「身代わりの侍女」

2010年05月15日 00:02

938 名前:sage[] 投稿日:2010/05/14(金) 20:49:28 ID:X4nhv7+C
戦国の女は凄いの流れに乗って 久々に投下

「身代わりの侍女」

1600年(慶長5年)7月 石田三成挙兵に 派手な方の加藤家・黒田家などが 無事脱出したのは このスレ住人なら
周知の事実
だが逃げ遅れた家の中に島津家も いた
8月に本国にいる義久が西上し 亀寿と人質の務めを交代しようと云う話があったが
8月は 関が原前哨戦がドンパチやってて とても義久が行ける状況じゃない
妙案が浮かばないまま 関が原本戦当日となり西軍が敗れる

敵中突破な無茶をやらかしたので 大坂の島津屋敷には義弘戦死の誤報が届いた
これを利用しない方はない
義弘の葬儀のためと 豊臣家に帰国を願い出る
豊臣家は もちろん承知。だが許可したのは義弘夫人だけで亀寿には帰国の許可が出ない
そこで義久系家臣の重鎮であり家老の平田は 時代劇定番の侍女を身代わりにするというベタな案を思いつく

「私が御上様の身代わりになります」
と名乗り出たのが 大田於松だ
大田家の息女で 慶長年間より侍女となった この時22歳

9月19日 義弘夫人と侍女の扮した亀寿と どういう経緯が書かれていないが秋月種長夫人が同行し
「義弘の葬儀のため」に大坂を出て 薩摩へと帰国の途に着く

9月22日に西宮で ボロボロになった義弘・島津勢と義弘夫人・亀寿・秋月夫人が合流する

一方、侍女の於松は 身代わりの大役を果たした後に 大坂城下の混乱を利用し自力で脱出し
この西宮で 一行に追いつき合流している

彼女が どのように機転を利かせたかは 元ソースには記載されていないが
於松は 身代わりの功績で後日 300石の知行を拝領している

彼女は生涯独身だったらしく300石は 於松の死後、弟が相続したそうだ

その後 島津一行は 完璧武将 立花宗茂と偶然出会うが
宗茂が島津義弘を助けたのは 義弘一行に夫人たちが いたからかもです

ソース 国分衆・町田氏正統系譜より




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