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昨日、不始末をし叱った坊主を

2016年01月27日 18:37

42 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/01/27(水) 08:33:42.92 ID:QK5rajFN
土井大炊頭が、坂崎出羽守愛用の三池典太の脇差を所望し、家臣の寺田某を
坂崎の屋敷に遣わした。寺田から話を聞いた出羽守は
「大炊様から脇差を所望されたのは、名誉なことである。斬れ味
を確認して頂いた上で進呈することとしよう。」
といい、家老を呼び、罪人がいるかどうかを尋ねた。
家老が
「今日はいません。」
と答えると、出羽守は
「昨日、不始末をし叱った坊主がいるだろう。そいつを
連れてこい。」
といい、連れてこられた坊主を木に吊るし、その脇差を抜き打ち
に胴切りにし、坊主の体を両断した。その一部始終を寺田に
見せた上で、脇差を渡した。

坂崎の凶暴さとともに、脇差の抜き打ちで胴を一刀両断にする
恐ろしい腕の冴えを伝えるお話し。

「元禄世間話風聞集」



43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/27(水) 10:07:02.40 ID:bmM4omYX
試し切りされる程の不始末ってどの程度の物なんだろ?
三才様家の庭師レベルなんだろか?

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/27(水) 12:27:56.12 ID:+L0D7x0A
銘「大炊、刃に丸」

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/01/28(木) 01:54:28.78 ID:jd9xfX/V
土井利勝に刀をもっていかれてムカついたんだろうなコレw

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この人返しの事件によって

2014年02月07日 19:13

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/02/06(木) 20:08:41.76 ID:C1uIRSh/
坂崎出羽守(直盛)は家来の左門という者の屋敷の前を遠乗で通ったところ、

屏に馬の沓を引っ掛けて置いてあるのを見て腹を立て、左門を呼び寄せて叱ったうえに、
その沓を左門の首と下あごに括りつけて座敷牢へ入れて置いた。

左門は牢番の者に酒を飲ませるなどして色々と工夫し、ついに牢を抜け出して
富田信濃守(信高)方へ駆け込んだ。そして富田方から加藤肥後守(清正)に預け、
加藤方から高橋右近(元種)方へにがした。

この人返しの事件によって高橋は改易にあい、また富田家老の掃部という者の子を、
坂崎は人質に取ったのである。

――『武功雑記』





富田知信改易顛末

2012年05月10日 21:00

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 11:32:59.96 ID:vSBf0zO7
ある時、坂崎直盛は近くで召し使っていた小童を罪があったとして処断した。
その小童と知音のあった浮田左門は仇を討とうと決意し、童に手を下した者を
殺害して坂崎家を出奔した。

直盛の父・安心入道は左門が殺されるであろうことを哀れんで富田知信に文を送り、
左門を匿ってくれないかと頼んだ。知信の妻は直盛の姉であった。
知信の妻もこの事態を嘆き、結局知信は左門を匿った。直盛は知信を追及したが
知信は「今は逐電して家にはいない」と白を切った。

頭にきた直盛は直接安濃津城へと赴いて捜索したが、見つからなかったようで
今度は伏見にいた知信と一戦交えようとさえした。さすがにそれは不味いと
周囲に戒められた直盛は家康に訴えでたところ、家康は
「天下のことは将軍に譲った。江戸にて上裁を仰ぐことだ」
と答えた。そこで秀忠に訴えたところ「証拠がない」と突っぱねられたため
直盛の憤怒は相当なものであったという。

それから数年の歳月を経ても、直盛は執念深かった。
直盛は突如として、知信が左門と繋がっている証拠を幕府に提出したのである。
その頃、左門は知信と親しかった高橋元種のもとに潜伏先を移していた。
実は左門と一緒に逃げていた侍が裏切り、坂崎家に帰参するために、
知信の妻が左門に宛てた文を直盛に渡してしまったのである。

狂喜した直盛は証拠をつきつけ、知信と元種は言葉に詰まり、ついに改易された。
一方、左門も捕縛された。左門は土井利勝らの警固で輸送される途中、縄を解き、
警固の刀を奪って暴れまわったが、土井の家臣・藤左衛門に組み伏せられ、
最後には誅せられたという。




102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:07:39.25 ID:wrAZjjBi
知信=信高でその妻ってのは安濃津城戦でピンチの旦那を助けに出撃した例の人でいいんだよね?
なんか釈然としない巻き込まれ方して改易食らってたんだなあ、そして安定のマジキチ坂崎

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:40:01.00 ID:kiMsfJNv
こんな改易のされ方って有りかよ・・・
超がつくほど後味が悪い

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:54:02.15 ID:CBZogoyl
一族郎党皆殺しにされた某せっしょう関白よりマシ

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:59:44.84 ID:4ogxsfHj
殺生なことするよな

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 14:26:05.10 ID:w/K8TT8E
なぜ伯父のような用意周到さと父のような用心深さを身に付けなかったのか残念でならぬわ < 坂崎

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 16:01:03.31 ID:QxmBCIxX
犯罪人をかくまったんだろ?現代でも罪になるよ

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 16:45:23.01 ID:XaNNPDHV
左門も処刑人を殺害するんじゃなくて直接坂崎を仇討ちすればいいものを
坊主を殺すかわりに袈裟を切ったんじゃ、なんだかなぁ

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 17:55:48.79 ID:L+liZV1+
道雪を宿敵とする秋月種実の実子で、紹運に家督を奪われた高橋鑑種の養子である
高橋元種が、この改易後に棚倉の立花宗茂の預かりになって面倒見てもらったっていうのも
元種としては辛かっただろうな

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 20:49:44.40 ID:CC6EiYze
>>109
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4732.html

これのことかな?

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 22:14:25.93 ID:9AcK8kMs
秋月種実って立花・高橋コンビ相手に毎回負けてるのに何故か負けるたびに所領が増えてるイメージ。
1度大友に滅ぼされてから復興して島津侵攻前には30万石以上を領する北部九州1の大勢力だったし。

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 09:12:29.25 ID:C3wWIHI3
>>108
この左門て人は直盛の甥らしいよ。
て事は多分忠家の孫。
血縁だから余計に色々な事情があったんじゃないの?

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 11:54:34.55 ID:44V+1Lhw
>>106
伯父の執念深さを見習い父の臆病な保身を反面教師にしました!

って勢い

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 16:30:33.74 ID:Wog8g69N
泳ぎの達人はどうしてあんなんになったんだろうな~
一族の洋な部分を集めたような性格だよね

009のガンダールさんを思い出すわ~

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 16:33:07.62 ID:FpwYnF0T
秀吉「八郎はわしが育てた。」

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 17:32:22.75 ID:Wog8g69N
ラスボスさんの洋の部分までも…ってことですか?

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 21:26:20.00 ID:bOlIM1Vz
その後
>>118とその家族を見たものは居なかった。

120 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/11(金) 21:29:27.59 ID:ZeoJTVo/
>>119
え?川原に転がってたのを見かけましたよ?

鼻だけね・・・・・

宇喜多詮家(坂崎出羽守直盛)とキリスト教

2009年10月17日 00:18

646 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/16(金) 19:17:34 ID:B0JAY/ZU
宇喜多詮家(坂崎出羽守直盛)のイエズス会にとってはいい話。
いい話のはずなんだが坂崎出羽守の、はた迷惑な性格が見え隠れするお話です。
オルガンティーノ師のイエズス会総長宛書簡(1595年2月14日付)

 備前、美作、備中の国主なる宇喜多備前宰相殿の従兄弟に当たり、アゴステイノ(小西行長)
の非常な親友で、あたかもこの国主の養子のようにしていたおもだった貴人の若者が、大坂で
洗礼を授かってから二ヶ月が経っている。

 若者は洗礼を授かると備前国の自宅に帰った。彼が帰宅して後、妻は病気に罹り数日を経て
死亡した。彼は妻の死去でひどく悲しんだが、それはその夫人が非常に高貴で賢明であり、
また十一歳の娘をもっていたからであり、また生まれたときから彼はこんな辛い目にあった
ことは無かったからである。混乱した彼の心の中に、「それがお前に起こったのは、新しい
宗教に入信したためではないか」という考えが入り始めた。非常に多くの仏僧のような他の
人々や幾人かの親族たちには、同じようなことを彼の耳に入れた者がいた。

 しかし彼はやがて気を持ち直し、目を天に上げて心の中で次のように言った。
「悪魔のこの誘惑は大きいが、デウス様は私の堅固さを確かめるために、この誘惑を許し給うて
いるのだ。そのようなものであるのなら何ものも私から得るものはないであろう。」と。

 そこで彼は不屈の勇気をもって涙を抑え、亡妻の遺骸のもとへ進み出て彼女の高価な衣装、
装飾品、その他すべての所有物を抛り出して、その場にいた人々にこう言った。
「彼女は別な宗派に属していたから、仏僧たちによって彼女は埋葬されるように配慮するが良い。
 私はキリシタンであるから、彼女のものについては何も口出しはすまい。」と。
 すると仏僧たちは反対にこう言った。「汝がキリシタンを棄教して、亡妻の宗派の信仰告白を
しない限り、我らは指一本も遺体には触れぬであろう。」と。彼はこれに対して激しく怒りに
燃え反対にこう言った。「仏僧らはこの件については、何もぐずぐず言わず、遺体については
こちらが望むように処理して欲しい。もし彼らが望むなら、遺体を泥土に投げ込んでも良い。
自分は意見を変えるつもりはないであろう。」と。
 そこで仏僧たちは、彼の固い決心を知ると遺体を墓地へ運んだが、それといっしょに部屋
から抛り出されたすべての衣装を運んだ。


647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/16(金) 19:21:25 ID:/+vodDSU
 その若者は非常に高貴であったのでヴィセンテ修道士は国主関白殿の耳に入って、若者自身と
我らに何らかの危険が迫らぬよう、すべてのことを隠しておくように願った。彼はそうしよう
と約束したが、洗礼を授かって恩恵を受けると驚くほど熱心で気が強くなり、すべてのことを
いとも自由に仲間たちに言いふらし始めた。

 その後、彼は大坂から生地の備前国に行き、毎日自分がキリシタンであることを
いっそう宣伝し、我らの宗教の奥義を称賛するだけでは満足できなくなった。ついてはすべての
諸侯が驚嘆し、とりわけ宇喜多備前宰相殿の母がそうであった。
 彼女は、かの全領国の者とともに、日本中でも非常に邪悪な一向宗に帰依していた。
 この若者は、この宗派に決してはいることを望まず、いつも非難を浴びせ、その誤謬と不正
を暴いた。しかし彼が高貴な素性であるため、このことで誰も彼をあえて咎めようとせず、
それのみならず多くの人々は、彼がデウスのことについて話すのに非常に熱心に耳を傾けた。

 我らは彼に、こちらから一枚の金貨とデウス像のメダル一個を贈った。我らは彼が十日も
たてば大坂に帰り、それからもっと詳しく聖なる信仰箇条を学ぶために都に行くことを期待
している。

(十六・七世紀イエズス会日本報告集 第Ⅰ期 第2巻)




648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/16(金) 19:25:17 ID:l+27aq+W
これはひどい…

649 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/16(金) 19:26:52 ID:lfThVbzo
これは…、典型的な新興宗教にはまった迷惑な親戚!


坂崎直盛と津和野城大改築

2009年10月05日 00:10

129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 11:16:31 ID:+YM83CkZ
 関ヶ原の戦いの功として石見津和野三万石を賜った坂崎出羽守直盛は、鉄砲の
普及で、もはや時代遅れの山城でしかなかった津和野城を大改築するため、家老の
浮田織部を奉行とした。

 しかし家中には築城に長けた者がおらず、かねてより懇意であった正楽寺の恵法に
相談した。
 恵法は若い頃は井上左近時盛という武士で、本願寺光佐に従って織田信長と戦い、
その和議がなったのち剃髪して恵法と号し諸国を遍歴し、正楽寺三世教念の弟子と
なった顔の広い人物だった。
 さっそく恵法は紀州に赴き、根来坊、阿林坊、南湖坊の三人を連れ帰り、出羽守は
住居を与えるなど篤く遇し、築城を任せた。

 彼らは出羽守の期待通りの働きをし見事に城を完成させるが、城の秘密を守るため
三人を殺し、霊魂のたたりを恐れ、城が見えない畑迫村中原に葬ったという。
 同地には今も三塔の宝筐印塔が残っている。




130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 11:36:34 ID:w8z8Mbck
坂崎直盛も四天王クラスのDQNなのに、いまいちメジャーじゃないんだよなぁ。

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 11:45:47 ID:tMQKAhEE
家が滅んでいるからね。
世に喧伝してくれる子孫がいない。

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 12:20:25 ID:ftCevoSS
いい事なのか悪い事なのか・・・

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 12:31:14 ID:Q+7v3+Tt
坂崎直盛を嫌ってなかったのって小野寺義道くらいじゃねぇえの?


大阪の陣、坂崎直盛の行為に付いて・悪い話

2009年05月29日 00:09

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/28(木) 11:20:21 ID:lrYBDX8b
大阪の陣の折、

ある合戦で坂崎直盛が敵の首を二つ取ると、これを披露するため戦場から返し、
将軍秀忠の元に駆けつけた。
この事に対する反応

大平角助
「坂崎って大名でしょ?身上から言っても一部隊率いるほどの人間じゃ無いですか?
それが首をたった一つ二つ取ったくらいで、秀忠様にお見せするために戦場から立ち返るなんて、
その心底、卑怯至極ですよ。」

本多正純
「坂崎ってホント、勢いだけの人間なんだよね。そのくせ出なけりゃいけない所では、
出ない事が多い。まあ、そう言う人なんだよ。」


坂崎直盛、びっくりするほど嫌われていた模様。まあわからんでも無いがw







坂崎直盛と桑島某の家来・悪い話

2009年05月05日 00:07

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/04(月) 00:54:20 ID:gCzf1ljY
ある時、坂崎直盛が、同じ馬好き仲間の桑島某という者を見つけ挨拶をした。

その時の四方山の話をしているうちに、桑島はこんなことを言い出した。

「今、私の家来の中に、成敗したい者が一人いるのだが、この者身動きが俊敏で、
いざ成敗しようとすればそれに抵抗し、私や家来達にも多く被害が出るのでは、と思い、
私のような小身の身で、そのような被害を受けてはたまらないので、
我が本意は未だ遂げられずにいるのですよ。」

直盛、この話を目を輝かせて聞いた。彼はこんな話が大好きだ。
何故ならそれが坂崎直盛だからだ。

「桑島殿!その家来を私の下によこしなさい!私が代わりにそ奴を成敗してくれよう!」
「え?」

直盛のテンションはどんどん上がる。
「よろしいな!いや、もしよろしくないなどと言うのなら、今後あなたとは絶交させていただく!
さあ、よこすのか!?絶交いたすか!?」

「そ、そう言うことなら…」
桑島、半ば強制的にこれに同意させられた。

さて、数日後の明け六つの時分、桑島から、かの家来が使者として、書状を持ってやってきた。
直盛、小姓一人を連れ、屋敷の門の外でこれに対面し、書状を開くと、使者の方を見て、言った

「この書状には、お前を成敗せよと書いてある。」

かの家来、それを聞くや否やすばやく逃げ出した。なるほど、言われた通り俊敏な男だ。
直盛、小姓より刀を受け取り、それを手に追いかける。そして肩に手を負わせるが、
なだらかな坂になっている場所で両人とも転ぶ。
先に立ち上がったかの家来は、直盛に二箇所の手傷を負わせるが、直盛そこに踏み込み、
一刀で討ち取った。

大名自身による代理殺人と言う、いかにも坂崎直盛らしいといえば、らしいお話。




200 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/04(月) 22:38:38 ID:2TkVjigJ
>>195
なんかそんな昔話なかったか。
お礼に宝物をあげるから手紙を届けてくれって言われて、
こっそり手紙を見たら「こいつを殺して食え」って書いてあったってやつ。

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/05(火) 01:03:54 ID:QTLRu64D
>>200
あったあった
小さい頃まんが日本昔話で見たことあるw
かなり不気味な話だった

坂崎出羽守直盛「坂崎事件」・悪い話

2009年04月29日 00:01

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 21:28:22 ID:cUB9PbN5
 大坂城落城の際、豊臣秀頼の正室となった孫娘・千姫のことを想い、
家康は兜を脱いで頭をかきむしり、

 『千姫を助けた者には、姫を嫁に与える!
  大名にもしてやる!』

 と言ったため、
これを受けた石見津和野藩主・坂崎出羽守直盛が燃え盛る大坂城へ突入。
山姥の槍を振るって奮戦し、見事千姫を救い出したが、
その際、顔に火傷を負い、醜い面相になってしまった。

 さて、その後、約束通り千姫を嫁に貰おうと
徳川家に申し入れた坂崎であったが、
千姫は、醜い面相の坂崎を嫌ったため、
祖父・家康も言を左右し、なかなか話がまとまらなかった。

 そして、当の約束の本人である家康が死んでしまった後、
後を継いだ秀忠は、千姫を譜代の名門、本多家の嫡男・忠刻の元へ
嫁がせることに決めてしまった。
怒り狂った坂崎は約束を盾に猛抗議するも、
約束の当人である家康が亡くなったため、話は覆らなかった。

 結果、武士の面目も潰された坂崎は、
こうなったら嫁ぐ途中の千姫を強奪せんと、
一族を集め、江戸市中で兵を挙げた。

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 21:31:13 ID:cUB9PbN5
 これに驚いた幕府は、坂崎邸を1万の軍勢で取り囲み、
如何にするべきか評定した結果、坂崎に切腹を命じることにし、
使者として、坂崎と親交のある将軍家剣術指南役・柳生宗矩を遣わした。

 宗矩は丸腰のまま坂崎邸へ赴き、坂崎と直談判した。
ここで宗矩は、坂崎に事の理非を諄々と説き、
自刃すれば家中から後継を立て、坂崎家は残そう、と約束したので
これに感銘を受けた坂崎は自刃、騒動は収まった。

 しかし、結局幕府はこれを反逆とし、津和野藩坂崎家を取り潰してしまった。
そのことを無念に思った宗矩は、せめてもの償いとして、
坂崎の息子平四郎と家臣二名を引き取り、
また、褒美として与えられた坂崎家の家紋「ニ蓋笠」を
江戸柳生の家紋として使い続けることにしたという。



 何気に坂崎直盛と宗矩のどちらにも載ってなかったので、
「坂崎事件」の逸話を挙げてみた。
まあ、後味の悪い話、ということで。




52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 21:34:03 ID:PqvwQ46t
何時の時代もイケメンじゃないと損するんだな。

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 21:37:28 ID:JQIjeqiC
『卒業』とはならなんだわけですな。

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 21:49:27 ID:1zOwe6Qj
       _
       /\ \
      / /li ̄/
      〃 '⌒´`ヽ
     Kiミ!|ノノ))))〉
    .ノ ヘ.|l ゚ ヮ゚ノ|!
    .((( と I!†iノ
   / )ノ fく/_/_|〉
   \/ し' ヽ_)

だっておっさん臭いもん

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 22:19:27 ID:ykpsJ6wX
堀内氏久「送り届けただけで旗本になった勝ち組」

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 22:23:12 ID:kFbYFXeG
千姫って行きずりの男を引きずり込んで散々楽しんだ挙句殺すとか
ビッチ扱いされてたらしいが本当なのか?

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 22:33:40 ID:yx6NYlMK
明らかに中国の悪女テンプレのぱくりじゃん・・

58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 22:37:14 ID:eITAyp5i
あれ千姫の新しい嫁ぎ先の斡旋を幕府から頼まれた坂崎出羽の守が
公家との縁談をまとめる寸前でドタキャンされた為という話もあるよな。

59 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/28(火) 22:56:14 ID:URKOxunW
千姫「イケメンがいいにきまっているじゃんw」 「キモメンやだーブサイクしんじゃえwwwww」

坂崎直盛甥に激怒の巻・悪い話

2008年12月24日 00:00

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 16:33:45 ID:YYQ+Y1er
1613年なのでぎりぎり戦国か
日 時・・・10月24日
場 所・・・江戸城西の丸
裁判官・・・徳川家康・徳川秀忠
原 告・・・坂崎直盛(石見津和野藩主)
被 告・・・富田信高(宇和島藩主)
内 容
1605年に直盛の甥っ子が男色をめぐり、直盛激怒。
甥っ子は祖父(直盛の父)の安心入道のもとに逃走。
安心入道が女婿の信高のもとに甥っ子を逃がす(さすが安心入道)。
直盛、追跡するばかりではなく、甥っ子を保護した信高の家臣を人質に。
結 果・・・信高敗訴、改易

直盛のその後・・・千姫救出のうわさ


ttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1229592191/
ttp://www.daily-tohoku.co.jp/news/2008/11/25/new0811251101.htm

スレ違いだけど現代のちょっと悪い話
中世や近世が今でも続いてる感じだな

我らの四天王+1ならどうする??



594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/23(火) 16:38:27 ID:Q9vXw7xF
>>593
坂崎直盛はホントにどうしようもないなあw

609 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/24(水) 12:21:48 ID:OkKgT4RU
坂崎直盛は友達にしたくないタイプ

坂崎直盛と鯉の頭・悪い話

2008年10月22日 00:09

890 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/21(火) 20:24:50 ID:VRa4pw0W
宇喜多秀家の従兄弟で、関ヶ原のあと津和野の大名になった坂崎直盛のお話

ある時客があり、直盛は鯉を料理して出した。それが大変美味だったので、客は

「すばらしい鯉でした。もっと味わいたいので、この鯉の頭も吸い物にして出していただけませんか?」
と頼んだ。

直盛は料理人にそれを命じた。が、いつまでたっても吸い物が出てこない。
そこで台所に行ってみると、料理人が先に、その鯉の頭を煮て食べてしまっていたことがわかった。
激怒した直盛は、その場で料理人を成敗した。

やがて客間に戻ると、「こう言うわけで吸い物は出てきません、大変申し訳ない。
代わりに、これを肴にしてください。」

と、客の前に、料理人の首を差し出した。




891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 20:40:11 ID:vlVmFiCg
>>890
政宗に負けず劣らず…

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 20:50:08 ID:7g0ofrGM
伊達とはまた別の悪さだな。こえぇ

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 20:53:56 ID:DiZbD2yj
これは天然なのか悪い冗談なのか

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 20:59:02 ID:avzEmkdA
>>893
幕府相手に市街戦やらかそうとしたアホだから天然だろ

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 21:05:49 ID:OAHs3UjZ
津和野で坂崎出羽守が始めた鯉の養殖だが、なぜか津和野の特産料理に鯉はないんだよなぁ

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 21:26:10 ID:mPPKKZWQ
出された飯もまずくなるよな。

897 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/21(火) 21:32:09 ID:iUyGBnoJ
ガラシャなら、平然と飯食える。

898 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 21:45:38 ID:OCOUinze
そして忠興がドン引きするんだな。

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 22:10:10 ID:3ikwoBcG
出ました!忠興オチw

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 22:20:20 ID:2r239BL7
客もまさか自分の要望で人が一人死ぬとは思わなかっただろうなw
これはドン引きだろw

901 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/21(火) 22:24:55 ID:zKp3r9Nv
脳みそ食えってことですね。わかります。

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/21(火) 22:32:44 ID:W2fnCtJE
忠興がポルナレフAAに思えてきた俺がいるw


942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 17:58:37 ID:pefuNAM0
ちっと亀だけど>>890の「これを肴にしてください」は
「これで腹の虫をおさめ、落ち度・ご無礼を許してください」
ということでおk?

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 19:06:57 ID:mwcVB2h5
>>942
ほんとに食ったのかも知れんぞw

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 19:13:18 ID:/ODxwH0C
>>946
生は食えんだろjkwww

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/22(水) 21:24:15 ID:XfsnK8GE
         ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
         (.___,,,... -ァァフ|          あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
          |i i|    }! }} //|
         |l、{   j} /,,ィ//|       『おれは鯉の頭のお吸い物を所望したと思ったら
        i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ        いつのまにか料理人のおかしらが活け作りされてきた』
        |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
       /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人        な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
     /'   ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ        おれも何をされたのかわからなかった
    ,゙  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
     |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ        頭がどうにかなりそうだった…
    // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
   /'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐  \    頭蓋骨の漆杯だとか平然とメシ食うがらしゃ夫人だとか
   / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ    そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
  ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…



小野寺義道と坂崎直盛への恩・いい話

2008年10月15日 14:24

92 名前:人間七七四年[] 投稿日:2007/12/23(日) 00:48:27 ID:H4vgtw/D
さて、出羽国横手城主小野寺義道は、武勇あるも政治に疎く関ケ原において
仇敵最上義光と争い西軍についたことにより改易され石見国津和野に流された。
配流先津和野の領主は宇喜多家の一族である坂崎直盛である。
後に坂崎直盛は大阪の陣で戦功をたてるものの、その件(俗に言う千姫一件)に
よって自害、改易となった。

坂崎直盛の十三回忌、彼の墓を立てた者こそ、誰あろう小野寺義道であった。
江戸幕府により取り潰しにあった者の墓を建てる者などなかなかいる者ではない。
配流時代に遇してくれた坂崎直盛の恩に報いるためのことであった。

後に、小野寺一族は津和野の新領主亀井氏の臣下となり厚く遇されたという。




103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/01/05(土) 15:45:47 ID:JkiTRbTO
>>92
これは本当にいい話だな。柳生宗矩といい。坂崎は人望はあったんだよな。