大坂城対論

2010年05月10日 00:01

日奥   
638 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 22:46:57 ID:OmHIRbdi
いい話スレで日蓮宗僧日親の話が出てたので、不受不施派から同じく聖人とされている
日奥の「大坂城対論」を

秀吉の方広寺大仏殿、千僧供養会の出仕を断り丹波小泉に蟄居していた日奥は、
慶長四年(1599)十一月、不受不施派の彼と対立する受不施派の上訴により、
徳川家康の命で大阪城へと呼び出された。

家康はこの日奥に言う

「大仏供養への出仕は、公儀の顔を立てるためのものであり、宗派の傷になると言うものではない。
諸寺、諸派の僧との同席が嫌なのなら、そなた達の仲間の人数だけで法事を勤めたら良い。
不受不施という原則から法事の際の飯の施しを受けるのが嫌なのなら、ただ膳に向かって
箸をとり、食う真似をしているだけで良い。
ただ一度で良いのだ。強情を貼らず、出仕をせよ。」

これを見ればわかるが、家康は日奥の顔を立てた、非常に穏便な条件を出し説得している。
家康に限ったことではないが、日本の支配層は伝統的に、その支配に従う限り
心のなかで何を信仰していようと、それは問題ではない、と言う態度であった。
家康も穏便な条件で、公儀に服従しているという姿勢さえ見せれば良いとし、
この問題の円満な解決を図ろうとしたのだ。

「大仏供養への出仕を断るのは、汝ひとりだけである。他の僧たちはみな、何の問題もないと
言っているのだ。
他の長老たちに比べ若輩の身でありながら、そのように僧侶たちの衆議に従わないのなら、
汝は自身が信仰する法華宗に害を及ぼす魔王、と言うべきではあるまいか?」

日奥これに
「仏法の正邪は人の多きにはよらず!ただ経文にかなっているかどうかだけである!」
と、一歩も譲らなかった。

この態度にはさすがの家康も怒り
「このように強情ばかり言うものは、いずれ天下に対しても良からぬ事件を起こすに違いない!
この者を流罪にすべし!」

「5年前寺を出て蟄居した時から、この生命は既に仏法に捧げております!
流罪にされようが死罪にされようが、今更驚くものではない!」

日奥はそう啖呵を切る。彼はたちまち召捕られ袈裟衣を剥がされ、対馬に流罪となった。
後、不受不施派はキリスト教と同じく、幕府によって「邪宗門」とされる。

信仰とは心の内面で信じればいいもので、世間のルールには従うべきだ、という家康と、
何者であっても信仰上の原理原則は曲げてまで従うことは出来ない、と言う日奥の、
決して交わらない意識の壁のお話。



640 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 23:18:54 ID:ioM235Ut
>>638
そういえば、朱子学は宗教色がほとんど無い儒教の一派ですね。
そのお陰wで、日本人には儒教=宗教というイメージが無い。
儒教が宗教だという事を説明するのが大変だったりもします。
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