有馬晴信領内の仏教弾圧

2013年08月13日 19:57

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/13(火) 16:50:45.25 ID:YatkRy4b
キリシタン大名である有馬晴信の領内では、彼によって追放された僧侶たちが、加津佐の海岸近くにある
岩石の小島の洞窟内の祠に、自分たちの仏像を密かに隠し置いていた。

それを知ったキリスト教の宣教師は、若者たちを従えてその洞窟に向かい。、取り出せる仏像は取り出し、
後は放火して焼き尽くした。

そしてキリスト教徒の少年たちに仏像を運ばせ、有馬の住民達の面前で、仏像につばを吐きかけるなど冒涜し、
最期にそれらを皆打ち壊し薪にした。
(ルイス・フロイス「日本史」)

有馬晴信の領内における仏教弾圧の模様である。




149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/13(火) 23:52:41.10 ID:2DKCJqo5
一神教の排他性や危険さは歴史が証明している。

日本では本地垂迹のように神も仏も仲良くというのが基本。

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キリシタン大名有馬晴信、宣教師への不満

2010年07月04日 00:00

669 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/02(金) 23:48:11 ID:lCbRmmXe
有馬晴信と言えばキリシタン大名として、また岡本大八事件に関わったことでも有名な人物である。
この晴信、キリシタンでありながら宣教師に大いに不満を持っていた。曰く

「司祭たちは、日本人の美しい慣習や高尚な態度を学ぶ努力をほとんどしていない。
これは全く、無知と言うべきことである。」
(ヴァレリアーノ、ローマ・イエズス会宛書簡より)

「宣教師から見た当時の日本人」についてはよく話題に上るが、逆に
「日本人から見た宣教師」は、キリシタン大名という立場からも、このように見えていたのである。

後、岡本大八事件で幕府より死罪を命ぜられ、彼は切腹するのだが、
宣教師の記録では「彼はキリスト教徒であるため自殺を選ばず、妻たちの見守る前で家臣に
首を落とさせた」とある。

『日本人の美しい慣習、高尚な態度』を誇りにしていた晴信は、その思いのように
慣習に従い武士らしく、見事に切腹して果てたのか、それともキリスト教の教義に従って死んだのか。
どちらが事実であったか、定かではない。

キリシタン大名有馬晴信の不満、と言うお話。




慶長13年のことでした。弱小大名の私はいつも金に困っていました・悪い話

2009年04月17日 00:01

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 22:17:33 ID:vjY51SIN
有馬晴信

慶長13年のことでした。弱小大名の私はいつも金に困っていました。
そこで家康様にお許しを願いインドシナに伽羅の香木を買い付けに行き、
ひと儲けする算段を致した次第です。
上様も交易には積極的、銀60貫を投資なさり朱印状も頂き万全の構えで現地に赴きました。
買い付けは上手くいき、帰路船はマカオに寄港しました。
ところでそこでひと騒動が持ち上がりました。気の荒い船乗りども、
マカオの住民と喧嘩となり、鎮圧にきたマカオの兵士に刃向ううちに60名の私の部下が殺されたのです。
その結果投資は失敗、大損をしてしまいました。
これには私も腹が立ちましたし、上様もたいそうご立腹でしたが、
遠隔の地ではどうしようもありませんでした。

ところが翌14年、なんとマカオの総督がわが領地にやって来たではありませんか、
お宝満載のポルトガルの大船に乗って。
この千載一遇のチャンス、逸するわけにはまいりません。
上様も、マカオの仇は長崎で、の気合もこめ、
長崎奉行長谷川左兵衛らを派遣し、船内をくまなく臨検、
お宝も没収することにしました。
ところがマカオの前総督、アンドレア・ベッソアはけんもほろろでこれを拒絶、
さらには奉行殿に高圧的侮辱的態度をとる始末。
「わしの奉行を馬鹿にするとは断じて許せん、全員処刑せよ」、
と上様激怒のお言葉。
親しきイエズス会士を使者に送るも、不穏を感じた司令官アンドレア・ベッソンは召喚に応じるどころか、
長崎港の外に逃げ出す始末。
そこで日本国の威信をかけての船いくさとなりました。
この大船、900トンもありなかなかに手ごわく、
1500の兵を小舟に乗せて向かわせるも10門の大砲の威力に近寄れずにおりました。
そうこうするうちの4日目。
高き櫓を組んだ2隻の船を大船に寄せ、ポルトガル船に一気に兵をなだれ込ませました。
ベッソアもしぶとく剣で刃向うも、
わが方が放った火籠が甲板上の火薬に燃え移るや否や大爆発となり船員どもは火だるま、
さすがの大船も轟沈。

私も大手柄に溜飲を下げたのです。
ところが幸事魔多し、ご加増、旧領復活を狙った下心、
これが旗本岡本大八の詐欺騒動までに発展、
わが息子にも裏切られ、挙句の果てには私が死を賜った次第です。

デウスのお導きとはいえ、とほほの人生でした。




697 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/16(木) 22:48:08 ID:UURDdCYa
(>'A`)>
( ヘヘ

698 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/16(木) 23:16:39 ID:eemgkOKr
m9(^Д^)

西の晴信さん、華麗なる変節遍歴・悪い話

2009年02月21日 00:04

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/20(金) 04:38:24 ID:ZBEYgU2r
華麗なる晴信さんの変節遍歴
 ・島津に泣きついて龍造寺家を事実上滅ぼす
 ・秀吉が来たら速攻で島津家との縁を切り島津征伐軍に従軍
 ・関ヶ原は西軍→一連の寝返り連鎖に上手く乗っかり領地安堵
 ・〆は岡本大八事件

西の晴信さんも中々捨てたもんじゃ有馬・・ありませんな




有馬晴信と潮見神社の巫女・悪い話

2008年10月16日 12:24

271 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/16(火) 23:32:49 ID:j8tJ8pXb
永禄三年、肥前国において有馬勢は、渋江公親の篭る潮見城を攻めあぐねていた。
城自体が堅固な事もあったが、なによりその、そろえられた鉄砲の力に
やられていたのである。「あの鉄砲をどうにかしなければ。」
考えた。そして、思いついた。

有馬勢は、渋江氏の氏神潮見神社の巫女を買収し、潮見城に向かわせ、こう言わせた。

「鉄炮で敵を討つことは、この城の穢れになります。敵は神力にて退散させますので、
鉄炮は城外に運びますように。」

そしてその巫女がお祈りを始めると、なんと城を取り囲んでいた軍勢が、
瞬く間に消え去ってしまった。公親はこれに喜び、巫女を信じ鉄砲を場外に運ばせた。

さて、勿論有馬勢の撤退は見せ掛けだけのものである。鉄砲を運び出した事を
察知すると直ちに引き返し、攻撃を仕掛け、見事潮見城を落とした、とか。




272 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/16(火) 23:43:01 ID:j0dQ0bIg
なんつーか巫女も巫女だなw
神に仕える身なのに買収されるとは

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/17(水) 01:18:15 ID:fWX0P1DO
有馬晴信は沖田畷の直後にも神代貴茂を和睦と見せかけて謀殺してるしな