごめん。なんで東北なのに福岡?

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:24:37.97 ID:7W0dkHN1
改名した元・九戸城のことっしょ
筑前福岡じゃないよ

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/18(土) 00:30:19.30 ID:ZjbzSMm6
筑前福岡も備前福岡から名前をとって命名されてるし、改名するのは珍しくはないよね

255 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 20:12:25.00 ID:NXsH5+NQ
>>202
一時的に恭順しても恨みを忘れず、後に本望を遂げた、もしくは失敗して
処刑された奴もいるんだろうな。

戦国時代の二つの南部

2010年12月18日 00:02

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 01:11:44 ID:WD6cwNo9
悪い話で南部さんの盟友?がちょっと出ていたので

戦国時代の二つの南部


天正18年(1590)、南部軍の大将として津軽氏と戦っていた八戸政栄は、
三戸の南部信直の呼び出しを受け急遽帰国した。
二人はそれぞれ三戸南部氏・八戸南部氏の二大巨頭ではあるが、
家中で立場の弱い信直になにかと親身になってくれたのが政栄だった。

このとき信直は人生最大のピンチを迎えていた。彼は思い詰めた末、政栄にこう切り出した。

信直「八戸殿は小田原に行かれるおつもりですか?」

政栄「…………」

信直「いま関東の大小名はこぞって太閤様のもとに参陣し、御沙汰を待っています。
   我らも一刻も早く小田原へ行かねば後々よろしからぬことになるでしょう。
   しかし参陣したくとも、津軽は騒ぐし九戸も不穏だし、領地を留守にはできない。
   だからといって参礼をしないわけにも行かない。

   …あなたは他の末家と違い、朝廷公家に直参するお家ですから、
   一緒に小田原に行き、本領安堵されたいと思っています。
   しかし我ら二人が領土を空けるわけにはゆかないのです。
   
   だから、どうかこの地に残り、南部の土地を守っていただけないでしょうか。
   御朱印を拝領する名代として、ご子息の直栄殿をお連れします。
   当主のあなたが直接参陣できない理由は私から利家様に必ずご説明します。
   
   当家の存亡はあなた一人の思慮に懸かっております!お願いいたします!!」


政栄は少し考えこんでから、静かに語り出した。


政栄「おっしゃる通り、八戸は三戸から一度も禄を受けたことはありません。
   ですが、先祖代々不幸のあるときは互いに助け合い、家を存続させてきました。
   いま九戸政実と津軽為信の反逆によって、ご領内は三つに分裂してしまっています。
   こんなとき私まで太閤様に参礼したら、嫡家の威勢はさらに弱まり、滅亡してしまうでしょう。
   南部の大事に自分の家の都合のことなど申してはおられません。
   
   私が自領とあなたの領地をお守りします。
   あなたはお気遣いなく、すぐに小田原へ行きなさい。
   息子は参陣させますが、八戸の所領安堵はご領内が落ち着いてから後日願い出るつもりです」


信直はうなだれて政栄の話を聞いていたが、話が終わるとワーッと泣き崩れた。
「八戸殿、かたじけない…。ご親切は決して忘れません」


こうして信直は領内に八戸政栄を残し、ようやく小田原に参陣できたという。
結局八戸は大名になれなかったんだけど、
信直が八戸家を立てたので彼の生前はまあ良好な関係だったそうな




861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 01:39:06 ID:f1LztK/7
政栄死後の八戸家に対する南部の扱いがなけりゃいい話で終わるんだがな・・・

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 07:29:04 ID:yGpFqwuY
八戸さんはもうちょっと評価されても良いと思う。

信直はいいんだが、利直がなあ…。ただでさえ外様豪族の力が強い南部で
権力を確立する為には外様潰しが必須だったとはいえ。

南部さんの憂鬱な8月

2010年12月16日 00:00

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/12/15(水) 19:05:45 ID:dgl2CJIl
小ネタだが。

奥州仕置後の朝鮮出兵時、南部信直安東実季は、対立していた両者の和解の証として
安東実泰と南部信直の義娘(北信愛の娘)の結婚を取り決めた。
この婚姻は前田利家を仲介として進められ、文禄4(1595)年8月に二人は結婚することになっていた
のだが、この年、安東実季と比内郡の豪族浅利頼平との間で紛争が起きた。
両者は断続的に交戦を繰り返し、この紛争は中央も巻き込んだ大きな騒動となったのだが、
二人の結婚はこの騒動の影響をもろに受けた。


南部信直が8月に娘千代子に出した書状より
「お前の妹の結婚についてなんだけど、実季と頼平の争いのせいで、比内―檜山間はひとの行き来も
ないそうだ。おかげで連絡なんか来やしねえ、今月は難しそうだ、困ったわ(;´Д`)ハア」

「秋田側から結婚について22日に執り行いと連絡してきた。いや無理だろ(* ̄ ̄)/☆」

「津軽の奴が後押ししたせいで比内がその気になっちまったっぽい。比内勢が秋田方の稲を刈り
取りやがった。近日中に戦争はじまりそうだ・・・orz」

「結婚のことなんだけど、秋田の情勢が悪くなってるからとりあえず待てと人をやった(;´д`)トホホ…」

「秋田への輿入れのことだけど、もう連絡もなにも途絶えちまった。もう先に延ばすしかないわ。
しかも秋田の進退がやばいらしい(;´Д`)マジカンベン」


しかもこの8月には、盟友八戸政栄の息子で長女千代子の夫でもある八戸直栄が病死している。
隣国では戦争が始まるわ、おかげで娘の嫁ぎ先家自体が危なそうだわ、大事な娘婿は亡くなるわ、
どうにも良いことがない南部さんの憂鬱な8月。




南部信直の家族への想い

2010年01月30日 00:09

437 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 03:44:45 ID:ZWfCBJJp
家族関係の話がよく出ているんで便乗して。初カキコ+文章力皆無なんで、お見苦しかったらすいません。

九戸の乱も終え、朝鮮出兵の軍役も終えて故郷へ帰った南部信直。
この頃彼は、病弱で体調の悪い娘婿の八戸直栄と娘千代子への手紙を幾つか書いている。

『次郎殿(直栄)の病気良くないそうだね、とても心配しているよ。
養生ばかりしてないで、湯治にでも行ったらどうだい、薬をやめて食事に注意してはどうだろう』
『近習の者を使いに出しても、くわしいことを教えてくれない。ちゃんと養生しなさいよ』
『梅を二櫃送ります、何か用事があればいってよこしなさい。孫達がみんなで梅を拾っています。
次郎殿が少しいいようだったら、四・五日泊まりに来なさいな』
『次郎殿の病気はどうですか? 心配なので知らせてください。くわしい返事を待っています』
こんな手紙を数日おきに送っている。娘夫婦を心配する老人そのままです。

戦乱の中、分裂しがちな南部家を取りまとめ、津軽・安東等と戦い、九戸の乱を乗り越えて、
ようやく彼にもこんな手紙を書く余裕が出来たのでしょう。
最後の手紙を書いたちょうどその日に、八戸直栄はわずか25歳で死去してしまうのですが、
南部信直の細やかな心遣いが感じられる話なのでこっちに投下してみました。
安息の日々を得た南部信直の、家族思いなお話。




438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 05:03:35 ID:enBYCy0O
しかし八戸氏は利直の時にあわや取り潰しにされかかったな
親の恩人でも子の代では……黒田さん家みたいなのもアレだがw



444 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/01/29(金) 19:47:20 ID:5cSV5GwY
>>437
信直の娘大好きっぷりは見ていてちょっと恥ずかしいw
逸話とは時期は違うけど大体こんなペースで手紙を書いてるね

1957年12月 3日 八戸おちかたへ
      6日 八戸千代子かたへ
      9日 八戸千代子かたへ
      23日 杢方(五戸代官木村秀勝)へ
      28日 八戸千代子かたへ
1598年1月  4日 八戸千代子かたへ
      7日 八戸千代子かたへ
      9日 八戸千代子かたへ
      15日 八戸千代子方へ
      24日 八戸千代子かたへ
  2月  1日 おちかたへ
  2月  1日 八戸千代子かたへ(二通目)

部下宛の書状が娘宛の書状に完全に埋れてる



449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/29(金) 20:46:09 ID:7dw7tdj9
>>438
三戸と八戸南部氏の関係を思えば八戸信栄の滅私ぶりは奇跡じゃね?
元お隣りの実季は親子二代で取り組んだ檜山と湊の確執解消が関ヶ原後の転封をきっかけにグダグダだし

ある南部家臣の災難

2010年01月10日 00:24

565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 04:36:23 ID:gsne5dd5
ある南部家臣の災難

元亀3年3月、南部信直がまだ田子信直と名乗っていた頃
三戸城近くの毘沙門堂参詣の際に不仲だった養父南部晴政に襲撃され
近所の家臣川守田常陸入道正広宅に非難、危機を脱した。
この時北信愛は自宅でまったり中、信直の傍には居なかった。
実はコレ、北信愛がわざと信直に隙を作らせ晴政の謀反を誘ったとも言われている。
川守田「えー、マジ勘弁」
 
天正10年1月、南部晴継の葬儀の帰途で信直は九戸政実の襲撃に遭い
またもやたまたま近所の川守田宅に非難した。
もうとっくに日は暮れ、突然の訪問者に驚く余裕も無く
老体に鞭打って門内に入ってきた数人の九戸党を
信直のお供北主馬之助・金田一久助等と松明と刀で蹴散らし門外へ追い出した。
あ、信直もちゃんと働いたよ!自ら鉄砲を撃ち政実の弟実親に命中。
川守田「ほんとマジ勘弁」

豪腕として知られた川守田は三戸城の北側を守りつつも
火急の用事や連絡の際には自宅から城に矢文を飛ばしたとされる。
何となくだが、信直との直接的な関わりを避けてるようにも思える。
アイツに関わるとトンデモねー事に巻き込まれる、みたいな。




566 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 17:46:52 ID:BiNLMYFP
>>565
ホームドラマにしてくれんかのう。昼ドラでw

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 17:49:54 ID:BiNLMYFP
「また親父殿に狙われちゃったよ・・・ちょっと匿ってくれませんかね」

「若殿がそんな受け身でドースンノ!」でも匿ってあげる川守田さん

顛末を聞いて「九戸の連中、後で泣かす!」と歯ぎしりしながら復讐ノートに書き綴る北さん

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/09(土) 17:57:30 ID:YNr0pvks
川守田「早くこの車に乗るんだ!」
信直「私を連れて逃げて!」
北「社長、信直さんをどうする気です?」

実親「この泥棒猫」

南部信直の葬儀と猫塚

2009年12月27日 00:17

526 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/26(土) 10:46:21 ID:kc0sJDVg
慶長4年(1599)、南部信直は福岡(現在の岩手県二戸市)で息を引き取った。
その葬儀を行っていたところ、突然風がゴウゴウと吹き出し、
砂塵を巻き上げながら黒い雲が下りてきて、殿様の棺が空中に舞い上がってしまった。
辺りは真っ暗で、天地も見えない。
「これは祟りか、鬼の仕業か!?」一門家臣は驚き慌てた。
僧侶たちが必死に読経をするものの、一向に変化はない。
家臣団は近所の神社から神主まで引っ張ってきて加持祈祷をさせたが、
棺はプカプカと空中に浮かんだままである。

そこで一人の若い和尚が呼ばれた。
和尚が数珠を繰り念仏を唱えると、たちまち風雲は収まり、殿様の棺が静かに
地面に下りてきたので、葬儀は無事終わらせることができた。
信直の子・利直は和尚に深く感謝し、和尚に引き出物をたくさん持たせ、寺領も30石与えた。

和尚が家に帰ると、和尚の帰りを寺で待っていた母が不思議な夢の話を始めた。
これより少し前のある夜、母の夢枕に和尚が子供の頃から可愛がっていた
30歳にはなろうかという老猫が現れ、こう話したという。
「今までずいぶんお世話になりました。
 私もようやく御恩に報いることができる機会に恵まれました。
 和尚様は出世なさるでしょうが、私はもう寿命もないので、これにてお暇をいただきます。」
その日からトラは寺から姿を消した。
和尚は、一連のことは全てこのぬこのおかげであろうと思い、
寺の鬼門にあたる森の中に猫塚を築き、その霊を崇めた。

浄法寺町のインター近くの福蔵寺というお寺には本当に猫塚というものがあるらしい。
殿様の葬式が庄屋の娘の葬式になったりと、いろんなバージョンの話が伝えられているようだ。
個人的には北爺が腰を抜かしてないか心配になった。

527 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/26(土) 10:51:30 ID:kc0sJDVg
スマン、トラってのはぬこの名前な。



528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 11:27:49 ID:iCsmT+VD
南部信直「おのれ妖猫め、ワシをダシに使いおったな!」
いやまあ、それは冗談として、世話になった礼を返した義理堅い猫ですなあ。

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 11:39:09 ID:gdwMsE/T
それ
大店だか庄屋だかの娘のバージョンがあるね
昔、まんが日本昔話でやってたよ

どっちが古いのかなあ

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 11:40:49 ID:gdwMsE/T
ゴメン
最後まで読んでなかった

531 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/26(土) 13:36:51 ID:T2t0Wtig
九戸政実の祟りだな

南部信直、意外な人物と交流

2009年12月03日 00:06

829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 19:44:46 ID:z+YVjJ9L
奥州仕置後に上洛した南部信直、ホームシックになってしまった↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-181.html

一方で、信直は意外な人物と交流している。
父祖代々の因縁があり、先代同士は血で血を洗う合戦を繰り広げた、秋田実季である。
名護屋滞在中、信直と実季は語らう機会があり、互いの人品に感心した。
二人は両家の争いを不毛と確認しあい、また、今後は懇意に付き合っていくことを約束したという。
後に、信直は次女を実季の弟に嫁がせており、この友好を形に表している。

天下統一がもたらした、思いがけない友人関係のお話。




830 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/02(水) 20:00:40 ID:WINSjjG/
例の木像の材料も青森産だったりしてな

831 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/12/02(水) 20:13:22 ID:Vq5wZ1+Y
明らかに仮想敵が津軽な件

833 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/02(水) 20:21:51 ID:/RVohN/K
信直「あのヒゲむかつくよね~」
実季「わかるわかる」

第26代当主南部信直の誕生

2009年09月27日 00:47

770 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/09/26(土) 15:03:15 ID:opgZPqmz
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-918.htmlでも触れられていた、
南部さんちのお家騒動の話

南部信直は養父に命を狙われ、実父を津軽で失い、何かと家族に恵まれない男だった。
しかし彼には親子ほど年の離れた頼れる家臣がいた。
名前が読めないことで有名な北信愛である。

信直は12歳のとき従兄弟の三戸城主・南部晴政の婿養子になったが、
その後晴政に実子が生まれたために命を狙われ、自宅(田子館)にも帰れない有様だった。
一門の北信愛は当時まだ晴政の家臣だったが、信直の器量を憐れみ、
彼を自分の城である剣吉城に匿い、晴政による数度の城攻めを耐え続けた。

そんなこんなの内に、晴政と男子が急死してしまう。
空いた三戸城主のポストをめぐって、晴政の娘婿やら一門の実力者やら様々な候補が出る。
衆議の席は揉めに揉めた。
皆が真剣な顔で話し合っているなか、突然北信愛が声を上げて笑い出した。

北「(´_ゝ`)クッククク・・(´∀`)フハハハ・・( ゚∀゚ )ハァーハッハッ!!」
一族「北殿、どうしたの!?」
北「咲かすべき論に勝ちたり!」

北は大笑しながら座敷を出た。そこには鉄砲を持った大量の兵たちが控えていた!

一族「Σ(゚д゚;)!?」
北「三戸城主になる御方はと っ く に 決 ま っ て ん だ よ !!」

要するにクーデターである。北は兵に命じ、田子に信直を迎えに行かせた。
第26代当主南部信直はこうして誕生したのである。

まあこれだけ強引な家督相続をしたので、当然の如く家中は反発の嵐となった。
信直と信愛はこの後も様々な困難に見舞われたが、ガッチリ信頼で結ばれた彼らは
二人三脚で南部家の地盤固めに尽力した。
南部の知将北信愛の、ちょっとアグレッシブなお話。






南部家のお家騒動について・いい話?

2009年01月09日 00:06

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 17:17:38 ID:qWjFgjPM

南部家の御家騒動にまつわるエピソード。

「三日月の 円くなるまで 南部領」と謳われるまでに領土を拡大させた南部晴政。
そんな彼には長らく男子が産まれなかった為
一族の石川高信の子、信直を自分の娘と結婚させ
いずれは信直に家督を譲ろうと考えていた。

ところが諦めていた晴政に、男子の晴継が産まれてしまったものだから、はや一大事。
娘の夫よりも、実の息子に家督を継がせたいと考えてしまう人の情。
次第に晴政と信直の間には、亀裂が入り始めていた。

その一つとして、晴政には先見の明があり
中央で天下人として君臨していた織田信長に対し、率先して使者を送り誼を通じていたのだが
(お隣の安東愛季が頻繁に信長と接触を取っていた事から、それに対抗する為とも考えられます)
信直が勝手に信長へと自分を売り込み、さも自らが南部家の総領であるかのように振舞って
晴政を蔑ろにして怒らせたというエピソード。
(後の家督相続の際に、無言の圧力として活用された信直の鉄砲部隊
 その大量の鉄砲は、信長経由で入手したのだという説まであったりします)

決定的な不和を示すものとしては、信直の実父、石川高信の死後に
津軽地方を大浦為信に奪われてしまった際
(一説には為信が石川城に奇襲をかけ、高信を自害させたとも)
信直は当然のように父の旧領を奪還すべく、出兵を要請。
しかし晴政はかねてから
「南部の隆盛は石川高信と九戸政実の尽力によるもの」
との風評を気に入っていなかった為、むしろ気味が良いとばかりに
石川領奪還の兵を出し渋り、信直の怒りを買ってしまったというエピソードもある。

そういった様々な因縁を経て、晴政と信直の親子は
表向きは互いに一定の礼儀を保ちながらも
水面下では身命を賭けた争いを行う事となったのだった。

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 17:19:01 ID:qWjFgjPM
まずは晴政の方が一枚上手だったというエピソード。

ある日、鉄砲の修練に余念がない信直の許へと、晴政が従者を伴い見物にやってきた。
ところが結果は芳しくなく、信直が放つ銃弾は的を外れてばかり。
帰り際、主君が難しげな顔をしているのを気にする従者に対し
「信直ともあろう者が、日々を修練に費やしながら、あの程度の腕前であるはずがなかろう。
 あれは私を油断させ、あわよくば寝首をかいてやろうとの腹積もりに相違ない。
 貴様らも、ゆめゆめ警戒を怠るな」
と晴政は言い放ち、それを耳にした信直、以降は当てつけのように
様々な者達の前で的を射貫いて鉄砲の腕前を見せつけ
晴政の見解が正しかった事を、無言のうちに証明してみせたという。

続いては信直の方が一枚上手だったというエピソード。

ある日、お寺を参拝中の信直の一団に刺客が襲い掛かった。
相手も手練の者達なれど、信直達の腕前が上を行き、見事に撃退。
刺客の長と思しき騎乗の者は、これはいかんと慌てて馬首を翻すも
それを見咎めた信直、自ら鉄砲で射殺して、逃げようとした不届き者を落馬させた。
乗り手を失った馬はといえば、そのまま駆けていく。
その馬が三戸城の方角へと向かっている事に気がついた信直
「見よ! 馬も親父殿の許へと逃げていくわ!」
と指差して、一同大笑いしたという。

934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 17:20:08 ID:qWjFgjPM
この場合、表向きの「親父殿」とは「逃げた馬の親父殿」なのでしょうが
信直にとっての「親父殿」とは、三戸城に君臨する南部晴政その人であったのかも知れません。




935 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/08(木) 17:27:19 ID:xIWgKY7k
これはいい話なのか?

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 17:29:56 ID:zx7zh/8V
これがいい話なのかどうかはともかくw 何のかんのでお家騒動は戦国の華だねえ。

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 18:21:29 ID:v17jbSvb
>>933
まあお互い油断も隙もない、見事な戦国武将だよな。
なまじの身内が一番の敵、敵の敵は味方に引き込んで利用もするけどやっぱり敵……

やがて晴政の嫡子晴継はなんかぽっくり、更に九戸政実兄弟の話まで絡んで、
南部宗家相続はぐっちゃんぐっちゃんに。ラスボスさまの奥州仕置まで揉めてたっけ

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 18:30:42 ID:NjmjtgSR
そんな南部の、現代の当主が今日亡くなったんだぜ・・・
時期を見計らったように出てきた話がお家騒動で
思わず今の時代になっても相続とか大変そうだよなと思った

南部信直の豊臣家臣従と鷹商・いい話

2008年11月12日 00:16

260 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/11(火) 16:59:41 ID:lJWcy4my
南部さんと鷹商

陸奥において、南部信直は、津軽為信や九戸政実との戦いに明け暮れていた。
ある時、かねがね懇意にしていた鷹商の清蔵という者がやってきて、こんなことを言った。

「かねがね疑問に思っていたのですが、大阪に豊臣秀吉公の中央政権が出来て、今
相模の小田原に大軍を出して、北条を征伐されております。
何故それを後ろ盾になさろうとしないのですか?」

「ええっ!?そんなことになってたの!?」

信直は知らなかったのだ。
じゃあ早速使者を出そう!と思ったが、やっぱり躊躇してしまった。

「ホラ、うちには向こうに繋がりがつけられるような人脈ないし、それに田舎ものだから
中央の礼儀とかわかるような家臣いないし、なまりとかも馬鹿にされそうだし…」

東北の人は、昔も今も奥ゆかしいのだ。
無性にイライラしてきた清蔵さん、信直に向かってこういった

「あ~、もう!それじゃあ、私が行きますよ!」
「そうしてくれる!?」

信直大喜びで、清蔵に従者をつけ土産物を持たせ、小田原に向かわせた。
このおかげで、南部氏は所領が安堵され、津軽などとの争いも収まり
領国安泰となったとか。



261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/11(火) 17:42:23 ID:u85QhhC0
>>260
「そうしてくれる!?」じゃねーよw
なぜかのぶやぼの隈部のあの顔で想像しちゃって
笑いが止まらねーじゃねえかw

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/11(火) 18:14:24 ID:Wta9mAZK
清蔵さんはなんだかんだ言ってもちゃんと他人の事を考えてくれる良い人っぽいな

263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/11(火) 18:30:34 ID:FP1WmTa0
つうか本領安堵なんかの大事を鷹匠に任せるとは…
まぁ鷹匠GJ

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/11(火) 19:55:54 ID:ajY1xSrk
>>260-263
鷹匠の清蔵さんにお役目ふっちゃったのは
「げ、気が付けばうちとこの家臣に関西弁しゃべれる奴が一人もいねー
・・・助けて清蔵さーん」
と、いう異説もありますなw

南部信直の雫石城攻め・悪い話

2008年11月10日 00:04

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/09(日) 02:32:01 ID:0sK7yrsn
時は天正年間。
南部信直は領土拡大を狙い、斯波氏が領する雫石城を攻めることにした。

雫石城は天然の要害だが、攻撃前に城の水の手を探り、
それを断っておけば、戦を有利に運ぶことができる。

ということで南部方の間者が城の近くにある茶屋、「五輪茶屋」へやってきた。
どうやらこのあたりに水の手があるらしい…

間者、茶屋の美人の女将をつかまえて、
「えへへ、そのたすき素敵ですね」とお世辞を並べ、水の手を聞き出す魂胆だったが、
女将「演技しょぼすぎwwこれだから南部の田舎者はww自重wwww」

岩手の代表的民謡、「南部よしゃれ」はこの故事に由来する。
間者のちょっと(バツの)悪い話。


ちなみに雫石城はサクっと落ちた。



805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/09(日) 02:35:11 ID:fpLUCQGR
(かなりかっこ)悪い話だな。サクっと落ちた雫石城も含めて。

806 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/09(日) 06:43:27 ID:9iWj3ZKG
>>804
幕末でも新政府側に着こうとしていたのに奥羽越列藩同盟に
わざわざ加わって、退却の際も無意味に秋田側の村を
やき打ちして後世まで恨まれるアフォ南部w

南部信直と望郷の念・悪い話

2008年10月16日 12:22

262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 13:54:36 ID:M1nJot/K
秀吉の天下統一により、上方に出仕した南部信直が、一門の八戸直栄に出した手紙。

「上方の大名は我々のような田舎者を馬鹿にし、恥をかかせます。なので、月に一度の
前田利家殿との面会以外は、屋敷から出ないようにしています。

ここでは他家との交際のため、朝から晩まで、恥をかかないよう気を使わなければなりません。

…国に帰りたい。」




263 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 14:03:07 ID:ONntYV5z
ホームシック田舎大名わろたw

264 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 19:19:33 ID:+rlVGrqP
自分が田舎者だと気づかないほどの田舎者もいるからな。
結局そういう奴のほうが上手くやっていくんだけど。津軽の髭とか。

266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 21:58:07 ID:14iDgfJS
>>262
都会の女子大に進学した田舎育ちのお嬢様みたいだな